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久しぶりにお母さんの声が聞きたくなって、お母さんが緩和病棟に入院中、録音してたのを今日聴いた。呂律回ってなかったけど、泣きながら話してるお母さんの声。亡くなる前日、2023年11月28日に録音したもの。終末期は寝たきりみたいになって最期の数日は会話もできないって人が多い中、こんなに意識もはっきりしてたんだなと改めて思った。この時お母さんは水も飲めなくなって尿も出てなかったし、お母さんももう生きる時間は限られてるって分かっててそれが本当に辛そうだった。「こんなに早く悪くな
おはようございます。昨日は私の死亡保険金を母が受けとれるように受け取り人変更の申請をしました。最後の入院費用、火葬費用、家の片付け等には、少なくとも100万くらいは掛かるだろうと思っていましたのでこれでまた一つ心配事が解消されそうなのですが、母が保険金受け取りの書類を揃えられるのかと一つ心配事も増えました(笑)今日、社会福祉協議会に、母に代わり保険金の受け取り手続きをしてもらえる支援事業はないのかと問い合わせしてみるつもりです。2名のケアマネさんから、成年後見人制度の利用を勧められましたが
今日でお母さんが亡くなって6ヶ月が経った。お母さんが亡くなった日から月日を数えるようになり、わたしにとっての一年の始まりは1月1日じゃなくて11月29日になった。お母さんの命日が来たら、そこからまた一年が始まるかんじ。お母さんが亡くなってからの半年は辛くてしんどかったけど、お母さんの癌が発覚してからの一年3ヶ月の間も今思えばずっと苦しかったな。治らない病気っていうのは発覚したその日から地獄が始まる。どうしたら延命できるかどうしたらできるだけ辛くないかをひたすら調べる
病院に連れて行くのに、今のやんをキャリーに入れることにも抵抗があって病院に行くことを悩んでいたら昨日は、Mさんが自転車で30分かけて来てくれてやんをフリースにくるんで一緒に病院に行ってくれた本当にありがたかった病院ではもう死期が近いと言われてしまい……いつもの皮下点滴と注射をして帰宅したけど帰宅後はぐたっとしてしまい寝たままおしっこをしてしまうくらい一気に衰弱してしまったように見えた今のこの状態で強制給餌をすることにも迷いが出てしまったけど、迷いながらも生きてほしくて
父が亡くなって1週間経ちました私はと言いますと、通夜に告別式で2日間睡眠不足で終わった後に疲れが一気にきてよく寝ました病気の進行と共に体力が無いと実感した1週間でした父が亡くなる2日前に部活で忙しい二女を連れて面会に行った時の話です病室は個室でしたが、家族でも2人ずつしか面会出来ず病院に寝泊りしていた私の兄(二男)と妻を談話室で待ってもらい私と二女で父と面会していました私が視線入力パソコンを使い「これが最後だと思うから、じいじに話しかけてあげて!」と言うと、二
お母さんが癌になった時、癌に効く食べ物やサプリメントを調べた。癌になった人は一度は耳にしたことがあるかもしれない「フコイダン」高いけど、もしこれで癌が小さくなるならと思ったら試さずにはいられなかった。お父さんには、そんな効果あるかわからないものやめとけと言われたけど効果なかったとしても栄養があることには変わらないし、試す価値はあると思った。抗がん剤始めると同時にフコイダンを飲み始めた。抗がん剤が効いたのもあって、たくさん溜まってた腹水もどんどん減っていって、ca125の値も下が
今週1度放射線受けられた少し安心したのも束の間血液検査の結果が肝臓かなり問題が確かに黄疸が出始めていた薬も効きが悪いついに終末期に入ってしまった黄疸を軽減する処置をするには1週間程度の入院が必要ただ、やってみないと、わからない膵炎になる可能性もある夫少し考えたいと金曜日の診察まで一旦保留にただ、もう悠長にしてる時間はあまりないと言われた最後をどこで過ごすかとかどうゆうケアを望むかと夫は最後まで家でと言ったが思わず、自宅で看取る自信がないと言ってしまった先生
左股関節の痛みを訴え調べたところ骨盤へ骨転移が判明したのは4月中旬でした足を使わない方がいいと松葉杖と歩行器の生活がスタート訪問看護師と訪問ヘルパーの助けを借りながら1人生活を続けていた母でしたが両腕の痛みも訴え始め5月2日に訪問看護師が母の元を訪れた時レスキュー最大量使用しても痛みが取れない微熱もある食欲なし辛そうに布団で横になっているのですぐに、かかりつけの緩和ケア主治医へ連絡してくださり母を連れて受診しましたしかしその時の緩和ケア主治医対応が、とても不親切
5月22日午前4時に父が旅立って行きました3月に食道ガンで余命1年と宣告され治療する体力が無く対処療法をして退院する4月に施設で転倒し大腿骨骨折で緊急手術その後、病院を退院する事無く逝ってしまいました転倒して動けなくなると早いと言いますが本当でした父から私への最後の教訓ですね私も転倒には気をつけたいと思います最後らへんは言葉が出なかった父最後のやり取りは大腿骨骨折の手術後に聞いた「痛かったー」かな(もっと、マシなやり取りしたかったです)1週間前から危な
今を残すために日々更新しようと思います。いつも話が急に変わったりと、読みにくくてすいません。食事🍚昨日夜に少しだけ食べた買ってある高カロリードリンクすら飲めなかった仕事夫は親の会社で働いていたのでその仕事のできる事を引き継ぎした3時間位頑張りました痛み痛みは相変わらず会話少なめこれからのこと現在終末期に入ったと伝えたのは夫父それと私の兄弟私は両親が他界してるのであまり仲は良くないが、報告した兄たちがお見舞いに来たいと言ってくれたやさしさにちょっとだけ救われ
ある看護師さんがSNSに書いてたことなんだけど人って死が近づいてくると自分の母親のことを思い出して「おかあさーん!」て助けを呼ぶかのように叫ぶ人がほんとに多いんだって。お母さんが生きてる亡くなってる関係なく。いつも一番辛い時に助けてくれたのが母親だから。死ぬ間際辛い時は母親を想うんだって。それを聞いて、わたしは間違いなくその時がきたら「お母さん!」って呼びかけてると思う。だって今ですら困ったときや助けて欲しい時、心の中で「お母さんどうしたらいい?」って聞いてるもん。母娘の関
(この記事は3月に綴った記録です)このホスピスは個室がメインだけれど、2人部屋もある。そこは差額ベッド代はとられないけれど、やっぱり気兼ねなく家族が通えるということになると個室にかなわない。心配性の私が夫に医療保険を三本かけていたおかげで、差額ベッド代ぐらいはカバーできるので、彼に安心して個室で療養してほしいと伝えて、私はこれ以降毎日ホスピスに通うことになった。病室でやりたいあの事このこと、彼にはいろいろあったけれど、そしてホスピスでゆっくり体調を回復して・・・と彼自身も私達
前回の続き『警察に電話【旦那の最期の日】』前回までの流れです『旦那の最期の日』黄疸に腹水と終末期の旦那は、緩和の先生にあと1週間で何か体に大きな変化が起きるかもしれませんと、やんわりとした余命宣告を告…ameblo.jp病院を抜け出し真夜中歩き続け、朝を迎え昼がすぎ夕方ごろには気がつけば母の家へ行っていました。なんの連絡もなしに突然行ったのでビックリしていました。「○○君(旦那の名前)どうなったのー?」と母に聞かれ、だいたいの事は分かっていたので旦那の状況と、病院抜け出してフラフラしたこ
前回までの流れです『旦那の最期の日』黄疸に腹水と終末期の旦那は、緩和の先生にあと1週間で何か体に大きな変化が起きるかもしれませんと、やんわりとした余命宣告を告げられました『余命宣告』皆さんは自分…ameblo.jp『病院抜け出す【旦那の最期の日】』前回の続きです前回『旦那の最期の日』黄疸に腹水と終末期の旦那は、緩和の先生にあと1週間で何か体に大きな変化が起きるかもしれませんと、やんわりとした余命宣告を告…ameblo.jp恐怖とパニックになってしまった私。室内も暑かったし、一旦気持ちを落
湘南辻堂の精油リーディングサロンエナジーフィールドの宝官です今日はにじカフェさん主催のイベント414(よいし)カードを通して死生観について対話する会に参加させていただきました一番はじめの質問は「死後の世界、あなたはどんなイメージですか?」机に並んだ、たくさんのカードから近いものを選んでみんなでシェアしていきましただ~れも正解を知らないこの質問をそれぞれ自由に語るのはとても面白い時間でした♪続いて414(よいし)カードを使った対話の時間。
先日、紹介した唾液の分泌を抑える薬「ロートエキス散」レスパイト入院する際にちょうどなくなったので病院で処方してもらうように頼んだあとから担当医が部屋に来てロートエキス散の件で話があると…先生)院内薬局にロートエキス散の取り扱いが無かったので院外薬局に問い合わせをしたら、廃番になって代替品も無いと…今まで使っていた分は薬局に在庫であったんでしょう!よろしいでしょうか?と…、ん?どうしようもないって事かな?言われて2日間過ごし
※乳がん終末期のため、急ぎ、医療過誤の記録をします。読みづらい、理解しにくいところがあったらすみません。不明点については質問をくだされば体調が許す限り回答します。※私の医療過誤経験はよくある思い込みなどではなく、あってはならない悪質な医療過誤だと、多くの乳腺科医をはじめとした医療職たちや東京都福祉保健局からお墨付きを頂いている内容なので、どうか参考にして、ご自身や大切な人の身を守ってください※実名告発をしていたらAmebaに記事を削除されてしまったので病院名、医師名は伏字にしました。今
真喜志兄さんが旅立ってもう1ヵ月経つんですね今頃は向こうで呑んでいるんでしょうか?ALSで苦しんでいる人たちを励ます活動をしてそうですけど…笑さて、話は変わり昨日はバタバタの1日でした父の事です前にもブログでお話させて頂きましたがもう、あまりよろしくありません月曜日に、病院から「積極的治療は難しい」と説明を受けていました火曜日に、病院から「時間の問題です。覚悟をお願いします」と言われ昨日の朝方「危ない状態に…」と連絡がありました長男は仕事を休み隣県から駆けつけて
こんばんはいつもありがとうございます詳しいことは書けませんが頑張ってきた友人のもとにいき抱きしめたいと思った一日でした。ミヨ子さんが亡くなった時も尚さんが亡くなった時も二人が自宅で納棺を終えると旦那さんはラインではなくて◯◯ちゃんのおかげです。色々苦労かけたね。お父ちゃんもお母さんも最期まで幸せでした。本当にありがとう。と私の目をみて頭をさげて泣いてました。そして、私もその言葉で報われました。ありがとうと感謝を伝えたり自分の非を認めて謝ること。出
倉田真由美さんの旦那さんも膵臓がんだった。夫の膵臓がんが分かった時に、長男が「くらたまの旦那さんも同じがんで、余命宣告を受けても抗がん剤もやらないで生き延びているみたいだよ」って言っていたけれど、夫より一足先に亡くなった。夫は病名が分かってから2か月で生涯を閉じたけれど、くらたまさんの旦那様は余命宣告を何度も受けて、それよりも長く生きることができた。でも最後の余命宣告をされたとき「これでようやく死ぬことができる」と言ったそうだ。後で知ったんだけど、癌というのは、大体余命宣告されて
わたしは誰かを看取るという経験をしたのはお母さんが初めてだったけど、もう二度と人の最期に向き合いたくないと思うほど辛い経験。生きててこんなにも辛い瞬間はあるのかと思うほどのショック。それほど最期を看取るというのは自分の人生に影響を及ぼすほどの衝撃がある。お母さんの最期を看取れなかったらそれはそれで色々後悔してたと思うし、結果的には良かったんだけど。。こんなにも毎日、最期の瞬間をフラッシュバックのように鮮明に思い出して落ち込んでしまうのは、メンタルかなりやられるわ。死別し
https://ameblo.jp/tm5318/entry-12679393474.html『肉腫専門医T先生のセカンドオピニオン』https://ameblo.jp/tm5318/entry-12679158570.html『究極の選択ラッシュの始まり』https://ameblo.jp…ameblo.jp2021.2.1Kセンターに紹介状を書いてくれたS病院の主治医の話では、Kセンターでは抗がん剤治療と言われるだろう…とのことでした。2月1日は大事な日。私の治療方針が決まる日です
昨日のレントゲンの結果、5日前のレントゲンと比べるともう胸水が1Lくらい溜まってきているとのことで(早っ)、退院前にもう一度胸腔穿刺をすることになりました。今回の施術は前回の5倍くらい痛くて、前回以上にしょっぱなから叫びながらの穿刺となりましたが、結局抜けたのは1150って言ったかな本当は1300~1500くらいひくのが目標だったんだけど、私があまりの苦しさと痛さでダウンしてしまいました普通はならないみたいなんですけど、私は800cc抜いたあたりから肺全体がきゅーっと締め付けられ始めて、肺
昨年、父を妹と私とその家族、医療者チーム、介護チームで亡くなる4日前まで在宅生活をなんとか回していた経験から1人で家で最期を、というチャレンジにはいろいろな解決策はあるもののマンパワーと変化への柔軟な対応とそれらの調整役は必要だと思いました。なので私は今も「最期に」という記事が目にとまります。こちらの記事、興味深く読みまして著者さんの書かれている視点におーーーそういうこと、たしかにあるのかもね、とあまり言われない視点ですがそうかも、と思いましてシェアしたく思います。
今日の20:00からのわんにゃん保健室の江本先生とのインスタライブの質問を募集したんだけどいただいた質問の中に在宅での皮下補液の質問が続いてあったのでこれはこっちで答えるね。まず、皮下補液は脱水の改善させるためのものと言うことを理解してもらう必要がある。これが大前提なんよ。
■現時点での治療(-)服用薬→ウルソ(肝臓対策)、タケキャブ(胃薬)、レバミピド(胃薬)、ミヤBM(整腸剤)、フロセミド(利尿剤)、、酸化マグネシウム(下剤)、カルボシステイン(去痰剤)、ビソルボン(去痰剤)、msコンチン(咳止め)、スインプロイク(下剤)、■1/5(金)訪問医「急に進みましたね。まずは、MSコンチンの増量から始めます。駄目なら、オプソ増量。それでも駄目なら、ステロイド。仕事を今後どうするか、決断してください。最期まで粘るも
結局。2回目の胸水は抜かずに帰ることになるみたいです一昨日「もう1回胸水抜いて帰るのも手だよ」って言っていた医師が、今朝になったら「合併症のこともあるから、胸水は抜けばいいってわけじゃないんだよねー。今回はもう抜かなくていいんじゃない?」と言い出しました。は……話が違うんですけどせっかく覚悟を決めたのに~!まぁ「入院中にもう一度胸水抜く」って言っていた残り2人の乳腺科医の見解を聞かないことには……とは思うんだけど、今朝の医師は「ソーシャルワーカーに退院調整頼んどくね」まで言っていたんだ
ハラヴェンは2週間続けて2回打って1週間休みのサイクルこれが1クール初回1回目打って翌週の診察日夕方から雨予報やけど投薬時間も短いし余裕で単車通院🛵お気に入りのパン屋で朝食用のパンを買ってから病院入り受付、採血を済ませてから朝ご飯のパンにかじりつく🥖時間を見計らってから腫瘍内科の待合所へ移動番号呼ばれ診察室へこの一週間体調に何かお変わりありましたか?気になる強い副作用はほとんどないとだけ伝えたけど手足のしびれが強くなったような気がする事と若干の味覚の変
お母さんは癌が発覚してから一年3ヶ月の間毎日欠かさず日記のようなものを書いてた。その日の体調、体温、血圧、酸素濃度、薬の種類、副作用の症状、その日したこと、食べたもの、トイレの様子、思ったこと、感じたこと色々書いてて、今日全部読み返した。わたしが聞いてなかった症状も書いてたり、わたしには大丈夫だよって言ってた時期も、頭痛や吐き気、いろんな症状が出て辛そうだった。入院してからもずっと書いてて、病院から家族が呼ばれて緩和ケアに移るか治療を続けるかの話をした時の日記に、「このま
亡くなる2日前のことです朝、家の修理とか色々やってくれていた工務店の担当者が退職とのことでお電話をいただいた夫に変わり、普通に会話をし電話を切ったこれから困るねと話をした引き続きの担当の名前も聞いてくれるくらいしっかりしていたその後また眠ってしまった薬を飲むのに起こすと、今までと様子が違う自分で薬を取り出すことができないし手に力が入らないと言いました私が念の為、飲む薬を確認してると何の薬か理解できないようで、教えても反応がないそして薬を持ったまま眠ってしまうなんとか