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夫はきっと元々モラハラ気質だったのだと思う。それが開花してしまったのは私と関わるようになったことも大きいのかもしれない。少し気難しいところがあったり気分屋だったり。扱いにくいなぁと感じる部分は昔からあったそうだ。夫の友人曰く、「何に怒りだすか分からなくて気を遣うこともあった」というような人物なので周りも苦労したはずだ。それでもなんやかんやで上手くいっていた。その証拠に大学を卒業してから今まで友情関係が続いている。非情で冷酷。そういう面ば
昨日は午前中訪問看護ステーションの看護師さんにプライマリーケアを受けましたメンタルクリニックを受診しており自治体に自立支援医療の申請をすれば(地域により保健センターか市役所)メンタルクリニックと投薬が3割負担から1割負担になります収入に応じて負担なしにもなりますのでご確認ください私は、自立支援制度を利用して訪問看護ステーションこちらも自立支援医療適用です(昨日から新しいステーションに変更しました思い立って今月から変えることにしました
大事な主人との出来事を思い出してみました主人と再婚したのは40代になってから(お互い再婚同士)2008年に出会い2009年に結婚しましたTVでよく見かける商店街のある場所に住んでいました(当時、私の次男と三人で)2014年に進行性の難病だとわかり落胆しました本当に辛くて悲しかったです発見が早くても治らない多系統萎縮症という段々動けなくなる病でした平均で9年~10年で亡くなるという病です主人は発病後9年半です
今日は朝から落ち込んでいて早朝からいつもより不安定でした起きた瞬間、主人がいないいつも思うのですが「にこちゃん淋しいよ」って呟いても、余計心がしんどいどうしていいか本当にわからなくてだらだらして心はもやもやしていて淋しいよと言っても吐き気がするだけ私、やっぱり「ごめんなさい🙇にっちゃんにこちゃんごめんなさい」「私を忘れないで救えなかった私でも絶対に忘れないでごめんなさいごめんなさい
主人を2014年から介護しておりましたが2023年11月26日4時40分に亡くしました。まだ主人は60歳でした。1月13日に49日法要をしてきましたがとてもとても悲しくて悲しくて立ち直れそうもなく未亡人生活をどう過ごしたらいいのか?迷走中です。よろしくお願いします。
無理をすることを完全に辞めました。主人の病気がわかった時は2014年再婚したのは2009年でした。街では、2013年に上映されて大ヒット中の「アナと雪の女王」の「レットイットゴ―」がひっきりなしに流れていたのです。今でも聞くと当時を思い出します。病気がわかった時、主人は全然理解しておらず最後まで理解はしませんでした。私が泣いて主人に慰めてもらう状態でした。主人は、インターネットの情報に疎く「難病」という事だけわかって
あっという間に満開になってあっという間に消えちゃった大好きな花、ムスカリ。一つだけ咲いてた寂しいね。みんないなくなっちゃってでも大丈夫あなたのことは私が見てるからね最後まで咲き誇ってね
夫の会社は祝日は出勤日になっている。昨日も仕事に行った。一年前の今頃、夫は仕事と言って土曜日は毎週家にいなかった。日曜日は自分の好きな事がしたいからとほぼ毎週遊びに行っていた。若干怪しいと思いつつも仕事だという夫の言葉を信じていた。どこにも連れてってあげられない小学生の娘が不憫で2人でいろんな所へ遊びに行った。まさか女と会っているとは知らず。家族はどこにも連れて行かず不倫女が行きたい所は連れて行ってた。休日はいつも1人で買い物し
主人が他界してまだ二か月足らずで色々動くなんて無理なんだ皆様のアドバイスをお聞きして思い直しました。だって大好きな大好きな旦那様だもの。私が元気ないのは当たり前。父の他界時は葬儀時当日泣いただけでも母の他界時は3か月くらい放心状態だったチック症にもなりました。けど主人の介護が続いてあったので気が張ってました。今、独りぼっちだもの急ぐことはないとだれも急かしてないじゃん悲しいのは悲しいんだもん。辛いのは本当なんだも
私は今まで、恵まれすぎていました。両親は真面目で働き者。喧嘩もしていたけど、なんだかんだ仲は良くて、何より2人共、子供思い。裕福ではないけど、貧乏でもなく普通に生活ができて、私も姉も大事に育ててもらえたし、姉は大学へ、私は短大へ進学。私は地元の企業に就職して結婚して2人の息子に恵まれました。主人のご両親も、とても良い人達で私を大事にしてくれたし経済的にも沢山援助してもらえました。何一つ不自由なく幸せな環境下にありながら私は常に生きることに『苦』を感じていました。
明けましておめでとうございます新年早々、マイナスなタイトルすいません毎年なのですが、お正月はお互いの両親のところへ里帰りするのですがいつも悲しい気持ちになってしまいます。仕方ないことなのですが…皆の輪に入っていけない、一人で遊んでるアラジンを見る事がとても辛いんですパパは久しぶりに会えた甥っ子や姪っ子達と、お年玉やプレゼントをあげてとても楽しそうにしています。アラジンにもはじめは話しかけてはくれるけど、やり取りが出来ないので長時間になると独りぼっちです。時々、私も相
本日は午後から亡くなった主人の障害者年金の手続きに年金事務所に行きます。今朝、起きたら当たり前に主人がいなくて本当に寂しくて悲しくてもう満面の笑みの遺影しか残っておらず起きるまでが辛かったです。朝が尋常ではない辛さで夜もボーっとしながら寂しさで心が潰れそうになります。何とか予定を作るようにしますが私のメンタルの訪問看護師さんが週3回来てくれるくらいで仕事も少ししかしていないので朝は放心状態です。年金の手続
今日も私は、生きています。息子が迎えに来てくれるまで生き行きます。物理的にも、本当に私の命と引き換え手もいいくらいの君。お母さんの命を差し出しても、君は受け取らないだろうね。ささやかに、主人と年老いていく。「おじいちゃん、おばあちゃん」と言われる事も無い。君の子供が見たかった。今からでも取れる資格があるあら、と学校に通っているけれどただ通っているだけ、独りぼっちの寂しい時間が何かの使命感を与えられて動いているだけ。時間が過ぎるのが早く感じるのが有り難く感じる。
主人病気になったと知った時必死で主人本人の写真は撮りまくったのにツーショット写真全然無くて悲しくなりました。2022年3月くらい?主人が入院中に撮ってもらったもの。その前を遡ったら再婚した当時2009年のしかないもう一枚くらいあったはずなのだけれどそれにしても二人で何で撮影しなかったんだろう悲しい大事な大事な旦那さまなのに…。それでも主人の写真だけでも撮影しておいて良か
子供は風邪のために服を着て、父親に言った:「わかった、お父さん、準備できたよ」彼の父親、牧師は「何のための準備ができている」と言った「お父さん、そろそろ外に出てチラシを配る時間だよ。""父は答えた。「息子よ、外はとても寒くて小雨が降っている。""子供は父親に驚いた顔をして言った、「でもお父さん、人々は雨の日でも神について知る必要がある。""父は答えた、「息子よ、この天気では外出しないよ。""必死に、子供は言った、「パパ、一人で行っていい?お願い!""彼の父親はしばらく
先日フジスピードウエイでモーターファンフェスタがあり・・・当然のごとく前泊!独りぼっちだったんで沼津のお友達AQMの社長をお呼び出し!居酒屋さんで・・・いろいろ教えて頂きましたwで・・・2件目は・・・・・で締めのラーメン!〆のラーメン食べていたらタクシー乗り場は大渋滞になり捕まらない(汗タクシーGOで駅から離れたところでGETして帰りました!
ただこの一言に尽きると思う。夫がいたときはなんの波風も立つことはなかった。うまくやっていると思ってた。だけどそれは夫がいたから。夫が守ってくれてただけ。私という人間は、義実家の方々にはただの赤の他人でしかなかった。次の義実家のネタはアメンバー限定にします。身近な人が私のブログ読んでるとは思わないけど赤裸々な内容になるとどこで何が起こるかわからないのがネットの恐さなので
よければフォローしてください11月某日、40歳を迎えましたーあー、櫻井さんが30代がいいと言っていたのに、、、40代になってしまった。40代になったことは言わないままにして、来月会ってきますいやぁ、それにしても普通の誕生日!仕事してそのまま直帰して、家で一人でご飯食べて寝る!ナント普通な日!職場でも、誕生日であることを言うことできず。いつからか、言えなくなったな40代となった、こんな独りぼっちの女の婚活記録にもお付き合いいただけると嬉しいです
昨日は1週間ぶりの過食嘔吐やめるやめる詐欺じゃないの!突然スイッチ入っちゃうんだよスイッチ入っても止められるようになりたい。YouTube見ながらストレッチしてたのに、いつの間にかやらなくなってた。運動なんて一切しなくなった。仕事でバタバタと忙しくしてるから、と言い訳。なんでもそう。言い訳ばかりしてる誤魔化してる。今日も朝になってしまったけどちゃんと朝を迎えられたどんな1日になるのかな今日は過食嘔吐しない!
こんにちはライトコピーライターでネット起業家の平野好龍(コウリュウ)ですいつも記事を読んでくださりありがとうございます感謝していますいいねやコメントありがとうございます記事にいただいたコメントなどは全てありがたく読ませていただきます返信させていただくこともあります★____________☆私は時折、ご神託と言って神様からメッセージが届きます今回はこのようにきましたのでそのまま伝えます「ずっと信じてた方が手を差
最初に就職した施設は、老人ホームでした。お元気な方が多く、中にはご自分で運転をして外出されたり、シルバー人材センターで働いておられる方もいらっしゃいました。私の仕事は、1人で医務室に常駐し、入居者様の健康相談に乗ったり、嘱託医の往診の対応や健康管理をすることでした。ですが、入居者様は、ほとんど体調を崩されることもなく基本的に私の仕事はありませんでした。暇で暇で、毎日机について1人ボーっと過ごす時間がとても長かったのを覚えています。
今日は、いつも行くコンビニに…1ヶ月以上前からレジ横の箱の中に独りぼっちでいた子😿今日お迎えしたよ✨✨行くたびに、レジで目が合う😳気になる…気にしない事にしてた💦でも…『今度コンビニ行った時にまだ居たらお家に来て貰おう』って勝手に決めてたさすがに売れてるだろうなぁって思いもちょっとだけあったかな。でも…今日行ったら…居た。一度は、知らなかったふりして、お店をでたけど…戻ってしまった💦店員さん笑ってたけど…名前付いてた『mango』だって。う〜たんと茶トラ同じだしお目😳の色も
前日に退院した私です。家は幸せいっぱいです。本当に幸せ。病院は苦しかった。その苦しさが、家に帰ってきて解き放れてきた。だからこそ、体の違和感なども敏感に感じるようになってきた。退院の次の日、トイレに行ったとき、右の足の付け根に違和感を感じた。なんだろうなぁと思い、何気なく触ってみた。えっ!まさか!!!もう一度触ってみる。やっぱりある。
恋愛したいとかパートナーほしいとかほんの少しだけ、そんな感情が心の奥の隅っこの方に残ってるみたい。彼氏だの旦那さんだのそんな話を聞くと羨ましい気持ちがあるから。この先、私にはそんな話を誰かにすることはないから憧れてるのかなけど出会いもないし、あったとしても全く恋愛感情というものがない好きになるってどんな感じなのか忘れてしまってる。カッコいい人だな、優しい人だなそんな風に思うことはあってもその先の好きという気持ちにならない最後に彼氏がいたのは何歳の時なんだろ恋愛から遠ざかりす
定年退職した旦那67歳と私64歳の日常です。私、独りぼっちが好きです。一日中誰とも会話がなくても平気ですが、そうもいきません・・・昨日はお天気が悪かったので今朝6時半に外に洗濯物を干しに行きました。家は塀が低いので周りから丸見え・・・散歩に行く人が家の前を通ります。知らない人なら良いのですが近所の人だと挨拶をしなければなりません。だから外に洗濯物を干しに行くときは、うつむきかげんで近所の人が居ても「気がつきませんでした」って感じで大急ぎで洗濯物