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こんばんは秋も一段と深まり、朝晩は冷えますさて、訪問看護ステーションで勤めていた頃、同僚と同行であるお宅へ伺いました出発前、同僚ナースが「今から行く所は前立腺癌の80歳の人。引退はしているけど、前は、ドクターをしてたんやで。今は、奥さんと50代の息子と3人暮らしなんやけどね。食欲ないから点滴とバルン交換に行くで」という情報を車で話しながら、自宅に到着ちょっと、緊張するなあ....ドクターかあ「息子さん、知的障害があって、奥さんがみてるけど大変らしいわ」
先日、入退院してから何も食べなかった高齢男性がウナギを食事介助なしに食べたお話をしました。その男性が、午前中に何か食べたいものはないか聞きだすと、「天ぷらならいいかな」とのことで、ウーバーや出前館を使って天丼を買う計画をしていました。が、夕方には呼吸苦から在宅酸素が導入されてしまいました。お看取り期に入ったといっても、あながち間違いではありません。老衰。きっと診断名はそうなるでしょう。その時に彼が食べたウナギと、その後の喜んだ顔が忘れられません。
この日は本当にラッキーなことに、妹の子供達はたまたま3人とも家にいました。特に、一番下の甥っ子は普通なら放課後から夜遅くまで部活の筈なのに、この日はなんと風邪を引いていて学校を休んでいました❗妹が子供達を連れてやって来ると、母の部屋はたちまち賑やかになりました。夜ご飯は甥っ子が「おばあちゃんの大好きなビッグマックをかわりに俺が食べる❗」と言ったので、マクドナルドをウーバーイーツで母の部屋まで届けてもらいました🍟途中で仕事が終わった妹の夫も合流し
父の面会に行き、父の前で色々関係ない話をして…父もしっかり聞いていて、ゴムで髪の毛を結く話のときと~さんにも髪の毛ゆわくように言ってさぁ…あはは😄旦那さんは薄毛なもので…それを理解しての笑いでした😄他にも、初孫ちゃんの話には反応したり…最後は孫娘に促されてVサイン✌️おじいちゃんまたくるね〜♪今度〇〇〇(初孫ちゃん)連れてくるからね〜♪父は幸せですよね🥰
訪問診療を行える範囲は原則、医療機関から訪問先までの距離が16km以内とされています。当クリニック(場所などの詳細は追ってご紹介します)では外来も行いつつ、訪問診療を行う予定です。なので訪問診療のみを行うクリニックと異なり、外来もおろそかにできません。現在はクリニックから5km圏内を想定しています。5㎞を超えていたら絶対対応しないというものではありませんが、現状ドクターは私一人なので、外来にも対応しつつ、何かあったらすぐ駆け付けられるという点では距離は絞った方がいい
患者歴3年5ヶ月PSA1400→0.098→3.907→1.665BSI15.7→4.30→5.75→3.41→0.83ザイティガ→ドセタキセル(現在)→イクスタンジ+ゾーフィゴ主治医3人目過日診察時主治医「ドセタキセル効いてるから続けてカバジタキセルやりません?」「ゾーフィゴをやりたいので予定通りで」私の今のメインテーマは終末期の骨転移痛み軽減主治医の効果があるうちに抗がん剤揃い踏み効果も分かるが..現在の主治医
(この記事は3月に綴った記録です)ホスピスに入ってから、毎日病室に私が顔を見せると彼が手を繋いでほしがるので、ベッドサイドで手を繋いで、彼の今日見た夢の話を聞いたり、たわいもない会話が続く。本当は私はもっと大事な心のうちにあることを話したいんだけど、彼の夢の話が終わらない(笑)今から思うと、彼は心のうちを話すと深刻になってしまうのがつらかったのかもしれないな。そんなわけで、ただただ彼の話を頷いて聞いていると、途中から疲れて彼が寝てしまうので、私もベッドサイドで本を読んだりして過ごし
こんばんは日曜日に父からの電話で今日実家へ帰って来たわけだけど...母は前回の入院した時も痩せた姿で食事もとれない状態でした。水も飲めなくて飲んでも吐いてしまうと...痰が絡むからゲホゲホするって一生懸命説明してくれて今日は頑張ってお喋りしてくれました。私の治療はひとまず終わったけど。母の終末期穏やかにしてあげられるだろうか『乳がん術後83日目!放射線治療24回目!父からの突然の電話。』こんばんは放射線治療もあと明日の
※乳がん終末期のため、急ぎ、医療過誤の記録をします。読みづらい、理解しにくいところがあったらすみません。不明点については質問をくだされば体調が許す限り回答します。※私の医療過誤経験はよくある思い込みなどではなく、あってはならない悪質な医療過誤だと、多くの乳腺科医をはじめとした医療職たちや東京都福祉保健局からお墨付きを頂いている内容なので、どうか参考にして、ご自身や大切な人の身を守ってください※実名告発をしていたらAmebaに記事を削除されてしまったので病院名、医師名は伏字にしました。今後
お母さんさえ生きてくれてればどんな困難でも乗り越えられるのに。お母さんいないと色々無理だわ。旦那からは毎週末怒鳴られるし、怖いし。趣味も仕事も自分の時間も何もないわたしには子供がいることだけが生き甲斐。お母さんとの楽しかったこと思い出したら涙が止まらなくなった。お母さんと通ったジム楽しかったな溶岩浴でよく悩み聞いてもらったりしてた。わたしが落ち込んでたらすごい心配してくれてた。お母さんと通った料理教室も楽しかったなかぼちゃ切るの大変で笑ったよね。5回くらい通って辞めちゃ
今日でALSと告知されて丸5年経ちました先生からは「あと、4年の命と考えてください」と、言われ面談室で妻と2人泣いたのを覚えています退院日だったが先生が心配して「明日か明後日まで入院伸ばしてもいいよ!」と言われたが「明日、お客様の新車納車の約束がありますので退院します!」って、言い返したっけ毎日、生きてて申し訳ないと思い過ごしていますがお迎えが来るまであと少し楽しむ事と苦しみを味わいながら生きたいと思います
姉④の独走ぶりにモヤモヤが消えないポチです親の前で揉めたくないけどさー今日も今日とてお泊り介護のワタクシ。父はぶっちゃけヨロシクナイ昨日からほぼ経口摂取もできてない。昨日はみかんの缶詰食べて一口目で盛大に誤嚥💧気道からみかんが収穫できました酸素3Lでなんとか90%前後をキープ。点滴も500ml/日だけだからおしっこも濃く少なくなってきてるし、退院してからの数日間で日に日に衰えてる。ちなみに母の退院はまだ未定。『お母さんさ、一時的外出でお父さんしっかりしてるうちに少しでも会わせ
朝起きたら、愛ちゃんが胸が痛いという。痛くて、髪をかきむしる。足を暴れさせる。痛み止めをもらっているうちに意識がなくなり、看護師さんが危篤と判断妻の両親と子どもたちを呼び出す。脈拍、呼吸正常だが、意識なし。みんなでずっと呼びかける。主治医が来て、あと30分から1時間保たない。もし、心停止したら、その段階で死亡確認をすると言われる。1時間後意識ないが、脈拍、呼吸正常主治医にまた呼ばれる。どれだけ生きるかわからないが、とりあえずいつ亡くなってもおかしくない。全身状態が悪いので
(この記事は2月の末ごろ綴った記録です)夫は癌研有明病院の後、自宅療養ではなく直でホスピスに行くことになった。理由は二つ。彼は血栓ができやすい状態に陥っており、心筋梗塞や脳溢血になる可能性が大きいため、緊急事態に対応するにはもはや自宅療養では無理だということ。そして、もうすでに抗がん剤など治療ができない状況であるということで、病院の標準治療ではなく、緩和ケア病棟に入ることになった。我が家から通える範囲にホスピスの選択肢がいくつかあり、そちらのほうが痛みのケアがきちんとしているから
ステージⅣがん患者が、無治療、緩和治療待ち?経過観察中?ともなると、積極的治療はありません。終活以外やらなければならない事もありません😂診察は私の希望で、2週間に1回。月一でも良いようでしたが、私が不安になるので2週間に1回にしてもらいました。今週の金曜日に診察ですが、余命の話以外、体調の確認くらいしか、聴かれることも無さそうです。寿命と言う運を天にまかせ、逝く日を待っているだけかと思うと、厳しいです。こう言う状況になり、なんだか怪しいクリニックに行ってみたり、丸山ワクチンを試してみたりす
久しぶりにお母さんの声が聞きたくなって、お母さんが緩和病棟に入院中、録音してたのを今日聴いた。呂律回ってなかったけど、泣きながら話してるお母さんの声。亡くなる前日、2023年11月28日に録音したもの。終末期は寝たきりみたいになって最期の数日は会話もできないって人が多い中、こんなに意識もはっきりしてたんだなと改めて思った。この時お母さんは水も飲めなくなって尿も出てなかったし、お母さんももう生きる時間は限られてるって分かっててそれが本当に辛そうだった。「こんなに早く悪くな
おはようございます。昨日は私の死亡保険金を母が受けとれるように受け取り人変更の申請をしました。最後の入院費用、火葬費用、家の片付け等には、少なくとも100万くらいは掛かるだろうと思っていましたのでこれでまた一つ心配事が解消されそうなのですが、母が保険金受け取りの書類を揃えられるのかと一つ心配事も増えました(笑)今日、社会福祉協議会に、母に代わり保険金の受け取り手続きをしてもらえる支援事業はないのかと問い合わせしてみるつもりです。2名のケアマネさんから、成年後見人制度の利用を勧められましたが
今日でお母さんが亡くなって6ヶ月が経った。お母さんが亡くなった日から月日を数えるようになり、わたしにとっての一年の始まりは1月1日じゃなくて11月29日になった。お母さんの命日が来たら、そこからまた一年が始まるかんじ。お母さんが亡くなってからの半年は辛くてしんどかったけど、お母さんの癌が発覚してからの一年3ヶ月の間も今思えばずっと苦しかったな。治らない病気っていうのは発覚したその日から地獄が始まる。どうしたら延命できるかどうしたらできるだけ辛くないかをひたすら調べる
病院に連れて行くのに、今のやんをキャリーに入れることにも抵抗があって病院に行くことを悩んでいたら昨日は、Mさんが自転車で30分かけて来てくれてやんをフリースにくるんで一緒に病院に行ってくれた本当にありがたかった病院ではもう死期が近いと言われてしまい……いつもの皮下点滴と注射をして帰宅したけど帰宅後はぐたっとしてしまい寝たままおしっこをしてしまうくらい一気に衰弱してしまったように見えた今のこの状態で強制給餌をすることにも迷いが出てしまったけど、迷いながらも生きてほしくて
父が亡くなって1週間経ちました私はと言いますと、通夜に告別式で2日間睡眠不足で終わった後に疲れが一気にきてよく寝ました病気の進行と共に体力が無いと実感した1週間でした父が亡くなる2日前に部活で忙しい二女を連れて面会に行った時の話です病室は個室でしたが、家族でも2人ずつしか面会出来ず病院に寝泊りしていた私の兄(二男)と妻を談話室で待ってもらい私と二女で父と面会していました私が視線入力パソコンを使い「これが最後だと思うから、じいじに話しかけてあげて!」と言うと、二
お母さんが癌になった時、癌に効く食べ物やサプリメントを調べた。癌になった人は一度は耳にしたことがあるかもしれない「フコイダン」高いけど、もしこれで癌が小さくなるならと思ったら試さずにはいられなかった。お父さんには、そんな効果あるかわからないものやめとけと言われたけど効果なかったとしても栄養があることには変わらないし、試す価値はあると思った。抗がん剤始めると同時にフコイダンを飲み始めた。抗がん剤が効いたのもあって、たくさん溜まってた腹水もどんどん減っていって、ca125の値も下が
今週1度放射線受けられた少し安心したのも束の間血液検査の結果が肝臓かなり問題が確かに黄疸が出始めていた薬も効きが悪いついに終末期に入ってしまった黄疸を軽減する処置をするには1週間程度の入院が必要ただ、やってみないと、わからない膵炎になる可能性もある夫少し考えたいと金曜日の診察まで一旦保留にただ、もう悠長にしてる時間はあまりないと言われた最後をどこで過ごすかとかどうゆうケアを望むかと夫は最後まで家でと言ったが思わず、自宅で看取る自信がないと言ってしまった先生
左股関節の痛みを訴え調べたところ骨盤へ骨転移が判明したのは4月中旬でした足を使わない方がいいと松葉杖と歩行器の生活がスタート訪問看護師と訪問ヘルパーの助けを借りながら1人生活を続けていた母でしたが両腕の痛みも訴え始め5月2日に訪問看護師が母の元を訪れた時レスキュー最大量使用しても痛みが取れない微熱もある食欲なし辛そうに布団で横になっているのですぐに、かかりつけの緩和ケア主治医へ連絡してくださり母を連れて受診しましたしかしその時の緩和ケア主治医対応が、とても不親切
5月22日午前4時に父が旅立って行きました3月に食道ガンで余命1年と宣告され治療する体力が無く対処療法をして退院する4月に施設で転倒し大腿骨骨折で緊急手術その後、病院を退院する事無く逝ってしまいました転倒して動けなくなると早いと言いますが本当でした父から私への最後の教訓ですね私も転倒には気をつけたいと思います最後らへんは言葉が出なかった父最後のやり取りは大腿骨骨折の手術後に聞いた「痛かったー」かな(もっと、マシなやり取りしたかったです)1週間前から危な
今を残すために日々更新しようと思います。いつも話が急に変わったりと、読みにくくてすいません。食事🍚昨日夜に少しだけ食べた買ってある高カロリードリンクすら飲めなかった仕事夫は親の会社で働いていたのでその仕事のできる事を引き継ぎした3時間位頑張りました痛み痛みは相変わらず会話少なめこれからのこと現在終末期に入ったと伝えたのは夫父それと私の兄弟私は両親が他界してるのであまり仲は良くないが、報告した兄たちがお見舞いに来たいと言ってくれたやさしさにちょっとだけ救われ
ある看護師さんがSNSに書いてたことなんだけど人って死が近づいてくると自分の母親のことを思い出して「おかあさーん!」て助けを呼ぶかのように叫ぶ人がほんとに多いんだって。お母さんが生きてる亡くなってる関係なく。いつも一番辛い時に助けてくれたのが母親だから。死ぬ間際辛い時は母親を想うんだって。それを聞いて、わたしは間違いなくその時がきたら「お母さん!」って呼びかけてると思う。だって今ですら困ったときや助けて欲しい時、心の中で「お母さんどうしたらいい?」って聞いてるもん。母娘の関
(この記事は3月に綴った記録です)このホスピスは個室がメインだけれど、2人部屋もある。そこは差額ベッド代はとられないけれど、やっぱり気兼ねなく家族が通えるということになると個室にかなわない。心配性の私が夫に医療保険を三本かけていたおかげで、差額ベッド代ぐらいはカバーできるので、彼に安心して個室で療養してほしいと伝えて、私はこれ以降毎日ホスピスに通うことになった。病室でやりたいあの事このこと、彼にはいろいろあったけれど、そしてホスピスでゆっくり体調を回復して・・・と彼自身も私達
前回の続き『警察に電話【旦那の最期の日】』前回までの流れです『旦那の最期の日』黄疸に腹水と終末期の旦那は、緩和の先生にあと1週間で何か体に大きな変化が起きるかもしれませんと、やんわりとした余命宣告を告…ameblo.jp病院を抜け出し真夜中歩き続け、朝を迎え昼がすぎ夕方ごろには気がつけば母の家へ行っていました。なんの連絡もなしに突然行ったのでビックリしていました。「○○君(旦那の名前)どうなったのー?」と母に聞かれ、だいたいの事は分かっていたので旦那の状況と、病院抜け出してフラフラしたこ
前回までの流れです『旦那の最期の日』黄疸に腹水と終末期の旦那は、緩和の先生にあと1週間で何か体に大きな変化が起きるかもしれませんと、やんわりとした余命宣告を告げられました『余命宣告』皆さんは自分…ameblo.jp『病院抜け出す【旦那の最期の日】』前回の続きです前回『旦那の最期の日』黄疸に腹水と終末期の旦那は、緩和の先生にあと1週間で何か体に大きな変化が起きるかもしれませんと、やんわりとした余命宣告を告…ameblo.jp恐怖とパニックになってしまった私。室内も暑かったし、一旦気持ちを落
湘南辻堂の精油リーディングサロンエナジーフィールドの宝官です今日はにじカフェさん主催のイベント414(よいし)カードを通して死生観について対話する会に参加させていただきました一番はじめの質問は「死後の世界、あなたはどんなイメージですか?」机に並んだ、たくさんのカードから近いものを選んでみんなでシェアしていきましただ~れも正解を知らないこの質問をそれぞれ自由に語るのはとても面白い時間でした♪続いて414(よいし)カードを使った対話の時間。