ブログ記事627件
おそらく、これまでの人生は親に恵まれず毒母に育てられてこと以外はわりと順調な人生だったと思います。そんな、私が先週、国の指定難病の検査でひっかかり、陽性だったから、精密検査。となりました。まあ、くだらない人間で実の両親からもさほど愛情注がれていないですし、家族ともうまくいっているとは言い難い、長女は難しい年ごろで、年配の母親をバカにしていますし、息子はパパッ子で、主人は仕事と子供が一番大事で、妻は家政婦扱いです。お金は、自由にできるので、特に不満はなかったんですが、大切にされてる
病気は一生治らないものなので、どれほど病状を遅らせるかが、キーだと言われています。では、何がよくないか。を考えてみて、疲れすぎるのも良くないし、無理はよくない。そんなの誰でもわかることですが、家族の理解はないので、結局夕べ無理をしたせいで、家にすぐに帰れないほどひどくなってしまって、なんとかたどり着くしかし、家族からすれば、何言ってんだ。と。まあ、大げさだとか、そんな急にならないから、気のせいだとか。冷たい言葉が。まあ、愛された存在ではないので、予想通りといえば通りですし。悲しいか
叔母ちゃまの法要で、妙心寺さんへ。叔母ちゃまは、三回忌、父と叔父ちゃまは、九回忌。叔母ちゃま、亡くなって、もう2年?淋しいままだなぁ〜母も、昨年。愛犬のクラマも、一昨年他界してる。独り法要にも、慣れた。熱海での法事は、30人以上集まって、賑やかだった、、、それが、いまや、独り。永代供養法要期間内に、私が、死んでしまった場合、10歳年下の従兄弟に、維持管理をお願いしたけど、断られ、微妙。やっと、墓仕舞いしたのに、勘弁してくれ、って感じだった。弟にも、私の代で、終う
尾崎豊1983年、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』でデビュー。4枚目のシングル「卒業」が大ヒットする。真実の愛や夢、生きることの意味を追い求め、学校や社会の不条理に立ち向かい、傷つけ、傷つけられることとその罪におびえる少年の心の叫びのようなその歌の世界が1980年代から1990年代初頭にかけての若者の共感を呼び、カリスマ的存在となる。1992年(平成4年)4月25日、早朝の足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見され、通報で病院に運び込まれる
歯科医ランキングにほんブログ村上↑のバナー2箇所をポチッと押して頂けると励みになります。毎日、ご協力ありがとうございます。じつは「老衰死」は悲惨…医師たちが「死ぬなら、がん」と口を揃えて言う「意外なワケ」とは⁉️だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた