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ひでです。お早うございます。足利館は1月31日に行ったお城です。これでも、100名城なんです。場所:栃木県城主:足利氏石高:別称:鑁阿寺(ばんなじ)来歴:平安時代に活躍した八幡太郎義家から関東の開拓地を相続した四男義国が、その開拓地を守るために租税免除と土地支配権の確保狙って京のお寺に寄進し、自分は荘官として実質的な現地管理者としての地位を得ました。この荘園を足利の荘と言い、義家が管理者として足利の荘に築いた屋敷が足利氏館なんです。その義国の次男の子が鎌倉幕府の設立に尽力し、後年子孫
群馬県高崎市にある高野山真言宗のの八幡山円福寺に参拝する。こちらの寺院の由緒は次の通りです(由緒書きによる)。「圓福寺の沿革当寺のある八幡原は烏川と井野川の合流点東に行ったところの高台にあり、河川が交通や物資の輸送に必要不可欠の時代だった頃は人口も多く、住古は上野の守護が置かれるなどして文化経済の中心地でもあった。今よりもおおよそ400年の昔、八幡原千軒といって一大都市の観もあったが、戦国時代末、神流川の合戦の時には、あたり一面焼け野原となったといわれる。当時、八幡原には九ヶ寺の
神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳とレンジャーチームメンバーですご覧くださりありがとうございますプロフィールはこちらkikusuisenhouさんのプロフィールページkikusuisenhou菊水千鳳と申しますご覧くださってありがとうございます子供の頃、物心ついた頃から不思議な体験をしてきました。ある日(10数年前)を境に、段々と神仏の声が聴こえるように、また視えるようになってきました。神仏との交流も回を重ねる毎に我々人間達へのメッセージとなってきました。神仏のメッ
鎌倉幕府を開いたのは、ご存じ源頼朝です。教科書に載っていた、あの肖像画も有名です。ところが今から25年前、これは別人であるとの説が発表されました。するとこの像は、あっという間に教科書から消え去ってしまったのです。では本当のモデルは誰なのか?室町幕府を開いた足利尊氏の弟である、足利直義だという。幕府の草創に大きな役割を果たしたらしい。しかし一般にはあまり知られていないのでは。メジャーな頼朝のままの方がよかったとさえ思いました。それから四半世紀たった今年、ブログ筆者は図書
第495話こんにちは菊水千鳳です今回は、鶴岡八幡宮の境内の離れにある、源頼朝さんのお墓をお参りしてみました。その前に、鶴岡八幡宮境内の、立ち入ることが禁止されているこの橋の前で、頼朝さんのユーモアなお言葉をご紹介します。源頼朝さん【ここはなひと昔まで誰でも入って良かったのだが…今はもう立ち入ることができんのうじゃがお主(=俺)も滑ってみたらどうだ?大人が滑るのがまた良いんじゃ子供のようにな】俺『確かにまるで滑り台ですねー大人はよしましょう。そもそも立ち入り禁止じゃ
2012年大河ドラマ「平清盛」が今から楽しみだ。主役・清盛を演じるのが、松山ケンイチさん、ってのも大きい。そして更に気になるのが、美形ぞろいと言われる平家一門を、誰が演じるのか?という事。タッキーが主役を演じた「義経」でも平家一門は、滝沢君に負けじ、と美男美女の俳優さんたちがこぞって華を競い合っていた。そんな美貌の公達についての史実を、かなりミーハー的に書いてみよう。資料を読んでいても、まるで少女マンガの如く、煌びやかで優美である。まずは、個人的に大好きな、牡丹の花の武将・平重衡を
みなさん、おはようございます!こんにちは、こんばんは♪今回の投稿も前回に引き続き、栃木県足利市に鎮座する国の史跡「鑁阿寺(ばんなじ)」をみなさんにご紹介したいと思います📓🖋️✳️蛭子(ひるこ)堂✳️(市重要文化財)「時姫堂」とも称します!足利義兼の妻「北条時子(源頼朝の妻北条政子の妹)」を祀り、時子の法名から「智願寺殿」ともいいます。✳️校舎✳️(市重要文化財)「宝庫」・「大黒堂」とも呼ばれます!建築様式は「校倉」で、元来、当山の宝物を収蔵した場所です。✳️分福観音✳️①
大河ドラマ鎌倉殿の13人本編では源頼朝挙兵したとき韮山の山木判官を討ち取ったのは北条時政・宗時・義時でした。実際は、加藤景廉。もしかしたら今後、本編で登場するのかも…*2021.1.31のブログより。修善寺駅で、185系特急踊り子記念入場券を購入した帰りに歴史探訪をしました。前から気になってた場所です。そこは、加藤景廉墓所。法要があると新聞記事に載るので、一度は行こうと思っていました。目の前に伊豆箱根鉄道駿豆線が通っています。寺の跡のようです。加藤景廉平安時代末期から鎌
玉井寺三神神社より17合バイパス方向へ歩きます。住宅街から、少し離れていきます。玉井寺の寺号標石柱山門結構広そうです本堂山号「井殿山」成田助高の四男・助実が玉井に移り住み、玉井四郎と称し、玉井氏の祖となりました鐘楼この玉井寺には玉井四郎の墓があります。玉井氏は、12世紀中盤から12世紀末にかけて活躍したようです。源頼朝の挙兵に馳せ参じて、一の谷の戦いでは平通盛を討ち取ったとされています
4月下旬の鎌倉散歩記事。今年はなかなか鎌倉に行けず、気付けば、初詣もせずに4月になっていました。そんな鎌倉詣。境内と神苑の風景を二部に分けて送ります。◆相模国一の宮鶴岡八幡宮◆(国指定史跡)二の鳥居天気予報に反して青空の鎌倉。段葛(神奈川県指定史跡)桜が終わり、主役は躑躅と新緑。平成の大改修(2014〜2016)で桜と躑躅が植え替えられた段葛ですが、桜が徐々に空を覆うようになってきました。豊島屋の正面に豊島屋が奉納した灯籠。
こんにちは!!今日は少し風が涼しいですが、お日様の下はまだまだ暑いですね!!!こんな日はアイスでも食べたいですよね!!こんなやつ。(もうピノにしか見えない)さ!高千穂の旅レポ行きますよーーーさてさてみなさま。高千穂って行った事ありますか?私も今回初めて行ったんですけどねすんごーーーーーく切り立った谷の底に美しい川が流れる場所でした。美しくそびえる山々と切り立つ渓谷と美しい川。そして、切り立つ渓谷とは
豊川稲荷さま成田山新勝寺などお寺系のお稲荷さまダキニ天さまに読まれるお経稲荷心経奉賛文稲荷心経とは、神仏習合の信仰によって生まれた、稲荷神(ダキニ天・倉稲魂命等々)への礼拝時にささげるお経であるそもそも稲荷心経と申す御経は文字の数わづかに九十四なれど諸経(しょきょう)の華を選(えら)み出されたるお経にしてその昔源頼朝日夜これを持誦(じじゅ)したる功徳により程なく世を取りたまへりかくも霊験ある御経な
つい先ほど気づいたアプリからの「重要なお知らせ」によると5周年となる今年の8月で新規イベ・キャンペーン・本編更新休止!まさかの…想像もしていなかったニュース…常々記事で書いてきたようにマダムにとっての源氏伝は他アプリと比べると熱量は低めです。ですが。他と一線を画す独特の空気感も…美麗なイラストも…地に足をつけて生きる薬師の主人公のことも…好ましく思っており欠かさずログインしていました。そして最近このblogで取り上げなければ!と考えていたのが第二部の素晴らしさ♡で
画像多めでございます。一昨年のNHK大河【鎌倉殿の13人】を皆様ご覧になっていらっしゃったでしょうか。鎌倉殿の13人-Wikipediaja.wikipedia.org私は決して歴女ではないんですが歴史小説や時代劇が大好きでしてその上、小栗も好きでしてwいつかは鎌倉に行ってみたいと思っていたんです。で、行ってきました鎌倉。うちのアレクサに「アレクサ、3/4の鎌倉の天気は?」と聞きましたらね『雲の多い一日でウンタラカンタラ…』と言ったんです
映画『①女王蜂』■トラウマって程ではありませんが、幼少期に観て怖かったり印象的なシーンがたくさんありました。豪華キャストに、市川崑監督の映像美が光る作品です。🔻昭和七年の天城。学生服の二人が歌いながら、着物の女性と三人で山道を歩いています。景色はうっすら紅葉しているので初秋でしょうかね。素晴らしい自然ですね、現在この場所はどうなっているのか気になります。🔻日下部仁志役の佐々木勝彦さん。学ラン姿に若干無理があります💧。🔻ぬおっ❗️❓速水銀造役の仲代達矢さん。オッサンが学ラン着ているようにし
金沢八景~文庫を歩く散歩の史跡紹介、第3弾は。琵琶島弁財天です。平潟湾に突き出した場所に鎮座しています。シーサイドラインの金沢八景駅からすぐのところにあります。北条政子が勧請した琵琶島弁財天国道16号線を挟んだ対面に、夫である源頼朝が瀬戸神社を創建しましたが。妻の政子もこの地に、近江の竹生島弁才天を勧請し、ここに琵琶島弁財天を建てます。祭神はイチキシマヒメ。立ち姿なので「立身弁財天」などとも呼ばれており、昔から立身出世の弁天様として信仰を集めています。弁才天はもともと水
鶴岡八幡宮は、治承四(1180)年に源頼朝によって現在の地である小林郷に遷されて以来、武士の心の拠所・文化の中心として存在し続けてきました。上宮にご神体を改めて遷した建久2(1191)年の頃から、鶴岡二十五坊制をはじめとする諸制度が整えられ、明治初(1868)年の神仏分離に至るまで、神仏混淆の「鶴岡八幡宮寺」として鎌倉幕府の中心的役割を担っていました。楼門中央に掲げられた八幡宮扁額の「八」の文字は八幡大神の神使とされる鳩を象っていて、寛永六(1629)年曼殊院門跡良恕の揮毫によるものです。
平安時代の貴族や皇族の流罪というのは、実質バカンスに近い地方異動から、実質死罪に近いものまで、ケースごとに全く実質が違うんです。たとえば菅原道真は「太宰府の副長官に左遷」というのが表向きですが、これは実質的には流罪であることは皆さん御承知と思いますが。道真公は、左遷されて書類にハンコ押すだけの窓際族になったのなか、みたいに思ったら、それは全く違います。貴族の流罪というのも様々ですが、多くのケースでは、配流先の一室に軟禁(または監禁)されて、粗末な食事しか与えられずに(または全く与えられず)衰
今治の桜井にある公民館その名も孫兵衛作昔、孫兵衛さんが開拓した地域だから着いたそうだ○○新田とかで名が残るのを見たことあるが公民館名になる程とは長野孫兵衛通永みちながさんが開墾し灌漑整備を行ったらしい村人がその功績を称え名を残し近くの細埜神社に祭っているとか「通」の字は河野家によく使われている地名には多くの情報が詰まっているその謂れを知りたくなる姓名にも地名が多く使われている源頼朝も将軍になってなければ伊豆頼朝と呼ばれていたかも知れないと、云われた時にはそう
鎌倉殿の13人源頼朝は何と契約していたのか?鎌倉殿と呪術このブログは、以下の続きです。https://ameblo.jp/heavenly-crystal/entry-12784183643.html『「戦国大名と呪術」信長は黒魔術を使ったのか?』戦国大名と呪術信長は黒魔術を使ったのか?こんにちは、マユリです。このあいだ岐阜の信長祭りのあと、カラスが大量発生して地元の方が困っているとうお話を…ameblo.jpでは、頼朝は何と契約してたんでしょうか?
源頼朝は、徳川のように御三家みたいな制度を作って、源氏政権の安定を図れば良かったのに、なんでやらなかったの?鎌倉幕府のオーナーではなく、雇われ社長だったからです。鎌倉政権の実質は関東武士たちの協同組合であり、トップに源氏将軍がお飾り、お神輿として乗っかっていた、だけです。いわば株主である御家人たちこそ、鎌倉政権の真のオーナーなんです。それでも、頼朝は有能な御神輿でした。関東武士たちの利益になる政治をやったので、御家人たちは従ったんです。頼朝が、御家人たちの利益より、自分の栄達を優先するよ
第492話こんにちは菊水千鳳です🕊お待たせしました。いよいよ《平家池》での体験を書いていきます。第489話の続きとなります。~これまでの大まかなあらすじ~去年4月、初めて《平家池》を訪れました。そこで視たものは、沢山の平家の魂が、この池から出られずに、池の、この場所に縛られた状態にありました。これには本当に驚きました。このあと、《平家池》にいた平氏のうちの1人がC君に憑依し、境遇を訴えてきたのでした。帰りの車中で平氏の訴えを聞くことにしました。要約すると、【ワシら
東京十社めぐり品川神社先日、所用があり、品川方面へ。早めに家を出て、午前中、品川神社さんへ伺いました。源頼朝公、徳川家康公ゆかりの神社さん。京浜急行、新馬場駅からすぐ。時間がある時は、品川駅からも歩けそう。鳥居前でご挨拶をして、階段をのぼります。車道も、右側にあります。東京十社のひとつ品川神社さま天比理乃咩命さま(あめのひりのめのみこと)宇賀之売命さま(うがのめのみこと)素戔嗚尊さま
5/28更新●13人勢揃い●昨年作ったときには未発表のキャストもいたので(4人)抜けがありました扮装発表から遅れましたが全員集合でございます😆頼家も入りました❗去年のものは(もちろん下の方ですが)消さずにそのままにしておきますねなおこちらの更新はここまでで(長くなってしまったので)この後からはこちらで続いております『相関図ブログPart3*頼朝ブラザーズ・・・・』こちらはそのつど更新のブログとなります本日2つ目の投稿です●6/27頼朝の兄弟ははたして・・・
このブログでは、静岡県浜松市天竜区熊石打という集落の場所に、木曽義仲(源頼朝の従兄弟)の子孫が移り住んだ話を紹介する。木曾義仲(Wikipediaから引用)とは、、、。今回見ていただきたい資料は、これ。(静岡県伝説集前編から引用)今回紹介したい記事は、国立国会図書館から探し出しました。昭和2年に発行された様です。拡大すると、、ーーーーーーーーーーーー解説1:「木曾義仲の子孫」について。その名前は「義度」。磐田郡熊村石打(現・浜松市天竜区熊の石打)に住む様になった。
第485話こんばんは菊水千鳳ですご無沙汰していました。鶴岡八幡宮の《平家池日記》の続編です。800年以上もの間、《平家池》から出られずにいた、無数の平家の落武者達の魂の解放に向けての新たな動きがありましたので、ご紹介します。《平家池》関連の過去日記第326話第330話第333話第341話第392話第393話第394話第399話第400話第401話の続きとなります。2018年11月1日のこと。夜勤をしていたら、急に鶴岡八幡宮の《平家池》の遠隔ビジョンが目の前に
このブログではイケメン戦国・王子・ヴァンパイア…とイケシリの3つの乙ゲーについて書いてきましたが。実は。イケシリ別アプリ「イケメン源氏伝」もプレイしているマダム。その源氏伝が、本日2周年を迎え総選挙がスタートいたしました。おめでとうございます!洋装での公式MVがすごく素敵だったので↓初めて記事にしてみました。https://t.co/CNARvaconL?amp=1【公式MV】KEYTALK『FACTION』イケメン源氏伝あやかし恋えにし弐周年記念タイアップソング『イケ
第330話おはようございます菊水千鳳ですㅤ現在、京都大阪の神社仏閣巡りの日記を連載中なのですが、ちょっと一息入れまして、先月に行った鎌倉参拝の模様を何話か投稿いたします。《鎌倉参拝日記1》は、不思議体験日記(第326話)で先にご紹介させていただきました。今回はその続きとなります。この日の朝、出発の準備をしていたら、源頼朝さんが一瞬、部屋の中を横切りました。とは言うものの、風のように直ぐに去っていかれました。とそこへ、北条政子さんがいらっしゃいました。政子さんは何や
第341話こんにちは菊水千鳳です鶴岡八幡宮の《源平池》での出来事は、不思議体験日記第326話に書きましたが、今回はもう少し詳しく書いていきます。鎌倉へと向かう日の早朝のことでした。待ち合わせ時間に間に合うように、少々慌ただしく部屋で支度をしていたら、《源頼朝》さんがスーッと部屋の中を通り過ぎていきました。俺『あ、通り過ぎて行っちゃった……俺が忙しくしているのを見て遠慮されたかな?』と思いながらも、出発の準備をしていたら今度は《北条政子》さんがお見えになりましたが、俺はそ
第1378話神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳とレンジャーチームメンバーですプロフィールはこちらkikusuisenhouさんのプロフィールページkikusuisenhou菊水千鳳と申しますご覧くださってありがとうございます子供の頃、物心ついた頃から不思議な体験をしてきました。ある日(10数年前)を境に、段々と神仏の声が聴こえるように、また視えるようになってきました。神仏との交流も回を重ねる毎に我々人間達へのメッセージとなってきました。神仏のメッセージを広めなければと