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(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)私が乳がん告知された26歳の時腫瘍は約1.5cmくらいほんと、パチンコ玉みたい…(パチンコした事は無いけど何かそう思いました。笑)そんな感じでしたもちろん、腫瘍は皮膚の中にありましたその2年後の28歳の時私の腫瘍は6.5mmぐらいになり半分以下に縮小しました。それから更に2年30歳手前ぐらいまではほとんど変化なく痛みなどもなく……腫瘍の変化がほとんど無く過ごしてきて変化を初めて感じたのが30歳になる手前くらいか
今、振り返ってみて私が一番しんどかった時期が2019年9月末に余命宣告を受ける前の2019年の4月頃歩けなくなり始めた頃から始まりましたこの時の事を詳しく今まで書かなかったのはあえて書かなかった訳ではなくあまりにも、その時の私はもう毎日を生きるのに大変で必死で正直、記憶もあいまいで思い出すのも少ししんどくて……でも、この時の事はこの経験が誰かの何かの参考になるかもしれないしいつか書いておきたいと思っていたのでようやく少し落ち着いた今、思い起こしながら
昨日は、定期検診で嬉しい報告もできて……温かい、お言葉もたくさん頂き……本当に心から感謝します↓↓↓病院後に訪問介護の看護師さんが来た時にも検査報告もして良かった!凄いねー!と話していて……"でも、ミミポポさん傍から見たら、治療始めてから何も問題なく順調に回復してるように見えるけどここまで来るまで色々、悩んだりもあったよね?"と、看護師さんたしかに……基本、私は過去の問題から学ぶ為以外は過去を見ることより前を見る方が好きだから…笑あまり、そんな事をわざ
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)前々から、1度動画とは別で腫瘍の変化を時系列でまとめたいと思っていたので……2015年夏ぐらいに腫瘍が皮膚に飛び出てから2020年4月現在に至るまでを簡単にですが写真と共に並べてみます腫瘍が皮膚を突き破った日の話&写真はこちらの記事に載せています↓↓↓そして2018年5月のこの日↓↓↓忘れもしない日から、腫瘍からの大出血が始まりますその時の母との韓国旅行の写真がコチラです↓↓↓2018年11月頃日本にて。もう、
この記事は33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[前編]の続きになりますこの頃私は家の中でも両杖無しには歩けなくなっていてしゃがむ事、地べたに座ることもできずついに、アルバイトにも行けなくなりましたそんなある日、冷蔵庫の上のものを取ろうとした瞬間グキッて右肩甲骨が鳴ったのが分かりましたその瞬間から激痛で右手を上げることコップやお皿さえ持ち上げられなくなりましたそして既に両杖をつかないと歩けなくなっていた私は肩甲骨を痛めた事によって杖をつけなくなり
(※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます)私は、右胸に乳がんがあって26歳の乳がん告知から約4年後の30歳くらいから少しずつ右胸にあったしこりが胸の表面に出てきて気づけば私の右胸には自分の握りこぶしを超える大きさの腫瘍が飛びでましたなんで、そんなになるまで居たのかとか、、それには色んな理由や状況が重なったとは思うけどでもやっぱり後悔することも沢山あって……でも、あの時の私は勿論放っておいた訳でもなくあの時の私なりには無我夢中でやれる事をしていたんだけど
※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれますこの記事は私が今まで選んだ治療①色彩療法私が今まで選んだ治療②コロイドヨード私が今まで選んだ治療③テラヘルツ私が今まで選んだ治療④BlackSalveの続きになりますこの頃からもう家の中を自力で移動もできなくなり部屋の段差も足が上がらないから越えられないもう誰かの介助無しには生活出来なくなってある日、訪問看護の方に来てもらうことになりましたそして私の状態を見て1度病院に行く事を勧められ……私も血がなくてフラフラ
2019年9月末"このままだと年は越せない"と私はお医者さんに言われましたその時の私の状況は……身体中が痛くて寝るのも苦痛痛さ、しんどさで泣き叫んで寝れない毎日座る事も痛いし自分で身体を動かせないし起こすこともできないから1度座ったらポジションを変えれずいつも痛いソファとか柔らかい所には座れない少し硬めの椅子にクッションやタオルを置いて座るだからリラックスなんて24時間1秒も無いベッドに寝ても寝返りできない腰が痛くても自分で動かせない本当に人形みたい
この記事はコチラの記事の続きになります↓↓↓先日の記事でお話ししたように初めて腫瘍が皮膚を突き破って出てきた時は私にとって、衝撃でもあり大きな変化でもあったのですが……じゃあ、その後私の日常生活にも大きな変化があったのか??と、思い返してみると……私の日常生活は、ほぼ変わらなかったです変わった事と言えばガーゼを持ち歩くようになったぐらいですそんな私は、変わらず友達とも遊んだしパーソナルカラーの講師もカフェのバイトもしたりして働きもしていましたそして、そ
私が26歳で乳がん告知され免疫力を上げるために食生活や、生活習慣を見直し身体が作り替えられていく中感じた……"あー、確かに乳がん告知前の私はヤバかったし、兆候もあったな"と、いうこと……これが、絶対病気の兆候!とは保証はもちろん出来ませんが確かに、あった身体の変化……これが何かの、誰かの参考にでもなれば…と思いますまず、乳がん告知前の私はアパレル販売員で朝から晩まで仕事中心の日々を送っていましたいつからか忘れたけど…昔はそんなに身体が、弱い訳でも無かったのに
以前、もう腫瘍も皮膚に飛びだしてるけどそれでも、食欲もあり元気に動けてた頃……私は、よく定期的に断食をしていましたというのも、断食をすると食べないことにより内臓が休まりその時に、身体の回復力だったり普段、力を回しにくい所にパワーが行き結果身体がみなぎるからです!私は、だいたい3日くらいの断食その後、3日かけて復食(3日使ってなかった胃を同じ日数かけて少しずつ慣らしながら戻していきます。この復食が断食をする上で1番大事!とも言われています)する事が多かった
よく深刻な病気になったら"この病気が癒されますように"と願う人が多いと思う私は少なくとも乳がんが発覚した後は毎日切実に願っていたと思うでも今はそうじゃなくて毎日"癒しをありがとう私は癒しを受け取ります癒された者です"て声に出して宣言してます笑何が違うかっていうと"癒してください"と願う=癒されるかもしれないし癒されないかもしれないまだ起こってない出来事だからどちらになるか確信がない状態でも"癒されました。ありがとう"はもう完了した感じなんなら完
先日私の記事をアメバのトピックに掲載して頂いたようで沢山の方のイイねやフォローを頂きありがとうございますこれからもつたない文章ですがありのままの私を飾らずにお伝えできればと思います!こんなミミポポを今後ともどうぞよろしくお願いしますっ(↑この時の私は既にいつ出血してもおかしくなくて常に大量のガーゼを持ち歩いて…それでも大好きなスタバに行っては腫瘍を気にしながらも友達とお茶していました笑)そんな訳で……飾らずに……私の今の日々の過ごし方を書いてみようと思います笑
※閲覧注意※この記事は、腫瘍の動画が含まれます今日は今、使用してるイブランス2クール目の2週間ごとの経過観察の為朝から、病院行ってきました採血だけした結果……ほぼ、2週間前と変わらず特に悪くなってるとこもなく順調との事でそのまま続行になりました!けれど!腫瘍は更に2週間前より小さくなり身体中にあったしこりも全部小さくなってて!中には、もう触った感じでは無くなったものもあります!とにかく、そんな感じで順調で良かった良かったーそして!題名にも書いた私の腫瘍が大き
今日も大阪は天気が良くて窓から入る日差しが心地いいです春には歩くぞ〜!と、今日も外を家の中から見ながら思ってます笑朝は、相変わらず皮膚の引っ張りの痛みがあり痛み止め飲んでようやく落ち着いてきました!そして、昨日のブログのコメントで"なぜ、腫瘍が小さくなったと思われるのでしょうか??"とご質問があり"確かに、ごもっともな疑問!"と思ったので考えてみました!何か……言葉で上手く表現しにくいのですが……ただ、腫瘍が痛い時の痛みは内側からナイフで何度も刺されるよ
普段、私はブログで自分の日常を載せたくない。というより"誰が私の日常に興味あるねーん"的な感じであまり載せてなかったのですがコメントで同じ乳がんの方から"ミミポポさんの今の日常を見せてくれたら参考になるので嬉しい"と、温かいお言葉をもらい"確かに……いつもありのままの私を。と思ってブログを書いてるからそういうのも書いてみよう!"と思い…{アリガトゴザイマス!前置き長くなりましたが……早速、今日の私の日常を書いてみようと思います!とりあえず今日の私です
あずフィスさんchimpanzeeさんヤムヤムさんドランク・モンキーさん南部っ子さんお祝いありがとうございます😊頑張りましたー🙌🙌さて、34歳の教習所生活。10月1日から通い始めて11月13日に免許取得。(その内丸一週間は青森の為通えず)今日は武蔵境教習所について書こうと思います。↑これは卒検を終えてもうここに来るのは最後!という開放感あふれる表情。(でも明日試験場に行かなきゃという緊張感。加えて、このあと歯医者とバイトかよ何でバイト入れたんだよ過去の自分!とい
※閲覧注意※この記事には腫瘍の写真が含まれます今日は1ヶ月に1回の定期検診の日!しかも、半年に1回のホルモン注射も含まれ今回は、CTも撮ったので正に、、治療フルコースの日!でした今日の主な治療内容は……■採血■CT■乳腺外来の主治医の先生の問診■ホルモンの筋肉注射:お尻に2カ所■ホルモンの皮下式注射(リュープリン)■骨の皮下式注射(ランマーク)■整形外科の先生の問診注射、全部で5回!!{ヒィーーこの注射祭りを、何日か前から嫌だ嫌だと言っていたら訪問看護の看護
私が乳がん告知された直後まず私が始めたことが食習慣・生活習慣の改善でしたその時の私は乳がんと戦うために"まずは敵を知ろう"と必死でその時に癌と食習慣がとても大きく影響していた事に驚きとショックでいっぱいでしたというのも……乳がん告知される前の私は毎日チョコレート1袋や大好きなプリンを食べて野菜はコンビニのサラダを買っては栄養とった!と思い込み毎日外食を繰り返し"サプリメント摂ってるから大丈夫"と食習慣はめちゃくちゃでしたそんなんだったから食習慣の大切さを
今は前向きに乳がんの自分を受け入れて……でも乳がんは私に必要無いものだから"必ず癌は私の身体から去る!"と確信して恐怖もなく生きれている私ですが……最初乳がんを知った時の恐怖は今でも忘れられません正確に言うと恐怖が強すぎて記憶もあいまいになるぐらい。(人間、痛みが強すぎると、生きていく為にその痛みを忘れるというけど、それと似た感じ)だから今となってはその時の恐怖を実感はできないけど……どれだけ絶望して恐怖したかは覚えています最初のきっかけは胸の小さ
本当に自分の限界を越えてしんどすぎた時本能的に生きるためなのか……痛みの記憶を消すような感じで……普段は忘れてる事がありますそれが私にとっては2019年9月末にされた余命宣告の前後によくあるのですが……昨日、訪問看護師さんと話しててまた1つ思い出したのが余命宣告前"精神的に崩壊しそうになった"という事でした精神崩壊しかけた〜!と今なら笑って話せる話"その体験を是非ブログで書いて!"という話になり……なので今日、少しずつ思い出しながら書いてみようと思い
病気になると誰しも1度は思うことがあると思う"なんで、私が?なんで、こうなったんだろう?"そんな、悔しいような怒りにさえ変わりそうな……悲しくて、どうしようもないそんな気持ち最初は、病気を知ったとき。その後は検査結果が思うように改善されないもしくは病状が悪化したとき。"なんで、思うようによくならない?こんなに、毎日頑張ってるのに…!""そもそも、なんで私はこんな苦しまないといけない?何か悪いことしたのかな?"なんで?なんで?なんで?!特にガンって"確か
※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれますこの記事は私が今まで選んだ治療①色彩療法私が今まで選んだ治療②コロイドヨードの続きになりますこの頃の私は腫瘍が大きくなりすぎて厚みは6cm……約人差し指1本分皮膚から腫瘍が飛び出していました腫瘍の厚みと重さが凄すぎて胸を伸ばして寝ると血管が切れて、出血しそうで……平らなベッドで寝ずにソファに傾斜をつけて寝るようになりましたこれは、普段から"後悔とかしても意味ない"と考える私も後々後悔せずにはいられませんでした
もともと病気を知る前の私はアパレルで販売員を17歳から病気を知った26歳までずーーーっと本当に仕事人間でしたどれくらいって仕事第1で"親の死に目にも会えない覚悟で居ろ"って上司に言われてそれを覚悟として受け止めてるくらいでしたそして体調悪くても、熱があっても休まない。てか休めない。なんでって……"まだ倒れてはいないから"そんな事本気で思ってました今、思えば本当にありえないのですが笑どこかで聞いた話"癌になった人はガンばりすぎた人"これを聞いた時凄く納得
私が26歳の時に乳がんを告知されその時から8年間色々な食事療法をしてきましたがずっと、これだけは食べていないものがありますそのひとつは、以前こちらの記事に書きましたが↓↓↓もうひとつ、8年間とっていないのが乳製品ですまず、きっかけは乳がん告知直後、色々調べてその時この本を知り納得したからです↓↓↓乳がんと牛乳──がん細胞はなぜ消えたのか2,588円Amazonこの本の著者自身が乳がんになり研究した結果(42歳で乳がんになった著者プラント教授たたいても、たた
よく病気になった時に思う"どうして私が?!"という思い。……私も最初思いましたそして、よく聞くのが"バチが当たったのかな?"と、自分を責めてしまうもしくは"これは神様からのギフト"みたいに病気を通して役目があるみたいな一見ポジティブなことばでも今の私はどちらでもない!!って思います実は、私自身どちらもそう思った時期があります最初は、自分の行いを悔やみました"あ~あんな生活習慣だったから"とか"食生活とかめちゃくちゃだったし"しまいには、自分だけに留まら
ヘモって何?って…痔の事です笑(以下、一応女性として痔の事を医学用語のヘモと記します↓↓↓)正直この話するのはこんな事ブログで話してどうかと結構私の中では勇気のいる事だったのですが……まぁ、これが実際最近の私の最大の悩みであり…ありのままの私なのでさらけ出してみようと思います笑笑但し、抵抗のある方はこれ以上読まないようお願いします!{ゴメンナサイそもそもヘモになる原因って便秘の方が多いみたいなのですが私の場合、全く真逆で腸の働きが良すぎて……
※閲覧注意※この記事には腫瘍の写真が含まれますこの記事は私が今まで選んだ治療①色彩療法私が今まで選んだ治療②コロイドヨード私が今まで選んだ治療③テラヘルツの続きになりますこの頃辺りから今までで1番しんどい時期になりますテラヘルツ治療で腫瘍は小さくはなったものの……毎日大出血で常に貧血で息するのもしんどいもう1人では歩けなくて誰かに支えられないと歩けないすぐ近くのトイレに行くのも激痛で両杖ついて泣き叫びながら10分くらいかけて行くもう座っても寝ても激痛でも
ちょっと最近、恋愛話を通して病気についても考えさせられた事がありました私が、恋愛に対していつも思うことは"彼が居なくても私は、幸せ!彼がいる私も、幸せ!"要は、そんな事で私の幸せは左右されない。という事彼が居る私はもちろん幸せなんだけど彼が居ない私も幸せを知っていて人生楽しんでいる!そんな女性て素敵だなと、素直に思います最近、これは病気も同じだなぁと、ふと思いました。笑病気が無いのはもちろん幸せ!でも、病気があっても私の幸せは揺らがないしちゃんと人生を楽
※閲覧注意※この記事には腫瘍の写真が含まれますこの記事は前回の私が今まで選んだ治療①色彩療法の記事の続きになりますちょうどこの頃の私の状態は出血も激しくなって外で大量出血したら命が危ないのですが……それでも大量のガーゼを持ち歩いてなるべく車移動とかで動いてましたこの時ぐらいからケトジェニックの食事療法をしていたので外食はままならないのですが……それでもこんな風にカフェに行って私はお茶だけ飲んだりしてました笑そして色彩療法にも限界を感じてた頃知った