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2020年10月某日前回の記事の続きです。この日は精密検査の結果が出揃い、ついに確定診断を聞く日。初見では「子宮とるだけで大丈夫だと思う。Ib期くらいかな」からの画像診断で「リンパ節転移があります。広汎子宮全摘です」と一度奈落の底に突き落とされているので、待合室のソファで待っている時から、心臓が飛び出しそうなくらい、バクバクしていましたソワソワしちゃって、落ち着かなくて。誰か私の震える足と手を止めてくれ術前、病院にかかった中で、この日が一番ドキドキし
担当医と教授先生も交えて検査結果の説明を聞きます。手慣れた感じで図を描きながらわかりやすく説明してくれました。結果は…possibleALS…ALSの診断は細かく分けると6段階に分けられるようです(当時調べた情報です、変わってたらゴメンなさい)•臨床的に確実なALS(ClinicallydefiniteALS).上位運動ニューロンおよび下位運動ニューロン症状を3つの領域に認める場合.•臨床検査の裏付けがある臨床的に確実な家族性ALS(Clinicallydefinitef
前回の初診の時と違って想定外の結果だったので、オレ自身冷静ではいられなかった。もちろん妹は私なんかとは比べようもないショックを受けたに違いない。衝撃の診断結果を聞いた我々は、会計を済ませ病院を出た。(診察室を出てから病院を出るまでの記憶が正直残っていません。)このまま帰るのもアレなので、妹に少しお茶しようと誘って近くのカフェに入った。妹は表情を見る限り泣いたりはしていなかったが、暗い感じはヒシヒシと伝わって来たので、どんな気分なのか探りを入れてみた。オレ:「予想外の
入院生活~5週目・確定診断~入院生活29日目生検で摘出した腫瘍は埼玉県立がんセンター臨床腫瘍研究所に提出していた。そこからの結果が届き、病状説明(病説)が行われた。病名:神経芽腫リスク分類:高リスク(MYCN増幅あり)予後:5年生存率30~40%病気について詳しく説明された。その後、治療説明をされたが、予後の悪さが頭から離れず説明を聞きながらずっと泣いていた。治療内容も上の空だったと思う。でも、治療は早く始めないといけない。明日から治療が始まることになった。迅
~このブログは当時のことを振り返りながら、過去の日付で投稿しています。これまでの経緯はプロフィール欄に記載https://profile.ameba.jp/ameba/tarahanayoko現在は2019年12月です~確定診断が下り、治療の方向性も見えてきた。私の未来も見えてきた・・・・GWの旅行を一緒に行く予定だった友人には、キャンセルする羽目になるかも知れないと、病気のことは話してあったので、「行けることになったよー👍️」と良い報告💕7月、一緒に石垣島に行く予定だ
L-アスパラギナーゼを投与して、次の日は変わらず。ご飯も食べれず、手でおやつをあげて少し食べる程度でも、次の次の日なんと、急に食欲が!!!元気だった時と同じような食欲!!!え、こんな食欲ってわく??むしろどんな薬だと、ちょっと不思議になるくらい。ラブの足取りも軽い食べてエネルギーが沸いたのかなよく分からないけど、感動的この後、ずっと食欲が続くわけでもなくて大体朝は食欲ないんだけど、お昼頃から食べれるようになって夜にはいつも通り食べるそんでまた、朝は残して、夜にはいつも
皆さんこんにちは今日も良いお天気ですね。ちょっと整理をしたいと思います。2月22日に消化器内科医から膵管内乳頭粘液性腺癌IPMCとの確定診断を受けました。生命保険提出用診断書にも膵管内乳頭粘液性腺癌の記載があります。また、外科医からの手術説明では膵管内乳頭粘液性腫瘍IPMNと説明され一体どちらが本当なのと悩みました。ある書籍に記載があったのですが、内科医と外科医の違いは、箱の中にある物(病気、病変)を調べる方法だと言う事でした。内科医は箱の外から色々な検査を行って
ꕤ︎︎2024.4.3(水)右胸内側にしこり発見(自分の感覚で3cmくらい?)ꕤ︎︎2024.4.15(月)乳腺外科(クリニック)でエコー→大きな病院へ紹介状ꕤ︎︎2024.4.19(金)総合病院でマンモ・エコー・針生検ꕤ︎︎2024.4.26(金)検査結果を聞くため娘と一緒に病院へ→「5月で乳腺外科を縮小化する」とのことで急遽強制転院先探し*o__)oバタッ数日かけて遡りながら書いていきますエアリズムブラタンクトップUNIQLO【専用ベルト付き】【
2019年9月11日今朝の回診は主治医の女医さんが来ました「ちょっといいですか?」と病棟内の診察室へ「今日は腫瘍の生体検査をする」と告げられいつもの同意書を手渡され中身を見ると病名に「腹腔内原発不明癌」の文字が医師より「ほぼGISTで間違い無いと思いますが現時点では確定診断できないためこの病名となっています」と告げられました覚悟はしていましたがとりあえず癌であることは確定しましたとなれば今後のことが気になるとこ
2016年3月29日待ちに待ったMRIメイクバッチリで行ったら、「メイク落としてください。」と受付の方にガーゼを渡された「メイク落とし買ってくるんで。」と院内のコンビニに向かい戻ると、受付の方が心配した顔で検査着持ってて待っていてくれた。どうやらこの病院はメイクNGなよう。注意事項を見落とした私の責任(笑)全て支度が終わり、MRIの待合室で待つ間、ひたすらMRIについての映像を見ていたら、メイクが及ぼす危険性をやっていて、理由がわかりました(笑)やっと呼ばれて向かうと、
〖右小指の軟部腫瘍〗に関する[これまでの経緯]6月24日水曜日に右小指の軟部腫瘍を摘出7月1日水曜日に抜糸。その際、病理組織検査の途中経過説明があり「現段階では〖良性〗と判断できないので、免疫組織化学的な検討【免疫染色(免疫抗体法)】が望まれます」。つまり、悪性かもしれないから追加検査しましょう…ってことで、病理報告を待っていました。7月15日9:30整形外科から電話があり「病理検査結果が出ましたので、できるだけ早く来院して欲しいのですが…」「いつ来られますか」
2019/09/06ALSの疑いが強い、という診断を受けた。初期だけど、おそらくそうだろう、と。確定診断までの判断材料はないけど、色々な可能性のある病気を除外した結果。まだ症状は軽い。右手の脱力症状、力は弱いが動かせる。私の人生が変わった日をここに書き記しておこうと思う。そして少しずつここに至るまでの経緯など、書いていければ。
tenchanのブログにお越しいただきありがとうございます。どんどん状況がかわっていっているので、頑張って書いていこうと思います。4月20日消化器内科受診。細胞診の結果、Class5=膵臓癌が確定しました。今後は腫瘍内科でお世話になること、全身の転移を確認するためPETの予約をとったことを告げられました。4月25日PET検査。糖質大好きな癌のため、放射性物質を含んだブドウ糖を投与され、しばらく体に散らばるのを待ちます。その間、500mlのお茶かお水を飲んで、といわれてお水をもっていっ
月曜日、先生は「ラブは一刻を争う」と話した。本来ならば確定診断を待ってからの治療開始でも、ラブはご飯も食べれてないから、病勢をコントロールするというL-アスパラギナーゼ投与水曜日には打った方が良いとこのスピード対応が実際にはホントにラブを救うことに繋がったでも、その時は色々よく分からないことも多くて、それにお金が絡む話一刻を争うでも化学療法全クールやれば40万を超えていく…私はいくら払ってでもやりたいでも実際には独身時代とは違うし、ポンと出せる金額ではなく…話が遡りますが、
検査を受けてから9日後の2019年6月3日(月)の夕方、会社を早退してAクリニックへ針生検の結果を聞きに行きました。「乳がん」と言われるだろうと覚悟はしていましたが、クリニックの近くまで行くと回れ右して帰りたくなってしまいました。診察室に呼ばれて中の椅子に座るタイミングと同時に「この間の結果だけどね、やはり乳がんでした。今日で確定診断です。」と言われました。座って深呼吸して覚悟を決める---間もなく結果を伝えられた感じです。あまりにもあっさりと知ってしまったので、頭の中が白くな
久しぶりの母に会えた。変わり果てた母。手も、冷たかった。吸引の時、涙が出てた。私→痛いってわかってるのかな。ナースさん→娘さん来たから泣いてるのかな。私→2回とも、吸引の時涙だったから、痛いのかも。ってナースさんに話す。1ヶ月前は、遠くを見てたけど、少し近くが見えている気がした。足も痩せ細り、血栓症予防に、包帯巻いていた。目を閉じたり、あくびしたり、口開けなかったり。久しぶりの介護で、覚えることに圧倒されてすぐ時間が経った。お母さんは、本
ご訪問ありがとうございます!なのは◡̈です♩はじめましての方はこちらからお願いします⇩『はじめまして◡̈⋆*』はじめまして◡̈⋆*つい最近まで違うアカウントでアメブロの投稿をしていましたが…いろんな諸事情により、新しいアカウントでブログを始めました。ざっくりと私と家族…ameblo.jpアメトピ掲載ありがとうございます!『子宮体癌になった平凡な主婦の日常〜追記・排尿障害の私がどうしても飲みたかったもの〜』ご訪問ありがとうございます!なのは◡̈です♩はじめましての方はこちらからお願いしま
このブログには、出来れば明るい話を中心に載せたいと思っているのですがコメントやメッセージで「発症した頃どうでしたか」という質問があったりフォローしてくださる方には告知後すぐの方やなかなか診断が出ずに辛い思いをされてる方が多いようなので、誰かの励みになるならと載せることにしましたこういう時期もあったけど、そして、やっぱりちょっとずつ進行するのでたまに悩むことはありますけど告知から5年のほとんどは最近のブログに書いてるような明るい毎日です発症はおそらく2012年夏ごろか
〝中期中絶〟の為に動く準備は出来て後は結果を待つばかり。〝もしも〟結果が陽性だったら週末挟んですぐ総合病院に向かい、入院という運びになる。陽性が出たらすぐ気持ちを切り替えないといけない。思った以上に結果が出て日にちが無いことを知らされた。もし、私と同じように羊水検査の結果次第で動こうと思っている方が居るのであれば思った以上に時間が無いので、【陽性】が出た場合はどうするのか真剣に話し合う必要があります。そして中期中絶する場合、確定診断をしてくれた産院で可能であれ
はじめまして42歳4人男子(21.18.15.10歳)+犬1匹の母です。2021.07月~痛み歩きにくい体幹不自由など色々な病院いくが原因不明2023.08月パーキンソン病と診断薬も効かない良くならない2023.12月多系統萎縮症疑い12月末検査入院しました結果は半々?意味不明何しに入院したの?1月再検査しました結果2月2日多系統萎縮症と診断3月22日甲状腺の検査状腺穿刺吸引細胞診しました結果は大丈夫でした薬はON/OFFのようだ……4月仙台多
それから日を改めて、紹介状に書かれた総合病院へと向かった。紹介状持って【中期中絶】の為の診察。最初に看護師さんからのヒアリングで、今回の結論に至った経緯をNT(胎児浮腫)から話し始めた。状況を丁寧に聞いてもらいその後しばらく待った後先生に呼ばれた。経膣エコーの後先生より『胎盤の位置はこれから上がる可能性があるから、今の所見る限り低地胎盤だね。12週以降は分娩になるので、普通の産院だと難しいから大体こういう病院になるね。まぁ、出血とか
2日目の検査についてひとまず、簡単に下に記載しますね○血液検査(静脈から3本、腿の付け根の動脈から1本)○バリウム検査(食道造影剤検査)○皮膚生検○口腔内生検以上が、この日した検査内容です入院初日の夜に説明文書と同意書をお持ちになった主治医の先生が病室に来られ、検査についてお願いが…と。先生が言うには、大学病院でもある為、今後の膠原病研究などに役立てていきたいというもの。同意書を交えながら、わかりやすく説明された上で、今後の研究に役立つのであれば、と同意書
2019年1月24日電話があった翌日。紹介状を受け取りに病院へ。そしてそこで悪性黒色腫メラノーマではないかとの結果を聞きました。さらっと笑でもまだ確定診断ではないので、大学病院の先生に話は通していますので診察してもらってくださいとのことでした。明日もしくは、遅くても28日月曜日にはと。心配なので明日朝一番で行きますと告げた。2019年1月25日紹介状を持って朝一番に大学病院へ。受付に行くと予約出来てないと先生に話は通しているからと聞いてたので、てっきり予約までしてくれてるかと思って
更新の期間空いてしまってすみません。大学病院は退院しました。検査結果の説明は前書いたのとほとんど同じような事でした。画像上の検査は何も原因特に掴めなかった。しかし、画像に何も写ってないから正常かと言われたらそういうわけではない。運動ニューロンの障害はMRIやCTにも映らない。針筋電図や腱反射の亢進から運動ニューロンが障害されていることは認める。でもなぜ障害されてるかは、画像に何も写っていないからわからない。しかし、骨格筋CTにて、全身の至る所に筋萎縮があったりする事はなかった。
3人で呼ばれ診察室に入ると主治医と医療秘書が待っていた。早速先日行った検査の結果を聞く事になる。・S状結腸に腫瘍→スコープが通ったのでステント手術は行わず早めに抗がん剤を導入して腫瘍縮小を目指す・細胞の検査で癌細胞・S状結腸癌、リンパ節転移、多発肝転移ステージ4遠隔転移により手術不可無治療であれば余命期間は8ヶ月治療をして24ヶ月〜30ヶ月基本的な方針として・腫瘍により腸閉塞などの症状を起こさなければ手術はまず適応にならない状況・全身投与の抗がん剤を治療を行
夫婦の失意の中、遺伝カウンセラーの人から今回の胎児ドックの結果と年齢的な観点から弾き出された確率を元に、説明がなされ、※絨毛検査へ進むかどうかを聞かれました。えぇ!今決めるの??今日!?お腹に針を指す検査。。。このままの状態では帰るに帰れない心境。やはり5分ほど悩んだだろうか。いやもっと短かったのかもしれない。時間の感覚はなかった。私たちは絨毛検査に進むことにした。私はただただ怖かった。検査自体も結果がでることも。※絨毛検査とは…超音波検査で胎盤の位置を確認しながら、子宮頸
泣いた。眠れずに、泣いた。この確定診断で陽性なら私達はどう歩けばよいのだろう。二人目の赤ちゃんが欲しかった。ただ悩みながら歩き、もう悩むのをやめた。その時にみのりは来てくれたんだもの。諦められないよ。だけど、みのりの幸せとは何だろう。私達は何をしてあげられるのだろう。クリニックに行く直前まで泣いた。検査結果が怖くて足がすくんだ。
ご訪問ありがとうございます!なのは◡̈です♩はじめましての方はこちらからお願いします⇩『はじめまして◡̈⋆*』はじめまして◡̈⋆*つい最近まで違うアカウントでアメブロの投稿をしていましたが…いろんな諸事情により、新しいアカウントでブログを始めました。ざっくりと私と家族…ameblo.jpアメトピ掲載ありがとうございます!『子宮体癌と診断されるまで〜退院から10日後・病理検査の結果を聞きに行く①〜』ご訪問ありがとうございます!なのは◡̈です♩はじめましての方はこちらからお願いします⇩『は
そうこうしているうちに臨月になり、無事に出産。むくんでぷくぷくな赤ちゃんが出て来た。ぱっと見た感じは普通の赤ちゃんと同じ。手足の短さもよくわからない。細かく見てみると、頭の大きさや後頭部の鉢から首にかけてのくびれ(これが大後頭孔狭窄に繋がるのか)、胸郭が狭めなことや特徴ある三尖手、途中でぺこんとへこんだお鼻はザ・軟骨ちゃんって感じだった。動きや表情や声がものすごく可愛くて、すぐにメロメロになった。モニターで常に酸素や心拍数をチェックしているけれど、NICUからも生後1日で出ることができて、お
いつも布団に入ると10分以内には必ず眠れてしまう。(逆に起きていられない)一度眠ってしまえば「蚊に刺された」「暑い」「寒い」などというアクシデントが無ければ、「次に気づくと朝」という眠りに関しては健康そのものだった私。それがAクリニックを受診した日を境にペースが狂ってしまいました。体も頭も疲れているはずなのに、2~3時間しか連続して眠れない。夜中に目が覚めるとその後1時間くらいどうしても眠れない。朝は4時くらいに目が覚めてしまう。お酒は飲めないたちなので、アルコールに頼ることもで