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昭和11年の台北市街の地図です。1番上中央に新公園とあるのは、現在の二二八和平公園です。この新公園から真っ直ぐ続く栄町通りは名前の通り、台北市内で1番栄えたストリートです。この栄町通りの両脇には、たくさんの会社や商店が軒並み連なっています。手書きなので見にくいですが、栄町通りと京町通りの交差点には、台北で唯一だった菊元百貨店があります。この菊元百貨店は、台湾で初めてエレベーターが設置されていたそうです。エレベーターが珍しくて、わざわざエレベーターに乗りに菊元百貨店に行ったと
先日、台北生まれの湾生の方のお話をお聞きする為、奈良まで行って来ました。Uさんは台湾で生まれ育ち、13歳で引き揚げ。現在御年90歳で、元気ハツラツ、素晴らしい記憶力の持ち主です。「台湾楽しや」と言う歌があるのですが、歌のとおり、台湾で楽しく暮らしていたのに、日本の敗戦により、強制的に、しかも財産を没収され日本に引き揚げさせられたと言うのは、酷い話ですよね。引き揚げ船から日本の港に上陸した時にのみシラミの駆除のDDTと言う白い粉のを頭や体に吹きかけられてる様子です。左の筒の様な
日本統治時代の台湾の教育機関は、日本人は小学校、台湾人は公学校と分けられていました。台北には小学校が8校ありました。樺山小学校建成小学校旭小学校寿小学校南門小学校幸小学校錦小学校付属小学校創立年月日は樺山小学校は明治44年2月、建成小学校は大正8年4月。生徒数は両校とも1700〜1800人もいるマンモス校でした。私の父は日本人なので建成小学校に通っていました。ほとんどは日本人の子弟ですが、50人ほど居たクラスに5〜6人の台湾人の子弟がいました。この数人の台湾人の
二日目朝食付きにしていたので、ホテルでバイキング。ハーゲンダッツアイスがあるわぁと思ったら、無かった😭ライチーのジュースが美味しかった。フルーツとヨーグルトドリンクコーナー❣️お料理は種類も豊富でどれも美味しかったです!緑色の果物の密棗(ナツメ)があっさりしていて好きです😋忠孝新生駅からMRTに乗り、台大醫院で下車。歩いて行くとすぐニニ八和平公園に着きました。この公園は1908年に開園し日本統治時代に都市公園として、円山公園の後に新しく作ったので「台北新公園」と名付けら
私がとてもびっくりした事があります。それは、私の父の様な戦前の台湾で生まれ育った日本人や日本統治時代に台湾に移住していた日本人の戸籍が台湾にあって、それが今だに台湾に大切に保管されていると言う事です。その台湾での日本人の戸籍があると言うことを知ったのは、「湾生回家」と言う映画の劇中で、湾生の方が台湾の市役所に赴き、日本統治時代の自分の戸籍を手に取り涙を流しながら感激しているのを見たからです。父の本籍は鹿児島なのですが、台湾での戸籍はどういう風に書いてあるんだろう?とても興味がありま
ニーハオ!台北人です。YouTubeもやってます。チャンネル登録お願い致します。台湾チャレンジ台湾チャレンジ皆様初めまして。台北人と申します。日本人女性です。台湾人と結婚して、台北在住歴20年を超えました。自分で車を運転して、台湾をあちこち行くのが趣味です。台湾のおもしろい情報を現地在住者の視点でご紹介しています。台湾のレア情報、グルメ、シヨッピングや風習などをブログで発信しています。そのために映像として、もっとわかりやすくするために「見るブログ」…youtube.com先日から台湾で
8月&9月の韓旅(8/29~9/4)レポこちらの記事↓のつづきです。9/38月&9月の韓旅⑭仁川編①日本家屋探索と激安&激ウマ炭火焼きカルビのランチ新興(シヌン)市場の周辺に、かつて敷島遊郭(부도유곽)があったエリアがあるということで、その痕跡を求めて歩きました。桃源路(トウォンノ)~仁中路(インジュンノ)の路地裏に여인숙(ヨインスッ旅人宿)と言われる安宿が軒を連ねる一帯が。(↓中区桃源路2-1)店を閉めているところもありましたが、どうやらこの一帯が元遊郭だった
次の目的地は、MRT中山駅から5分程の台北當代芸術館へ。戦前、ここは1919年に創立された旧建成小学校で、主に日本人子弟が通っていた小学校で、父含めて兄弟7人全員この学校に通っていました。ひとクラスに5〜6人の台湾人子弟もいましたが、入学するには成績優秀で裕福な家庭だと言う事が必須条件でした。児童数が一番多い時で、2000人ほどいたマンモス校です。校舎はコの字に建てられており、煉瓦造りの瀟洒な建物です。校庭はとても広大で、プールや相撲の土俵もありました。建成小学校の正門だった方
日本統治時代の台灣臺北駅周辺の地図です。上部のオレンジ色の所が臺北駅。左側の円形黄色が北門。その少し南に下った線路の近くに竹の家があります。この竹の家は高級料亭です。樺山小学校の同窓会に参加させて頂いた時にこの竹の家の親族のTさんにいろいろお話を伺いました。この竹の家は公会堂の近くの大和町にあり、(この地図はかなり古いようで、違う地図には公会堂はこの位置に載っている)エレベーターもある高級旅館でした。日本時代の最後の総統19代安藤利吉も泊まったそうです。ここで雇う芸妓さ
台南でのゲイマッサージでスッキリしたら...レトロな町並みがある神農街を散策。古き良き日本統治時代かと思われる町並みに灯りが灯ったら...レトロなBARへ。コンセプトがイマイチなんですが...美味いカクテルをご堪能下さい。もちろん、台湾ビールも。このフレーバー台湾ビールも美味かった。最後はジントニックをもう一杯。オブジェ。まだまだ飲み足りないゲイの皆さんへは...たんまりとご用意致します。お夜食も。
前回のブログ記事『日本に渡った祖父母達』前回のブログ記事『通名』以前のブログ記事『本当はこういう事を書きたかったんですよね』私のエブリスタ在りし日よ/リュウ†††一人の在日韓国人として、言いた…ameblo.jp前回(↑)の続きです。私のエブリスタ在りし日よestar.jp(エブリスタより)大抵こういう話(祖父母が日本に渡った話)をすると、何処ぞのクソサヨク共が(残念ながら在日も)「日本(大日本帝国)が悪いから貧乏だったんだ!」「植民地にされて日本の奴隷だったからだ!
今回のツアーではそこここに鯉のぼりを見かけるのでそれらに対する質問が多かったです。今回のツアーで日本のお祭りについて質問があったという話をしましたが、もう一つ、今回特に出てきた質問が「鯉のぼり」についてですね!♪ヽ(´▽`)/というのも、今の季節はバスで移動すると、そこここで風にたなびく鯉のぼりを見かけるんですね。ついでにひな人形がまだ展示されている所もあったこともあって、日本の男の子と女の子のお祝いの仕方について今回は特別にバスの中で解説をしました。まず、ひな祭りについて