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見立てを誤解している人がいるようなので、一度きちんと書いておこうと思います。見立てというのは、「道具として作られたものではないものを道具に見て用いる」ことではなく、「道具の景色をなにかに見て、物語を立てる」ことを言います。しかし、間違えて、「道具として作られたものではないものを道具に見て用いる」ことだと思っている人がほとんどです。そして、更に最近、ちらほら「道具がないから、ほかのもので代用しちゃおう!」と安易に考える人を見かけます。しかし、これには細心の注意が必要ではないでしょ
茶道教授の毒吐【ドクハク】vol.11なんで茶道人口が減ってるの?㊤茶道教授の毒吐【ドクハク】始まりました!twitcasting.tv茶道教授の毒吐【ドクハク】vol.11なんで茶道人口が減ってるの?㊦モイ!Androidからキャス配信中-「茶道教授の毒吐【ドクハク】」始まるよ!和に関する雑談をします。着物・歴史・茶道などなど!twitcasting.tv茶道は面白いコンテンツである。しかし、年々物凄い勢いで人口が減少しているのは何故だろうか?私は色々な角度から考察し、様
最近、宗靜先生が「私も稽古付けてもらおう!」ということが増えました。弟子たちが次々と美味しいお茶を点てられるようになったことや、論理的かつ無駄のない所作を教えていることに常日頃から「私も最初からこう習いたかった」と思うようになったそうです。ただ、私の教え方は厳しいです。それは「厳しくなければ身につかない」からです。厳しいといっても暴言を吐くとかではなく、「違う」と言い募るということでして、出来るまで言い続けます。やり直しは基本、本人が望まない限り要望しま
流派を変えるというのはどういうことでしょうか。「個人の自由」と言いたいところですが、私としてはあまりオススメしていません。といいますのは、「それまでに費やした時間とお金を取り戻せない」からです。流派を変えると、それはもう一からやり直し。入門からとなりますし、大抵、最初に習った流派の癖が抜けません(長く習えば習うほど)。当流にも裏千家や表千家から流派を変わった方がいらっしゃいますが、やはり癖は抜けないですね。若干点前が違うように見受けられます。ですから
一番、間違いが多いのが棚物と水指の組み合わせですね。棚物も、真塗・朱塗を真として、行が柿合塗、溜塗、春慶塗、一閑張、草が木地、運びとなります。※そもそも棚物自体が行の点前であることも忘れてはなりません。昨日の一覧表を見直しながら考えていただければ、大まかにはわかるのですが、規矩として大事なことがあります。焼締は棚に上らずというものです。焼締といってますが、これには焼貫や自然釉も含まれまして、つまり釉薬を掛けて焼いた「施釉陶器」ではないもののことです。
水屋見舞いっていつからお菓子になったのでしょうか。#水屋見舞#茶道#茶の湯#本来は次第の拝見のための見料—曲斎@都流/『数寄の長者〜竹馬之友篇〜』第二章執筆中(@darkpent)September20,2023というTweetに対してええ…😰茶券方式が一般化してからですかね?—🐟小花菜緑子(@inouesakana)September20,2023というお返事をいただきました。確かに、茶券方式になってから、水屋に伺って、次第の拝見をする
茶室のひとつに「台目席」というものがあります。この台目席というのは「台目畳」を点前座とした茶席のことで、小間の一種です。台目席は「台目+○畳」という単位で表され、一畳台目、二畳台目、三畳台目、四畳台目などと呼びます。台目がつくと必ず小間の扱いで、棚物は用いません。なんで棚物を用いないか?というとそれは台目の成り立ちに関わりがあります。台目畳は本畳(京間)の四分の三ほどの大きさと言われますが、実際には「台子の大きさを取り除いた畳」のことです。つまり
利休の兄に康隆という諱を持つ人物が居ますが、全くといっていいほど顔を見せてくれません。利休の弟としては、宗把、水落宗恵が居り、久田実房の妻宗円(宗栄の母)が知られています。利休の親戚として知られるのは渡辺道通で、魚屋立安ともいい、利休の甥といいます。父は渡辺与兵衛で、利休の父と同じ通称ですね。この辺り、同時代史料に利休の父の名前が一忠了専以外伝わっていないのが残念です。もしかしたら、別の名前の可能性もないとはいえません。この渡辺与兵衛が利休の父と兄弟という可
茶道の電熱器といえば「野々田式」というほどメジャーだった野々田。昨年末に廃業なさったそうです。電熱器が使われ始めてから、炭の形の電熱器を生み出したのが創巧・野々田でした。以来、さまざまなバリエーションから電熱風炉まで生み出して、茶道人口の広がりを後押ししてくださった会社でしたが……。時代の流れというか、茶道人口の激減を感じますね。現在はヤマキ電器という会社さんが無段階切替電熱炭などを中心にさまざまなものを作ってくださっているようです。ウチも今のものが
InstagramやTwiiter、Facebookを見ていると、おかしな着付けが並んでいます。行燈袴で外を歩かせたりするレンタル着物とか恥ずかしいですね(行燈袴は屋内用)。↑これなんか最早七五三ですね。七五三の着付けは子ども用で、子供は大人ほど腰骨が出ておらず、体が柔らかいためするっと抜けてしまうのと、帯が細いですので、前紐の下で結ぶ感じになるんです(一応間をつくって着付けても上がってしまいます。男の子は動きますからねーw)。↑かろうじて隙間がありますが、これでも大
_/_/_/_/_/_/_/_/「お茶は食事とお酒とお茶が揃ってこそ!」_/_/_/_/_/_/_/_/お茶事に抱くイメージってどんなものがありますか?お茶事ってどんなもの?茶道ってどんなことしてるの?■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□茶道の醍醐味といえば「茶事」。茶事というのは、まず懐石があり、お酒があり、そして最後に濃茶と薄茶をいただくというもの。そう、本来のお
茶道を、さまざまな理由で辞めてしまった人、離れてしまった人がいます。経済的な問題。距離的な問題。家庭的な問題。人間関係的な問題。そして【流儀を強制される問題】。正直にいいますと、上の4つについては「どうしようもない」と私は考えます。それは、それぞれが、乗り越えるべき問題だからです。経済的にどうにもならないなら、収入を増やすか、支出を見直すかで、月謝を捻出すべきです。月5~1万円というのは、そんなに高額でしょうか。私にはちょっと分か
本日は八十八夜。雑節の一つで、日本独自の暦です。立春を起算日として八十八日目にあたります。「八十八夜の別れ霜」などといわれるように、遅霜が発生する時期でもありまして、農家に対して注意を喚起するためにこの雑節が作られました。茶道では初茶摘みとしても有名で「夏も近づく八十八夜~♪」の歌(タイトルも『茶摘み』です)が有名です。この日に積んだ茶は上等なものとされ、茶摘みを祝った茶事なども行われます。この日に積まれた茶葉は碾茶にされたのち、茶壺(古くは葉茶壺といいました)に詰められて
ブログをご覧下さりありがとうございます!心と体を温める新感覚のトリートメントRichOilCourse2月1日から冬期限定で解禁🔥オリエンテーションと技術講習を積み重ね在籍セラピストのうち4名のみ体得しました-RichOilCourse対応可能セラピスト-塩谷あい一ノ瀬じゅん楓りお吉岡ゆうなみんなで繰り返し練習し意見を出し合って作ったコースです「次回もまたこれで」「癒やされるけど鳥肌立つ」どうぞお試し
第二問(5点)次の内運び点前に用いることができないものはどれか○①信楽焼平水指○②備前中水指○③瀬戸一重口水指×④唐銅擂茶水指×⑤青磁細水指つまり、④と⑤が正解。運び点前に用いることができるのは「畳に直置きしていい水指」です。畳に直置きしていい水指というのは、陶磁器の中では[草]の格となる・焼締・自然釉・楽が基本です。ただし、施釉陶器のものも[行]の格ですが、使ってもよいことになっています。(ふさわしいか
松平さまと安藤家御家流香道の板橋先生からのご好意で、安藤家御家流の茶道・香道大会に寄せさせていただきました。生憎の空模様ではありましたが、うだるような夏日が続いていた中での恵みの雨。それほど気温も上がらず、褝(ひとえ)でも大汗を掻かずに済みました。女性にはいささか肌寒いようではございましたが、私には丁度よい涼しさです(笑)受付を済ませて先ずは家元席。床には消息。初代対馬守重信公の御親筆で、金地院崇伝宛の書状です。重信公は二代将軍家秀忠公の傅役。腹痛を起こしたことを心配し登城しようと
禅語の「春水満四澤」は東晋末から南朝宋の詩人・陶淵明が詠んだ『四時』の第一句(起句)です。春水満四澤しゅんすいしたくにみつ夏雲多奇峰かうんきほうにおおし秋月揚明輝しゅうげつめいきをあげ冬嶺秀孤松とうれいこしょうにひいず春水とは春の雪解け水のことで、四澤とは四方にある沢ーーすなわち、あらゆる沢のこと。つまり、春になって雪解け水があちこちの沢を満たし、川に水が溢れんばかりに流れている美しい情景を詠んだ句です。禅語的には、春のおおらかな水の流れが大地を潤し、五穀豊穣をもたらす様
バレエは、習い始めてからある程度動けるようになるまで非常に時間がかかります。なぜなら、身体の使い方や動きが特殊だからです。特に大人から始めた場合は、子供から始めるよりも進歩は遅くなります。だいたい通い始めて1年〜2年ぐらいまでは、ほぼ初心者です。「バレエエクササイズ」クラスだけでも大変な方が多いです。でも、それは普通です。よく「バレエを習い始めて、もう1年も経つのに全然できるようにならなくて落ち込む」というお声をききますが、逆にまだ1年だから難しいのです。大人から始めた未経験の方が、
月桑茶道教室では、随時お弟子さんを募集しております。■月桑庵の特徴①点前偏重はしない月桑庵のモットーは「主客を大事にする」です。主客というのは「亭主=点前をする人」と「正客=連客の中で一番上座に座る人」のことです。点前偏重というのは、お茶を点てることばかり教えて、お客さんとしての振る舞いとか、道具の由来や掛軸の意味、お菓子の種類と食べ方などを教えないということです。慣れてくれば正客の稽古もできますし、さらには御詰め(末席のお客さん)の稽古もできます♪月桑
月桑庵で平点前に想定している水指は、六種。・中水指○・平水指○・細水指○・耳付水指○・四方水指○・釣瓶水指○中水指を基準として、扱いの違う基本的な水指六種です。毎月同じ道具で、平点前していても、味気ないでしょう?(笑)ならば、水指を変えて、趣向を少しだけ変えましょう!ということです。5月・中水指6月・耳付水指7月・四方水指8月・釣瓶水指9月・平水指10月・細水指(中置き)11月・中水指12月・釣瓶水指(塗)
ちょっと我が社中で問題がありました。新しいお弟子さんが姉弟子にお裾分けをしようとしたんですね。姉妹弟子が仲良くするのは良いことなのですが、これ、先生にお伺いを立てずにするとどうなるかわかりますか?友達というのは、何処で出会おうが友達になるときはなるし、ならないときはなりません。人と人の繋がりですから、どう繋がっていても自由……でしょうか?茶道の教室というのは「先生が開いたもの」ですね。この辺りが「カルチャーセンター」や「サークル」、「クラブ活動」と異なる点で
蟻腰と直腰(強いて言うなら反腰もあるか?)蟻腰【ありごし】は蟻腰のようにくびれた、節裏を削り込んだ茶杓のこと。直腰【すぐこし】は節裏を削り込んでいない茶杓のこと。天の丸い棗に直腰はよろしからず、天の平らかな棗に蟻腰はよろしからず。珠光棗(昔棗)や、竹棗(竹の節を利用し河太郎のように天が窪んでいるもの)などは、直腰の方が安定しますが、丸棗や利休棗は天が丸みを帯びているので、蟻腰の方が安定します。勿論、伎倆が高ければ丸棗に直腰でも載せられますが、少しでも蟻腰になっていた方が
_/_/_/_/_/_/_/_/「抹茶は甘い飲み物です」_/_/_/_/_/_/_/_/お抹茶に抱くイメージってどんなものがありますか?お茶会ってどんなところでしょ?茶道ってどんなことしてるんでしょ?■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□実は、お茶会って愉(たの)しいところなんです!一般的なイメージだとしゃべっちゃいけないみたいな感じですかね?でも、本当はそんなことなくて、正客と亭主の会話の邪魔をしな
令和6年4月27日(土)・28日(日)、護国寺茶寮にて都民の茶会が開かれます。板橋区茶華道連盟は27日(土)、月窓軒で切田宗順先生がお席持ちです。私は28日(日)、宗澄庵にて杉並区のお手伝い(笑)で、点前の予定です。28日(日)の宗澄庵は諸流席となっていて、皆さんのご存知ない流派の方が点前されるかも知れませんよ!(笑)・都千家小笠原宗誉・日本茶道塾岡田幸造・都流内田宗地ほかにも裏千家の鎌倉彫の方などもいらっしゃいます(まだ全員と顔合わせして
宗徧流正伝庵の吉澤先生からお招きいただき、お家元のお宅に伺いました。他流とはいえ家元のお宅に伺うのですから装いもきちんと。普段は茶会に訪問着の母・宗靜先生も「ちゃんとしたほうがいいかしらね?」というので「当然紋付で」と答えましたところ、色無地で行くことにしました。吉澤先生としては子供の会でもあるので、「小紋でもいいわよ」と仰ったそうですが、訪問着でいらっしゃる方もいてびっくりしたとのこと。紋の付いていない訪問着は小紋と同じお洒落着なので、家元宅に伺うのですから「紋の
私は何回か書いておりますがフリーペーパーの求人誌に出ていた納棺師募集(納棺会社)を見て応募しました。面接、即採用でしたがこの仕事、定着率が悪いので来るもの拒まず、的な場合が多いです。例外で断られた方は「力がない」とおっしゃった方でした。募集広告には「亡くなられた方へのお着替えとメイクをするお仕事です」「未経験者歓迎」「丁寧に指導します」そんな文言が書いてありました。とにかく最初は何もわからない状態でした。最初の仕事は先輩方について現場に行って見学でした。
日本人は兎角他人のことを否定する人を煩がります。私も自由にしていい部分では他人を否定することはない……と思っていますが、ことテーブル茶道については、一切を否定しています。それは「茶道とは合理の塊でありそれ以上簡略化できない極地である」からです。あくまで立礼などは「正坐のできない人への配慮」から生まれたものであり、本道ではないからです。というかですね、立礼があるのになんでテーブル茶道なんです?と。しかも、これに資格まであるとか。要らんですやん、資格なん
テレビドラマとかでお茶会のシーンがあると必ずというほど言われる「結構なお点前で」という台詞。ぶっちゃけて言えば、お茶会で聞いたことがありません。明らかに慣れてない人とか、習っていなさそうな方が言う場面はありますが、その時場に流れる「コレジャナイ」感がなんとも言えませんね(笑)莫迦にしている訳ではなく、なんでこの台詞が有名になっちゃったのか?と心と表情で溜息ついている訳です。亭主「お加減は如何でしょうか?」正客「大変結構でございます」これが最も多く聞かれる受け
よく、茶道を習われていない方から、茶道のイメージは「黙ってなきゃいけないんでしょ?」とか「ずーっと正坐してなきゃいけないんでしょ?」と言われるのですが、これは「本来無い」ルールなんですよね。小声ならしゃべっていいし、なんならしゃべらない正客とかのときは別の人が話さないと亭主が困る訳ですし、正坐するのは菓子と抹茶を頂くときだけでOKなんですね。では、なんでこうなったんでしょう?一つにはテレビのステレオタイプ的な撮影も一つの原因でしょう。亭主と正客の言葉を拾いた