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夫が食べず、話さなくなってから、10日目。2023年2月22日この話はわたし的には本当に衝撃で悲しく、書くことを躊躇しましたが、脳腫瘍の人の症状として「こういうこともあるよ」とお伝えするべきだと思ったので、包み隠さず書きます。〜〜〜〜〜〜夫はこの日も仕事を休み、リビングで何も話さず食べずゴロゴロとしていたが、夜は早めにベッドへ向かった。22時ごろ、物音がしたので様子を見にベッドのある二階へ。部屋に近づくにつれ、猛烈な匂いがする
夫が食べず、話さなくなってから、15日目。2023年2月27日近所のメンタルクリニックの初診が翌週末に取れましたが、そこまで待てず少し遠いところにある精神科のある病院へ連れて行くことになった。夫の両親が来てくれてなんとか着替えさせる。以前、便失禁があった時(こちらのブログ→ベッド脇に便失禁)以来、リハパンを履かせていることを、ご両親に伝えた。夫の手を引いて玄関まで連れて行く。私は自分のカバンと上着をとりに一旦部屋へ戻る。夫は玄関で私が来るま
夫が食べず、話さなくなってから、8日目。2023年2月20日一昨日、昨日とキャンプへ行っていたのでお風呂に入っていない。「入ったら?」と何回も促してようやく入れたけど、なかなか出てこない体と頭を洗ってあげ、拭いてあげた。この日の出勤は昼からで、行く気はあるけどやっぱり用意ができない用意ができないというか、何をしたらよいかわからない感じでうろうろ。。。結局会社へお休みの連絡を入れた。だいぶ声が弱々しい。この電話以降は、やっぱりほとんど発語はない。夜
夫が食べず、話さなくなってから、11〜14日目。2023年2月23〜26日仕事はしばらくお休みさせてもらっていた。相変わらず話さず食べずで、寝ている時間が多かったが、日中はテレビを見させたり積極的に話しかけた。食事は水分補給ゼリーを無理やり飲ませる。トイレにも自発的に行かなくなったので、こちらから促して連れて行った。トイレの中でどうしたら良いのかわからないような時もあった。45歳の夫がこんなに急激に認知症のような感じになって、私も本当に戸惑
こんにちは。これを機会にどんな障害者も普通の人間だと解ってもらえると嬉しいです。私達の場合は脳の信号に問題があり、自由に身体を動かす事ができなくなりました。障害者も考えていることはみんなと同じですこの病気の方々は今まで普通に生活を送っていた人たちです。介護保険の等級が変わったのでミーティングがありました。そこでPTが調べてくれたことを教えてくれました。その後先日の診察で主治医から間違いない。とお墨付きを貰い気落ちしてたのですが逆にスッキリしました(負けんぞ!)
夫が食べず、話さなくなってから、9日目。2023年2月21日この頃私はネットでずっと「うつ病」のことを検索していた。うつ病になると「一日中寝ている。眠りたいだけ寝させておけば良い」「認知症のような症状が出ることがある」などの情報を見て、夫は絶対にうつ病なんだと思っていた。もしそうだとすれば3ヶ月ほど会社を休めばまたいつもの日常が戻ってくる、と信じていた。午前中に近くの心療内科の予約が取れたので、夫の両親と連れて行き血液検査をする。これまでのことを一通り話す。「おそら
こんばんはっ午後、育休明けDr.が来てくれたので、早速“プレドニンの減量を交渉”交渉は、すんなり成立しましたDr.「ちょこぽっさんが、良いならいいですよ…」とにかく、“ほわーん”としたDr.なので交渉はチョロいもんですそして、チラッと診察Dr.が産休、育休と不在の間に、どれだけポンコツっぷりが増したのかを確認明日から、点滴(ピリヴィジェン)開始ですちなみに、増し増しの体重については、ノーコメントでした“増し増し”と言っても、記録を振り替えってみると、1年前もこれくらいは太って
娘は知的障害、私は詐欺後遺症で全てがどん底娘はDQ70代の今は軽度知的障害母の私は起業詐欺被害者で全貯金失う精神どん底で育児してますいつか復活するぞ!本日も訪れて下さって本当にありがとうございます♡娘には唯一仲のいい女の子のお友達がいる。保育園でその子がお休みだと、ボッチになっちゃうけど。その子も月1回療育に通っていて、ママさんにもうちの娘が長文話せないことや、構音障害がひどいことを伝えている。なのに、【ルベル】イオクレンジング&クリームセットリラックスメント&シルキーリペ
昨日からようやく少し動けるようになって、今日は施術の日でした。整体と鍼灸の治療が主になっています。今日は鍼灸の施術です。この薬害になってから初めて鍼灸治療をする事になりました。一般的に鍼灸の治療がどのようなものかは知りません。本物の鍼を刺すわけではないのですが、拷問のように痛いです。初めての施術の日は忘れもしない2023年5月15日でした。施術をしていただきながら、先生が話し始めました。「昨年初めて会った時に身体と症状をみてビックリした何を話しているのか分からない
あけましておめでとうございます食事はすべてラコールという栄養剤を胃ろうから注入するのみなので、年末らしいこともお正月らしいことも何もできずで、とてもさみしいお正月になってしまいました、、雑煮にお餅、腹いっぱい食べたかったなぁ‥‥(+_+)月末に予定している嚥下評価の結果次第で、お楽しみ程度ではあると思いますが、また口から食べられるかもしれません。もう二か月はまともに口から食べていないので、飲み込む力が弱ってないだろうか?飲み込み方をわすれてしまっていないだろうか?と心配になっています2
大台ヶ原に行ってきました1月末に事故に遭ってからあまり体も動かせてなかったので登山というよりトレッキングで楽しめそうなところはどこかと悩んで「大台ヶ原」にしました。吉野熊野国立公園「大台ヶ原」熊野灘日出ケ岳ここの展望台からは気象条件が揃えば富士山が見えるらしいその確率も1年に1回あるかないかくらいらしい画像では足場が整ったところばかり掲載しましたが、他の道には結構大きな石が転がっています。今回も足場の悪かった所と
こんにちは今日も面会へ昨日は眠そうだったけれどとりあえずは起きていてくれて何を話しているかわからない時も多かったけれど(構音障害に加えて、寝たままって聞き取りにくい)1時間半くらい話しながら過ごしましたおやつにようかん二口とレモンティをグビグビでも、今日はぐっすり相変わらずあまり食べてくれないみたいだけれどお昼はおにぎり数口とシャインマスカットメイバランスを不味いと言いながらほとんど飲んだらしいお昼の後だから眠いのかな?と思って様子をみていました起こすのも
手術後、意識が戻ると麻痺が右と左入れかわっていた。昨日は反対だったのに何故か入れ替わってるもともと右利きなのでラッキーだったのかもしれないただ、喋れない水も飲めない、顔面にも麻痺がでているようだ。2、3日しても食事は自分で取ることができず鼻から栄養を流し込むことになった。構音障害と嚥下障害がでているらしい。自分の唾液でむせる。これから回復していくのだろうか?不安でしかなかった。47歳、会社員、子供はまだ4歳まだまだ働かないといけないのに…
ストロング梅干・・(子供の頃プロレスする時のリングネームでした)2019年9月現在48歳私、それなりにスポーツマンでした。フットサル、自転車(MTB、ロード)、格闘技やってました。体力には、まぁまぁ自信はありました。が、、、42歳、明らか思うように体に力が入らない事を自覚。もしやこれが老化というものか??しかし普段の生活には支障をきたさなかったので病院にも行かず。45歳。やっぱりおかしい、ただの老化ではないと病院へ受診。2つの病院に受診した。共に大きな病院やったけど「CPK
続きです。前回、書き忘れたんですけど胸腺腫は良性でした。2014年夏頃から構音障害も出始めました。手、腕も怪しい時がチラホラ。それからも、何度か呼吸困難でICUにて人口呼吸器に繋がれる日々が。中々スッキリしないので、2014年冬頃大学病院へセカンドオピニオンで専門医にお話し伺いに、そこで重症筋無力症で間違いないと、今の治療方法、服薬でベストだと…今までの総合病院で入退院を繰り返しながら血漿交換してました。血漿交換で、色々な症状改善するも嚥下だけがダメで、ずっと鼻管を入れたままで
世間は今日からゴールデンウィークでも僕は今日も明日も仕事ですさて、今日の出来事。25kgぐらいの荷物を浮かして横に少しズラそうとしたら・・・荷物の重量に右手の指が支えきれず、掴んでいた指が伸びてきて荷物がズリズリと滑り落ちてきましたなんとか荷物は落とさずに移動できたのですがかなり焦りました日常生活で持つ重量、たとえば買い物袋を持つときに指が伸び切ってしまう事とかはなかったのですがね。とはいえトレーニングで負荷を上げたときに握力が重量に追い付いていない感触はありました。
お久しぶりです。しばらく自分のブログから離れて、皆さんのブログを拝読していました。11月から構音障害が出てきて、話す速度がまったりとゆっくりになりました。それも日内変動があり、良い時とかなり遅い時があります。両手の握力が落ちて、右手5〜6kg左手6〜7kgお風呂で夫に洗髪、背中を流してもらいます。着脱の手伝いも必要なことが増えたし、髪をドライヤーで乾かすのも夫が頼りです。歩行は、今まで杖歩行だったのが、外出時は歩行器、家族同伴の時は杖になりました。こうして福祉用具が必要になってきたこと
2022.4.27(水)放射線治療11回目朝:ネバネバサラダのわかめとなめこ数口、プリン2/3、ソーセージパン数口、そぼろ丼(じいじお手製)1/3牛乳150昼:絶食夕:17アイス(パラパラのやつ)1個、餃子1.3個、ごはんとお味噌(あさり)混ぜるの1/3、のりたまごはん麻痺レベル:悪化のまま昨日とかわらず(下肢のみ若干挙上できる。上肢は肩から動かそうとしてるのわかるが動かない)お通じ:GE浣腸でコロコロ便それなりにあり(お腹張ってないが、コロコロ出てきたのでGEやった
♪♪ぶゆどビリベラ♪⇒冬のリヴィエラの事である。偉大な森進一さんの唄を私が唄うと現在の私の構音障害レベルでは、こんな表現(発声)しか出来ないんです。半年前までは、まあまあ自慢出来る唄のレパートリーであった。口の周りの表情筋強ばる、唇半分麻痺、喉閉塞感有り、呼吸やや苦しい。まあ、こんな中では、なかなか苦しいです。しかし、しかし、ですよ。①身体全体のストレッチ②鼻腔テープ③腹式呼吸意識④休憩しながらゆっくり唄う※ハンドマッサージ器を使う。⑤以前のKeyより下げてみる⑥口の周りを指で触り
意思伝達は(一方的に)伝えること意思疎通は相手と認識を共有することALSになり、つくづく文字で意思疎通をすることが難しいのかを思い知らされた。不可能とは言わないが、多分30倍以上の文字で感情や意図までを解説しながら文字を打たないと、きっと意思疎通までは達しないんだと思います。人間はyes.noの二通りの意思ではないんです。言葉が出ない分だけ、沢山沢山沢山書くようにはしますが、読み手側(医師、介護士、ヘルパーさん)も文字の間に詰まってる行間を細心の注意力と慈愛で私達の心を読み取って下
おはようございます入院6日目の朝です昨夜は、リハビリの代償ですっかりクタクタのヘナヘナになってしまったポンコツちょこぽっ“元気がでない”+“動かれん”で最悪でした1時間程、クタっと眠って少し復活そして、消灯後は眠れずYouTube…かーらーのー、副作用らしき頭痛との戦いダメなパターンですそして、今朝は声が消えました…昨夜から、しっかり構音障害は発動していましたが、今朝になりすーっかりヒソヒソ声なので、病室メンバーともコミュニケーションがとれなくなり、ポンコツちょこぽっは“ぼ
体調不良で、研究室での筋トレを休んでいましたが、今日から再開。形の稽古も再開。王師の形に迷いが出て、レシピを見直したりしましたが、ことちらは、何とかクリア。『王師の形の迷い』王師の形は、三つの形が繋がったものです。と言うよりも、「王師の形」を三つに分離したのが、「王套路(ワンドゥ)」の形「王官(ワンカン)」の形「王師父(ワンシュ…ameblo.jpナイファンチ全伝は、まだまだ思い出しながらだけど、クーシャンクーとクーシャンクー小(チャンナン)は、少しずつ、出来る
次男、児童精神科初受診しました来年の就学前準備にあたり、支援級、通級、放課後ディサービスは診断書必須なので判定会前に行動今までは診断書なしで2歳から2人とも児童発達支援を受けられていました。事前に市の発達相談で受けた田中ビネーでは境界域だった次男くん。長男ですでに経験した緊張感再び。大体言われることは分かっているのに、今の子供の状態を診断名としてハッキリ出されると、やっぱり私の精神的ダメージはあるんです障害がハッキリ分かってスッキリ〜じゃなくて、障害児2人かぁ…将来が不安やわぁ…てな
こんばんはっ週に一度のお買い物dayなんだーかんだー、絶賛“脱力系女子”ではありますが、スーパーの中を車椅子ではなく歩いて買い物をする事ができましたギリギリの歩行ね…めっちゃノロノロだし、絶対に邪魔な奴もちろん、ロフストランドクラッチは必須T字杖より、地味に人目を引くロフストランドクラッチまっ、いい加減、慣れましたけどね…それでも「あんまり見てたらお金とるよーっ」って、言いたくなる時だってありますジロジロ見るのも、ほどほどにしないとねっ後悔する事になりますよーっ今日の繊細な
2022.5.22(日)放射線治療なしBP91/60朝:チーズナン、カレー、フレンチトースト、ホットサンド1個、ココア60、牛乳昼と夕方一緒:オムライス半分、米飯1/3、唐揚げ1個、チーズナン、カレー午前中のみ→流涎(右口角から)多い、車いす乗車時に体が左へ傾く、首が疲れるっぽい午後から今まで通りお通じ:(午後から)2回あり自力で出た!いい便中量朝5時↓とかげ光らせてる☺️朝ごはん中みくちゃんの自分で手でちぎるチーズナン1口が大きく、喉に詰まると危ないからね
●ALSと診断後の、生活への不安と焦り。こんにちは。ALSの弥生です。検査入院の結果、2014年8月26日に、ALS=筋萎縮性側索硬化症と診断されました。とても、びっくりしてしまい、今が夢なのか現実なのか、分からなくなりました。なぜなら、入院中フェイスブックを通して、アイスバケツチャレンジを見ていてALSの病気を知っていました。まさか自分が、病気になるなんて考えもしなく、しばらく衝撃的すぎて呆然とした日が続きました。退院後も、訪問カットの仕事が入ってて、いつものように訪問カット準備
こんにちは😊こちらに足を運んでくださり感謝です✨昨年12月にお世話になっていた先生のご不幸がありました。いつも笑顔でにこにこの優しいお人柄。わたしよりも全然若くて姿勢も良いし希望に満ち満ち溢れる人。突然のお知らせにとても辛かったです。何をしたいのか方向性が定まらないままブログを書いていました。読んでくださっているのに不快な氣持ちにさせてしまい申し訳ありません。ここ最近は、現実から離れたところにいて、地に足が着いていませんでした。世の中の在り方があまりにも酷い現実
構音障害リハビリの為にカラオケに定期的に通っています。90点以上獲得出来る歌は昨年まで、ざっと200曲はあった。残念であるがalsになり、呂律が回らない、高い声が出ない、声が長く続かない、keyも過去とは全く変えないとだめ。当然、90点以上出せる歌が今では10曲くらいしか無い。中島みゆき、井上陽水、チャゲアス、ユーミン、かぐや姫、AI、尾崎亜美、玉置浩二等、好きな歌で90点以上出ると、かなり、自画自賛感で一杯でした。最近では90点はかなり難しくなってきました。「あらら」「あかんか?」「あーし
球脊髄性筋萎縮症(SBMA。ケネディー病)。この疾患はX染色体の中にある遺伝子のDNA配列「CAG」のリピート配列が38以上でSBMA陽性の指標の1つになります。(36以下は正常。37は正常とも陽性とも確定しないそうです)CAGCAGCAGCAG・・・・。そしてこの配列が多いほど若年性に発症しやすいらしい。SBMAについて調べる中で、筋力低下やCPK値、年齢による症状や発症からの進行状況などの症例を紹介しているものはあったんですが、その症例の患者のCAGリピートまで書いてあるもの
後遺症との戦い…(舌がんの病状、手術、抗がん剤&放射線治療、胃瘻の経管栄養などについては、前日までのその1~5を見ていただけたら幸いです)手術から1ヶ月ほどが過ぎると傷の痛みもなくなり、移植した腹直筋が舌の上部にすっかりなじんできました。そうなると、食べられない(飲み込めない)ことやうまくしゃべれない(発音ができない)ことに悩むようになってきました。退院後も、ずっと胃瘻の経管栄養で生きていくのか?話すことが相手に伝わらないのに、仕事はできるのか?が