ブログ記事7,634件
江間小四郎義時祐親、祐清の突然の自死に納得のいかない八重。「本当は何があったのですか?……父は何故、死ななければならなかったのですか?」と問う八重に義時はこれ以上詮索しないようにと言い、鎌倉を離れ江間に移るように勧めます。全成と実衣が結婚することになります。頼朝の弟と、政子の妹が結婚したわけで、これにより北条家と源氏との結びつきはより強まることになります。「次は小四郎の番ね」という政子に言葉を濁す義時。八重を江間に住まわせることになっ
本日も友達からお土産に頂いた交通安全ステッカーをご紹介致します。交通安全ステッカーではなく…強運守護ステッカーですね。熱海市に鎮座する伊豆山神社のものです。伊豆山神社のシンボル「赤白二龍」(せきびゃくにりゅう)があしらわれています。災いや不幸を跳ね返し持ち主を守る何事にも優れて強い力を持った強運の御守りとのことです。心強い!『走湯山縁起』に、「伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。その尾を箱根の芦ノ湖に付け、その頭は伊豆山の地底にあり、温泉の湧く所はこの龍の両眼二耳鼻穴口中なり
エトセトラ・ジャパン様記事引用失礼します。只一言、びっくり、口をあんぐり状態です。ここにもA宮が関わって・・・、軽い神輿は担ぐの楽なんだってね。私達が地域の神社(神社庁に所属している)に初詣に参拝して賽銭を納めるとですね、参拝者数によって「神社本庁」へ分担金を納めていたという。どおりで金が唸っている場所といわれる訳だ。政府と皇室に強い繋がりを持ち、旧統一教会の文字まで出てくる神社庁の記事をじっくりと読んで頂きたい。鶴岡八幡宮も離脱の宗教法人「神社本庁」万世一系
今回は個人的には木曽パートに尽きましたもう語りたいことといえば、木曽殿とその周辺のことだけですあとのことはわりとどうでも良かった……。疫病神がやってきた伊豆に戻るという時政を、子どもたちが総出で止めようとしますが、時政はすべてが嫌になってしまったといい、あくまでも伊豆に帰ると言います。泣きわめいて止めるかと思ったりくさんが、さらりとそれに従い、「しい様。鎌倉殿の前で私を庇って下さり、嬉しゅうございました。凛々しゅうございましたよ」と言ったのが
さて、平泉高館の合戦で藤原泰衡の軍勢に囲まれた義経一行は弁慶の立ち往生のおかげで高館から落ち延びて、ここ津軽の三厩まで落ち延びてまいりました・・・パパン講談ふうにスカートde城平泉の高館|女装子「蘭」のポートレートな旅(ameblo.jp)龍馬山義経寺|東北の観光スポットを探す|旅東北-東北の観光・旅行情報サイト(tohokukanko.jp)HPより・・・源義経は奥州平泉の衣川で自刃したと言われていますが、源頼朝に追われ、厩石まで逃げて荒れ狂う海を前に観世音像
*この「二著物語」シリーズの趣旨については、プロフィールを参照して下さい。前回「二著物語:足利直義(その1)」では、歴史の教科書で長らく源頼朝像として載せられていた神護寺所蔵の肖像画の像主が実は足利直義であったことを論証した黒田日出男『国宝神護寺三像とは何か』、角川選書、2012年の内容を概観し始めた。以下、前回の続きである。*神護寺三像が陽の目を見なくなった経緯このような神護寺三像であったが、暫く表には出ることがなく、寺内に収蔵されることとなった。これには、矢張り政治情勢
第594話こんにちは菊水千鳳ですつい先日、仕事の休憩時間中の出来事でした。ベンチに腰掛け、軽くパン🍞と☕なんかを平らげていました。すると、目の前に鶴岡八幡宮(鎌倉)から源頼朝さんご一行がいらっしゃいました。時々、ふとした時にもこれまで何度か様子を見に来られていましたが、俺の方が慌ただしく忙しかったりで、簡単なご挨拶しかできずに波長を合わせ損ねていました。休憩中だったので、今回はしっかりと波長を合わせることができました。先ずいらっしゃったのは頼朝さんのご家族と、側近の部下
伊豆山神社へ初詣しました。ハートピア熱海から伊豆山神社までは裏道を歩いて7分です。ホテルチェックアウトして荷物をフロントに預けて、次の送迎バス熱海駅行きまでに戻る予定です。元気な方は、荷物を持って伊豆山神社から、その石段を下まで降りて3、40分で熱海駅まで歩くことも可能ですし、熱海サンビーチまで歩くコースもあります。清めの水、手水舎(ちょうずや)で、初めて紅白の龍に出会いました。普段は、金物の龍ですが、今年は辰年(たつどし)で、コロナ明け、厄祓い(やくばらい)して欲しいです。次に神社前
私が好きなサザンオールスターズや桑田佳祐の楽曲の歌詞を題材に、私が「短編小説」を書くという、「サザンの楽曲『勝手に小説化』シリーズ」(原案:桑田佳祐)は、今まで「15作」を書いて来た。そして、先月(2023年8月)に書いた「4本」は、一応、それぞれ独立した「短編小説」ではあるが、全て繋がっている「4部作」として書かせて頂いた。という事で、これまで私が書いて来た「サザンの楽曲『勝手に小説化』シリーズ」は、下記の「15本」である。①『死体置場でロマンスを』(1985)②『メリ
小野氏の中で「武将」として活躍したのが武蔵七党に数えられる「横山党・猪俣党」になりますが、彼らは本姓が小野氏だとしながらも後世の人達からは「嘘じゃないの?」と思われている原因は系図にありました。横山党や猪俣党の系図には明らかに作り込んだ内容を伝えるものが多くあった為、信用出来ないと思われていたからです。この間違った系図が生まれた理由は士官をする時にどの氏族であったかを示す必要があり、恐らくあまりに急速に拡がった為、多くの家で系図を継承できず、必要上やむをえずねつ造したと考えられ
伊豆国一之宮三嶋大社(みしまたいしゃ)2023.10.19(木)静岡県三島市大宮町に鎮座する三嶋大社へ行ってきました延喜式内社の名神大社とされ、伊豆国一之宮であり、総社も兼ねていたとされます⛩️また、源頼朝から、篤く崇敬を受けた神社でもあり、箱根神社、伊豆山神社、そして、三嶋大社への参拝を、源頼朝三社詣と称します箱根神社と伊豆山神社には、ハロちん♪も一緒に行ったことあるけど、三嶋大社は、ペット連れが禁止のため、残念ながら、ワンコの三社詣は叶わないのです
治承・寿永の乱、第61弾ですこれまでの話はこちらから。はじめに治承4年(1180年)8月に伊豆で挙兵し、わずか4ヶ月足らずで南関東を勢力下に置いて北関東をうかがうまでになった頼朝でしたが、果たして彼の勢力がここまで急拡大できたのはなぜでしょうか?この疑問については従来、中央(都)の貴族たちによる支配に坂東の武者たちが反抗し、それら反抗勢力から根強い支持を集めていた河内源氏の御曹司である頼朝のもとに結集して急拡大したという見方などがありましたが、現在ではそのような階級
建久一〇(一一九九)年一月の源頼朝の死の知らせは京都を混迷に陥らせたらしく、特に土御門通親への反発は強かったようで土御門通親は二二日に後鳥羽院のもとに避難せざるを得なくなっている。現在と違ってこの時代の庶民に参政権など存在しないが、だからといって政治に無関心だなどということはない。いつの時代でも人は多かれ少なかれ政治的な意思や意見を持っており、その意思や意見に基づいて行動している。庶民が政治と無縁であると考えているのは民主主義での敗者だけだ。自分の暮らしへの危機感を強めれば強めるほど、政治
火〜日曜日早朝4時20分から放送されている人形劇「平家物語」がとっても面白いので、何か関連動画が無いかとYouTubeで検索したら、何と何と1話から最後回迄全てアップされていた。(画質が悪いけど)延々と見続けて・・最終回(56話)迄見てしまったよ(^_^)壇ノ浦の戦いから平泉で弁慶の立往生迄がめちゃくちゃ展開が早くてちょっと残念(´Д`)=3もう少し詳しくやって欲しかったなぁ~。ても素晴らしい人形劇やった。今はこんなに手の混んだ人形劇は作れ無いだろうなぁ~。こんな時間に放送せず
本日は千葉県鴨川市天津の「天津神明宮」(あまつしんめいぐう)に参りました。境内の中に湧水があります。最寄り駅より徒歩15分位にて大きな鳥居が見えてきます。この神社は、源平合戦時代に以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ・皇太子の命令のこと)を受けた「源頼朝」(みなもとのよりとも1147年-1199年)が平氏に伊豆にて「石橋山の戦い」に敗れたのち、小舟にて房総半島安房国(安房郡鋸南町あわぐんきょなんまち)に上陸、その途上で先勝祈願を行った場所です。...この天津神明宮の地
源頼朝の後継者は源頼家と決まっている。ただし、それは源頼朝が五三歳という若さでこの世から退場することを前提になどしていない。源頼朝亡き後の鎌倉幕府をどのようにすべきかという点で鎌倉は統一見解を得ることができなかった。鎌倉幕府という仕組みそのものが源頼朝のもとに集った御家人達の組織であり、源頼朝の政治家としての能力に寄って立つところがあまりにも大きすぎたのである。また、源頼朝が正二位の位階を持つ上級貴族であるという点も大きかった。源頼朝という卓越した政治家が、朝廷に連なる権威を鎌倉の地で
仮説・源頼朝様には12運の帝旺がなかった可能性がある今年の大河ドラマを見ていましてやっとひとつの可能性にたどり着きました。源頼朝さまよりも前の時代の紫式部さまが主役の大河ドラマには詳しい歴史が残っているのになぜ源頼朝さまの詳しい歴史はあまり世間には出て来ないのか?ずいぶんと前から漠然と考えていたことでした。でも、ひとつ前の記事を書いてからようやくひとつの可能性に気づくことが出来ました。帝旺と言う12運の中でも強い星を頼朝さまは持たずに生まれて来られたのではないかということ
2021年4月3日吉野山の桜の鑑賞をするために、近鉄吉野線に乗車して終着駅の吉野へやってきました。満開で桜日和の土曜日ですが、残念なことに曇り空なんですよね。でも、雨が降らないだけでも有難いです。駅前にあるのは、巨大な吉野山の観光案内図です。巨大看板を持って歩くわけにはいかないので、観光案内所で「吉野山みてあるき」の地図をもらいました。駅前の桜も満開ですね、吉野山の桜が楽しみです。ロープウエイもいいけれど、中千本まではバスで行くのがとて
日本画家の前田青邨(1885〜1977)による「洞窟の頼朝」。後に鎌倉幕府を作った源頼朝の、33歳の姿が描かれている。伊豆山で平家打倒の旗揚げをした頼朝だったが、おりしの豪雨で援軍の到着が間に合わず、石橋山の戦いで平家方に惨敗する。頼朝の手勢は三百騎、対する大庭景親(おおばかげちか)の軍勢は三千余騎だった。追撃の手を緩めない景親に頼朝らは激しく応戦しながら、山中を敗走していく。その際に頼朝一行が洞窟に身を潜めたとされる伝承を、この絵は描いている。「洞窟の頼朝」前田青邨作
5/28更新●13人勢揃い●昨年作ったときには未発表のキャストもいたので(4人)抜けがありました扮装発表から遅れましたが全員集合でございます😆頼家も入りました❗去年のものは(もちろん下の方ですが)消さずにそのままにしておきますねなおこちらの更新はここまでで(長くなってしまったので)この後からはこちらで続いております『相関図ブログPart3*頼朝ブラザーズ・・・・』こちらはそのつど更新のブログとなります本日2つ目の投稿です●6/27頼朝の兄弟ははたして・・・
上総介広常、って呼ばれてるけど、このひとはつまり北条や三浦みたいな名字を名乗ってないんですよ。坂東平氏の祖である平高望が上総介に任官して下って来て以来、この辺りの平氏の棟梁が代々名乗る、名誉ある称号であって。だから、名字なんか名乗る必要はない。源頼朝が源氏の棟梁でスケドノなら、俺様も同格だ、くらいのブライドがあったのは事実です。だからやたらに態度がデカく、他の坂東武者たちの反感を買って、誅殺される羽目になるわけですが。しかし、この上総介てのは、正式な官職として広常が朝廷から受けたものかって
【東京】【牛天神北野神社限定御朱印帳】令和5年限定宮司さま考案の「亀甲紋様」オリジナルデザイン※転売防止のため御朱印帳に名前と電話番号を記入します【牛天神北野神社御朱印】干支記念御朱印境内社【高城神社御朱印】境内社【太田神社御朱印】兼務社【諏訪神社御朱印】【国家安寧記念御朱印】毎週土・日限定授与兼務社【出世稲荷神社御朱印】月替わり・土・日限定など豊富な種類の御朱印がありま
今回は昨日のことをアップします🙇この連休はおとなしくしているつもりでしたが、一昨日のニュースで神護寺の「虫払い」のことをやっていたので急遽見に行くことにしました嫁さんは昼までだけ仕事だったので、今回は1人です神護寺の虫払いもコロナ禍では公開されていなかったようなので、3年ぶり?くらいかもしれません🤔公開期間が5月5日までなんで、とりまこちらをアップします🙇会場は、あの階段上がったとこにある楼門の右手にある書院です神護寺に駐車場は無いので、近くても手前にある駐車場(1000円)から歩い
史記とか三國志とかを題材にしたドラマや漫画を見ると、よーくわかりますが。中国の王朝交代というのは、たいてい、草莽から英雄が出てきて、旧王朝の支配者層を皆殺しにして、新王朝を打ち立てる、みたいな豪快というか乱暴な形になります。つまり、旧来の貴族層みたいなヤツラの力が極めて弱い、独裁的な新皇帝による支配体制が出来上がるわけです。こういう新国家には、新体制を整えるため、皇帝に直属する有能な官僚を大急ぎで育成する必要があるわけで、ならばオープン試験である「科挙」をやろうじゃないか、となります。日
こちらのYoutubeでは、昭和天皇の内親王について説明されています。昭和天皇の娘たちの話はあまり知られていないようですね。こちらの昭和天皇と香淳皇后の第5皇女子(第7子、末子)が貴子内親王であり、称号は清宮(すがのみや)。貴子内親王と島津久永氏との結婚式。TakakoShimazu(島津貴子,ShimazuTakako,born2March1939),bornTakako,PrincessSuga(清宮貴子内親王,Sug
どういうことか?忘れてはならないのは、前年の後鳥羽天皇から土御門天皇への譲位である。土御門天皇は三種の神器が揃わない状態で即位した。ただし、公式見解としては三種の神器が揃っている状態での即位ということになっている。壇ノ浦の戦いで一度は海中に投じられたものの、引き上げることに成功した八咫鏡(やたのかがみ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)はいいが、壇ノ浦の戦いで海中へと失われた天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は皇室に現存しない。ただし、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)の実物は熱田
こんにちは☀️GWも終わりましたね!5月3日(憲法記念日)鎌倉長谷の駅を大仏方面に登る途中にある「鎌倉能舞台」に夫と能を観に行きました。能舞台です。催しがない日は素敵なカフェになるそうです。能面のラテが気になりました☕️この日、午前の部は「明石源氏」午後の部は「玉鬘」でした。どちらも源氏物語から創られた作品です。2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。ヒロインは紫式部(吉高ゆり子さん)です。紫式部と言えば源氏物語。今から1200年程前に書かれた世界最古の物語で全
【静岡】【駒門浅間神社御朱印】【駒門浅間神社御朱印】【駒門浅間神社御朱印】【風穴大権現お祓い札】拝殿に書置きセットがご用意されています富士山がちょっぴり姿を見せてくれました【大鳥居】【手水舎】【拝殿】【御祭神】木之花開耶姫命大山祇命1625年創建1709年再建江戸時代初期富士山すそ野大野原の原野駒門を開墾入植した人々によりお祀りされ
♪あなたと〜越えたい〜とゆうわけで、初の天城越え。この歌詞の題材には諸説あり、最近では大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に絡み、北条政子が父・時政が決めた婚約者との婚儀の最中に出奔し、恋人・源頼朝の元へ駆け落ちしたエピソードがモデルとも言われており、実は今年の大河ドラマゆかりの地だったりする。個人的には、もう一つのモデルとされる満州国皇帝・愛新覚羅溥儀の実弟・溥傑の長女・愛新覚羅慧生が起こした天城山心中の方が、余りに激烈に印象にある。愛新覚羅慧生といえば、言わずと知れた溥傑と嵯峨
開運白猫タロット響木カレンです。相変わらず時差あり過ぎで、もう時系列メチャメチャです。。。仙台での伊泉先生の「生命の木」の講座の後、何度もまさよさんのブログで紹介され、いつか行ってみたいと思っていた、愛子の諏訪神社へ行ってきました夏以降、何やらスピってるパワスポ紀行みたいになってますが。。。元来が、神社仏閣が大好きなので仕方ありませんその日は風もなく、とても穏やかないいお日和だったのですが、なぜか、とても太陽が気