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明日香村の岡寺に行って来ました。ここは「花の寺」として有名です。混雑必至なので早朝に家を出て、開門と同時に入山しました。(手水です)きれいでした。岡寺から石舞台古墳まで歩きました。(蘇我馬子の墓と言われています)きょう歩いたコースです。近鉄・岡寺駅〜岡寺駅〜石舞台古墳〜近鉄・飛鳥駅大阪に戻る途中、坊城駅で降りて、有名なお団子屋さんでお団子を買いました。(火)(有名なあのお店。10人待ちでした)家族へのお土産です。本当は終日明日香村を楽しみたかったのですが正午までに帰る必
今月11日からスタートしたNHK紀行・バラエティ番組『ブラタモリ』の新シーズン。最初の2回がこのブログでずっと取り上げている奈良ということで、2015年7月15日に続いてブログ記事にして紹介しています。先週11日『法隆寺〜なぜ法隆寺は1400年愛され続けるのか?〜』に続いて、今回の記事では18日放送の『奈良・飛鳥〜なぜ飛鳥は日本の国の礎となったのか?〜』を取り上げます。前回が法隆寺ということだったので、この飛鳥のブラタモリでも聖徳太子の話題が出るかと思いましたが、番組では主に蘇我氏
みなさんこんばんは自分の人生自分で創る人になる‼️『マインド・ソウルクリエイター』=総合スピリチュアル・セラピスト『GSエナジー・ヒーリング創始者』『MSC養成講座』主宰講師メモリーオイル『五龍神∞鑑定士』『五龍神∞講座』講師♡エナジーオイル創始者のヒミカ☆ルカです5月4日あたりから太陽フレア☀️が強烈になっていたようですその影響なのかよくわからないけど4日の日中、沖縄北部の御嶽を検索していたら2009年以来のあの光が現れた‼️今から15年前=2009年の2月28日私は奈良に行
【旅行期間:2023/1/19-22】明日香村サイクリング記事、続きます。「石舞台古墳」明日香村といったらコレってくらい有名ですよね。元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていましたが、土が失われ、横穴式石室が露出しています。1933年~35年の発掘調査で方形の墳丘、堀、外堀が存在すること、6世紀の小古墳を壊して築造されていたことなどが確認されており、築造は7世紀初め頃と推定されています。被葬者は明らかではありませんが、蘇我馬子の墓ではないかといわれて
続きです。『樹齢300年の又兵衛桜、磨崖仏の大野寺、柿の葉ずしのランチ』続きです。長谷寺の次は、又兵衛桜です。樹齢300年ともいわれる県の保護樹、戦国武将後藤又兵衛の伝説と、後藤家の屋敷があったとされる場所にあることから、こ…ameblo.jp柿の葉ずしのランチの後は、明日香村の石舞台古墳へ。石舞台古墳|奈良県観光[公式サイト]あをによしなら旅ネット|明日香村|山の辺・飛鳥・橿原・宇陀エリア|歴史・文化|観光6世紀の築造。巨石30個を積み上げて造られた石室古墳
明日香村に来たら見ずには帰れない石舞台古墳日本最大級の横穴式石室墓丘の盛土が全く残っていないので横穴式石室が見えています。古墳内部です。蘇我馬子の墓ではないかとされています。
③石舞台古墳随分昔に1人旅で飛鳥周辺をサイクリング🚲で廻った際に訪れたことがある石舞台古墳中にも入ってこれで観光終わり(^o^;歴史あまり詳しくないのであんまり感動せず今年は桜の開花が遅かったこともあり少しまだソメイヨシノが咲いておりました🌸売店にて「ならこすめ」発見Σ(゚Д゚)ご当地コスメは自分へのプレゼントに今回も購入ハンドクリーム2本♥️パーケージは無香料の方が奈良らしくていいだけど成分は奈良の大和橘の方がご当地らしくて良くて決められずどちらも買ってしました♪~
9月7日土曜日は奈良県に観光がてらマンホールカードを集めに行ってきました。狭い範囲に集まっているので効率よく移動するのがポイントです。1枚目は天理市トレイルセンターでいただきました。近鉄だと柳本駅からも歩いてこれますね。どうやらこの奥にある山登りのための拠点施設みたいですね。ここに来るまでの天理教の本部の建物が凄かったし、敷地も広すぎ!2枚目は道の駅唐古鍵遺跡でいただかなました。近鉄では石見駅からも来れますね。弥生時代の高床式建築物のデザインです。3枚目は橿原市今井まちなみ交流
2021年10月29日ランチした後は、太古のロマンを感じる石舞台古墳へ向かいましょう。奈良県の小学生ならば一度は遠足で訪れるだろう明日香村。明日香村には、石舞台古墳という小学校の教科書にも出てくるような有名な古墳がありました。石舞台古墳とは古墳時代後期の古墳で、元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていましたが、その土が失われ巨大な石を用いた横穴式石室が露出しています。封土(盛土)の上部が剥がれてしまっているため、その墳形は明確ではなく、二段積の方墳とも上円下
ヒカルランド2017年11月タイムトラベラー木内鶴彦《妙見信仰★大阪奈良旅》2000年以上も昔交野ヶ原は日本で初めて天神が砲ヶ峰に降臨した聖地でありその天神の子孫である物部一族の本拠地でした。785年、桓武天皇が長岡京遷都達成の神恩感謝として翌年に交野ヶ原の柏原で歴代天皇ではじめて郊天(北辰)祭祀を行なう。816年、空海が唱えた呪文により、交野ヶ原に北斗七星が降臨(隕石)したという言い伝えあり。その一つである「星田妙見宮」は、空海が唐から「宿曜経」を持ち帰り星の道場を創建し