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うちの4男ちび4月29日緊急入院猫の糖尿病末期糖尿病性ケトアシドーシス、と元気だったのに、2日で、重篤な状態に意識レベル低く、というか、反応なしぐったり集中治療流れ初日4月28日様子がおかしくなり、病院に電話し説明「そんなに緊急、という感じでは無いと思います、本日は予約が埋まっており、明日に連れてきてください」ずっと、家族で傍にその後、嘔吐多々、そしてぐったりフラフラしています29日早めに連れて行きました状態を見て、早く中に入れてくれました
『腹水を自分で抜く』『腹水?便?』去年の3月末ごろから、お腹の膨らみが現れるようになりました。私はそのお腹の膨らみに気付き、もしかして腹水じゃないよねー?と旦那に言いましたが、旦…ameblo.jp腹水はただ抜くだけの方法と、CARTと言って腹水を抜いた後に、濾過(ろか)してアルブミンなどの栄養分を再び点滴で体内に戻す方法があります。わざわざ戻す必要はないと言う意見も頂きましたが、旦那はCARTをやることを決意しました。3日間の入院をしましたが、最初の日は説明と検査をしました。常にマ
お母さんが、あと余命一週間くらいだと言われた時ショックで頭を殴られたような衝撃だったのにその日の夜中、喪服を冷静に用意してる自分がいた。結婚した時に、お母さんから喪服とフォーマルのかばんと靴をもらった。「急に必要になる時がくるから、その時に焦って用意しなくてもいいように持っておきなさい」と言われた。まさかあの時お母さんにもらった喪服をこんなに早くお母さんの葬儀に着ることになるなんて。その喪服セットをクローゼットの奥から引っ張り出した。年数が経っていたので試着してみる。「わ
しばらくは、過去の経緯と現在を更新していきます。〜2018年1月25日腹腔鏡検査〜朝からソワソワ。祖母と合流し、母の待つ病院へ。【お腹減った〜!】と母。食べる事が大好きだった母。年末からたくさん我慢したね。夕方には、呼ばれるとの事で、着替えを手伝って、髪の毛を二つ結びにしてあげる。【二つ結び‥なんか面白いね(笑)】【似合わない(笑)】オペ室の前まで母を見送った。【頑張ってね。】【うん‥】オペ室のドアが閉まった。しばらく、動けなかった。やけに薄暗いオペ室の廊下。どう
去年2021年の今日10月18日私と旦那、旦那のお父さん・親友と一緒に癌センターで旦那の正式な病名を聞きに行きました。【膵臓癌ステージ4手術不可】そう告げられ今日でちょうど1年になりました。『抗がん剤(標準治療)拒否』前回の続き、、、近所の総合病院で【膵臓癌ステージⅢ手術不可】と告げらその後、国立癌研究センターでの治療を決めました。癌センターでまた新たにCTを取り、細胞を取…ameblo.jp↑こちらが告げられた時のブログです。去年の今頃の私は、毎日旦那が見てない所でこっそり泣いてい
今日ひとりで“あぶ刑事”みに行ってきました。生まれて初めてのひとりで観る映画でも舘ひろしさん柴田恭平さん浅野温子さんみんなキレイに歳を取っていて…ダーリンが生きていたらどんなふうに過ごしていたのだろう…っては思ってしまいました。歳のせいもありますダーリンが死んであまりにも泣きすぎて、私は眼瞼下垂症そして目の下のクマ…なんか歳を取ってしまって…流れる年月…ダーリンは時が止まってる私は進んでる…もう戻れない…なんとも言えない気持ち…
旦那の火葬を待合室で待っている間、お坊さんにあることを言われました。旦那の行方が気になってしまった私は、お坊さんにいろいろと質問をし話をしてくれました。そんな中お坊さんに言われたことが「遺影に向かって話かけてあげて下さい。そうすると姿形は見えないけど、なんらかの合図を出してきます。」と言われました。その時私はへぇーー!!というくらいにしか思っていませんでしたが、のちにお坊さんに言われたことが現実となりました。火葬が無事に終わり、この後家族みんなで食事をする予定だったので、旦那の遺影と骨
癌にもよるのだろうけど、末期癌になると色々なところに転移していたり、あちこち痛みがある人が多いと思う。そんな中、緩和ケアで痛みを緩和してもらう人も多いと思うけど…緩和ケア病棟での処置には、納得できてないことが正直ある。お母さんは卵巣癌、腹膜播種、肺に転移ありで緩和ケアに入院してた二週間、ずっと痛みと闘い続けてた。看護師さんや医師に何度も、痛くて眠れない、痛みをもっと取り除いてほしいと訴えたけど、痛みを完全になくすことはできません。とはっきり言われた。お母さんは痛みで
朝起きると、妻と長女と長男は元気になっていた。朝から妻の布団で飛んだりはねたりして、騒いでいた。妻は夜それなりに寝れたといい、吐き気はあったが、夕食を早めたので、吐くことはなかったそうだ。食事に気を使った成果だと思った。前に進んだ気がして、嬉しかった。私は、前の日の夜に読んだ、免疫細胞は笑うと活性化するという記事を信じて妻や子どもたちをたくさん笑わせた。さらに今日はクリスマス長女にサンタさんは来たか尋ねる。来てなーいとおどける長女ツリーの下を探してみようと伝えると、クリスマスツ
今回は旦那の、膵臓ガンになる前と後の食生活についてお話したいと思います。前回もブログに書きましたが、旦那は食べることがとにかく好きで20代の頃は、甘い物、脂っこい物、お米も沢山食べ、お酒も沢山飲んでいて体重は125kgありました『旦那の体重125kg』とにかく大食いで食べることが大好きな旦那20代のころまでは特に栄養のことも考えずに、甘いものでも脂っこいものでも、お米も沢山食べていて、沢山お酒を飲んでいまし…ameblo.jpそこで旦那は本格的にダイエットを始め、トレーニングや食事制限をス
もう、そろそろかな。なんて思ってます。写真を撮って驚き!いつの間にか、しっかり骨が出てるくらい痩せてた俺です(笑)※以前との差が凄い(笑)足の浮腫もなかなかです。確かに見た目にはまさに【終末期】これが最後のブログかな?なんて…でも、俺は幸せでした。多くのブロ友さんに囲まれて、優しい言葉を貰い、周囲の人達に恵まれて。正直、幼少期からガンになる今まで自分を「幸せだ」なんて思う事はありませんでしたが、ガンになった事で逆に「今まで、自分がどれだけ幸せだったか」を
結婚して2ヶ月が経った頃、みぞおちが痛いから始まり、そこから更に4ヶ月後に膵臓ガン発覚!『自己紹介』初めまして、こんばんはJ.familyのaiと申します以前私は旦那と一緒に【J.family】という名前でYouTubeをやっていました。旦那がつけた名前で…ameblo.jp最初はただの胃もたれだと思っていたことが「もう間違いなく1年で死ぬ」と病院で言われました。CTを撮った最初の病院で、まだ腫瘍の細胞を取ってなく癌かどうか確定ではなかったけど「これは間違いなく膵臓ガン」と言われました。
午後妻の面会に行く。何人もの面会人と患者にすれ違ったが、妻より若い人はいなかった。呼び出してもらったところ、妻は点滴を引きずって談話室に来た。薬はつらそうだった。吐き気があるらしい。でも、ご飯は少しずつ食べるよう頑張ったらしい。明日は緩和ケアの先生から栄養の取り方を教えてもらえる。この薬が妻を助ける。そう信じるしかないが、今までのような元気な姿を見る日は、くるのだろうか。見舞いの前、父からもらったパソコンを立ち上げ、写真を整理しようとした。その際見つけた2年前の動画を妻に見せる。
銀座みやこクリニック院長の濱元誠栄ですこちらの記事の患者さん『私、抗がん剤しなくても良いですよね?』銀座みやこクリニック院長の濱元誠栄です先日来院された70代の乳がん患者さんから、こう尋ねられましたその方の経過は、術前抗がん剤後に乳房切除手術をしてい…ameblo.jpまさかのご本人からのコメントが届きましたこの方が最も気にされていたのが、抗がん剤をするのとしないのでは、最期が違うのか?ということでしたこのまま何も治療しないで迎える最期と
2023年11月27日、朝面会に行くと、さらに寝てる時間が増えてて、水も飲めなくなっていた。氷をスプーンで食べさせた。だけど、氷もあまり食べすぎると気持ち悪くなるみたい。トイレにもいけなくなっていたので、オムツをしてもらっていた。先生が、オキシコドンが効きすぎている可能性があるので、量を少し減らしましたと言った。オキシコドンのせいで、水も飲めなくなってトイレも行けなくなったの?オキシコドンにするまではそんなことなかったのに。薬が合わなかったんじゃないの?!と思った。だけ
ある看護師さんがSNSに書いてたことなんだけど人って死が近づいてくると自分の母親のことを思い出して「おかあさーん!」て助けを呼ぶかのように叫ぶ人がほんとに多いんだって。お母さんが生きてる亡くなってる関係なく。いつも一番辛い時に助けてくれたのが母親だから。死ぬ間際辛い時は母親を想うんだって。それを聞いて、わたしは間違いなくその時がきたら「お母さん!」って呼びかけてると思う。だって今ですら困ったときや助けて欲しい時、心の中で「お母さんどうしたらいい?」って聞いてるもん。母娘の関
今から2ヶ月前の話ですが、気持ちがモヤモヤしていた私は、友人の紹介で占いをしに行きました。その占い師さんは外国の方ですが、よく当たると有名でさらに良い将来になるように導いてくれるそうです紹介してくれた友人の友人も、その先生に占ってもらい本当に夢が叶ったそうです(ここでは書くことができませんが、結構なすごい夢です)もともと昔から私は占いが好きなので、友人に紹介してもらい占ってもらうことになりました私はドキドキしながら占い師さんとご対面私は一応旦那が亡くなったことは最初に伝えましたが、それ
ごめんなさい🙏坐骨神経痛だと思って舐めてました(笑)しっかり骨転移でした〜!!本当は白く映るはずの背骨、黒い部分は全部がんだそうです。そして、MRIを撮るのに仰向けになれなくて、痛くて途中で止めてもらいました。本当は背骨と、大腿骨を撮るつもりだったのですが、背骨オンリーに…放射線科の医師曰く「全身の骨に広がっていると思って間違いない」そうです。なるほどなあ…さすが進行がん。予想よりも遥か先を行く感じです。しかも骨伝いに転移というか広がっていくか…てことは俺の余命はあとどれ位
この日本人発明者の機械、気になるぅ〜第七章体と心を癒す超発想法~自然治癒力を高めて健康な心と体をつくる~◎発明者が驚いた神経波磁力線の病気改善効果私の発明した超強力神経波磁力線は、発明者の私でも考えも及ばなかった効果を発揮しているようである。より健康になったというのから、病気が回復したという人までいろいろあった。つまり、『人間の肉体の悪い場所を自然に健康な状態に戻していく』という働きがあったのである。平成七年七月、名古屋駅前の毎日ホールで講演していた
銀座みやこクリニック院長の濱元誠栄ですこんな記事がありました副作用で抗がん剤治療が予定通りに進まないのですが、大丈夫でしょうか?|ヨミドクター(読売新聞)抗がん剤治療には、病気の種類や場面によって、様々な組み合わせの「メニュー」があります。メニューごとに、薬の量やスケジュールが決まっていて、それは、過去の臨床試験で有効性と安全性が確かめられたものです。抗がん剤治療を受ける前には、そういうスケジュールの説明があります。「1日目と8日目に抗...yomidr.yomiuri.
“神山診療所”が闘っている事例を紹介します。個人情報の関係で詳しい症状は略して紹介します。〔胃ガンステージⅣ患者〕になります。帝王切開で出産手術、その際に腹膜の腫れ、胃・腸が異様に硬く、検査結果、いきなり胃ガンステージ4出産後、体力がなく抗がん剤や放射線治療、手術は不可、生活の質を維持するための緩和ケア移行口から栄養が取ることが出来ず日毎に痩せている、浮腫がどんどん進んできている。診療所にお越しいただいたのが、2月下旬です
今日はめちゃくちゃ寒いですねちょっと外歩いただけで冷えてお腹が痛くなりました今日の朝もいつも通り寝起きが辛く、気持ちがモヤモヤしていましたそしてまた心臓が痛い気がする‥‥私の人生こんなはずじゃなかったし、思い描いていたビジョンと違う‥‥人生って思い通りにいかないんだな‥‥と思った朝。そんな時ゲッターズ飯田からLINEが届きました。(ゲッターズ飯田の公式LINEを登録してるので、定期的にLINEが来ます)モヤモヤしていた朝にゲッターズ飯田から届いたLINE【人生は自分の
旦那は癌が発覚する前までは、甘い物も脂っぽい物も大好きで体のことなど気にせずに食べていました去年【膵臓がんステージ4b】と告げられ"何もしなければ間違いなく1年で死ぬ"と病院で言われてからは必死に体のことを気遣うようになり、あれだけ辞められなかったタバコとお酒も、その日からスパッと辞めていました私があれだけ言っても辞めなかったのに、命がかかってると人はすぐ辞められるんだなと思いました体に良いことをしようとまず始めたのが、食生活を変えることでしたそこで近所にある健康食品のお店で進められたの
■[ガン治療]ウイルスや免疫力が大活躍する最新「先進ガン治療」とはガン告知が「死の宣告」と恐れられた時代は終わり、ガンとともに生きるのが令和の当たり前になりました。ただし、より早く、よりラクに治すならコツも必要です。ほんの少しの知識が、その分かれ目になります。●ガンだけに効く「爆弾」2021年から頭頸部のガンで保険適用が始まった光免疫療法も、免疫力を利用してガンを治療する手法に分類できます。「光免疫療法で使う薬の中身は、光に反応する物質を付着させたタンパク質
前回の続き『腹水CART〜入院〜』『腹水を自分で抜く』『腹水?便?』去年の3月末ごろから、お腹の膨らみが現れるようになりました。私はそのお腹の膨らみに気付き、もしかして腹水じゃないよねー?と旦…ameblo.jp無事8.7リットルの腹水が抜き終わりましたが、抜いた直後からある変化が起きました。旦那とはCART中もズット一緒にいましたが、終わった頃また話かけるといつもと声が違う‥いつもハキハキ喋るのに、声も小さくなって、なんというか生気を吸い取られたような喋り方になっていました‥今腹水を
母が末期ガンから生還するとき気をつけていたこと。その中の1つに極力、油を避けることがありました。油を使うとしても、週に2〜3回野菜の炒め物をする時にほんの少量を使う程度です。マクロビオティックでは伝統製法、玉締め圧縮製法のごま油を基本的に推奨していますがそれすらも控えていました。では、なぜ油がいけないか?というと油はミネラルを溶かすからです。油というのは一物全体食ではなく必ず何かから抽出されたもの。油が私たちの体に入ったときそれがエネルギー、熱に転換していく時着火剤
前回の続き『遺体となって4日ぶりの対面』病院を途中で抜け出し、死に際一緒にいれなかった私は、4日ぶりに遺体の旦那に会いました。この日はお葬式でしたが、葬儀場に入った瞬間真っ先に旦那の遺影が目に入る。…ameblo.jpお坊さんのお経が終わり、みんなで棺の中にお花を敷き詰め、旦那の好きな物などを入れてあげました。すじこや塩パンなど‥旦那の大好きだった食べ物を入れ、よく被っていた帽子、Tシャツ、ハーフパンツ、スニーカー、いろんな人からの旦那宛のお手紙、私の書いた手紙、私と旦那の一緒に撮った
今までの人生で白髪などあまり気にしたことはなかったけど、旦那の癌発覚から一気に白髪が増えるようになりました。単純にもうそうゆう年齢?かとも思いましたが、急激に頭が白くなったのでおそらく精神的ショックからだと思います。なので去年・一昨年は帽子を被って誤魔化すことが多かったです闘病中は自分の美容を気にしてる余裕もなく、そんな時間があるなら少しでも助かる方法を調べたい!と思っていたので、もちろん美容室にも行けてません。美容室には旦那が亡くなった後に久々に行きました美容師さんに「だいぶ白髪増え
妻が入院することになった。そんな予感はしていた。オプジーボによる副作用、大腸炎のようだった。7日入院の予定となっていた。子どもたちを連れて、病院に妻の着替えを持って行き、説明を受ける。でも、その分がんに効いているはずだ。頑張れ。頑張れ愛ちゃん。そう何度も祈る。説明を受けたあと、長女と約束していた寿司を買いに行く。夕方だったが、スーパーにはたくさんの人がいた。みな家族で、本当に幸せそうだった。大晦日だから、不幸な人は、ほとんどいないのだろう。わたしと妻以外は。長女が食べたい
今日の朝、私の熱は下がり、体調は元通りになっていた。妻に寝る前宣言していたのだ。俺の免疫細胞を気持ちで活性化させて一晩で風邪を倒す。と。宣言通り。良くやった私。妻に報告すると、笑ってくれた。笑顔は免疫を活性化させる。良かった。朝の妻は、調子がよく、家族4人で、朝食を取る。妻はパン、サラダ、水ようかん等を食べた。その後少し休んで、買い物に出かける。イオンに行くと、年の瀬の買い物をしに来た家族がたくさんいた。県内で一番広いイオンだが、妻は、良く歩いた。私の歩数計を見ると300