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今日も頑張るよ。どんな人に会えるかな。さて、「被災地で宴会してるとは、常識を疑う」とSNS上で発言された方がいました。しかしそのような方は、自分で行動を起こさない人。行動しない人がしている人を避難しています。常識を疑います。最近はセリンクロ飲むの忘れてます。賄いは、たけのこの身欠きニシン煮込みでした。これはうまい。
今朝8時に七尾市を出て、下りのみ復旧したばかりの里山海道を通って穴水へ。穴水で1件訪問。お世話になったご主人は数年前に亡くなっていて、1人で寺を守る奥様が出てきてくれた。家の中はぐちゃぐちゃ。けど、本堂が建ってるだけでありがたいと、息子夫婦の説得にもなかなか応じずに穴水で生活している。足早に珠洲へ向かう途中、崩れた民家の隣お世話になった住職の寺巨大な本堂は何とか建っているが、全壊判定が出ている。手前の鐘楼は全壊。そして、掲示伝道にはこの言葉に勇気をもらった。珠洲に入って鵜飼
その1の記事で、奥能登は人的余裕がなく支援のマッチングすら独自にできず、石川県の統括する支援ボランティアに頼っていると記した。たしかに石川県や全国社会福祉協議会に問い合わせたところ、ボランティアは石川県で1本化していることを確認した。前泊型、現地集合型、ボラバス型だ。ところが石川テレビの報道ではそうでもないらしい。【石川県内ニュース阪神・淡路大震災など経験…能登の被災地へ兵庫からボランティア乗せたバスが出発「4月中旬は数が谷間に」】と題して、特別な支援が行われていた。↑石川テレビ報
2021年7月21日能登半島を一周するドライブのつづきです。窓岩ポケットパーク~曽々木ポケットパーク~真浦ポケットパークへと車を進めた後、道の駅、すず塩田村塩の資料館にやってきました。珠洲(すず)の仁江海岸では、昔ながらの製塩法の「揚げ浜式製塩法」を続けてきました。道の駅にもなっているすず塩田村には、体験型施設「奥能登塩田村」がありました。「揚浜式製塩法」とは、平安時代の終わりから江戸時代にかけて行われた製塩方法です。当時土木技術が未発達だったため、塩田は
サクラですmimiケン地方の桜は散りはじめましたどこにもお花見に行けなかった代わりに、家のお向かいの桜をしっかり堪能この桜は私と同じくらいの歳お互いちょっとオババだけど、毎年冬を乗り越え綺麗に咲く桜に元気をもらってますまた来年楽しみにしてるよ~朝日当たりがいい流し台に座り込むケンちゃんふきんの上はやめて~石油ストーブを片付けたら朝はまだ寒かったかな?温風ヒーターよりストーブのぬくぬくが好きなんだよなぁストーブさんもまた来冬ねアルバム整理で出てきたくだらない写真達焼きた