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国宝東大寺本坊経庫(とうだいじほんぼうきょうこ)奈良時代710-793年桁行三間、梁間二間、校倉、寄棟造、本瓦葺奈良時代の校倉倉庫。食堂跡の北方、上司(かみつかさ)と呼ばれる場所にあった油倉を正徳4年(1714年)、東南院に移築したもの。東南院廃絶後は本坊経庫と呼ばれている。東大寺関係では正倉院宝庫を含め、他に5棟の校倉が残っている。このうち法華堂経庫と勧進所経庫は、正倉院の西方にあった倉を移したもの。手向山八幡宮宝庫は本坊経庫と同じく上司の油倉を移築したもの。正倉院の構内にある聖語蔵は
国宝姫路城イの渡櫓(ひめじじょうイのわたりやぐら)左、東小天守右国宝姫路城ロの渡櫓(ひめじじょうロのわたりやぐら)中央、左東小天守、右乾小天守国宝姫路城ハの渡櫓(ひめじじょうハのわたりやぐら)中央、右乾小天守、左西小天守国宝姫路城ニの渡櫓(ひめじじょうニのわたりやぐら)中央、右西小天守、左大天守イ、ロ、ハの渡櫓桃山時代1609年二重二階、地下一階付、本瓦葺ニの渡櫓桃山時代1609年二重櫓門、本瓦葺大天守と各小天守を連結している渡櫓。イ・ロ・ハの渡櫓はいずれも2重2階・
唐招提寺は国宝彫刻(仏像)を6件保有するお寺です。基本仏像は写真撮影禁止ですので、ウィキペディアから写真をお借りしています。唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。唐招提寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネス
皆様こんにちはレナトゥスクリニック仙台院高橋希です先日統括院長のお義父様がいらっしゃいました富山県の銘菓をいただきました越中富山の有名な薬「反魂丹」の名にあやかって「反魂旦」と名付けられた、薬玉を模したユニークな形の銘菓だそうです小麦粉、砂糖、バター、卵、ココア、蜂蜜、白小豆等に滋養原料を配合したもので、薬玉を模した形もユニーク。古趣ゆたかな香りと、材料を贅沢に使った風味で、子供から大人まで幅広く愛されています。(HPより)スタッフさんからも人気であっと
国宝広隆寺桂宮院本堂(こうりゅうじけいきゅいんほんどう)鎌倉前期八角円堂、一重、檜皮葺境内の西側、塀で囲まれた一画にある。聖徳太子像を祀る堂で、法隆寺夢殿と同じ八角円堂であるが、建築様式的には純和様で檜皮葺きの軽快な堂である。正確な建造年は不明であるが、建長3年(1251年)、中観上人澄禅による当堂建立のための勧進帳があることから、おおむねその頃の建立と推定される。堂内の八角形の厨子も堂と同時代のもので、国宝の附(つけたり)として指定されている。本尊の聖徳太子半跏像(鎌倉時代、重要文
国宝法隆寺南大門(ほうりゅうじなんだいもん)室町中期1438年三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺西院伽藍の南方、境内入口に建つ。入母屋造の一重門。室町時代(1438年)に、当時の西大門を移築し建立。建築当初は切妻屋根であった。法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院。聖徳宗の総本山である。別名は斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺など。法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『
国宝法隆寺中門(ほうりゅうじちゅうもん)飛鳥時代593-709年四間二戸二重門、梁間三間、入母屋造、本瓦葺日本の寺院の門は正面の柱間が奇数(3間、5間、7間等)になるのが普通だが、この門は正面柱間が4間で、真中に柱が立つ点が特異である。門内の左右に塑造金剛力士立像を安置する。日本最古(8世紀初)の仁王像として貴重なものであるが、風雨にさらされる場所に安置されているため、補修が甚だしく、吽形(うんぎょう)像の体部は木造の後補に代わっている。門は現在、出入り口としては使用されず、金堂等の
広隆寺は国宝彫刻(仏像)を6件保有するお寺です。ここには私の大好きな弥勒菩薩があります。見ているだけで心が洗われるような気がします。基本仏像は写真撮影禁止ですので、ウィキペディアから写真をお借りしています。広隆寺(こうりゅうじ)は、京都市右京区太秦にある寺。宗派は真言宗系単立。山号を蜂岡山と称する。蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれる。渡来人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した、京
国宝平等院鳳凰堂中堂、両翼廊、尾廊びょうどういんほうおうどうちゅうどう、りょうよくろう、びろう平安中期1053年中堂、両翼廊、尾廊より成る桁行三間、梁間二間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺鳳凰堂(ほうおうどう)は、天喜元年(1053年)に建立された阿弥陀堂であり、国宝である。「鳳凰堂」の呼称は後世のもので、平安時代の記録では固有の名称ではない「阿弥陀堂」あるいは「御堂」となっている。堂内須弥壇の格狭間に嵌め込まれた金銅板の延宝8年(1680年)の刻銘に「平等院鳳凰堂」と
国宝石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿(いそのかみじんぐうせっしゃいずもたけおじんじゃはいでん)鎌倉後期1300年桁行五間、梁間一間、一重、切妻造、中央通路唐破風造、檜皮葺鎌倉時代後期、正安2年(1300年)の造営。1916年(大正5年)5月24日に古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定、1954年(昭和29年)3月20日に文化財保護法に基づき国宝に指定石上神宮(いそのかみじんぐう)は、奈良県天理市布留町にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(中七社)。旧社格は官幣大社で