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今回も、2015年10月のポーランドからです。朝からワルシャワの街を散策し、一旦ホテルに戻り、文化科学宮殿へやってきました。文化科学宮殿は、スターリンから贈られた建物で37階234mの威容はワルシャワのどこからも見えるのですが、ワルシャワ市民からは不人気なようです。建物の前にある噴水?の台座は、何故かイルカが支えていました。文化科学宮殿横の横断歩道をふと見ると、なんと鍵盤の形になっています。今回、せっかくワルシャワへ来たので、ショパンの生家であるジェラゾヴァ・ヴォラへ行って
新シリーズが始まるよー旅の舞台は深谷市ですタイトルは。。。。「新壱万円札発行記念深谷市ブログ」としました💴もうすぐ新壱万円札の発行が始まりますねー第一回目のネタはやっぱり壱万円札の顔渋沢栄一さん関係ですテレ東「ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅」で差し込みに使われた「尾高惇忠の生家」にやってきました🏡尾高惇忠さんと渋沢栄一さんは従兄弟なのだ「館内」を説明するガイドさんはやたら声が大きかっ
義母は写真を所構わず撮る。相手に「撮るよ」とも言わず、スマホを向けてくる。夫が家を出てから数時間経った頃だろうか。義母から大量の写真がLINEに送られてきた。義祖母宅前でにこやかに写る夫。義父と共に写る夫。仏壇に手を合わせる夫。誰かに撮らせたのであろう、義母と並ぶお坊ちゃまのような夫は秀作としか言いようが無いほどマザコン感を醸し出していた。30を過ぎた既婚者の男が、母親によりそい喪服姿で晴れやかに笑っている姿は滑稽を通り越し不気味だった。写真集のように様々な角度の「溺愛
今回も2015年6月のウィーンからです。前回、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットのお話を書きましたが、午後からは再びウィーン中心部に戻ってきました。最初にやってきたのは、シューベルトの生家(SchubertGeburtshaus)。シューベルトは、ウィーンの北部リヒテンタールで父フランツ・テオドール、母エリザベート・フィッツの第12子として生まれます。教師をしていた父からヴァイオリンを、兄からピアノを習いますが、幼いころから類まれなる才能を発揮したようです。ここは博物館になっていて中
安珍・清姫の話に登場する清姫の生家が、田辺市中辺路町真砂(まなご)地区にあります。夫と「生家ってどこにあるんだろう?」と以前から言っていて気になっていたのですが調べると分かったので1月8日に行ってきました!国道311号線から山を上った場所に、「(伝)真砂一族住居跡、(伝)清姫生誕屋敷跡」の看板がありました。ここまで来たら看板で分かるけれど、国道からの坂の入口に案内が無いので今まで気づかなかったのね駐車場は無いので集落の会館か、屋敷跡下の道周辺に数台置
天中殺同士の人間関係「申酉天中殺」申酉天中殺は、働き方や社会的な立場において初代的であり、精神界においては「二代目」的な要素が強く、常に先祖や両親の存在を意識して進むのです。そのために両親健在の状態であれば、同居を考えたり常に背負うことを考えるようになります。元来、申酉天中殺の人は、大家族で生活することに苦痛を感じないところがあり、身強、身弱に関係なく、大勢の中で自分の世界を形成することができるのです。両親との間において、性格的な不一致があったとしても、親は親として
音楽好きな方なら「ボブ・マーリー」の名前や歌はご存知かと思いますが、カリブ海の小さな島国のジャマイカでレゲエの神様のボブマーリーがどんな環境で、如何に育ったかはご存知無い方もいるかと思います。なので今回ボブマーリーの生家ツワーとしてシリーズで何度かに分けて詳しく書いています。こちらの建物一帯が全てミュージアムで入り口には大きな門がありツワー客が入ると門番が扉を閉めます。右の建物はお土産やさんで左の白い壁の部屋は現在修復中で工事をしてました。階段
横綱2人を出した福島町千代の富士の生家を尋ねて来ましたもう誰も住んでません玄関には富士山福島町は青函トンネル北海道側の入口吉岡海底トンネルの入口がある町です温泉の建物もトンネルを模しているようです脱衣場地元かぁさんがバッリバッリの方言で話しておりました