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はじめまして42歳4人男子(21.18.15.10歳)+犬1匹の母です。2021.07月~痛み歩きにくい体幹不自由など色々な病院いくが原因不明2023.08月パーキンソン病と診断薬も効かない良くならない2023.12月多系統萎縮症疑い12月末検査入院しました結果は半々?意味不明何しに入院したの?1月再検査しました結果2月2日多系統萎縮症と診断3月22日甲状腺の検査状腺穿刺吸引細胞診しました結果は大丈夫でした薬はON/OFFのようだ……4月仙台多
羊水検査から3週間ほど経ち羊水検査結果前日の事。仕事を終え帰宅する際に、現実を背きたくてどうしようもなくてモヤモヤの気持ちのまま帰宅。【陽性】が出てしまったら週明けには、中絶の為の準備に入る。気持ちに整理がつかないまま迎えると思うと怖くてどうしようもなかった。羊水検査後から、平然を装ってたが直前なって崩壊した。怖い。とにかく怖い。陽性て気持ちで過ごしたけどこれから起こる出来事が現実なると思うと、恐怖感でいっぱいだった。今までは、現実を背くことが出来たからでも、
このブログには、出来れば明るい話を中心に載せたいと思っているのですがコメントやメッセージで「発症した頃どうでしたか」という質問があったりフォローしてくださる方には告知後すぐの方やなかなか診断が出ずに辛い思いをされてる方が多いようなので、誰かの励みになるならと載せることにしましたこういう時期もあったけど、そして、やっぱりちょっとずつ進行するのでたまに悩むことはありますけど告知から5年のほとんどは最近のブログに書いてるような明るい毎日です発症はおそらく2012年夏ごろか
母と同行して、NTの検査後旦那には、もうダメだと思うと伝えた。あんな高確率な状況で大丈夫とは言えない。ましてや望んで授かったのに諦める選択があるとは夢にも思わなかった。旦那は、納得しないようだった。一方的に諦める話や、決めつける話ばかりしていたからだ。専門医から、パートナーに来てもらうように言われた旨話をし、調整してもらうようにした。旦那は、浮腫=病気ではない。と言っていたが、それでも専門医からあんな確率を告げられたのにプラスにはとても考えられなかった。私と母が
ご訪問ありがとうございます!なのは◡̈です♩はじめましての方はこちらからお願いします⇩『はじめまして◡̈⋆*』はじめまして◡̈⋆*つい最近まで違うアカウントでアメブロの投稿をしていましたが…いろんな諸事情により、新しいアカウントでブログを始めました。ざっくりと私と家族…ameblo.jpアメトピ掲載ありがとうございます!『子宮体癌になった平凡な主婦の日常〜追記・排尿障害の私がどうしても飲みたかったもの〜』ご訪問ありがとうございます!なのは◡̈です♩はじめましての方はこちらからお願いしま
3人で呼ばれ診察室に入ると主治医と医療秘書が待っていた。早速先日行った検査の結果を聞く事になる。・S状結腸に腫瘍→スコープが通ったのでステント手術は行わず早めに抗がん剤を導入して腫瘍縮小を目指す・細胞の検査で癌細胞・S状結腸癌、リンパ節転移、多発肝転移ステージ4遠隔転移により手術不可無治療であれば余命期間は8ヶ月治療をして24ヶ月〜30ヶ月基本的な方針として・腫瘍により腸閉塞などの症状を起こさなければ手術はまず適応にならない状況・全身投与の抗がん剤を治療を行
いつもご覧頂きありがとうございます!コメントやメッセージありがとうございます!いつもお返事できなくて申し訳ありません。温かいコメント&メッセージといいね!でヤル気を起こせています。※こちらは過去のお話です。当時の日記を引用してブログに載せています。当時の思いや言葉をそのまま綴っております▶︎関連記事ヨリコが発達診断シリーズよりこが発達診断を受けたキッカケ.1よりこが発達診断を受けたキッカケ.2よりこが発達診断を受けたキッカケ.3よりこが発達診断を受けたキッカケ.4よりこ
改めまして、私の舌がんの発症から診断、治療の経過についてご紹介します。長文ですみません。【異変】平成26年10月22日舌の裏の口内炎が気になり、見てみると白い変色が見られたため、近所のかかりつけの耳鼻科を受診。「扁平苔癬(へんぺいたいせん)」と言われたが、「こういうのが悪性化することがあるので注意するように」と言われた。口内炎治療薬のアフタゾロンを処方され痛みは治まった。「がんだったらどうしよう」と少し気になっていたが、がんではなかったと聞いてすっかり安心してしまった。※奇しくも今話
2回目の確定診断受けて来ました。1回目の確定診断を受けた記事はこちら👇『【結果】確定診断を受けてきた①』12月の胆管炎に始まり、細胞検査の結果、悪性腫瘍の可能性高く、PETCT検査、心臓エコー検査、大腸検査を行った。『外来受診のはずが、緊急入院することに』12月…ameblo.jpこれまでの経緯2023年12月、胆汁細胞診で陽性が出たため、2024年1月からPETCTなど精密検査実施するも、がん細胞は確認できず。結果、疑陽性(ぎようせい)という判断を受けました。現在は経過観察中で、
更新の期間空いてしまってすみません。大学病院は退院しました。検査結果の説明は前書いたのとほとんど同じような事でした。画像上の検査は何も原因特に掴めなかった。しかし、画像に何も写ってないから正常かと言われたらそういうわけではない。運動ニューロンの障害はMRIやCTにも映らない。針筋電図や腱反射の亢進から運動ニューロンが障害されていることは認める。でもなぜ障害されてるかは、画像に何も写っていないからわからない。しかし、骨格筋CTにて、全身の至る所に筋萎縮があったりする事はなかった。
連投失礼しますお昼ご飯まで時間があるのでそれまでは、自由時間と息子に伝えて母もPCで遊びます私、コミュ障なんですけど行動力はあるんです前日、夜中にで検索かけてーの↓以下、当時の私的記録より引用&補足あり-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*前日に学校は休む。と担任に伝えていたので翌日の朝一で息子を伴い総合病院の小児科に行きましたいきなり、予約もなく。思い立ったが・・・と言う感じで
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旦那と遺伝子カウンセリングを終えて、色々話し合った結果確定診断を受けた後に判断する事にまとまった。1度は、〝無かったことにしよう〟と、何も検査せずに浮腫だけで判断しようとした。そう、私は小さな命より自分の身体を優先してしまったのだ。週数がギリギリでの中期中絶より早めの中期中絶の方が赤ちゃんも小さいし、体の負担も少ないんじゃないかと勝手に考えていた。ましてや検査料に15万かけてまで判断することなのかすら考えていた。お金じゃない。羊水検査の結果が【陽性】と出れば納
手術後初の外来診察手術から1ヶ月、意外と今日まで長かった。診断結果を聞いた卵巣癌組織型:明細胞癌1c3期【結果判明日】2024年1月24日明細胞癌(病理組織学的検査)2024年1月25日ClassⅣ(細胞学的検査)明細胞癌は悪性度が高いらしい。再発すると抗がん剤の効きが悪くて進行が早いらしい。嚢腫を壊さないで取れたので所見では1aだったが腹腔洗浄液に癌がいたので1c3期とりあえず悪い物は取った。明細胞癌ということと、目に見えない小さい癌を消し去
7月24日消化器内科の女医先生には、とにかく明るく励まされ結腸なんて悪いところを切ってつなげば大丈夫!水分を吸収するところが少し短くなるくらいだし普段便秘気味なら、ちょうどよくなるかもしれないわよ・・・と重くなりそうな気持ちを支えていただいたように思います。だけど、大腸がんは基本的に外科的治療が第一選択なのでこの日消化器外科に転科して、S状結腸がんと確定診断。実際は7月21日に消化器内科の女医先生に告知を受けたので術後に取った診断書では、確定日は7月20日となっていました。そ
血液検査の結果が出た1月末、造影剤CT検査を受けました。造影剤CTって、血管に造影剤を入れながら、大きなCTの機械に寝かされて全身をみる検査です。造影剤を血管に入れながらやるので、点滴をしながらになります。造影剤を入れると体中、特にお腹から下あたりが、ぼあっと温かくなる感じが微妙に気持ち悪いです検査のあとは、少しだけ休んですぐに帰れます。その後1週間くらいで、また検査病院で医師の面談です。医「血液検査と造影剤CTの結果ですが、腫瘍マーカーの値は正常範囲内です。腫瘍マーカーは、あ
【令和2年1月19日】以前もお話の中に書いたと思いますがパパは手術前までは胆管がんと言う診断の確定はありませんでしたあくまで色んな検査結果を総合的に見て胆管がんだと言われていましたそれまで取った細胞の検査ではがん細胞は出ていませんでした手術をして切り取った腫瘍を組織検査に出しその結果で確定診断が決まる事になっていましたそれでもパパの入っている生命保険はがんになったらそれ以降の保険料は払わなくて良いとか、がんになったら嬉しくないけど貰えるお金とかありって、でもはっきりがんと言われないとそ
それから日を改めて、紹介状に書かれた総合病院へと向かった。紹介状持って【中期中絶】の為の診察。最初に看護師さんからのヒアリングで、今回の結論に至った経緯をNT(胎児浮腫)から話し始めた。状況を丁寧に聞いてもらいその後しばらく待った後先生に呼ばれた。経膣エコーの後先生より『胎盤の位置はこれから上がる可能性があるから、今の所見る限り低地胎盤だね。12週以降は分娩になるので、普通の産院だと難しいから大体こういう病院になるね。まぁ、出血とか
2020年10月某日前回の記事の続きです。この日は精密検査の結果が出揃い、ついに確定診断を聞く日。初見では「子宮とるだけで大丈夫だと思う。Ib期くらいかな」からの画像診断で「リンパ節転移があります。広汎子宮全摘です」と一度奈落の底に突き落とされているので、待合室のソファで待っている時から、心臓が飛び出しそうなくらい、バクバクしていましたソワソワしちゃって、落ち着かなくて。誰か私の震える足と手を止めてくれ術前、病院にかかった中で、この日が一番ドキドキし
12月29日世の中、年の瀬も押し迫り、年越しの準備に忙しい時期です。私の仕事も例年通りこの日から正月休みに入っていました。旦那の方は本来はこの日が仕事納めになるのですが、診察の予約が入っている為、1日早くお休みに入りました。朝、仕事のある娘を旦那が車で職場まで送って行き、予約時間の9時30分に間に合うように家を出ました。運転をしていたのは私で、旦那は助手席に乗り込みました。クリスマスに旦那からがんの事を打ち明けられて、何が変わったのか・・・。いつもと変わらぬ様子で仕事に出か
入院してすぐに腎生検をしました。局部麻酔をこの時初めて経験しました。意識あるので、先生たちの会話もまる聞こえです大学病院ならではなのか…部長先生をはじめ、研修も含めて大勢の先生に囲まれての腎生検でした。色んな会話が聞こえて落ち着かず無事に終わり寝返り禁止令を数時間乗り越え。夕飯も母に手伝ってもらい。寝返りはナースコールの指示ありでなかなかしんどかったです…でも本当の辛さはこれからでした。腎生検の結果、原因と確定診断がすぐに出なかったのです。わかったのは、形が人よ
皆さんこんにちは今日も良いお天気ですね。ちょっと整理をしたいと思います。2月22日に消化器内科医から膵管内乳頭粘液性腺癌IPMCとの確定診断を受けました。生命保険提出用診断書にも膵管内乳頭粘液性腺癌の記載があります。また、外科医からの手術説明では膵管内乳頭粘液性腫瘍IPMNと説明され一体どちらが本当なのと悩みました。ある書籍に記載があったのですが、内科医と外科医の違いは、箱の中にある物(病気、病変)を調べる方法だと言う事でした。内科医は箱の外から色々な検査を行って
〖右小指の軟部腫瘍〗に関する[これまでの経緯]6月24日水曜日に右小指の軟部腫瘍を摘出7月1日水曜日に抜糸。その際、病理組織検査の途中経過説明があり「現段階では〖良性〗と判断できないので、免疫組織化学的な検討【免疫染色(免疫抗体法)】が望まれます」。つまり、悪性かもしれないから追加検査しましょう…ってことで、病理報告を待っていました。7月15日9:30整形外科から電話があり「病理検査結果が出ましたので、できるだけ早く来院して欲しいのですが…」「いつ来られますか」
ブログとは無縁の生活をしていた私が「乳がんらしい」と気づいた時から多くの皆さんのブログを見て、参考にするようになりました。今までに自分でブログをやってみようと思ったことは、ただの1度も無かったのですが、自分自身の備忘録として、また、確定診断を待つ間に多くの皆さんのブログを読んだ経験から、自分の体験でも他の誰かの参考になるかもしれないと始めることにしました。私はアラフィフ、1人暮らし歴10年余のおひとり様。東京都在住
こんにちはヽ(^o^)私は2016年7月に、確定診断を受けました。約3週間入院して、いろいろな検査をしました。ほかの病気である可能性を消して行って、異常なし=最終的にALSにたどり着くらしいです(。-_-。)最後の最後に先生が「免疫グロブリン療法をやってみよう」と…これは、違う病気の治療薬の血清を点滴する(ざっくりでごめんなさい)のですが、看護師さんが皆さん口をそろえて「この薬すごく高いのよー」と言って処置をする。まだ検査入院で、公費負担医療にならないので「高い!」と聞い
鮮血の吐血であったため、胃食道からの出血を疑い、緊急で胃カメラを受けました。胃の中は血の跡で赤黒く、胃壁が浮腫んでいる状態でした。スタッフさん達が「これはひどい、、」と呟くほど、、、ここで胃潰瘍のような胃壁の突起が見つかります。医師「普通の胃潰瘍と違って、少し形が気になるから生検に出します」これは胃がん組織検査といって、胃壁の一部を切り取って検査に出すもので、がん細胞の有無やその種類を調べる検査です。この検査で私はグループ5(胃がん確定)と分かりました。※ステージとは別です。検査結果
東京は明るさのある曇り。コロナの対策の緊急事態宣言は、明日5月26日、0時から解除実施になり、東京は「ロードマップStep1」になるそう。感染者が、症状が出る前に、他人に感染させるリスクが高いとのことなので、抗がん剤治療後すぐの私などは、怖くて街の中を歩けない。依然「Stayhome!」だでも、散歩や、写真撮影など、外の空気を楽しむことは出来る上の画像は、うちの集合住宅の庭を今日、散歩した際の写真。紫陽花が咲いたさて、ホジキンリンパ腫であると、確定診断が
東京は久しぶりの晴れ。今日初めて気づいたけれど、捨て育てで、バルコニーで冬を越したシオンかアヤメか?、名前不明さんがスクッとのびて、つぼみが膨らんでいる写真撮影をひとしきり楽しんだ。迫力あるように撮るのは難しい午前中の雑用のバックグランド・ミュージックは、中島みゆきの「糸」。さて、昨日の話しのつづきです。2016年4月の末に、11もあったCRPは、9月には0.34になっていた。体調はよくなるのでは、と思っていた。ところが、10月半ばすぎに、右横腹が筋
~このブログは当時のことを振り返りながら、過去の日付で投稿しています。これまでの経緯はプロフィール欄に記載https://profile.ameba.jp/ameba/tarahanayoko現在は2019年12月です~確定診断が下り、治療の方向性も見えてきた。私の未来も見えてきた・・・・GWの旅行を一緒に行く予定だった友人には、キャンセルする羽目になるかも知れないと、病気のことは話してあったので、「行けることになったよー👍️」と良い報告💕7月、一緒に石垣島に行く予定だ
ご心配おかけしております今日2020年6月24日水曜日午後摘出手術終わりました手術名:〖神経腫切除術(指)〗麻酔:〖上肢伝達麻酔〗【上肢伝達麻酔】(腋の下に注射)半端ないって伝達麻酔とは神経ブロックのことです。神経周囲に麻酔薬を注射することで、痛みを感じなくなり、筋肉が緩んで動かなくなります。これにより手を中心とした上肢の手術を行うことが可能となります。神経周囲に麻酔薬を注射することで…⇒神経に薬が到達すると、ビリビリと電気が走りその後痺れて感覚がなくなります痛みを感