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魂のレッスンのテキストでもある『明かされた秘密』ここに、自我(思考と感情)をコントロールするための、光の瞑想の仕方が記されています。この本の通りに行うと40分近くかかります。しかも1日に3回行うのが望ましいとあり、そうなると結構な時間を費やすことに...瞑想が義務になって心の負担になっては元も子もありません。先日の師匠からの学び『愛アムの会』にて、こう学びました。呼吸自体が生命であり神であること✨人間は、魂が肉体に宿って「オギャア」と息を吐いて生まれ、最期は息を引き取ります。ブ
2024年は、私たちの人生にとって突き抜けて大切な年となります。私たちの生命の底に秘めたる"和"の心が、それぞれの気づきの中で様々に試される年となるからです。キーワードは"祈り"と"ゆるみ"そして"愛の連鎖と循環"です。「助け合い」「認め合い」「許し合い」の精神で、自分の人生を存分に楽しんで参りましょう。自分が大好き!皆んなにそう言える生命力溢れたる最高の年にして参りましょう。✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨日々の生活の中でどうしても溜まってしまう、負の感情のエネルギーを取り除き浄化さ
発すれば返るあまろんの徒然なるブログにお越しいただきありがとうございます今朝ニュース番組をみていたら車の盗難が激増しているようです最近の手口は盗難のために作られた装置の使用で持ち去るまでものの2分くらい恐ろしいですねぇかつてはピッキングだったり車体に傷も残るようなものが多かったですが転売目的だからってこんなところに技術を駆使するなんてどうなんでしょうさらにそれに対する防犯グッズも数十万なんだかイタチごっこ確かに状況的にニーズはあるのですが…せちがら
皆様こんばんは武田恭佳です夜のおやすみ前の記事を書く回数が少なくなっておりますが時折、急に書きたくなるものでして今夜はちょっと書きたい気分です今日は音楽動画ではなくて、こちらの動画をお送りします↓↓↓1997年より以前の動画ですので画質が粗いのですがそこはご容赦を!画面に映る男性はシュリー・H・W・L・プンジャ(通称パパジ)覚醒者として多くの真理を探究する人々から慕われていた方ですそんな彼の元に一人の女性がやってきますそして「私に『私』と会わ
本日は『新約聖書』で主イエス大師が「聖霊」について語った予言を考察してみたい。かつて主イエス大師が語った「聖霊や御霊(みたま)」と、一般的に「真我」と呼ばれているものは、実は同じものである。すなわち聖霊とは、自らに宿る「神の分け御霊」のことなのである。諸君はこれからクンダリニー(性エネルギー)を昇華させて、真我を実現する過程において、瞑想中にまばゆい光に包まれる体験をすることになるだろう。実はこの時に体験する光の正体とは、「聖霊による洗礼」なのである。諸君はこれから正しくクンダリ
八ヶ岳原村のヒプノセラピスト水月ですここ数日師匠の前世療法インストラクター養成講座のアシスタントとしてお手伝いしております。水月のプロフィール⇒☆現在募集中のヒプノセラピスト養成講座のご案内⇒☆ヒプノセラピー個人セッションのご案内⇒☆実技の練習が始まりました。クライアントが自分で気付くそこがセラピーの着地点今回の講座の中でも師匠はその都度セラピストの解釈ではなくクライアントの気付きだよと話されています。
ディスカッション目覚めの時が来たもう人生の旅が終わる☆復活《真の自分》を誕生させること。それが復活。蘇り。☆水晶人間【水晶】※水が光輝いている状態。※水と光が調和されたエネルギーが高い石。私たちも水(肉体)と光(生命)が調和された時【水晶人間】となる。☆自分は誰まず「自分は誰?」この答えを出さなくてはならない。☆一元論神が全てを造り神が全てに宿る【神一元】【不二一元】神こそ【絶対実
真我だとかスピリチュアル系はもう読まないかなと思っていましたが、Kindleアンリミテッドだと一定額でいろいろよめちゃうから、また読んでしまいました。今回読んだ覚者のお話だと、人生は最初から最後まで全部決まっている、と。まあこの方に限らず他にも同じようなこと言ってる人いますけど。こうやって私が今ブログかいてるのもシナリオ通りのことをしているし、探求して悟りを開くのも、頑張ったけど悟れないのも、もうその個体それぞれのシナリオで運命付けられている、と。病気
本日のおコトバもし外的な原因や自分の所有するものが幸福の原因だと考えるなら、所有するものが増えれば幸福も大きくなり、所有するものが減るにしたがって幸福も少なくなると結論づけることは理にかなっていると言えるでしょう。そうすると、もし所有するものがなければ、幸福はありえないはずです。実際の体験ではどうでしょうか?それはこの考えと一致しているでしょうか?深い眠りの中で、人は自分の身体も含めて何も所有していません。それにもかかわらず、不幸であるどころかまったく幸せなのです。誰も
先日ヒーリングを受けてくださったTさんから、再びLINEをいただきました。ヒーリングやセッションを受けて、その時は良かったけれども、その後元の木阿弥、ということも少なくないですが、Tさんはヒーリングの効果がすぐに消え去ることなく、継続されているようです。恩寵の扉シリーズは、残念ながら読み終わってしまいました😢確かにⅡが一番良かったです。キヨタカさんの本は以前から目にしていましたが、正に今のタイミングで読めたのは無境さんのお陰です!数ヶ月前では内容が理解できなかった
八ヶ岳原村のヒプノセラピスト水月です原村は良い天気目の前の白樺にキツツキがコンコンと穴をあけています森の中は賑やかです水月のプロフィール⇒☆現在募集中のヒプノセラピスト養成講座のご案内⇒☆ヒプノセラピー個人セッションのご案内⇒☆今日は決めることの大切さのお話です週末のグリーフサポート講座の中でも受講生の方々はヒプノセラピーをすでに学ばれているある程度自分と向き合い整っているはずがどんどん緩み内側の自分にまだこんな自分が
…神の子らが愛に背を向けるのは、自ら望み意識的に混沌の人生を選択する表れだ。愛を否定して生き続けようとする者が、生き延びていかれる場所はどこにもない✨その者の努力が身を結ぶことなどありえないばかりか、失敗、失望、悲惨な結果がもたらされるだけだ…いかなる物事も、愛が欠けている限り行き着くのは混沌、無秩序状態だ。物質がそこから脱け出し、再び適切なかたちで用いられるには、何としても愛が必要だ。愛と結合すれば、完全なものを生み出すようになる✨これは宇宙全体にも個々の人間にもあてはまる生命の法
♡前回の記事♡『我。強運の持ち主なり』♡前回の記事♡『キャラ設定の変更』♡前回の記事♡『うつ気(うつき)』♡前回の記事♡『今日の言の葉』♡前回の記事♡『祝♡宇宙元旦』♡前回の記事♡『3…ameblo.jp宇宙じぶん銀行こんにちは。ちひろですいつもありがとうございます♡現実の世界であなたが預金をするように宇宙にもあなた専用の銀行口座が存在すると。そう言われたらあなたはどうお
サトリってどんな人?2分で読めるサトリの簡易プロフィール今日は、『覚醒』すると、目覚めるといったい何が変わるのか?というお話です。僕自身のことで言えば、いわゆる超常現象、左脳という翻訳機で説明のできないようなことが起こったわけではありません。強いて言うなら、カルマが燃え尽きた時期に、職場の観葉植物に前触れもなく、花が咲いたということくらいでしょうか。それまで6年間まったく花が咲いたこともなく、そもそも花が咲く植物だとも思ってなかったのですが。当時の僕にはそれが何を意
人生を振り返ってみると、依存体質であった私は、自らの人生を創造していくということを真に理解するようになるまで、おおいなる真我は私の回りに最も適した方々を配置してくれたんだと、ようやく思えるようになり、腑に落ちるようになりました(離婚した元夫母姉職場の人たち、、)以前は被害者意識、自己憐憫自己否定罪悪感不安と恐れ結果重視固定観念とまあー不自由さのオンパレードの私でした😂俯瞰してわたしを観ることも出来ず起きてくる出来事に抵抗をしては悩み、どうしたらよいのかと思考を
今日のブログは不思議ちゃん全開~昨日ポンッと意識に浮かんだことのハナシですっ。~~~~~~~「全体」「大いなる宇宙」「神」とか呼ばれる意識をあらわに持つ「真我」=本当の自分。その意識は大きく静寂で完全なる安らぎと平和の愛で、昨日浮かんだのはね、「これからはこの意識と顕在界(現実界)で調和していくんだあ」って…、「そんなのとっくに知っとるよお」ってツッコミきそうじゃけど…笑これまでもずっとそう思ってきてたけど、昨日はこれまでとは違った感覚でスコッと腑に落ちる感じにおさまっ
昔、あるインド占星術師に「あなたは星回りが悪いからこれを購入しなさい」と言われ、電話口で提携先のHPを開かせクリックさせるという振り込み詐欺的手法で購入したヤントラ(マントラの図形)写真載せると読んだ人にも影響があるので掲載不可ここ半年位続いていた霊症の出元がどうもこのヤントラの可能性が出てきました仏像とかヤントラとか、本来のものとは違う呪力が入っていることもあるらしいので、やたらと手を出してはいけないようですなんてこった!質問者霊的な道の途上で、シッディは達成されるものでしょうか?
少しばかり真面目な話!一般的に云われている「霊魂」と云う言葉(概念)は、随神(かんながら)の世界では全く違った解釈がされているのです。多分に人々は「魂」の方が「霊」より身近に感じられ、自分の心の本質の様に思っているものと思われますが、魂とは肉体の発生とともに顕れるものであり、死後それは徐々に消滅してしまうものなのです。我々人間の本質は、「魂」ではなく「霊」にあるのです。真の「私(自己)」は霊にあると云うことなのです。随神では、永遠不滅の真の自分とは「直毘霊(なをひ)」、即ち「大直毘霊(
少しさかのぼりますが、節分の日に風の時代学校のイベントorganicFAMが開催されました✨みんなの子育てを覗いてみようと言うトークテーマで風の時代学校役員メンバーから5人が登壇。私もその内の1人としてお話をさせて頂きました。お話会の傍では、素敵なマルシェや子ども達が夢中になっていたコーチョーによるアイロンビーズコーナーもあり、賑やかに和やかな空気感のFAMイベントでした✨子育てと言うテーマでのお話会ではありましたが、登壇者それぞれが、目醒めとは?統合を知ってから?
【7日間無料メール講座】400名以上にご登録いただいています。まだの方はぜひどうぞ。登録はこちら↓私のお友達に、ネドじゅんさんという方がいます。ネドじゅんさんは朝起きるとまず、旦那さんとお子さんの弁当を作り、PTAの会合のため学校に行ったり、町内会の回覧板を回したり、スーパーに買い物に行ったりと、一見ごくごく普通の主婦的な生活を送っているんですが、その頭の中はインドの伝説的な覚者様のような状態で、面白いことをどんどん話してくれます。意識の仕組
このテーマは、最近シフトされている方々には特に当てはまる言葉です。アセンションの波動が挙って来る前の時代では、やはりエゴががっちり主導していました。暗闇の時代でもあり、手探りして進む時代でもあり、不安や恐怖がベースとなってましたから。ですから、やはりハイヤーと本人の自我との間にギャップがあって、生まれて来る度にそのギャップがカルマとなって、また転生となって行ったのです。しかし、ダイレクトに地球に来るようなkuのような魂たちは、それを見破って行く事が多少上手だったようで
ヨガを学んでいる人ならば、パラマハンサ・ヨガナンダを知らない人はいないでしょう。クリヤ・ヨガをアメリカに伝えた人で、大変誠実な人だったようです。彼は1935年にラマナ・マハルシを訪ねて、教えを請うています。この会話は、真理の探求者にとって非常に重要な内容を含んでいますので、一部を抜粋させていただいて紹介していこうと思います。ラマナ・マハルシとの対話(ナチュラルスピリット)1巻に掲載されてますので、ぜひ一読してみてください。ヨガナンダなぜ神(真我)はこの世に苦しみをあらしめているのでし
あんまり書きたくなかったのですが、本当に辛いことがあった方さえ飲み込んでしまうほど、拡がっているようなので書いときます今、巷でツインレイという言葉がひろまっています。それに伴い不倫への心のハードルが低くなっているようですそれについては個人の選択やカルマがあったりするので、言及を避けますがこのところ、4.50代の女性が2.30代の男性を運命の人だと思い込みストーカー化し、なかには事件にまで発展するケースがチラホラ出ているようですこの年代は更年期で女性ホルモンが減る事により人によりますが、男
スワミ・チダナンダ大師の『真理への解放』(木村慧心監修・たま出版)から25・内なる調和を紹介したいと思いますヴェーダーンタでは私たちの本来の姿である「真我」(アートマン)には「究極存在」であるブラフマンが持つ調和と同じく「深淵で永遠なる調和」「高い次元の調和」があるのだそうです。それでも普段のわたしたちの日常的な心はいろいろな事柄に奔走して「千々乱れた千にものぼる混乱した思念の真っ只中」にあるのが常時です。まあそりゃ大変です、千にものぼる混乱のただ中にあるのですか
本を読み漁ってるわりに、最近スピリチュアル系(真我探求とか)から卒業しようかな、と思っていました。卒業といっても学んだことを捨てるわけじゃなく、そういうことで本や他者に頼るのをやめようかと。結局は自分で気づいていくしかないことなのでしょうし。なんておもいながらもあるブログ読んでいたら「ないものじゃなくあるものに目を向けて感謝して」という何度目にしただろうかという決まり文句がその1記事に繰り返し書かれていて。今まであまりに当たり前に言われ
面白いタイトルとなりました。笑今日はスターシード系の話です。実際に、スターシードさんというのは、スピリチュアルな事に興味を持ちそれを生き方のベースにしている人がとても多いです。やはり地球の枠、地球人の方の枠よりも、もっと広いところからいろんなものを見ているのだと思います。みなさんの中にも普通の人達と接している時に、普通の人はあまり深く人生を考えたりしない人が多かったりしてビックリされて来たかもしれません。例えば、死についても、生についても、「死んだらすべて終わり・・・
あなたが結果にどんなコントロールももっていないという事実は、あなたが結果について心配することをやめ、今為されている仕事に集中するということを意味しています。「ラメッシ・バルセカール意識は語るより」すべてがそうなるようになっています。嬉しいことがあっても、悲しいことがあっても、そうなるようになってました。個人の私はいません。個人の力というものはありません。したがって、個人の私が出来事をコントロールしているわけではありません。すべて
困ったことややりきれないことも当然起こります。では、この困ったこととは誰にとってでしょうか?もちろんそれは自我にとってです。自我とは、個人の思考や感情のことです。しかし、真我に困ったことなど何もありません。それどころか、嬉しいことも楽しいこともないのです。真我の性質は、静寂であり沈黙です。ただ静かに存在する永遠不滅のスペースであり、純粋意識です。この真我である純粋意識は、世界にそれしか存在せず、他者がいないため、私という感覚がありません。ただ、あるだけです。その中に、ある肉体を中
世界にはあなたしかいません。このあなた(本当の私=真我)は、体でも心でもありません。つまり、人間ではありません。あなたは、無限の大きさを持つ透明な画用紙のようなものです。この透明な画用紙に、ずっと自動的にドラマが再生されているのです。このドラマが一つの肉体の目を視点に流れていき、しかも他の肉体の心の声は聞こえないのに、この肉体の心だけは聞こえています。そのため、肉体が物心つく頃には、私は肉体(人間)だと勘違いしてしまうのです。でも、真実はそうではありません。全ての背景にある透明な画
つまりウパニシャッドの瞑想とは、グルの傍らに座り、さらにグルのまとったサマディの質と同一化するものに他なりません。そして、それこそがジニャーナ・ヨーガなのです。道元は名著「正法眼蔵弁道話」で次のように説いています。「端坐参禅を正門とせり」「自受用三昧、その標準なり」。参禅とは師家についてその傍らに座り坐禅を組むことであり、「自受用三昧」とは受動態(同一化)を本義としています。この事からわかるように、座禅とは(見性するまでは)一人で組むものではないのです。道元はまさしくウパ