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先生に対しての愚痴です。嫌な気分になる方はスルーしてください退院に向けて不安な気持ちを担当の先生に伝えていました。口でうまく伝えられないのでこのメモを先生に渡しました。なんで、この状態で退院や外泊を決めたのか精神病棟で自死する人は少ないと思います。それは監視されているので「しない」ではなく「できない」のだと思います。担当の先生は患者ファーストで家族の意見はあまり必要としていませんでした。私たちは専門家の先生なんだから先生を信じてまかせようと言い聞かせていました。
ベッドごとの大移動連れて行かれた部屋は2人部屋ここで私は精神病棟なんだと自覚する入った先には1人の女性が車椅子に座っていたまだ若い雰囲気はあるけれどあきらかに違和感があったベッドで動けないからよくわからない一瞬見えたのは身体に書かれた無数の文字だったえ?!私どうなるの?気分は耳なしほういちと同室気分看護師さんたちは私の移動が終わるとそのまま帰っていった
宇都宮病院事件1983年(昭和58年)(後編)報徳会宇都宮病院1983(昭和58)年に2人の入院患者が看護人らの暴行によって「リンチ死」した報徳会宇都宮病院(以下、宇都宮病院)に、文字通り独裁者として君臨していたのが、院長・理事長だった石川文之進医師でした。石川文之進院長(当時)石川文之進は、1925(大正14)年に宇都宮で、薬局と特定郵便局を経営していた父の長男(三男三女の6人きょうだい)として生まれました。旧制宇都宮中学(現在の宇都宮高校)を出た石川は、19
ちーむ茨城県ゆとり!精神病棟に隔離されたサエコ!16歳?の頃2人で食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲んでいた頃「私達って太っても巨大なデブにはならなそうだよね!」とか言っていました!きっとサエコも心療内科の離脱症状が抜ける頃食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲み、寝たいだけ寝たでしょう、きっと!太っても。今は人生最大に見た目が良さそう!!
ざわざわと騒がしい音がする。ここは病院のようだ。ふと、意識が戻ると見知らぬ病院で母がなにかの説明を受けている。私は過剰に摂取した薬のせいで、まだ頭がぼーっとしている。無気力に椅子に腰かける私を見る人に対しては無意識に微笑んでいた。「さぁ、こちらへどうぞ」病院関係者に言われて道を進む。次に厳重にセキュリティされたドアを開けて「こちらへ」と言われる。そのドアの向こうは精神病棟だった。静かに本を読む人、わめきちらして看護師に押さえられてる人、無気力にフラフラとただ動く人。すぐにここ