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何年間の結婚生活だったのだろう13年?14年?それから別居して数年後に離婚人生の大きな節目・分岐点を通ってきたのに何年だったのか、自分が何歳の時に離婚したのか思い出せないおそらく私の中では戸籍上(書類上)のことだったからそこには心がなかったから別居の準備を整えた上で元夫に「家を出ていきます」と告げた時「去る者は追わない」と言われあっけなく結婚生活は終わったっけ結婚式披露宴の日からこの日がくることをなんとなく予測していたような気がしますいやい
納棺した日の夕方、私の友人の訪問があった。共通の友人から娘の闘病の事は聞いて知っていたそうです。訃報を聞いて会いに来てくださった。引越しをして遠くなり、会うのは数年ぶりだった。友人とは家が近かった事もあり、お互いの家で子ども達をよく遊ばせたりもしていた。一緒にご飯を作って子ども達7人と食べた頃が懐かしい。娘の小学生〜高校生までを知っている友人とは、懐かしい昔話に花が咲いた。小学生の頃からご近所の方々に「チーママさーちゃん」と呼ばれるほど、しっかり者だった娘。出来すぎるほどの良い子
~『『ウェドネスダイ④』』から続く〜初めての人はこちらからご覧下さい♪『『突然の逮捕』①<逮捕!!>』こんにちは2個目のブログは突然やってきた逮捕の話です。そのときは突然やってきました。ある朝、5時半頃私が出勤しようと家を出て、いつもの通勤道を歩いている…ameblo.jp昔のことが一瞬にして頭に浮かび上がり、今の発言とひも付き、ぷっつり切れました。そしてしばらく待つと1本LINEがとどきました。母「お金、なんとかする。」母親がどうにかして作ってくれたのでしょう。おそら
第19回青空文庫朗読コンテスト「録音の部」BEST10の音声が毎週配信中です。私の順番が来ました7位いただきました~「蒐集山川方夫」です青空文庫朗読コンテスト録音の部2024上半期7位青空文庫朗読コンテスト録音の部2024上半期7位2024上半期BEST10選出作品は、2024/4/10(水)から、毎週水曜日10位から順に一作品ずつ、このYouTubeチャンネルで公開しております。第19回青空文庫朗読コンテスト一般の部・認定講師の部、録音の
ご訪問ありがとうございますアラフォーのrinkoです。30代後半からの婚活日記です。色んな人がいましたが、面白かったこと、ビックリしたこと、気を付けた方が良いことなど書いていこうと思います私の失敗が役立ちますように。(プロポーズ後に破局含む)『私は結婚願望がなかった人です①』ご訪問ありがとうございますアラフォーのrinkoです。30代後半からの婚活日記です。色んな人がいましたが、面白かったこと、ビックリしたこと、気を付けた方が良…ameblo.jp東京では
前回の続き。スロ4号機でイベント全盛の時代は仙台駅前を色々巡り歩いてました。レートどうこうより打ちたい台を打つ!という養分思考だったので、大幅に負け越してたのはいうまでもありませんw●まるたま駅前店(2014年9月閉店)当時一番通ってた店。仙台駅前にありながら並びが当時そこまで多くない、ストック機のストック消さない(残念ながらストック消してるA○Cみたいな店もあったので)、そして自分が好きで打ってた巨人の星に設定が入ってる、飽きたら2階建ての2階のスロからパチに降りてCRF夏祭りやる。みた
私をいつもそっと元気づけてくれる人の話。私が小学生の頃はまだ「座高測定」というものがあって…※2014年〜2016年に「座高測定」は廃止。子どもながらになんとなく恥ずかしい気持ち(足の長さがわかってしまうから)で測定していたのですが…座高測定の結果に、なぜか大喜びでガッツポーズを決める男子が1人いました。彼の名前は「藤本くん」あの頃の私達はまだ純粋で無知な子供だったので「ん?喜ぶところなん?」とは思ったもの
2023年、6月中旬に、夫から今すぐに離婚したいと言われました。それまで、3月ぐらいから夫の様子がおかしいと気づき始めた。何を話しかけても「ふーん」「へぇー」「うん」こんな感じの返答ばかりで、とても悲しかったですその間に色々と何で怒ってるんやろう!?とか私なりに考えて、「この事で怒ってるんかな!?」って言うことをラインしてみたり、直接聞いても、結局、何もわかりませんでした。子どもが夫にラインで聞いて見たところ、「長年の積もり積もったこと」みたいな返信
昔のことを蒸し返すようだけど、、2021年、2022年はホント、病院関係困り果てて、、自分なりに精一杯考えてあちこちで説明し、動いていたのだけれど、、結局緩和ケアをしてくれるまでに相当な時間を要し、その間Mには病気の辛さをたくさん感じさせてしまった。何と言っても体の痛みコレ、ほんと酷かった。夜中も目が覚めて叫び出し、、激痛、、もともとMはがまん強い子。1歳の時脳腫瘍が見つかったときもかなり大きくなっていて突然大泣きからはじまった。2時間ギャン泣きが
外歩いててもマスク外すことに罪悪感を感じた時期がありましたね。そんなに前のことじゃないけど、すごい昔のことみたいな…。今思えば異常な体験です。閑散としたその頃の新宿の夜。
最近昔のこと思い出す。それは、悲しいという感じではなく、あー、そんなこともあったなあ。あの頃は彼の一言一言にオロオロして、泣いて、、。
こんにちは。今日はどうにか仕事に行きました。仕事の最中に涙がこぼれそうになったけど、ミスしないように頑張りました。こうなる事は予想出来たのに、なんで昔のこと言ってしまったのか自分でも分かりません。いつも当たり前のように居た人が居ないのは、とても寂しいものです。でも自分が招いた事です。この先どうなるか分からないけれど、受け入れるしかないです。このブログを書いている時も涙があふれてきます。なので今日はもう終わりにします。
なんやろっ?昔のことでおもいだせんっでもいつも最後の方であせって終わらせてたよーな気がしますしても忘れます適当にしてればいいんじゃ?
懐かしい写真を探してネット・サーフをしたら止まらなくなった。この六本木Waveも懐かしいけれど、私の探し物はコレではないのね。20年前にここ横浜に移住しましたが、生まれも育ちも西麻布・昔は霞町と言いました。何年もずーっと探しているけれど、1枚の写真もみつからない。それは六本木にあったキャラバン・サライの写真。もう50年位かそれ以上昔に大変に華やかだったクラブ・レストランです。私も2年位毎晩深夜に演奏しました。リラキシンというジャズ・ライブのお店が、六本木の東京ベッド
今日は5月3日。『ちょこっと雑学』[[計算(たし算、ひき算、かけ算、わり算)はいつだれがつくったの?]]計算というのは、かなり昔からありました。なぜなら、人間がくらしていくために、どうしても計算が必要だったからです。お金がまだなかったほどの大昔では、物と物を交換して、ほしいものを手に入れていました。たとえば、いつもニワトリ10羽と、ブタ1頭を交換していた人たちがいたとします。ところが、あるときニワトリ15羽をブタと交換しなければならなくなりました。このとき、計算ができないとたいへんです。
クローゼットから出したアルバムが置きっぱなしになっていたので、片づけてたんですが、こんなものが出てきた。楯は、別の場所にあって、本棚に片づけておいたんだけど、賞状が見つからないなぁと思ったら、アルバム類が入った衣装ケースに一緒に入ってました。中学1年の時に美術の時間、校内だけど、外に出て、自由に描いていいという授業があって、私は、校門を入ってすぐの植え込みの中に一人入り込み、黙々と描いて。色塗りは教室でしましたけど、葉っぱ1枚1枚微妙に色を変えて、ちまちま塗った覚えがあります。植
『成人になるまでは、子供の責任は親にある。だから、子供は親に従う義務がある』これは父がよく言っていた言葉です。だからわたしは、20歳にならないとエホバの証人を辞めれないと思いました。親の言う通り、中学生でバプテスマを受けました。高校も、行きたい所を我慢して、親の言う通り。卒業後に寮付きの職に就いたけど、またまた親の言う通り一年も経たず退職しました。そして19歳で排斥。排斥されてからも、支配は続き。だから家を出ました。家を出るとき、『お前はどうせ何をやっても上手く行かないだろう。す