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東京の病院から県外の自宅まで夫をどうやって連れて帰るか…悲しみも癒えぬまま、また違う現実と向き合わなければいけません東京の病院から自宅までは直線距離でも50キロ以上高速を使うと80キロ以上走る事になります自宅までの距離が遠い事も心配でしたが、私が心配したのは夫が若干規格外なサイズだという事183センチの体重110キロ…ラグビー選手ばりのガッチリ体型病院のご飯がまずいまずいと言っていたのでICUで再開する時痩せ細っていたら…と心配していましたが、全く痩せてなかった夫とりあえず姉と手
昨日は午前中訪問看護ステーションの看護師さんにプライマリーケアを受けましたメンタルクリニックを受診しており自治体に自立支援医療の申請をすれば(地域により保健センターか市役所)メンタルクリニックと投薬が3割負担から1割負担になります収入に応じて負担なしにもなりますのでご確認ください私は、自立支援制度を利用して訪問看護ステーションこちらも自立支援医療適用です(昨日から新しいステーションに変更しました思い立って今月から変えることにしました
私が…まさかの先天性難病と判明して…。私が産まれてからず~と……・皮膚科・内科・歯科・産婦人科・婦人科・整形外科・血液内科・血管外科数えたら切りがない。病名を書き出したら切りがない。私が産まれてからは「皮膚科」通いばかりだったと、母は「本当に面倒な子だった」と嫌みばかりを言っていた。私の症状を心配する言葉ではなくて「面倒な子」。母の実家の祖母から聞いた話だと、幼児・小学生~高校生と、私の足は包帯だらけ
今回は、2泊3日長崎→博多出張いつも、弾丸出張で、日帰りや1泊😂観光する暇もなく帰還していた場所でした😃長崎から、佐世保駅まで、最西端到達証明書をもらう為だけに移動😁社員二人にドン引きされる(笑)→「ホントにこれだけの為ですか⁉️」マジの仕事の為に、佐世保バーガーも食べられず、直ぐ長崎行きバス(電車運休😱)長崎から福岡行きハウステンボス号⁉️結局佐世保から博多駅まで3時間弱かかるのね😅長崎、博多でガッツリお仕事😂遅い昼食(3:00過ぎ)一蘭ラーメンさらっと美味しかったその後、大宰府
買い物帰りにお店を出ようと思ったらすれ違いに老夫婦が入って来た。おばあちゃんの方が足元がおぼつかないせいか、おじいちゃんが寄り添うように手も繋いでいた。もうこんなこと、こんなよその「ご夫婦」を見ても泣くわけじゃないし、そこに強く、長く気持ちを留める私でもない。だけど今、少し弱っているせいかやっぱり思ったよ主人が普通に居てくれさえしたら、私の今、私の未来はどうだったのかなって。主人が居てもそりゃあいろいろあっただろうと思う。良いことばかりじゃ絶対に無いし、何よりそんな仲良し夫婦でいつも
闘病なのか死別なのか?どっちつかずの拙いブログに今回も訪ねていただきありがとうございます。お空に⤴⤴いる妻にちょっとだけアピールしてみました。。🌷妻のチューリップです。(🌷強風から避難させ)部屋でチューリップを見ながら妻と乾杯🍻です。翌日、チューリップがぐったりとなって、、どうも部屋の電球の光が悪かったみたいです。外で様子を見ることに2日目に、なんとか花びらが開いてくれて一安心です。。(私が悪いんやけど)私は癌告知までは、、夫婦共に爺さん、婆さんになるまで生きれる、いや、普通
「今田真祐美」に改名しました連休の初日、ずっとメルマガを購読していた九星気学の先生の鑑定を受けました。限定5名の特別企画。最後の1名に私は滑り込むことができました。今年に入って私は運気が爆上がりしていると感じています。こんなに明確に感じる事は死別後初めてで、運気が良すぎて鑑定を申し込んだというわけです。有難いことですね。限られた日程の中でも私のスケジュールとぴったりとハマり、タイミングとご縁を感じました。2時間越えの満足のいくセッションの中で、どんどん掘り下
家に帰って来た夫のお腹の上には沢山のドライアイスが載せられていましたそれを葬儀屋のおじちゃんが新しい物に交換してくれ「お顔を見てあげて下さい」そう言って夫の顔に掛けられていた布を取ってくれましたすると本当にびっくりしたのですが病院で最後に見た夫は少し苦しそうな顔だったのに、家に帰って来た夫は少し微笑んでいる様な、お釈迦様の様な…本当に安らかな顔をしていました(友人達はせんとくんと言ってました)家に帰ってこられてホッとしてるのね…こんなに焦って帰って来なくても良かったのに…でもお
仕事はカレンダー通り休みがあっても予定があるわけではなくボーっとしてるわんことお散歩するくらい夫が生きてた頃は仕事も忙しくて休みもまとまってとれなくてずらして旅行に行ってたわんこと行ける温泉旅館を探してるけど気分がのらないこのまま何にもしないで連休が終わりそうせっかくの休み何かしようか夫の好きだったものを食べるとか夫が行きたがった場所にいくかGWはどこに出かけても家族連れとかいてお一人様には辛いことしかないよね世間ではゴールデンかもしれないけど私にとって
寂しさもレベルがある夫と死別した直後の「寂しい」感覚を思い出すと、本当に心が疼くような感覚が蘇ります。あの時の「寂しい」は、格段にレベルが違います。極度の「寂しい」という感覚。心臓が高鳴ったり、締めつけられるような感覚になったり、息が上がったり…私の場合はそんな感じで、マックスの寂しいとは、かなり激しい感覚です。それが時を経てくると、黙っていても涙が頬を伝うとか、やる気が出ないとか、寂しさからちょっと鬱っぽいような感じで、消極的な感覚。それを繰り返しながら、
年齢を重ねて色んな経験をしてきたからでしょうか最近顔を見ただけでなんとなくその人となりが分かる様になってきましたそんな特技はなかったはずなので少し自分が怖いです(もちろんまだ確信なんてありません)最近知り合ったと言う我が子の友人に初めて会った時何か違和感を覚えました気が強そうというか一癖二癖ありそうといううかなんとなく何かを感じたので他の友人の様に積極的には話しかけず帰宅してからもあまりその子の話題には触れませんでした予感的中!後日その子と一悶着あったとかで
今日は朝から落ち込んでいて早朝からいつもより不安定でした起きた瞬間、主人がいないいつも思うのですが「にこちゃん淋しいよ」って呟いても、余計心がしんどいどうしていいか本当にわからなくてだらだらして心はもやもやしていて淋しいよと言っても吐き気がするだけ私、やっぱり「ごめんなさい🙇にっちゃんにこちゃんごめんなさい」「私を忘れないで救えなかった私でも絶対に忘れないでごめんなさいごめんなさい
2024年3月22日の午後、1週間入院して旦那は息を引き取った。毎日旦那のことを思って泣きながらも手続きや香典返しの手配などできることは進めている。ふと、もし1週間の入院後よくなって退院してたらと思って架空の旦那に向かって話しかけてみた。急に暑くなったよ入院してた時はまだ寒かったよねー無事退院できてよかったよゴールデンウィークの帰省まで何とか体調持ちそう?むなしいと思えばむなしいけど子供もなく1人の私には会話があるのはよいと思った。時々やってみよう。
夫の納棺は葬儀の前日に行う事になりました立ち会いは私と義母の2人です納棺師さんに言われて夫に用意した服は、私の母が昔夫の体型に合わせて作ってくれた作務衣作務衣が欲しいけど身体が大きすぎて着られる物がない夫の為に母が採寸して作ってくれました飲み会などにも作務衣を着ていく程夫も気に入っており、普段着ているTシャツやスエットよりも夫らしいな…と思って決めました納棺師さんからずっと組んでいた手をほぐすように言われたので、義母と私で片手ずつマッサージをして硬直を解いていきました付き合って初めて
こんにちは。姉カウンセラーの白石みどりです。昨日は、ほぼ一日、お電話カウンセリングでしたが、あるクライアント様が、カウンセリングの途中で、急に激しく泣き出してしまいました。一体どうなさったのか、わけを聞いてみると、彼女のお友達も、不倫恋愛中。羨ましいほど仲の良かったお友達カップルの、彼の方が亡くなったのだそうです。健康診断でガンが発見された時には、すでに手遅れだったそうです。「私の彼も、いつ倒れてもおかしくない年齢です。もしこの関係のまま、彼とお別れする日が来たら・・・」
高校三年生の長男と二人で車に乗っている時つい愚痴をこぼしてしまった。あなた達が就職して出て行ったらお母さんは一人ぼっちになってしまうと。すると長男は「ボクは結婚してもお母さんと暮らすつもりでいるよ。でも結婚する人と相談しないといけないし…とりあえず結婚してからしばらくは二人でアパートで暮らしたいんだけど。」と。思いがけない言葉に「優しい子に育ってくれたね」と運転中なのに声を上げて泣いてしまった。そして、「◯◯(弟)には、自由にして欲しいと思ってる」と。夫は生前、長男には「
私の周りに優しい人がたくさんいます。今までもいつもたくさんの人から優しくしてもらって私はここまでやって来ました。だからこれからは優しくしてもらうばかりじゃなくて私もたくさんの人に優しい気持ちを届けて行きたいそう思って居場所カフェや赤ちゃん訪問読み聞かせたくさんのボランティアをやりました。でも優しさをお届けするどころかやっぱりそれ以上の優しさをもらっていました。茶道や英語やゴルフも自分の好きに取り組んでいるだけですがそれに寄り添ってくれる先生方から
腎・アイバンク協会の総会に招待されて行ってきました。ひとつずつ。気持ちの整理が出来たらと。私の住んでいる県。関東で結構人口もいます。夫が亡くなった昨年度、献眼した人9名。献腎した人3名。会長さんから、直接感謝を述べられたり、アイバンクの冊子見たりでなんだか今日はうるうるしがち。アイバンクに登録した人の中で、献眼する人は50人に1人位だそうです。私は子どもたちに、「私が亡くなったら、お願いね」そう伝えてあります。保険証の裏にもサインした。席に案内されて。。一番
私の母は2018年の6月に小細胞肺がんが見つかりました。すでに播種状で脳転移、腰骨にも転移をしていて、ステージ4でした。今思えば、1年前に症状は出ていたのです。2017年の夏、真夏の8月に胸が痛いと言ってカイロを当てていたことがあったのです。風邪のような症状も出ていたので、かかりつけの地元の総合病院に行きましたが、普通の診察で終わりました。ですから、母も私も疲労からきているものと思っていました。3年くらい前からでしょうか。母は祖母の介護で、長い時は月の半分、短くても1週間ほ
主人が突然亡くなった時、当時は本当に苦しくて、あの頃は日常の色を失ったどころか、「息をしている自分」さえも感じられず何とかその日その日を越えていた…そんな感じでした。でもだんだん自分の中で思えて来たことは、すごく苦しいのに、とてもとても辛いのにそこを感じなくなる自分も嫌なだなと思うようなことでした。たぶん、その苦しみこそ主人への想いだと、そんなふうに考えていたからと思います。主人を失ったのにサクサク生きれちゃう自分なんて…そんなの、まるで主人のことを想ってないみたいで?例えそれが楽
猫のチョコちゃんと一緒に暮らしています。主人亡き後、6年後に先代の猫が虹の橋を渡りました。21才でした。もう……悲しくて・悲しくて・泣きはらう日々でした。その虹の橋を渡った猫は、私にとっては3番目の子供のようでした。21才でしたから当然のごとく我が家の子供の一人みたいな感じでした。主人を亡くして、そして……6年後に我が子であった猫を亡くして…再び私の心が閉じてしまう日々が続いてしまいました。そんな中で…虹の橋を渡った猫を…主人が眠る
最近胃腸炎だったり人間ドックの結果が色々悪かったり体調は絶不調なんだと思うメンタルから来てるのだろうけどついつい友人と話をしてても「夫が迎えに来てくれてるのかな」「治療する気はなくて早く夫の側に行きたいよ」とか言ってしまうそれを聞いた友人たちは「生きたいと思っても生きられない人がいるんだから」「寂しいからまだこっちにいて」とありがたいしごもっともなことを言ってくれる私を思ってくれるのは本当にありがたいし感謝しかないでもこの死別の苦しみを抱えながら生きてい
2月19日(月)日付が変わる直前の夜中23時30分ボスミンの吸入をしました。この日は主人が午後まで付き添うことになっていました。私は午前中、末娘(1歳5ヶ月)を保育園に預けに行きました。その時、息子の担任の先生が「最近、息子君の体調はいかがですか?息子君用にお友達が、ひなまつりのお飾りを作ってくれていて、もうすぐ、できあがるんですよ♪」と声をかけてくださいました。息子は年末年始に、一時退院していました。その際、保育園の先生に会いたいと言い、保育園に2度、遊びに連れて行きました
どうもわたしです先程は凹メンタルにかこつけて大人気ない投稿をしてしまいました誠にかたじけない彼方で父さんに逢えるという事が、今のわたしの唯一の希望であることは間違いないさっきの投稿削除しようかと思ったけどあれもわたしのほんとうの気持ちこころの奥底ではそんな感情もぐるぐると渦巻いているそれもわたしという人間を構成するひとつの要素でもある父さんを納骨した時にはそんな感情に囚われていてほんとに辛かったほんとにほんとに辛かった戒名が並んだ墓誌を見るのも位牌が並んだ仏壇
息子の大学入試も無事に終わりあとは合格発表を待つのみ。息子は私大のみの受験で、志望校2校滑り止めは受けない、受かっても行かない所に願書出しても意味がないと言い2校に願書を出した。息子は高2の6月頃から不登校になり10月から通信制高校に転入しました。そこから親子でくじけそうになりながらも模索しながらなんとかここまでこれました。本当に辞めて良かったのかなと私自身、ずっと自問自答してました。通信制高校に転入してからはメンタル面はかなり落ち着き高3の春までバイトもしていまし
夫が亡くなって9日後に私は49才になりました。ママ友がランチに誘ってくれてサプライズでケーキも用意してくれて、泣きながら食べました。家に帰ったら、息子達もケーキを買ってくれていたのであの日は2個も食べたんだっけ?ところで、昨日書類を整理していてあの日に息子の親友から私がもらった手紙を発見しました。その事は過去にも書いているけれど何度読んでも素晴らしい手紙で皆さんにも見てほしくて期間限定で載せたいと思います。後日↓この写真は削除する予定。手紙の写真は削除しました私
朝起きて『寒いなぁ』そして『誰もいないや』(おチビいない)し〜ん。真っ暗テンション下がる朝でこの世に目覚めるのが辛い。すっごく寂しくなって朝から思わず骨壷を抱っこしに行きました。おチビは大きいし抱っこ嫌いだったから(たぶん私が抱っこしすぎて嫌いになった)小さな頃しか抱っこ出来なかった。もっと、抱っこしたかった。朝起きて、おチビの寝顔やボケ〜ッとした可愛い顔を見て『おはよ!まだ、ねんねんだね!』って声をかけていた時は、朝から嬉しかった。寝起きの悪い不機嫌なおチ
夫が亡くなって、私のこれからの人生は180度変わると思います。2人の生活から1人の生活になるというのは、かなり大きなことです。本当なら、定年したら世界一周旅行をしようね、という話をしていてそれをとても楽しみに、早く定年したいと思いながら仕事をしていました。定年後は時間がたっぷりあるから、キャンピングカーを借りて日本一周もしてみたい、とか定年後の楽しみを色々と話していました。でも、1人で世界一周なんて、とても無理です。2人だから、色々な思い出を作れたのに・・・
夫が家に帰ってきた日その日は義母や近くに住む夫の親戚、そして訃報を聞きつけた夫の友人が数組弔問に来られましたやっと一息ついた時には前日の朝起きてから一睡もせずに41時間が経っていましたでもなんだかあっという間に夜になっていて、全くと言っていいほど眠さは感じませんでしたそれでも翌日も朝から葬儀屋のおじちゃんが来る事になっているし、眠くなくても寝なくては…そう思って夫のベッドで眠る事にしましたベッドの中に入って私のスマホに残っている夫の写真を眺めていると、流石に疲れていたのでしょうね…気
夫はとても忙しい人で、平日は大抵午前1時過ぎ土日も出勤が多く彼が早くに亡くなるなら過労死だろうと思っていた。私達は共働きだけど夫がそんな風なので家のこと子供のことは私が任されていて家計も私が管理夫は我が家にいくら貯金があるかも分からない状態子供達の成績もよく知らず学校へ出す提出物など書くのは全て私、PTAの役が回ってくれば大きなお役も全て私そんなわけで、私は常日頃から不満だらけだった。夫は自分の仕事に集中できて帰ったらご飯が出来ていてアイロンもかけてあって