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日曜日の夜9時50分。一週間の営業が終わってレジも閉めた。今週も終わった。忙しい日も暇な日もあったけどとにかく一週間が無事に無事故で終わった。私は店に鍵をかけるとバイクで夜の海岸通りへ出かける。いつも静かな町だけど日曜日の夜はなおさら静かな海岸通り。打ち寄せては返す波の音と遠くのビアバーの音楽が海風に乗ってかすかに聞こえてくるだけ。海の上ではオレンジの桟橋の灯
昨日は、夫さんが最後の夏期休暇とれたので日間賀島に行ってきましたなごちゃんのおとーさんて…休んでばかりで大丈夫??と思われるかもしれませんが、ちゃんと働いてますよ?笑知多半島の師崎漁港からフェリーに乗りますペットはキャリーやクレートにいれないといけません出発~着きました日間賀島はタコが有名らしく、タコがいたるとこにいますまずは、ランチから♪テラスで犬OKのkitchenmachaさんにしました私はお刺身定食、夫さんは海老とタコのクリームパスタお刺身定食は、撮るの忘れてました
デビュー曲、「22歳の別れ」で、風は、一気に人気グループになりました。風2rdシングル「あの唄はもう歌わないのですか」1975年12月リリース風は、第二弾シングル、「22歳の別れ」に続く名曲、「あの唄はもう歌わないのですか」をリリース。Youtube映像(1分15秒後に歌がはじまります)この歌を聴く度に、当時、16歳の私は、人生を精一杯生きて行こうと思ったものでした。今でも心に残る
明治30年代、海岸通りのひとつ裏通り、外国人が水町通り(ウオーターストリート)呼ぶ通りの37番に、日本の美術品を扱うクーン・アンド・コモル商会という店があった。店主はS・コモルというハンガリー人で、英語の達者な番頭長谷川幸次郎が番頭をしていた。コモル商会には8歳になる男の子ジョージ(GeorgeKomor1888-1976)がいた。彼は1888年ブダペストで生まれ、ちょうど1年前、父母と共に横浜にやって来た。ジョージは日本語をいち早く覚え、日本の習慣も知り、日本の友達も増えた。成人して父の
香川と言えば、うどんまた日本一小さな県で、ため池の多い県ですが!その香川で映画ロケ地にも成り少し有名なのが高松市の庵治半島ですが、県境三豊市に荘内半島が有ります…。私にとって荘内半島と言えば、仁尾(にお)・詫間(たくま)と言う土地名が頭に過ぎり春先から秋の行楽ドライブまた、釣行…と言うイメージが浮かびます…季節釣行の案内人釣り旅人です。今回私は、地元住民で無いのであまり詳しい知識は、有りませんがあえて香川こ素晴らしい三豊市の荘内半島の行楽・釣行・憩いのひとときを、お届け出来ればと思う次
鮫洲運転免許試験場のオートバイ駐車場の入り方をご案内いたします。まず、駐車場入り口前には中央分離帯があり横断侵入(右折侵入)は出来ません。必ず天王洲側から海岸通りで勝島を目指して進んでください。運転免許試験場に着いたら正面入り口(人が入る所)の先が四輪用の駐車場入り口です。(自転車の駐輪場はその手前側に有ります)オートバイでお越しの方は、まるで四輪の様に入ろうとして下さい。するとそこの柱に、オートバイ駐車場の案内看板が有ります。道路からは事前に見えませんのでご注意ください
今回は「尾道の花々(846)」ですツツジ椿ベニバナトキワマンサク信行寺の桜駅前海岸通りの桜今回は以上です