ブログ記事503件
埼玉県│冠岩集落滅びの美学[廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道]探索-冠岩集落虫の居所をどうにか掴みたい、そんな愉快な仲間が集まる残虐ファイター集団「行ってみた」が今回お邪魔するのは数ある伝説を擁する「冠岩集落」さんです。今更ながらの秩父廃村群、前回は有名物件の白岩集落についてレポートしましたが今回は双子集落としてしられるこの「冠岩集落」を皆さんにご紹介しようと思います。冠岩集落、白岩集落とは鳥首峠を挟んで西東の関係にありまして。立地や隣接集落としてもその関
埼玉県│栗山集落滅びの美学[廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道]探索-栗山集落古賀竜一郎博士によって組織された我々「行ってみた」一同、怒りと感情が最高潮に達する素晴らしき廃村を求めて遠路遥々「栗山集落」へやって来たぞ。雄闘バーロック(※1)が幼少期を過ごしたと噂されるこの集落は一体どんな闇を抱えていたのだろうか、期待と不安を胸に秘めいざ推し参る。※1:第8話にして傑作回、主人公クラスです。さて、秩父廃村群三回目のエントリーは「栗山集落」です。前回の「
岳集落に着いたところからなにやら見えてきたぞあなたが思うよりペシャンコです入り口近くにある屋敷は崩落がひどく、とても入れる余地がなかった。頭を下げているかのようにぺしゃんこにつぶれちゃってますw生活感が一部残っているやばそうなので周りから探索すると、空き地の道側に小屋を発見。風呂とトイレも残っていた。壁が短すぎる男性用トイレもあった。現代でも山とかキャンプ場にある簡単に見えてしまうタイプで、私はあっても(大概周りに人はいないが)くっさーい個室に入るようにしている。共用にして
引き続き岳集落を見ていく比較的保存状態の良い廃墟が1軒。ここに限らず多くの建物は天井が高めの2階建てで大きかった。これは岳が開けた平地を持つことに由来する気がするだろう。この後訪問した山掴、栗山集落は平地が限られているので小さな、天井の低い家が多かった。その点岳は家づくりに恵まれていたといえるだろう。あとは現代の基準から考えても豪邸一歩手間くらい大きいので、他と比べて財力があったのかもしれない。襖が立ってる?手前にあるのは古い電子ジャーである。中には炊飯器や木の風呂釜があった。
こんにちは山梨県南アルプス市の姉夫婦の家で母親を一〜二週間程度滞在させてもらい夏休みのひ孫たちと遊ぶということで、母親を姉宅に送った帰りにいつもは中央高速→圏央道→関越道の味気無い運転なのですが、私一人なので、一般道で観光しながらドライブして帰ってきました。あっ、昨日帰ってきました。国道140号を使って秩父を目指し秩父からは国道299号で川越方面へ向かいました。まずは雁坂トンネル。一般道のトンネルとしては東京湾アクアトンネルに次ぐ長さで約6.6kmの長さだそうです。雁坂
埼玉県│茶平集落滅びの美学[廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道]探索-茶平集落「熱い心を強い意志で包んだ人間たち(※1)」でお馴染みの我々「行ってみた」メンバー、菊池俊輔作曲のテーマ曲をパワープレイで気分は既に最高潮。※1:原田大二郎を降板させた事は絶対に許さないぞ今回の廃村群来訪ではその荒ぶる調査意欲を惜しみなく注いで来たわけですが一先ずこのレポートで最終回、まずは前回までのを是非読んで頂きたい。そして最後の秩父廃村群は「茶平集落」と成ります
こんにちは宮代町CHICOピアノ教室のたかはらです。GWも後半となりました昨日はこどものリクエストで秩父のようばけと浦山ダムへ河原で化石発掘🔨お目当ての石を見つけられてとても喜んでいましたにしても行き帰りの首都高運転は怖すぎた道を知らないとすぐに車線変更できないので手に汗握る運転💦ハラハラでしたレッスンのお申込み・お問い合わせはお友だち追加の後、LINEでも受け付けております。1対1トークですので、安心です。HPからもお問い合わせできます。宮代町「CH
2022年4月10日2人組で、浦山ダムを訪れました。秩父いってんべぇウォーキング、2日めのコースです。コースの全貌はこちら↓『第18回秩父いってんべぇウォーキング2日め』2022年4月10日第18回秩父いってんべぇウォーキング2日めに2人組で参加しました。スタートは秩父鉄道の終点、三峰口駅。御花畑駅8時28分の電車に乗り…ameblo.jpここでは浦山ダムをメインに記します。ダム下流から向かいます。ダム上部にも駐車スペースがあります。ダムが壁のようにそびえ立ってます
初めまして、タソガレの田中と申します。名前は廃墟っぽい名前が思いつかなかったので、ただ響きのいい名前を付けました。意味は特にないですw。廃墟に行った感想を共有したり、言ったことのない方に参考にしてもらえると幸いです。(基本は「だ・である調」で書きます)訪問2023年1月さて岳(たけ)集落は珍しい廃村なので去年の4月から行きたかった物件だ。しかし私が山ということから熊を過度に恐れていたので、待ち焦がれながら冬まで行けなかった。(9月にも私が通ったトンネル付近で目撃情報があったゾ)