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ご訪問ありがとうございますいろいろありましたが、母は中心静脈栄養の点滴を抜いて退院となりました。病院は、食べられるようになったので普通の退院との位置付けでしたが、特養では一般的な必要摂取カロリーや水分摂取量に程遠いということで、看取り対応となりました。(状況が変われば看取り解除になります)看取り対応のため、コロナ禍で禁止されている面会が防護服着用で許可されることに。1日目、母は差し入れのプリンをほぼ完食することができました。食べられなければ長くて1〜2週間と言われている母の命です。複
ご訪問ありがとうございます病院を退院して、特養で看取り対応で戻った母です。特養のスタッフと私でこれからのケアプランについても話し合いました。続きです。前回の話はこちら⬇️『命の灯を大切に』ご訪問ありがとうございます母は結局、中心静脈栄養の点滴を抜いて退院し、特養にもどりました。病院からは元気な退院ということですが、特養からはその摂取カロリーや水…ameblo.jp看取り対応になったため、家族は1日1回15分、3人まで、防護服を着用しての面会が母の居室で許された。時間帯は、午後3時く
ご訪問ありがとうございます先日は腰痛を訴えるだけのブログしか書けなかったのに、皆さん、"いいね"して下さって、ありがとうございました🙇♀️皆さんの優しいお気持ちだと、嬉しく受け取らせて頂きました🥲おかげさまで、腰の方は、小さなギクッだったこともあり、湿布を貼って昨日は横になってウンウン唸っていましたが、何とか椅子に座ることもできるようになりました。またどうぞこれからもよろしくお願いします🙇♀️さて、介護の話の続きです。母は看取り対応で病院から特養にもどりましたが、スタッフの皆さん
こんにちは。ともこです初めての人は★家族紹介★を読んでね→こちら★はじめに★も読んでね→こちら【家を追い出されたばーちゃん】がウチに来ちゃった!~★介護日記★~☆認知症ばーちゃん&うつ病長女&心身症孫のドタバタ話→こちらから☆姑はなぜ自分の家を追い出されたのか?→こちら(発端)「口からも何も飲めなくなって」の続きです→こちらから番外編ひ孫の動画を楽しむばーちゃん(私の母の話が続いて
ご訪問ありがとうございます母の退院がまた看取り退院となりショックを受ける私でした。そんな私に特養からも今度戻ってから入院になった場合は退所になる旨通知され、トドメを刺された気分になり打ちのめされた私でした。続きです。前回の話はこちら⬇️『トドメ』ご訪問ありがとうございます母の退院が二転三転して、また看取り退院になることで悩む私に、特養の施設長さんからメールがきました。母の退院に向けて、特養でもスタッフ…ameblo.jp打ちのめされた気持ちのまま、次の日の夕方、院長先生のお話を聞くため
昨日の深夜に最終の新幹線で帰って来ました。そして、今日から祝日、全部パート😰日常生活に引き戻された気がして何だか辛い。母に会えたし、母の日のプレゼントもあげたので行って良かった母に少しでも楽しく穏やかに過ごしてほしくて、特養のスタッフの皆様に相談して、お花が大好きな母に、お花の苗(なるべく、蕾の状態でこれから咲くやつ)と、肥料土と、スコップと、植木鉢🪴をプレゼントした。中庭に花を育てるスペースを作ってくれると快諾してくださったスタッフの皆様に感謝です。小さな苗を3つ、植木鉢🪴3つ、肥
2024年4月27日(土)前回の続きです。水曜日の事、母と私とNちゃんとお昼ご飯食べながら3人で話していると…Nちゃんというのは母にとってはお嫁さん、私の弟の奥さんです。話題が父の今後の事になりました。母の念願の話題です。この日はこれこそが母の目的。母曰く父が今の病院を退院するのが5月の初め、その後はリハビリ病院に40日間、そして問題は!その後の事です。リハビリ病院を退院した後、①自宅に戻るか?②施設に入るか?2つの選択肢があるのだけど①の自宅介護は
このブログは義父と義母を介護した過去の経験をもとに書いたものです。思いつくままに書いており時系列順ではありません。あらかじめご了承ください。正月前と同じくゴールデンウイーク前にも「一旦帰宅されますか?」特養でも老健でも訊かれました。そもそも在宅が難しいから施設介護にしたのです。義父は義母による同居拒否。そしてその義母は骨折に伴う車椅子生活。「自宅を車椅子仕様にできないか」親族からはよく訊かれましたがそもそもリハビリ
今日は特養、初めて行く施設です私の他にも2人、別フロアへバイトさんが来てました常にスタッフ不足なんだってだから単発バイトさんが来てくれないと回らん!だそうですスタッフさんの呟き💦私が行ったフロア10人しか入居者いなかった自立や一部介助の人が多くベッドでの排泄交換は2人だけスタッフさんの話だとコロナが4人トントントンと出た時に入居予定の人を他のフロアへ振り分けていったなので、このフロアには入居者が来なかった…だそうだ。私はどちらかと言うと時間いっぱいやる事がある方
母と私の話25私は生まれ持ったテレパシーを封印してきた。2022年テレパシーを解除することを決意。もー恐れない傷つかない絶対大丈夫と2023年1月2日母に会いに特養へ行った面会は入り口のドア越しいつもの優しくてイケメンな職員さんが付き添って母がでてきた面会時間は15分会ってすぐに母は私の脳に直接伝えてきた。『この人にお世話になってるからお礼を言ってちょうだい』私は答えた『分かってる』続けて母は『早く!早く言ってちょうだい』昔のままのそ
脚を骨折した母自立型施設ではこの先もう無理だと判断もしも頑張って自立型施設にいても頻繁に私が呼び出される事が予想されるしで、今日荷物を運び出した退所と申し出ても2週間前にというルールがあるので結局、5月中旬ということで費用も日割りでその日までかかるなので今日は片づけが終わらず火曜日に病院に行くのでその帰りに捨てるものを持ち帰り市役所の持ち込みのゴミに持っていこうと思います2週間あるので私も今日はのんびりと汗をかかない程度で頑張りました
ご訪問ありがとうございます母は結局、中心静脈栄養の点滴を抜いて退院し、特養にもどりました。病院からは元気な退院ということですが、特養からはその摂取カロリーや水分量では生命維持は難しく、看取りでの退院ということになりました。病院の入院期限はまだ少しあったので、もう少し点滴を...という気持ちもありましたが、特養の期限が迫っていて、ちゃんとしてくれるかわからない病院よりも信頼できる特養を選びました。本当は特養で水分だけでも点滴で補えれば全然違うのでしょうが、今の特養ではそれもできません。
キッチンマット敷く派ですが、かなり前から、スポンジっぽいマットにしました。プレイマットみたいな。洗わなくてよくて楽。トイレのマットは無くしてて、今はお風呂のマットだけ。お風呂も珪藻土マットにすればいいけど、私は裸足は足の肉が薄くて珪藻土だと痛く感じるのでモケモケのマットにしてます。(キッチンもトイレもスリッパ履いてる)マットは、普通の洗濯物と分けたくて、バスマットのためだけに洗濯機を回してます。もったいないけどねー笑笑。さて、母ですが、無事新しい施設に引っ越しました。
このブログは義父と義母を介護した過去の経験をもとに書いたものです。思いつくままに書いており時系列順ではありません。あらかじめご了承ください。その昔出張でバンコックを訪れた時駐在員の方がおっしゃいました。「日本のように四季がないのでいつ誰に会ったのか記憶が曖昧になってしまう」たしかに冬に厚着をして訪問したり夏場にネクタイを外して会ったりなんとなく記憶に残るものです。しかし年がら年中同じような服装でいると会った季節が記憶に残らない。「はて何年
うーん。今の職業(介護)に対してのモチベーションが、維持出来なくなってきたというか。老健13年特養1年半だいぶ、辛くなってきた。と、いうのがホンネかな…。歳も年だし。でも今がチャンスかもしれない。2024年問題日本の物流に対して、興味というかやってみたいという気持ちのほうがだんだん、強くなりつつあるキチンといろいろ、情報を得て後悔しないように、進んでいきたい。※正直、悩んではいる状態です
IHは、壊れていて買い替えましたが、あの暑い夏、父母のいえには、クーラーが2台。それも両方とも家を建てた時に買ったもの。1台のほうは、何度も来ていて買わされた業者さんに付け替えてもらったようなのですが。1台は、木枠のクーラー。確か、実家を建てたあとに入れた年代もののクーラー。だから、30年以上は、使っていたのだとおもいます。父に言わせると動くという事は、使える事。冷えているようないないような。それで父が、特養に入ってから、クーラーを取り替えました。これも大変だったんです。なぜか
葬式絡みの話が一度では書き切れないので、2~3話に分けて書いていこうと思います。まずはご住職編今回も、お寺さんは、セレモニーホールの方で、同じ宗派のお坊さんを捜していただくことに。じいちゃんの時のご住職は、とても心ある方で、ワタシ的には大当たり第一希望でしたが都合がつかず。別のお坊さんに来ていただくこととなりました。開式前、お布施を持ち、控え室にご挨拶に。お年は50代後半〜60代前半くらい。とても熱い方だったようで。勿論それは、とても有り難いのですが…。お話
超絶ビックリじいちゃんが特養にはいれることになりましたまだ要介護3なのに?当分無理だろうと思っていましたが思いの外早く順番が来てビックリしました94歳なのでお年で順番来たのかな?近所の特養から病院へ連絡あり施設の人が行って面接したら本人も移っていいと承諾して合格しましたトントン拍子で話が進んでいます入居先は個室だし今は病院でシャワー浴しかできないけれど今度は湯船に浸かれま
夏祭りの1回目の打ち合わせの担当委員を集めての初回会議について関して、一応の資料を配布して確認してもらいつつ、会議当日、早めに集まって中身の確認と会議の手順について打ち合わせをしましょうと連絡したところ。特養の総括から「そんな頻繁に抜けられません」と。いや、だが会議前の打ち合わせと、総括間のすり合わせはしないといかんだろ。他の日にできないだろうから、当日1時間から30分早めにって言ってんのに抜けられないとは?え?誰が司会すんの?内容の説明は誰がすんの?いろいろ話しないといけな
行きたくない気持ちでいっぱいの中なんとか仕事復帰しましたまあ、予定もないから余計にだけどみんなから、どこどこの利用者さんところ行ってこの人どこどこに送って行って等々まあ、動く動くお昼近くになるに連れて動きまくった分もあって気管支狭まってる感覚と咳がここで本当はちょっと休みたいですって言える勇気があればなぁ…屯用の吸入使いに行く勇気があれば…屯用使っても直ぐに楽になる訳じゃないから5分ぐらいは消えたいし…だけど…休んでたし、迷惑かけたし、まだ関係性ないし言われたら動
今日のお昼休み特養にいるパパからLINEがきた本日で結婚30年ですねこれからもよろしくお願いします🥺と‥きもっって思った今まで、こんなこと言われたことなかったよなあったのかな?わかんないけどこれからもって今月、別居になったばかりでしかも倒れてから5年は家庭内別居だった訳だしもう、よくわかんない状態なのにこれからもってそうとう暇なんだなぁ
ご訪問ありがとうございます今年も押し迫ってきましたね。母の食欲ももどり、看取りの話もなくなりホッとした私でした。前回の話はこちら⬇️『特養のみんなの工夫で母の食欲もどる』ご訪問ありがとうございますメリークリスマスお子さんのいるご家庭では昨夜はプレゼント🎁を枕元に置きましたか?お子さんの反応はいかがでしたか?いつもの介護の話の前…ameblo.jp母の特養のガラス越しの面会も再開されて、少し穏やかな時間が過ぎて行った。それでもやはり母の認知症が進んでしまっているなと思うことも増えてきた
ご訪問ありがとうございます回復期病院の院長に呼ばれて話しを聞きましたが、またも母は胃ろうをすすめられ、寝たきりになりそうな感じで、ショックを受けた私でした。とにかく院長の言いっぷりがひどい😭まえの夢と森の中央病院がひどかったのではなく、回復期病院はみんなこんな感じなのか?!と憤りを感じる私でした。続きです。前回の話はこちら⬇️『出た!とんでもない院長!!』ご訪問ありがとうございます回復期病院の看護師さんから、母の嚥下能力がなくなっていて院長から話があると聞いてざわつく私でした。なくな
仕事で滝汗かいても、髪の毛ボザボサになりませんナプラN.ポリッシュオイル150mlスタイリングオイルヘアオイル流さないトリートメントウェットな質感ツヤ感保湿効果1日中キープパサつき【あす楽/送料無料】楽天市場こんにちわ。仕事の話が聞きたいというご意見が多く、ありがたいです。本当にありがとうございますでもあんまり辛辣には書かないので、安心してください。「だったらその仕事辞めたら?」「自分でその仕事選んでるんでしょ」「アナタみたいな人に介護されてかわいそう」
Aはとにかくしつこい。自分の思い通りにするまで絶対に諦めない。こんなこともありました『迷惑なA』新年あけましておめでとうございます⛩あっちゅうまにもう一月半ばやないかーーーー父のことも書きたいのだけど、ちょっと最近あった「はぁ?」な出来事を先に書きます…ameblo.jp父に何度も面会したいと言ってて、仕方なく私が面会の予約をした。3年ぶりの再会…ハイバァはめちゃくちゃ機嫌が悪く、もちろんAのことはわからない。しかしAは諦めないヤツなので、はやく仕事に戻っておいで席は置いてる
不思議な夢を見た自分の余命が明日まで、で、夜寝たら朝には確実に死んでしまうという夢その夢には、亡き夫がいた亡き父も、今は特養にいる母もいた母は、最後の晩餐だと、私の好きな料理を作ってくれている父は、ニコニコしながら私に話しかけてくれている夫は、寂しそうに笑って、私の背中をさすってくれている夢の中で、私は眠ったら死んでしまうから、それが怖くて眠れないあぁ、もう私に命はないんだ…怖い、ここで終わってしまうのか…という焦りと不安とでパニックになっている目が覚めてからも、夢の余韻は続い
8.できすぎたホラー病院突然ですが、私、某有名ホラーアトラクションの映像を作ったことがあるんですが、その撮影って深夜の閉園した遊園地で撮影する…それはそれは恐ろしい撮影現場なんですが、今回、母が搬送された病院って、そういうプロが作った「呪われた病院」よりおどろおどろしい壁半分に変色した血みたいなのがかかっているようだし(目を凝らしてみたんですが、金属の変色とか錆?…にしてもなぜそのまま放置しているのか謎すぎる)医院長がもう黄金期のホラー映画でも見たことの
昨晩、夫に請求書の金額を報告。何の反応もなし。だいたい、義母の年金がいくら支給されているかも、把握してないと思う。全て、嫁任せ。取り敢えず、施設に入所して、慣れる事が最優先だったから、金額は高くても目をつぶったのだ。でも、後10年は。。と思うと、ちょっとマズイな。いや不死身だから、15年かな?少なくとも、100歳手前迄は、大丈夫な気がする。今年の夏、認定調査があるから、要介護3のままなら、特養に申し込みを考えようと思う。今のグループホームは、特養もあるんだけど、グループホーム
週末、2度目の部屋面会に行きました。主治医の所に付き添って下さった職員さんからはという電話をいただいたのですが、その後の報告は特になく。会話の中で、チラリと出た「看取りケアに入った方なので」…というセリフが刺さりチクリ「ここでそれが効いてくるのか…」と密かにダメージを受け、シマッタというような思いになり「あまり積極的な治療はしてもらえないのかな」と、ひとり想像し。翌日からホントは「出ましたか、出ましたか」…と毎日電話したい気持ちだったけど、我慢していたんですよね。こっち
先週1週間、子どもが不調で(コロナは陰性)保育園を休み、私は看病に明け暮れていました。高熱が連日続き、熱せん妄もあったり、救急車に乗ったり、食事も睡眠も乱れに乱れて…せっかくの筋トレ効果↓↓がなくなりました。またお腹ぽっこりで、ちょうど筋トレ前に戻りました。子どもの熱は下がったものの、せん妄がまだ続いているようで、夜も絶叫…3つの病院にかかりましたが、CTもMRIもなく…黒澤うに👶3y🆕+認知症介護(リコード法)@UniKurosawaでも、熱はなくなっても