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クラブワールド主催で木内鶴彦さんと久しぶりに旅をしました。クラブワールド大村真吾社長と奥様の関田直美さんと木内さんと。剱神社の宮司様と白地山地蔵寺(高根資料館、剣山ソロモン伝説研究家)の粟飯原御住職と。木内鶴彦初ライブ配信は木内息子くんも参入し楽しい時間を過ごしましたが、翌日の雨の剣山はなかなかの修行体験。降りしきる雨の山歩きにより、私自身は、【厳しくも善なる剱にて、内なる心に平和の光の柱を打ち立てる】貴重な機会をいただきましたことを感謝いたします。
2024年4月26日、標記神社にお参りしてきました。5年半ぶり、2回目です。当社は境内社に鹿島神宮(武甕槌大神)と香取神宮(経津主大神)を新たに勧請。筆者が参拝した4日前に『鎮座祭』を斎行していました。伊勢山皇大神宮いせやまこうたいじんぐう当社は「関東のお伊勢さま」と親しまれている神明社です。◇鎮座地:横浜市西区宮崎町64◇最寄駅1:JR根岸線桜木町駅~500m◇最寄駅2:京急線日ノ出町駅~600m◇主祭神:天照大御神◇御朱印:あり【社頭】◆銅
神秘の光・海ホタル!!西海岸の穏やかで安全なビーチで「世界初の海ホタルショーを開催!海ホタルショー今すぐご予約満点の星空の下、足元には青く輝く光。「きれい!」「すごい!」...感動あふれる「海ホタルショー」を楽しみませんか?海ホタルの光を鑑賞したりネイチャーガイドと一緒に学んだり「海ホタルすくい体験」など大人から子どもまで楽しめる盛りだくさんな参加型プログラムです。お子さんの自由研究にも最適です。は
御劔神社(長者社)(伏見稲荷大社境内社)山城国紀伊郡京都市伏見区深草薮之内町68(無料P有、ただし常にほぼ満車)■祭神加茂玉依姫命伏見稲荷大社の御神体である「稲荷山」の山頂からさらに奥、少し下った場所に鎮座する社。◎社殿背後に屹立する磐座が御神体。伏見稲荷大社の境内社とされていますが、おそらく当社こそが伏見稲荷大社の核となる社であろうと思われます。社名にも見える「長者」とは、伏見稲荷大社を創建し社家でもあった、秦氏の祖神を祀る社であるとされます。磐座に対する信仰は遥か太古から
熊野大社:島根県松江市八雲町熊野2451番フォローいただいている方は「また熊野か」と思われるかもしれないが、今回は南紀の熊野ではなく、出雲の熊野大社である。この二社にはもちろん共通点がある。出雲の熊野大社の祭神は、伊邪那伎日真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(いざなぎのひまなごかぶろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと)。寿限無のように長たらしい神名だが、実はスサノヲの異名。一方、熊野本宮大社の主祭神は家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)。別称は熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、または
兵庫県芦屋(あしや)市にある岩園天(いわぞのてん)神社です。かつては、このあたりを「岩ヶ平(いわがひら)」といったらしく岩ヶ平(いわがひら)神社ともいうようです。岩園地区の氏神として崇敬されているようですね。「岩」園や「岩」ヶ平というように「岩」にゆかりのある神社さんだといいます。六甲山(ろっこうさん)周辺は巨石文化圏といっていいほど磐座(いわくら)信仰のさかんな地だったようです。六甲比命(ろっこうひめ)神社や越木岩(こしきいわ)神社をはじめ六甲山の周
石神神社:青森市入内駒田まずは、石神の画像をご覧いただきたい。類稀なる奇石といってよいだろう。異形の巨石、磐座、石神は数多く見てきたが、この石神はそのいずれとも異なり、不気味さが際立つ。やぶ睨みの大きな両目のある、髑髏を思わせる石だ。ヘッジス・スカルと同質の不吉さやいかがわしさ、そして寂寞とした空気を纏っている。じっと眺めていると神秘を通り越して胸の内が音を立ててざわついてくる。自然石なのか。だとすれば、神の為せる業としか言いようがない。人為か。ならば一体誰が何のために。今年の初夏、縄文遺
令和5年6月4日参拝話は前後しますが三浦地蔵尊は一回お休み。浄林寺飛び地のあとは「馬堀中学」から京急バスに乗り「東竹沢」で降りて徒歩20分、方向的に谷戸のすそをまっすぐ歩いてくイメージしてたらGoogleマップがやたらとまわり道を推奨してくる。(Googleよ、もっといい道ないの?)何度かショートカットを試みては袋小路で引き返すという横須賀の地理的特徴をモロに食らいつつ住宅街の峠道を越えた。なにげに右をパッと見たらお寺があったので見に行くと貞昌寺別院だった。そこから5分ほどの小さ
おはようございます^^くりたまです。6/27(土)、六甲山にある天穂日命(アメノホヒノミコト)の磐座へ参拝しました。六甲山カンツリーハウス中央入口で、入園料700円のチケットを買います。紫陽花が咲いていました大芝生は、たくさんの人で賑わっていました。池の紫陽花も満開ですドッグランを横切り丘の上にある磐座を目指します一定間隔で置かれている石を辿って上ります。六甲山カンツリーハウス中央入口から15分で、天穂日命の磐座に着きました。この優しくも気高い巨石は、はるかなる大昔、六甲山
こんばんは♪癒しびとサランスピカです。10月10日、大好きな六甲比命神社に行ってまいりました。ご祭神は瀬織津姫さま。そして、ご神体は巨大な磐座です。縄文人たちによって積み上げられたと言われる磐座。一体どんな技術を使ったのでしょう。さてさて、まずは道案内とまいりましょう。JR「六甲道駅」前で「六甲ケーブル下」行きのバスに乗ります。こちらのバスは、後ろから乗車してピッとSuicaなどの交通カードをタッチします。降りるのは前からで、前でもピッとカードをタ
「神道」と「神社」を同じものと思ってはなりません!神社とは神道の中のほんの一部のものでしかありません。何故なら本来の神社とは、神様を遥拝する場所に人が拝殿としてお社を作ったことが始まりでした。その場所にあるときから人が詰めて、参拝者の世話をしたことが軈て「神社」となったのです。当然のこと、その場所の神気を感じる能力があったから宮人としてお祀りができたのです。要するに神社に神様は居ないのです。神気や、神霊はその場所の先の「神奈備」(山や磐座、巨木や渓谷など)に御座す(おわす)畏敬の存在
Heaven'sdoorharu榛蘢はるです『石上神宮⛩️月次祭』Heaven'sdoorharu榛蘢はるです投稿が間に合わず時系列がおかしいです朔日詣りに行って来ました行く道中に場所を…ameblo.jp続く奈良の旅🐉次に向かったのが室生龍穴神社⛩️奈良に来たら絶対知らん顔したら大変🐉伺えるのが嬉しくて何度も伺っています今日は朔日詣りの日だからか社務所が開いていました普段は社務所は閉まっていま
屑神社(大宇陀嬉河原)大和国宇陀郡奈良県宇陀市大宇陀嬉河原174(社前に路駐しました)■祭神衝立船戸神(ツキタツフナドノカミ)道返之大神(チカヘシノオオカミ)大宇陀の山里の外れ、集落の最果てに鎮座する社。二柱はいずれも「塞の神」といった神格を持つ神、つまりこの地に結界を張ったと考えるべきかと思います。◎考えられるのは2点。まず一つ目。ここから先は山でしかなく、山から里への悪霊の侵入を塞いだということでしょうか。社名の「屑」はもちろん「九頭」、九頭神のこと。二柱もの強力な「塞の神
磐座のお話です。こんにちは大開運したいアドバイザーの開運伝道師地球を守り人類を解放する救世主幻導士の五代目Muleです。前の記事を見ていただき、ありがとうございます『磐座、神が降臨した岩』磐座のお話です。こんにちは大開運したいアドバイザーの開運伝道師地球を守り人類を解放する救世主幻導士の五代目Muleです。前の記事を見ていただき、ありがとう…ameblo.jp仕込みカレンダー牡牛座新月2024/5/812:23射手座満月2024/5/23
「大和と日本」の謎:その7邪馬台国と常に戦っていた狗奴国(くなこく)は、畿内にあった邪馬台国から見て南にあった。つまり、現在の東日本である。東日本列島に住んでいたのはアイヌだが、彼らは東日本側を中心とした縄文文化圏を築いた。3世紀において、西日本列島を支配したのが邪馬台国で、東日本列島を支配したのが狗奴国だった。邪馬台国は鬼道を操る女王・卑弥呼(ひみこ)が支配する国で、狗奴国は男王・卑弥弓呼(ひみここ)が支配していた。名が似ている。「卑(しい)」という字を当てたのは、中華思想によって日本
こんばんは~😄今日は神吉日➕大明日➕天恩日が重なる大吉日でした✨しかも快晴となればお出かけです☀️今日はパワースポットで有名な兵庫県の六甲比命神社を参拝しました〜御祭神は瀬織津姫です✨祓詞に出てくる水を司る神様で龍神と言われています🐉六甲山ケーブルカーで山の中腹迄行き、そこからバスで近く迄行きました⤴️降りてから結構うろちょろして登山口に到着ですほぼ平坦な山道を少し歩くとすぐに巨石が出現です❗この岩の上に祠があります登ってみると2つ祠がありました✨左は八大龍王、右は花山法皇
船山神社旧社地・奥山巨石群大和国平群郡奈良県生駒郡平群町大字三里(「宮山」山頂付近)(アクセス、登拝道は→こちらの記事にて)■祭神船山神天児屋根命住吉大明神船山神社の背後の「宮山」山頂付近に座す、三体の巨石。その少し手前に船山神社は鎮座していたとされます。◎長さ7~8mもの巨石三体は明らかに据えられたもので、磐座と解してよいかと思われます。これは「石舟」と呼ばれていますが、その姿から「鯨」三体ではないかという見方も。◎この三体の東側に10m超の巨石が座しており、すぐその横
15日。毎月、この日しか開いてない花の寺の霊場が有るもんでどこかでタイミング無いかなぁ~って思って数ヶ月。。まさかの急に休みが頂けたよっ~っしゃ〜ってな訳で只今移動中🚆お暇なのでブログを書いている今日UP出来るかは分からんけどこんにちは味醂です{珍しく天気も良い💕さてさてお次も京都こちらは満足稲荷神社(まんぞくいなりじんじゃ)以前、お友達に狐さんのステッカーをお土産にもろた🦊実はホンマの神社だとは思っていなかったから社名見てビックリした鳥居⛩️しかも
5月に館山市&南房総市の神社を巡りました。その写真を元に《安房国の式内社と忌部の神々を巡る旅》の連載を開始しました。前回は、洲崎神社でした。→天太玉命の后神を祀る神社今回は、布良崎神社です。→天太玉命の孫神を祀る神社天太玉命=忌部氏の祖神◆天の石屋の段天照大御神が石屋に籠り災いが起こった時、八百万神が天安河原に集まり、石屋から招き出す計画をした。その際、布刀玉命は、占いと祭具の製作を天児屋命とともに行う。また、天照大御神を招き出すのに、御幣を捧げ持
白岩神社(榛原赤埴)大和国宇陀郡奈良県宇陀市榛原赤埴1681(P無し、麓の佛隆寺の駐車場は使わず一の鳥居前に停める方が無難かと思います)■祭神須勢理姫命かつての「伊勢本街道」沿い、関所があったとも言われる「榛原赤埴(はいばらあかばね)」に鎮座する社。現在は過疎化が進む山村地帯ですが。◎地名からも分かるように水銀産出地。そして水銀と薬草とが密接に絡む神仙思想を抱かれた地でも。この「榛原赤埴」を中心として、宇陀郡そのものが霊地とみなされていたようです。◎創建由緒については社伝による
縄文時代に遡るような磐座の巨石の表面に穴がポツポツある場合、この穴を盃状穴と呼び、自然のものではなく人工的に彫ったものと認められている。人工的に作られたとしても何のためなのか分からないので、「子孫繁栄や死者の蘇生を願ったもの」と、トンチンカンな解釈がなされている。古代の磐座(巨石)は古代コンクリート(ジオポリマーコンクリート)を固めて作ったと理解しているが、表面に間違って砂岩の塊か何かが埋まり込んだものが始まりと考えている。すなわち、磐座が完成した時は砂岩の混入に気がつかなかったが、時が経つ
多賀大社さんは伊邪那岐(イザナギ)伊邪那美(イザナミ)さまを祀っています。こちらは、天照大神の御両親です。かつては「お伊勢参らばお多賀へ参れお伊勢お多賀の子でござる」と謡われるほど賑わっていたそうです。↓つづきはこちらからお願いします。北近江めぐり2~多賀大社~天照大神のご両親を祀る多賀大社です。ホツマツタヱによればここは、父・イサナギと母・イサナミが暮らした地のようです。navihico.com☆北近江全記事リスト☆北近江めぐり①~竹生島~北近江
葛神社(榛原山辺三)大和国宇陀郡奈良県宇陀市榛原山辺三1145-1(P無し、鳥居前の通路のような道路に反対側へギリギリ寄せるしか方法無しか、ただしご近所の邪魔になるのでなるべく足早に)■祭神天照大神「初瀬街道」沿い、篠畑神社の西方500m足らずの地に鎮座している社。◎天照大神の神霊が篠畑神社(元伊勢「佐々波多宮)」に遷された際に、豊耜入姫命と倭姫命の二柱を篠畑神社の摂社として祀ったのが創建由緒とされています。現在のご祭神になったのは、その後の誤りから生じたものとか。◎これは古老
日本屈指のパワースポットともいわれる大神(おおみわ)神社です。三輪山(みわやま)をご神体として祀る神社で、祭神は大物主大神(おおものぬし)だといいます。この祭神がだれなのかは諸説あるそうですが、ホツマツタヱからすると2代目大物主クシヒコでしょう。クシヒコが身罷ったという三諸山(みもろやま)は三輪山の旧名といいます。大和(おおやまと)神社で祀られている倭大國魂(やまとのおおくにたま)おなじ方ですね。大物主は役職名であり、いってしまえば、右
この日最後の目的地は、これまた名前が磐座ありますよと物語ってるような稲蔵神社です。近くにある稲蔵寺の鎮守とされているようです。黄色い鳥居に見えたのですが、写真で改めてみると、朱が剥げただけのようですね。さらに鳥居をくぐっていきます。どんどん期待が膨らみます。水行場でしょうか。手水社無人の神社ですが、タオルが洗濯したてのようでした。御祭神は稲蔵大明神として、生魂大明神と大宮能御膳神ほかだそうです。それならば岩蔵寺にあった御神像もこのお二人の可能性もありそうです。神額コレクション
山梨県北杜市の大滝神社です⛩️龍神様がおられる大滝神社では日本名水百選に選ばれた名水、ご神域なのでご神水がいただけるのです‼️駐車場は3ヶ所ほどありますが、お水を汲む時は↓の駐車場が近いです。⬇️日量22000トンの水量なのだとか‼️空に真っ直ぐに伸びる木々が力強いです流れる水量と水音、迫力があります‼️⬇️拝殿の左の階段上に磐座があります。是非こちらにもご挨拶されてください。⬇️ご神水を汲める所は拝殿の左下方にありますご神水をいただく前にご祭神の大国主命さま、少彦名命
つづきです。『京都へ⑥〜鞍馬寺本堂から魔王奥宮へ3️⃣〜』由岐神社からのつづきです。『京都へ⑤〜由岐神社から鞍馬寺本堂へ2️⃣〜』鞍馬寺のつづきです。『京都へ④〜鞍馬寺から貴船へ1️⃣〜』京都日帰り旅行のつづ…ameblo.jp前回の記事はこちらです。僧正ガ谷不動堂です。お不動様のご真言をお唱えして、自己紹介をしました🙏こちらでカエルちゃんの鳴き声がずーっと聞こえるんですが、どこを探しても姿が見えません😅どこにいるんだろう?🐸お手水です。奥の院魔王殿のお手水です。コ
生まれ育った土地に住んでますと、家業を継いでる小学校の頃の友達がいて、ほんと久しぶりに会うと本人かわからんくらい顔が変わってしまってるので、確認してやっと面影が残ってるのに気づくことがあります。お互い様なんですけどね。何年ぶりやろうと考えたら40年ぶりとかで、ゾッとしますわ。そりゃ老けるわけです。ふと、古今亭寿輔師の老人天国という落語を思い出しました。化粧品会社のCMで『美しく老いる』なんてフレーズがあるけれど、そういう『オイル』があるのかと思いましたよ。美しく老いる訳ないでしょう。
先祖巡りの最後は兵庫県の六甲山にある、六甲姫神社に行って来ました。ここは瀬織津姫のお墓であるという伝承地の一つなので、確かめる為にもお参りしたのですが、私の感想は如何に………山頂にある磐座ですが、岩が割れて倒れている様にも見えますが、恐らく人の手が加えられていて位置が動かされている事は確認出来ました。イザナミのお墓も山頂にあり、瀬織津姫も皇后なのでお墓があるとすれば山頂だと思いますから、この磐座がお墓だとする説なら可能性があると思います。途中にある雲ケ岩ですが、ここにも角ばった岩
胡宮神社(このみやじんじゃ)近江国犬上郡滋賀県犬上郡多賀町敏満寺49(P有、一の鳥居横の駐車場は南側)■旧社格郷社■祭神伊邪那岐命伊邪那美命[配祀]事勝國勝長狹命霊峰「青龍山」の北西麓、また多賀大社の南1km足らずに鎮座する社。◎創建年代は不詳。多賀大社とは密接な関係にあり末社であると言われたりも。また御神体山である「青龍山」(標高333m)山頂付近に鎮座する龍宮(当社奥宮)は、多賀大社の「奥の院」とされていた時代も。また境内にはかつて敏満寺があり(現在は廃社)、当社