ブログ記事9,697件
八ヶ岳原村のヒプノセラピスト水月です。水月のプロフィール⇒☆現在募集中のヒプノセラピスト養成講座のご案内⇒☆ヒプノセラピー個人セッションのご案内⇒☆今日は預言の葉のお話をしますね。一般的に知られているのはアガスティアの葉でしょうか、5000年前に聖者が書き記したもので一章から始まり色々な章があります。先ずは一章からあけ人生の流れを把握して13.14章で今世に影響のあるカルマを知り解消するための方法と御守りについてを読み
まず私たちの真我を知ることです。私たちが真我を知れば、それ以外の問題はすべて明白になるでしょう。「ラマナ・マハルシとの対話より」すべての困難を一気に解決したいなら真我実現です。いわゆる覚醒、悟りしかありません。困難とは、個人の感覚です。ほとんどの人は、自分は個人であるという強い自我を持っています。そのため、都合の悪いイベントが起こると困難を感じるのです。しかし、真我実現したあとはどうでしょうか。再三言いますが、真我実現(覚醒)したあとも自我は残りますが、その自我は完全に真我
秀峰が教祖となって、主に悟りや覚醒を求めている人向けに、「心穏やかに生きる」ことを念頭に、具体的な修行・実践方法を提案する「ゆっくり真理教」の記事です「ゆっくり真理教」のことを初めて知った方は、ぜひ過去の記事を読んでみて下さい■「ゆっくり真理教」の教祖となりました!https://ameblo.jp/shuhom/entry-12817326883.html■ゆっくり真理教第二条「何かを変えたければ、ちょっとずつ進める」https://ameblo.jp/shuhom/entry-1
ポチッとお願い致します!↓レスター・レベンソンとの対話(セドナメソッド創始者)Q:あなたが行き着いた完全なる状態になるためにはどうやったらいいのでしょうか?何が近道でしょうか?レスター:「私は何か?」という質問をして、その答え自身が現れるのを待つんだよ。思考する心は決して答えを導き出せない、なぜならすべての思考には限界があるからだ。だから、静けさの中、瞑想の中で「私は誰か?」「私は何か?」と質問をしなさい。他の思考がやってきたら、それらを叩きつぶしなさい。
悟りを開く、つまり覚醒(真我実現)するのに熱意は必要でしょうか。この答えは、絶対に必要、です。何度も言いますが、すべては自動的に起こっています。したがって、悟り、つまり覚醒も自動的に起こるのだから、何もしなくて良い、あるいは何もできないと言う覚者もいます。例えば、ラメッシ・バルセカールは、悟りを開くためにできることは何もないと良く言いました。実際確かにそうなのですが、これは誤解を受けやすい言葉です。覚醒するには、まず自我が覚醒したい、悟りたいという個人的な希望を持たなければ始まりませ
今、誰もが見ている世界も自分自身も、すべては意識の中に立ち上がった夢です。さて、何をこの人は言っているのだろうと、誰もが思うことでしょう。しかし、これは100パーセント真実なのです。ただ、夢という言葉の定義を確認しておく必要はあります。この場合の夢とは、「ある空間に映っている映像と感覚」と言う意味です。私達が夜眠っている間に見る夢も、映像と感覚がありますよね。その夢見ている肉体が目覚めても、同じようにまた、映像と感覚が現れます。そう言う意味で、私達はずっと夢を見ていると言うわけで
誰でも幸せになりたいと思っています。苦しみたいと思っている人はいません。これはなぜなのか、考えたことがあるでしょうか?その答えは、幸せが正常な状態で、苦しみが異常な状態だからです。ラマナ・マハルシは言います。幸せは故郷なのだと。ところが、人は幸せと幸福感を間違えます。幸せとは、静寂のことです。そして、真我(アートマン)の性質こそが静寂です。人の本性は真我であり静寂です。つまり、人のベースは本当は幸せなのです。しかし、自我に飲まれた私達は、幸せになるために幸福感を求めます。内側を
逃げると聞いて、あなたはどう思うでしょうか。日本人は特に、真面目に生きましょうと学ばされます。それが幼少時より叩き込まれるため、嫌なことから逃げたら、何か罰が当たるのではないかと考えてしまうのです。このブログでは、覚醒について綴っていますが、この逃げるという行為は、覚醒したものにとっては当然の行為と言えます。逃げるという行為は、覚者にとってはそのイベントに干渉しないということです。世界は個人の力で動いているわけではありません。あなたという個人さえも(厳密には個人さえもいませんが)真我
世界にはあなたしかいません。このあなた(本当の私=真我)は、体でも心でもありません。つまり、人間ではありません。あなたは、無限の大きさを持つ透明な画用紙のようなものです。この透明な画用紙に、ずっと自動的にドラマが再生されているのです。このドラマが一つの肉体の目を視点に流れていき、しかも他の肉体の心の声は聞こえないのに、この肉体の心だけは聞こえています。そのため、肉体が物心つく頃には、私は肉体(人間)だと勘違いしてしまうのです。でも、真実はそうではありません。全ての背景にある透明な画
太古、ヒンドゥー教にしろ仏教にしろ、修行僧は結婚することを禁じられました。これはなぜかと言うと、家族愛や性愛が悟りの道(真我探求)の壁となるからです。特に家族愛(母性愛)は大変強いパワーを持っており、心を乱します。したがって、女性は悟れないと昔は言われていました。本当はそんなことはありません。女であろうと、男であろうと、赤ちゃんであろうと、すべてが真我です。しかし、確かに母性愛は真我探求を難しくします。例えば、我が子が大病にかかったら、我が子がひどいいじめにあったら、母親はとても穏や
一瞥体験というと非常にレアな神秘体験のように聞こえますが、実はそうではありません。今回は、私(この肉体)に起こった2回目の一瞥体験について書いていこうと思います。これは、まだ私が悟りの道(真我探求)に入って3ヶ月程しか経っていませんでした。(因みに1回目の一瞥体験は、真我探求を知らないときに起こりました。)その当時、家族に問題が起こり、そのことで非常に私自身が苦しんでいました。あまりにも苦しみが付き纏うので、これはまずいと本気で思っていたある日のことです。自宅のソファに座って、この苦
誰でも理科の授業で遺伝子について習ったと思います。特にDNAの二重らせん構造は覚えているのではないでしょうか。しかし、ほとんどの人は「へー、そうなんだー」で終わると思います。しかし、私は医師の端くれですからこれに引っかかりました。大学院時代に、私はがん細胞をアポトーシス(細胞の自己自殺)で死滅させる治療法について研究していたのです。このアポトーシス、どういうものかというと、一番分かりやすい例で説明すると、胎児の指の形成です。お母さんのお腹の中で、胎児はすくすく育ちますが、初期の胎児の
【7日間無料メール講座】400名以上にご登録いただいています。まだの方はぜひどうぞ。登録はこちら↓私のお友達に、ネドじゅんさんという方がいます。ネドじゅんさんは朝起きるとまず、旦那さんとお子さんの弁当を作り、PTAの会合のため学校に行ったり、町内会の回覧板を回したり、スーパーに買い物に行ったりと、一見ごくごく普通の主婦的な生活を送っているんですが、その頭の中はインドの伝説的な覚者様のような状態で、面白いことをどんどん話してくれます。意識の仕組
悟りを開いている肉体、徹底的に覚醒している肉体には、ほとんど不安感が起こりません。なぜなら自我が僅かしか残っていないからです。悟りを開いている肉体は、完全な明け渡しをしています。つまり、原初の力(意識、真我、アートマン、ブラフマンなどと呼ばれる力)にすべて明け渡しているのです。そうすると、無駄な思考がほとんど起こらなくなります。私の患者さんで、いろいろ考えてしまって不安で眠れないという人は沢山います。これは、この世のほとんどの肉体には強烈な自我が残っているので、仕方のないことです。
静かにしていましょう。沈黙していなさい。すべては、真我である意識の中で、自動的に変化していき、それは個人で変えることができません。安心して、時の流れに任せておくことです。すべてはそうなるようになっているのですから。沈黙していましょう。心を覗いて、言葉が出てきているスペースを凝視しなさい。そこは、沈黙の空間。目を開くと、その空間に世界が映って見えるだけです。この沈黙の空間こそ、本当のあなたです。あなたは身体でも思考でもありません。沈黙の空間こそ真我、そして原初の力です。これ
「許す」ということは覚者にとっては当然の行為です。世界では、いろいろなイベントが起こり得ます。実際には、個人というものはありませんが、辛いイベントに巻き込まれた個人は、怒りや悲しみを味わいます。しかし、その出会ったイベントでさえ、起こるべくして起こりました。そして、そのイベント内での人間関係の複雑さや、感情の縺れも起こるべくして起こっているのです。このイベントのせいで、自らのマインドに怒りや悲しみ、憎しみが生まれても、やはりそれは自動的に起こるべくして起こっている。だから
セイントマリアヒーリングとはマグダラのマリアがキリストに施したとされる性魔術古代からある密教のタントラそれらに通ずる性エネルギーを用いたヒーリングです。呼吸法でクンダリーニのエネルギーを上昇させていきます。エネルギーが上昇していく過程で不要なネガティブなエネルギーの解放が起こります。エネルギーが頭頂まで到達するとエネルギーオー○ズムになります。ここで言うオー○ズムは中イキ、脳イキ、ドライオーガズムです
最近はインドのヨガ哲学にハマっていてそもそもヨガとはサンスクリット語の「ユジュ」(牛や馬と車をつなぐ軛)が語源。体、心、魂を神(あるいは宇宙)に結びつけることの修行法のことでつながるという意味らしい。そんなヨガの行法の傾聴瞑想を使ったサットサンガの効能について先日は冷めやらぬ興奮と共に書きましたが、今日は<書く瞑想>について書いてみたいと思います。傾聴瞑想はティク・ナット・ハン師のマインドフルネス瞑想にも出てくる相手の話しに全身全霊で耳を傾けて集中して聴く
幸せとは何でしょうか?誰でも幸せになりたいと思っています。苦しみたいと思っている人はいません。これはなぜなのか、考えたことがあるでしょうか?その答えは、幸せが正常な状態で、苦しみが異常な状態だからです。簡単に言うと、幸せは人の故郷なのです。ところが、人は幸せと幸福感を間違えます。幸せとは、静寂のことです。そして、真我の性質こそが静寂です。人の本性は真我であり静寂です。つまり、人のベースは本当は幸せなのです。真我については↓『覚醒と何か』こんにちは。私は真我探求を終え、あるがま
誰しも生きていれば、苦しい、辛いという感覚は湧き上がります。これは、実は必然であり、またこの感覚が湧き上がるのは自動であり、あなた個人のせいではありません。さて、覚醒(真我実現)した肉体は、格段に苦しみが減りますが、使っている肉体に全くネガティブな感情が湧き上がらないかというと、そうではありません。はっきり言って、使っている肉体も、この幻想の世界で、ドラマを演じ続けなければいけませんから、ネガティブな思考は自動的に出てきます。楽しいばかりではドラマになりません。しかし、覚者の場合、その根
これまで、5日間に渡って、私の体験をもとに、悟り、いわゆる覚醒の段階に合わせて、真我探求の流れを書いてきました。悟り、覚醒については↓『覚醒と何か』こんにちは。私は真我探求を終え、あるがままに生きている者です。このブログに到達した方は、おそらく真我という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。真我とは…ameblo.jpここで、もう一度まとめておきます。悟り、いわゆる覚醒には段階があります。つまり、浅い悟りと深い悟りがあるわけです。徹底的に覚醒した状態、真我実現まで達するには、ひとつ
ポチッとお願い致します!↓レスター・レベンソンとの対話(セドナメソッド創始者)Q:それは神と一体という状態ですか?レスター:どこに「神と一体」があるのか?神と一体は最上の状態ではない。なぜなら、それは二元性だからだ。もし神と一体であるなら、そこには「私」と「神」がいることになる。究極においては、我々は「私が神だ」と気づくだろう。そのとき宇宙にはたったひとつのワンネスしか存在せず、我々はワンネスでありそして意識的にワンネスにならなければならない。これが、
心を心で制することは不可能です。心は「個人の私」の感覚を伴った思考と感情です。例えば、ネガティブ思考の人に、もう少しポジティブになろうよと言っても難しいものがあります。思考は、自動的に起こります。思考を指示する司令塔の「私」は存在しません。この「私」は自我であり、まるで存在するかのように振るまいますが、幻想です。思考を指示する司令塔はいない↓『私の中に思考を指示する司令塔はいるか』今回は、「私はいない」を実感するレッスン2について書いていきます。前回、私の中の源であるスペースを感じる
一緒に盛り上がろうー↓ここから現地の4500円の中には、入場料1000円も含まれます。↓チケットの買い方ショートこちらのサイトはフェアの様子です↓癒しフェア2024inOSAKA4月20日(土)・21日(日)梅田スカイビルにて開催。「癒しフェア」は日本最大級を誇る癒しの祭典。心を癒す講演・カラダを癒す施術などが一度に体感できるイベント。www.a-advice.com記事です。今日は少し難しい話になります。ところで前回のような再掲した
サトリってどんな人?2分で読めるサトリの簡易プロフィール今回は、『自我を超える自分』というテーマを語ります。『自我を超える自分』というと、今までの僕の言葉でいうと、『真我』の話かと思うかもしれませんが、今回は、そのちょっと手前、自我というものを拡大して解釈したときに定義される『自分』についてです。スピリチュアル側の人は当たり前のように、自分が自我以上の存在だって話をしますが、それをスピリチュアル耐性のない人にもわかるように説明してみよう、という試みです。左脳系スピ
セイントマリアヒーリング①思考では理解できない領域タントラは元々、思想とか哲学を説くためのものではない。言ってみれば大宇宙すなわち絶対の世界と小宇宙すなわち人間の世界が元々一体であるという考えに帰ることを目指した実践の道修道の仕方を明らかにするものなのである。したがって、それを読んだり聞いたりしてもあるいは内容を知るとか理解するといった行為にしても全く意味をなさない。タントラはひたすらにそれ
サイトに訪れていただきありがとうございますスピリチュアルに人生を読み解く手相家、花林です。-----------------------------------真我とはエゴや執着のない本来の自分。個人の心を超越した純粋で無限の意識の場にいる本当の自分。潜在意識のさらに奥に入っていくとまっさらな心の自分がいます。苦しみや俗世の感情はないとても穏やかな状態の自分。それが「真我」「自我」は
こんにちはMOMIYOGAです👼🌟✨自己の感情と、ハートの声。思考と、ハイヤーからの声。どっちかなーって、迷う時。多分その場合は、エゴかなと思います🌟ハイヤーの声は、真我の声無き声。ハートで受け取り、直感的に気づくはず🌟🌈思考とは全く質が違うからです。ヨーガで言えば、サットヴァ性がものすごく高い。純度、調和、愛のエネルギーそのものだからです👼💎✨🌟これはハイヤーの声。迷いがないはず🌟瞑想を続けていると訪れる静寂、平穏、愛の時間。体、心を超越して外側
もう、マニアックな話が止まらないっっ(*≧∀≦*)数字の記号や意味を調べていて分かった事1で、創造・始まりビックバン2で、分離する事で認知が産まれ3で、想像力が発生4で、物質世界が誕生し5で、人間が産まれ6で、命の連鎖が出来たここまでで、肉体としての人の流れ(営み?天地創造?)の完成人間を表す五芒星そして、7で精神性の向上が8では、それを元に物質世界と精神世界の融合が起き9で、更になる次元上昇を・・そんな意味が数字には込められています。SHINOちゃんの流派の
今回は一瞥体験について書いていきます。一瞥とは、ちらっと垣間見るという意味です。したがって、一瞥体験とは、一時的に覚醒を体験するというものです。近年、一瞥体験をブログに書いたり、動画で配信したりしている方々が多くいます。しかし、それらを読んでみると、一瞥体験を神秘体験と間違えている方が見受けられます。そもそも、覚醒とは、本当の自分が真我、つまりすべてを認識する者であると深く理解することです。あるいは、真我そのものになっている状態をありありと感じることです。これから外れた体験は一瞥(覚