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大分市の東部に、「関あじ関さば」で知られた佐賀関という漁師町があります。佐賀関半島の小高い丘の上に立つと、眼下には豊予海峡が広がり、晴れた日には愛媛県の佐多岬がすぐそばに見えます。「せとうち風景30選」に選ばれた絶景です。佐賀関半島の東部に透明度の高いことで知られた、「黒ケ浜」という海水浴場があります。「黒ケ浜」は海岸が黒い小石で敷き詰められています。「日本の渚百選」に選ばれています。「黒ケ浜」は上記(うえつふみ)によると神武天
「アマテラスの子であるオシホミミについてはあまり知られていませんが、お話しの中で出てくる内容からして実際にはかなり活躍された方であると思えるのですが、そのあたりを教えてください。」「オシホミミはアマテラスとセオリツヒメの子であり跡取りです。古事記にもあまり出てきませんが、アマテラスとセオリツヒメが手塩にかけて育て上げた立派な王です。幼少時はイザナギに預けられて帝王学の教育を受けていたこともあまり知られていません。この辺りは古事記からも日本書紀からも全部削除されています。アマテラスが興したヤ
今回は「多紀理毘売命」についてお話していきます。前回から引き続き”宗像三女神”です。一柱だけ紹介って訳にもいきません。市寸島比売命に比べ『多紀理毘売』『多岐都比売命』は知名度がやや落ちます。ですが!この三女神は結構個性的ですから特徴を知るのも楽しいですよ。宗像大社~多紀理毘売命とは~宗像三女神の一柱で天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)により生まれた神です。記紀により生まれた順序が違います。古事記では”長女”になっており、大国主神と結婚して阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね)と下照
TheTrojanWarザ・トロジィアン・ウォートロイア戦争今回の記事は、トロイア戦争のトロイアの木馬のことについて簡単に説明します。僕の時代は『トロイの木馬』と言っていましたが、今回は『トロイアの木馬』で統一します。トロイア戦争とは、ギリシア神話の中の1編です。GreekMythologyグリーク・マィソロジィー上の写真は、ギリシア神話の、ギリシア・オリュンポス十二神をはじめとする神々の物語だが、ギリシア神話とは口承(口伝)くちづたえで伝わってきた物
今回は、不比等が作った幻想の国「日本」(その7)として、壬申の乱編をお話しします。下記、①から⑩項目のうちの「⑥壬申の乱(672年)と、勝利した大海人皇子が天武天皇として即位(673年)」のお話しとなります。①孝徳天皇と中大兄皇子(豊璋)の確執と孝徳天皇の死(654年)②皇極天皇が再度、斉明天皇として即位(655年)、斉明天皇の死(661年)③「白村江(はくすきのえ)の戦い」と百済の滅亡(663年)④近江へ遷都(667年)し、中大兄皇子(豊璋)が天智天皇として即位(668年)⑤中臣鎌足
『記紀』。古事記と日本書紀の総称である。日本の歴史書として認められているのだ。そんな由緒正しき歴史書『記紀』だが、不思議なことがいっぱいある。日本最大の山『富士山』が出てきていない…とか、全国に伝承が残る、秦の始皇帝の使い『徐福』が出てきていない…とか。名前を変えられたか、あるいは「隠された」か。そんな不思議なことのひとつに、初代天皇『神武天皇』がいる。初代天皇の正式名は『カムヤマトイワレヒコノミコト』。系図を素直に見れば、「あ、アマテラスの血筋なのね」となってしまいそうだが、
【大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)】(茨城県大洗町)茨城県大洗町にある【大洗磯前神社の鳥居】です。国造りの神で薬の神でもある「オオナムチ(オオクニヌシ)」「スクナビコナ」をお祀りしている神社です。那珂川対岸のひたちなか市にある「酒列磯前神社(さけつらいそさきじんじゃ)」と対の関係で、2社で1つの信仰を形成しています。「磯前」を「いそまえ」と呼びそうになりますが、弘前市(ひろさきし)と同じように「いそさき」と読みます。他に、神社だと群馬県安中市の咲前神社(さきさき
今回は「闇淤加美神」についてお話します。毎回どの神を取り上げるか悩みます。この神様『京都・貴船神社』で祀られている祭神です。神名は違いますが同じ神様です。『闇』なんて文字が使われているのでイメージが悪いですが誤解です。そのようなことは有りません。京都・貴船神社~闇淤加美神とは~高龗神(たかおかみのかみ)と闇龗神(くらおかみのかみ)が同一神という説も貴船神社社記にあります。今回は同一神かは不問として《高龗神》は扱いません。【高龗神(たかおかみのかみ)とは?】※京都・貴船神社HP
『旧約聖書』の出エジプト記3章14節で、モーセに「イスラエルの民を救い出しなさい」と命じた神に、モーセは「私は民に誰が私にそれを命じたと伝えればよいでしょうか?」と質問しました。神は自分自身を表す言葉として次のように答えました。אֶהְיֶהאֲשֶׁראֶהְיֶה(エヘイェ・アシェル・エヘイェ)〝IAmthatIAm〟「我は有りて在るものなり」と…古事記、日本書紀によれば、古代の日本には高天原という別世界に住む天照大神のような天津神系の神々と、出雲大社の大国主大神のように高天
今回は、「律令国家における農民の暮らし」について考えてみたいと思います。みなさんは、『続日本紀(しょくにほんぎ)』という歴史史料を知っていますか😊❓古代国家は歴史史料の編纂を命じ、合計6つの史料を完成させました。これらは「六国史(りっこくし)」と総称されています。『続日本紀』は「六国史」の2番目の歴史書で、奈良時代の歴史の基本史料になります。ちなみに1番目の歴史書が、『日本書紀』です。この『続日本紀』に次のような文章が掲載されています。「
ご訪問ありがとうございます。今回は天照大神は卑弥呼なのかという命題についての検証なのですが( ̄▽ ̄;)これについては古くは東京帝大の白鳥庫吉博士や哲学者の和辻哲郎氏が唱えられ、現在では安本美典さんが急先鋒というべき存在ですが、ちょうど理由をまとめておられるのでそれをあげてみましょう。(「BESTT!MES」より転載)天照大御神と卑弥呼「9つの共通点」①女性である②宗教的権威がある③夫がいない④弟がいる⑤『古事記』に記述のある高木神(たかぎのかみ)と『魏志倭人伝』の「女王の
【ツキタテフナトノカミ/杖から生まれた境界守護神】@art.mochida.daisukeツキタテフナトノカミ(衝立船戸神)は『古事記』においてイザナギの持っていた杖から成り出でた神様として登場します。黄泉から帰ってきたイザナギが禊(みそぎ)をした際に産まれた神々が住吉三神や海神三神、アマテラス、スサノオ、ツクヨミといった神々ですが、その禊をする前にイザナギが脱ぎ捨てた服や杖、腕輪からも多くの神々が産まれました。その中でイザナギの御杖から生まれた神がツキタテ
現在、飛鳥時代の古代史の謎を一つ一つ解読して行っています。現在進行形なのでどんどん進化していっているわけですが、今回は舒明天皇とは何なのかを考察して行きたいと思います。まず根本は天智天皇と天武天皇とは実の兄弟ではないという原則からスタートしています。天智天皇は百済の武王の子で義慈王の弟、百済人です。天武天皇はおそらく新羅系。名前まではまだ特定できていませんが、儀鳳暦の名前の付け方からこの暦は新羅から導入されたことがわかります。また泉涌寺には位牌が無いことなどから天智とは系統は違うでしょ
結果的に(笑)熊本の穴場観光スポットになりましたがソロツーリングに行って来たのでご紹介します。水島(みずしま)龍神社(りゅうじんじゃ)熊本県八代市日本三大急流の一つ球磨川の河口にあります。見るものとしては神社の姿が美しいのですがこの島自体がポイントなんですよ。なんと日本最古の歌集”万葉集”に詠われ日本書紀にも登場します。”国指定名勝”「不知火及び水島」残念ながらその知名度は県内でも低く更なるアピールを期待しているところ。この日はフュージョンでソ
ちょっと気になる人間関係があって相手の態度で自分の感情が支配される…なんでだろうとずっと悩んでたら愛着障害という言葉に出会いましたセルフチェックしたらピッタリ!でしたこれこらいい人間関係を築いてまた新しい人生を歩みます🤭瀬織津姫様日本書紀などにのってない神様らしいですちょっと気になったので読んでいます
最近文献研究から考古学研究に手を広げ、地に足を付けた考察に進化できたらいいと考えている。その中で、奈良の箸墓古墳は特殊器台も出土し吉備の影響も大。大和朝廷のメインは吉備の勢力が東遷してできたのではないかという知識を仕入れた。そうすると崇神天皇の時代の四道将軍の遠征エピソードが引っかかってくる。通説では大和を中心として北陸と東海と吉備と丹波を勢力下に収めたとの話と矛盾が生じるからだ。そこで例のごとく日本書紀の原文を見てみることにする。九月丙戌朔甲午、以大彥命遣北陸、武渟川別遣東海、吉備
どうもミスターKです。○ロ○でいろいろ大変ですが、昔から権力を持っている方々は、何かと隠蔽をしているもので、この○ロ○騒動の裏で何を隠蔽しようとしているのでしょうか?発病者数や死者数からして緊急事態宣言を可能とする特別措置法改正案決議へ!なぜ???検査を拒否しているので、今はこの数字だが、本当はもっとひどいのか!?・・・・毎年インフルエンザでは1万3千人ほど死者数がいるのに・・・・何かがおかしい・・・・すみません。陰謀的な話になりそうなので、本題へ戻します。(笑)
こんにちは、しゅんすけです。今日は確かなことというお話です。………この世は、あらゆるものが変化します。家族も、友達も、恋人もお財布の残金も愛車の外観も自分の容姿も長いが短いか、遅いか早いかの違いはあれど、すべては変化します。全てが変化する現世で多くの人は不安を抱き確かなこと(安心)を探し求めていたりします。………全てが変化する世界を生きる中で確かなこと、変わらないものを発見できた人たちは変化を楽しむことができます。しかし、多くの人は確かなこと、
但馬国一之宮粟鹿神社の東稲土川沿いを上流に進むと害獣避けの柵があります。その柵を越えて渓流をさらに進むと鳥居が見えてきます。あまり人が訪れる様子も無くひっそりと滝を見下ろすよう浄丸神社が立っています。岩肌を流れる渓流の碧に苔の翠、そして山の緑に囲まれて落差の低い滝の音が心地よい。岩を縫うように進み神社の下から絶景を眺めてしばし心を休めます。まだまだ知らない美しい神社の風景があるんですね駐車場はありません、地域の皆さんに迷惑にならないようなお詣りをお願いします。
霧島には、いろいろ神秘的な場所があります。そのひとつが「熊襲の穴」です。かつて“クマソ”と呼ばれる人々が暮らした穴です。古事記や日本書紀に、ヤマトタケルノミコトがこの熊襲の穴でクマソ族の首領を倒したという神話が残されています。洞窟の入り口は、こんな感じです。ちょっと入りずらいですよね。でも、中は意外と広く、壁面には、アートが描枯れています。鹿児島出身の画家・萩原貞行氏が描いたものらしいです。神秘的です。パワースポットと言われています。熊襲の穴は、こちらに詳し
今回は「志那都比古神」と題してお話していきます。この神様は、記紀共に語られ風の神とされています。風の精霊的な存在とも取れますし神とも取れます。神社などでは、級長津彦命・級津彦命・級長津姫命などの神名で祀られています。相模國二之宮川勾神社~志那都比古神とは~古事記では男性の神様として記載されています。日本書紀では男性の神でもあり女性の神であると書かれています。神社(例:春日大社)によっては級長津彦命・級長津姫命と併記されており二柱になっています。この神様は、風の神様です。精霊的
『日本書紀』は30巻からなる日本最初の正史です。そして、初代の天皇はいわずと知れた神武天皇です。しかし、神武天皇が最初に登場するかというとそうではありません。神武天皇について記されるのは3巻目なのです(厳密にいうと、2巻目の最後に名前だけは記されています)。ではその前の2巻はというと、「神代」という神々の時代が描かれているのです。混沌の中から天地が創造され、最初の神である国常立尊(くにのとこたちのみこと)が生まれられてから、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあ
【オオマガツヒ/黄泉の禍を現す神】@art.mochida.daisukeオオマガツヒ(大禍津日神)を描いてみました。イザナギが黄泉の国の穢れを清めるために、その身を水で禊(洗う事、身を清める)をした時に生まれた神の一つがオオマガツヒで、災厄を表し凶事を司る神です。神名の「禍」(マガ)は「災厄」、「ツ」は上代語の格助詞「の」、「日」(ヒ)は「神霊」の意味で、「マガツヒ」の名義は「災厄の神霊」という意味になり、同じような神格を有しているとされるヤ
GW〜御祭神は第一代天皇の神武天皇と皇后を祀る〜。『日本のはじまりの地』といわれる〜朝早かったので陶器市は開店前😭日本最古の正史ともされる『日本書紀』に『日本建国の地』と書かれているんだって〜ひろーいでかーい龍🐲🐲🐲何年かぶりにおみくじ〜鮎みくじ神武天皇が戦いの前に勝敗を占うため使ったという鮎をデザインした「鮎みくじ」いいこと書いってあった🤭🤭🤭今年はたくさん鮎釣れるかなぁ〜
石上神宮:奈良県天理市布留町384当社を再訪したのはあるサイトで拝殿裏の禁足地を見学できると知ったからだ。初めて訪れた時の印象は専らニワトリで、国宝の拝殿や重文の楼門はあるものの、日本有数の古社とされる割にそれほど目に止まるものがなかった。禁足地があることは知っていたが、拝殿前からは窺えず、周囲は森で囲まれているためにその様子はさっぱりわからなかった。楼門拝殿定刻の午後1時に社務所前に集合する。集まったのは20人程だろうか。授与品を受け取り、境内で整列させられた後、二手に分かれて神職から
【水や海の神とされる龍神】@art.mochida.daisuke今日は龍神様です。昔より水や川の神様として龍の伝承が伝わり、海の守護神ともされ、日本において龍神は、西洋のドラゴンに代表されるような怪物ではなく、神様として広く信仰されています。もちろん『記紀神話』にあるように、ヤマタノオロチのような恐ろしい側面を持った龍神伝承も残り、日本各地で多種多様な龍神がいると考えられてきました。『古事記』には水の神様としてミヅハノメやオカミノカミやミクマ
【ウムガイヒメ/オオクニヌシを蘇生させた女神】@art.mochida.daisukeウムガイヒメ(蛤貝比売)は、貝の蛤を神格化した神様であるとされます。この女神は、オオクニヌシの神話に登場し、カミムスビの勅命を受けて八十神に殺されたオオクニヌシ(オオナムチ)の蘇生と治療にあたりました。この時にキサガイヒメ(𧏛貝比売)も一緒に遣わされていて、二柱で一対となる関係性がみられます。白兎の託宣により稲羽の女神ヤガミヒメと結ばれたオオクニヌシでしたが、ヤ
藤原不比等という名はよく聞いていたが何をしていた人が覚えていなかった。大宝律令をつくった人というのを思い出した。大化の改新の645年以後から平城京遷都の710年くらいだろうか?この時代は百済が滅ぼされて、かなり朝鮮半島も争いの多い時代でいつ日本も攻められるか不安な時代だった。そんな時、藤原不比等は、独自の律令をつくるという国家の基本法を作ることを目指した。唐と対峙するためだ。国の基盤をきちんと整備することで対抗するということだろう。律が刑法、令が行政法となる。
ご訪問ありがとうございます。それでは続きを読むことにしましょう。9月5日、天皇(ホホデミ)は菟田ウダの高倉山タカクラヤマの頂に登って、国中を眺められた。その時に国見丘クニミノオカの上に敵、すなわち八十梟帥ヤソタケルがいた。八十梟帥、八十は多いこと、梟帥は首領を表します。だいたい敵側に使われますが……だから八十梟帥はいろんな国や邑の連合軍でしょう。こうして考えるとヤマトタケルって大和の王ってことですね。「東国のタケル王」がタケルと呼ばれた可能性も高くなります(^^)(彼らは)女坂メサ
thuoclao(ベトナム伝統タバコ)を元情本自衛官が吸うThuốclào(薬ラオス)と書きます。一般的なタバコ葉であるニコチアナタバカムと違い、ベトナムで伝統的に栽培されていたニコチアナルスティカは喫味に劣るためこのような喫煙法に落ち着いたとかないとか。何故ラオと言うのか、18世紀にラオスからタバコが伝わったためという記録もあります。私はキセルも吸うんですが、キセ...youtu.beベトナム、フランス…時々静岡?を元情報本部自衛官が語る。軍隊&徳川家も雑談まじり集団ストーカー。上海