ブログ記事8,098件
前回に引き続き調べていると、クナト王と出雲族とは関連付けられて情報が出てくる事が分かりました。ここで少し頭を整理すると、倭人には二系統あり、3500年前にインドから渡来した出雲族(クナト王の率いるクナ国人のこと)と紀元前300年頃に渡来したクニサツチに始まる大山積王家とです。読んでいると、出雲族は北から入ってきて出雲へ土着した事が書かれているので、出雲の王家は倭人扱いで、一緒にきていた人達は倭種扱いされているのが理解としては正しい様です。で、一番の問題点は「意識」だと思います。
今回はこういうお題でいきます。人身御供(ひとみごくう)をWikiで引くと、「人間を神への生贄とすること。人身供犠(じんしんくぎ)とも」と出てきます。関連した項目としては、人柱、殉葬などがあるでしょう。これらの区別はなかなか難しいですが、少し考察してみたいと思います。人身御供は、この言葉を聞いて、岩見重太郎の猿神(狒々ヒヒ)退治を思い浮かべる人が多いでしょうが、山奥に巨大な猿がいて、里村に娘の生贄を要求した・・・さすがに、本当にそんなことがあったとは思えないですよね。もしあったとした
今回は、意富斗能地神~労働を司る男神~についてお話をしていきます。古事記・日本書紀では知られていますが、神社等では余り馴染みのない神です。単独で祀られている神社もほぼ有りません。神世七代の神の一柱です。(シリーズ12/85)【性別・別称】男性の神様で対偶神(男女一対で出現された神の事)です。大斗乃弁神と一対で出現されています。神世七代(神代七代、天神七代)とも呼ばれます。【神名】意富斗能地神(おほとのぢのかみ)(古事記)大戸之道尊(おおとのじのみこと)(日本書紀)大戸之
ご訪問ありがとうございます。今回は天照大神は卑弥呼なのかという命題についての検証なのですが( ̄▽ ̄;)これについては古くは東京帝大の白鳥庫吉博士や哲学者の和辻哲郎氏が唱えられ、現在では安本美典さんが急先鋒というべき存在ですが、ちょうど理由をまとめておられるのでそれをあげてみましょう。(「BESTT!MES」より転載)天照大御神と卑弥呼「9つの共通点」①女性である②宗教的権威がある③夫がいない④弟がいる⑤『古事記』に記述のある高木神(たかぎのかみ)と『魏志倭人伝』の「女王の
おはようございます出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日も、お忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。「古事記」と「日本書紀」は、ほぼ同時期に成立した実在する日本の歴史書ですが、両者には、内容に「違い」があります今回の記事は、どのような「違い」があるのかなぜ「違い」が生まれたのかについてです。「古事記」が成立したのは、奈良時代の初頭、712(和銅5)年
バチカンのホールについて書きましたがレプティリアンなんて信じてるの?そう、コメを頂きましたので、少し書きます信じるも信じないも、まんまだと私は、思うのですが...そう見えるだけの設計でしょ?そう思うのも、思わないのも各人のご自由ですただ時間が無いので存在より、どう影響してるかを書いてます私は自分が知り得た情報を提示しているだけです事実だと思うから何を思われ言われても平気デスだから疑問にもお答えしておりますでも、海外では悪魔崇拝など公にしていたり反対の芸能人も居る
◯2022年12月20日に、京都、祇園の八坂神社にお参りした。その境内に、次の案内板が設置してあった。『古事記』千三百年平成二十四(二〇一二)年は、我が国初の歴史書『古事記』が和銅五(七一二)年に撰上されてから、千三百年の年に当たります。天武天皇の勅命により稗田阿礼が誦習した帝紀・旧辞(天皇の系譜や神話・伝承、氏族の縁起など)を太安万侶が撰録した『古事記』には、神代から推古天皇までの歴史が描かれており、中でも初代・神武天皇の前代までを記した上
ご訪問ありがとうございます。さて、倭彦命については終わりましたが、彼が倭姫命とともに歩んだのではないかと考えられる「倭姫巡幸」のコースにはどのような意味があるのでしょうか?ここでもう一度「倭姫巡幸」の範囲を見ていきますと、尾張には一宮市より先には入って行かないことがわかります。これはこのシリーズの「倭姫考」でもお話ししたのですが「画文帯神獣鏡」という鏡があり、これが考古学の福永伸哉さんによると尾張・三河(愛知県)を中心とした三遠式銅鐸の地域に入っていかなくて、また三角縁神獣鏡の古い
今回は「月読命」についてお話をしていきます。月読命と言えば名前ばかりが有名で実態をあまり知らない方が多いのではないでしょうか?三貴子(みはしらのうずのみこ、さんきし)の一柱として著名な月読命ですが、どのような神様なのかお話をしていきます。~月読命とは~月に関連した神様ということは、分かると思います。その他に「月を読む」という意味から暦(こよみ)の神様という説・夜を照らす神様・月の神霊・月弓から弦月(げんげつ)に基づく命名とする説などがあります。その他日本書紀では、太陽神的な存在と
奈文研藤原京跡資料館に展示の持統天皇像◆「真の持統女帝」顕彰~反骨と苦悩の生涯~(23)ゆっくりボチボチと…鸕野讚良(持統天皇)の激動の生涯をあらゆる資料から細かく吟味しつつ進めていこうと始めましたが…およそ2年が経ち、遂に即位するところまで進みます。もうここまで来てしまったのか…ちょっぴりとそんな思いに。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~◎過去記事一覧『◆「真の持統女帝」顕彰【過去記事一覧】』持統天皇像(奈文研藤原京跡資料館)◆「真の持統女帝」顕彰【過去
昨日のご祈祷中、ふと気づくと…。白い光の中で微笑む、着物の女性が立っていました。「あなたは誰ですか?」びっくりして尋ねると、女性は「瀬織津姫」と名乗ります。こういう姿で描かれることが多い…かな?キタ━━━(゚∀゚)━━━!!ご存じの方もいらっしゃるとは思いますが…瀬織津姫は、未だその実在がはっきりと分かっていない神様です日本の神様は、一部例外を除き(アラハバキ神など)記紀神話に登場します。しかし、瀬織津
先日、潔癖症の神様のことを書きました。それに対して、潔癖症の神様の名前が知りたい、という話がありました。前もってどの神様かわかれば対処はしやすい。その通りだと思います。そして…書いていながら、その質問が出るであろうことも予測していました。だったら最初から教えてよ、ってとこなんですが、結論から言って、私もライトもどの神様が潔癖症かはわかりません。そう書くと、そんなに有名な神様じゃないのか。じゃあ、参拝する機会も少ないだろうし、気にしなくていいか、と思われてしまうかもし
こんにちは😃当ブログにようこそいらっしゃいました⭐️先日、茨城県日立市にあります大甕神社へ参拝に参りました。⛩国道6号沿いの風神山の麓にひっそりとありました。今回ここを訪れたわけは、映画「君の名は。」のスピンオフ小説で、宮水神社の御祭神の倭文神武葉槌命(シトリノカミタケハヅチノミコト)と同じ神様が祀られていると知ったためです。小説では、宮水神社と同じ御祭神を祀っている神社として、大甕神社の名前がチラッと出てきました。県内なので、行ってみようぜ!と言うわけです🚗御祭神:武葉槌命(たけ
過去記事「真清田神社」https://ameblo.jp/happylife3749/entry-12356008021.html過去記事「尾張国一之宮大神神社」https://ameblo.jp/happylife3749/entry-12357617356.html過去記事「尾張氏」https://ameblo.jp/happylife3749/entry-12357845852.htmlの続きです。真清田神社の御祭神:天火明命は、ニギハヤヒと同一神とも言われている。ニギ
丹敷戸畔の墓:和歌山県東牟婁郡串本町二色紀勢本線の串本駅から国道42号線を西に3km、海に面した小山の上に「丹敷戸畔の墓」と称する小さな石祠がある。丹敷戸畔は、日本書紀巻第三、神武東征の条にわずかに登場する熊野の女酋長である。出て来たと思ったらすぐに殺されてしまう上に、他に資料らしきものも見当たらず、まったく正体不明なのである。女酋長という触れ込み、ニシキトベという不思議な響きも相俟って、いたく想像を掻き立てられるのだ。まず、日本書紀を見てみよう。「天皇独(ひとり)、皇子手研耳命(みこたぎし
宇佐神宮の境内を散策しています。大鳥居を抜けると菱形池(ひしがたいけ)が見えてきます。この池は、宇佐(うさ)神宮の創建や八幡(はちまん)神の信仰に深く関わるといいます。569年、池にわく泉のほとりに8つの頭をもつ鍛冶師の翁があらわれたといいます。その姿を目にしたものは、亡くなったり、病気になったりしたので、大神比義(おおがのひぎ)がかけつけたところ、鍛冶の翁ではなく、金色の鷹があらわれたそうです、さらに鷹は鳩へと姿をかえ比義の腕に留まったといいま
ご訪問ありがとうございます。予告通り天智天皇(中大兄皇子)と天武天皇(大海人皇子)の間柄を・・・というと、兄弟じゃないの?と思われる方も多いと思いますが、それで正解ですσ(^◇^;)現在、伝えられている書物では、すべて天武天皇は天智天皇の弟(同母弟)になっています。天武天皇は舒明天皇と皇極天皇の子供なのです。古くは井上靖さんの「額田女王」や宝塚歌劇の「あかねさす紫の花」、里中満智子さんの「天上の虹」天智天皇と天武天皇というあまりに偉大な君主の兄弟どうしの確執は、幾多の物語にな
今日は一般撮影会の日でした!感動の涙から始まり、悲しみの淵に立たされるような泣けない涙、笑いも多かった反面いつもよりも、なんだかディープでした。今日のテーマは、絶対に世界が言わない事!特に欧米でも言われない大切な事。人はどうやって生きたらいいのか。という事です。あれしちゃいけないとか、あーするべきとか、何か幸せになるための方法を知らないのに、批評する事が多い事、多い事。人はどうしたら、幸せになるのかーそれは人それぞれだよねって、世界は言うけど、そんな
『聖徳太子』第4回聖徳太子と『日本書紀』『日本書紀』の中に描かれた聖徳太子を見て行きます。●『日本書紀』(にほんしょき)とは『日本書紀』は、奈良時代に成立した日本の歴史書・神話。『古事記』と並び伝存する最も古い史書の1つで、720年(養老4年)に完成したと伝わる。神代から持統天皇の時代までを扱い、漢文・編年体で記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。天武天皇が川島皇子に命じて原案が作られ、本格的に編纂が開始されたのは持統期とされる。藤原不比等が『日本
第14代・仲哀(ちゅうあい)天皇が巡幸したという徳勒津宮(ところつのみや)の跡地です。和歌山平野をつらぬく紀ノ川(きのかわ)はかつて、和歌浦(わかうら)にそそいでいたといいます。ここは、旧・紀ノ川でもある和歌川(わかがわ)と大門川(だいもんがわ)との合流地点にもちかく大和朝廷の軍港まであったといわれているようです。いまでは、路地の奥にひっそりと石碑がのこるばかりですがむかしは、国の中心地でもあったようですね。紀ノ川や大門川に
みんな元気ですか聖徳太子は蘇我氏と深いつながりがありました。その蘇我氏ですが、歴史上に初めて出てくるのは西暦500年代の初めの蘇我稲目です。稲目は蘇我馬子の父親とされています。それまではまったく無名の豪族でした。その出自が謎に包まれているのです。家系図を見ると蘇我氏は非常に入り組んだ姻戚関係をもち実力者との関係を強めたように見えます。物部守屋を滅ぼしたのは蘇我馬子でしたが実は馬子の妻は物部守屋の妹でした。その子供の蘇我
『聖徳太子』第7回冠位十二階・十七条憲法聖徳太子と「冠位十二階」「憲法十七条」を『日本書紀』を通して見て行きます。「冠位十二階」この「冠位十二階」の制は早く言われているように「百済の制を中心とし、高句麗の制を参照したもの」であろうし、「高句麗など朝鮮半島諸国の位階制を模倣した」というのがほぼ通説である。しかし、「冠位十二階」制定の意図や編さん過程は『日本書紀』の中には記されておらず不明である『日本書紀』によれば、604年1月11日(推古11年12月5日)に初めて制定され
そういえば、戦争で「伊勢神宮が燃えた」とか読んだことがないと思い、調べてみました!伊勢神宮は、「日本人の精神的な支柱」ということでやはりアメリカから狙われたようです。昭和20年1月14日の外宮への空襲に始まり、主に計6回空襲が行われました。昭和20年1月14日の空襲では、爆弾が投下されたものの、五丈殿・九丈殿・神楽殿・斎館といういわば「付随する建物」に、「軽微な損傷」があった程度でした。7月28日、29日に一番規模が大きい空襲がありました。外宮の御正
武士道と云えば・・・みなさんは”武士道”と聞くと新渡戸稲造を最初に思い出すでしょうか?僕は違います癒し王ふじです。新渡戸稲造の『武士道』は、明治時代に武士身分が廃止された後キリスト教に改宗した彼が西洋海外向けに書かれた英語の論文です。一方で、『葉隠』は江戸時代に実際に生きたサムライの言行録肥前国は鍋島藩士・山本常朝によって書かれたもの。同じ”武士道”を説いたものでも上記2つは毛色が明らかに異なり背景や目的も違うのです。まず、この
神話神社オタクです⛩😆古代史の謎は邪馬台国や卑弥呼だけではありません!古代史の謎はたくさんあります。その中でも不思議なのが鹿島神宮、香取神宮は東にあるのになぜ神宮なのか?🤔古代より神宮と付く神社は伊勢の神宮、鹿島神宮、香取神宮の三社だけでした。しかも、歴史は神宮より古くからあるのです。九州や四国、大和にあるのではなくなぜ千葉茨城なのか?😁その答えはやはり神社と古事記や日本書紀や風土記、さらには古代豪族の口伝があります。つい古事記や日本書紀の内容が正当な物と考えてしまいますが古史古
日本書紀、古事記に対し、安本美典氏の九州王朝東遷説など九州ウリジナル論者の分析、主張が面白いが、冷静に考えて日本最古の大和政権発行の日本書紀、古事記は政権の都合に合ったものしか書いていない、と考えた方が正しい。地名には、現地発祥のもの(自然発生、神功皇后などヒーロー伝承にあやかったもの)、日本書紀や古事記にあやかったもの(宮崎県や鹿児島県に結構多く複数箇所に出現する)、大和政権の意向に従ったものがあろう!邪馬台国の九州説の根拠でもある邪馬台国への旅程が南方向であれば、九州の南方向に畿内の地名
今回は「多紀理毘売命」についてお話していきます。前回から引き続き”宗像三女神”です。一柱だけ紹介って訳にもいきません。市寸島比売命に比べ『多紀理毘売』『多岐都比売命』は知名度がやや落ちます。ですが!この三女神は結構個性的ですから特徴を知るのも楽しいですよ。宗像大社~多紀理毘売命とは~宗像三女神の一柱で天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)により生まれた神です。記紀により生まれた順序が違います。古事記では”長女”になっており、大国主神と結婚して阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね)と下照
『記紀』。古事記と日本書紀の総称である。日本の歴史書として認められているのだ。そんな由緒正しき歴史書『記紀』だが、不思議なことがいっぱいある。日本最大の山『富士山』が出てきていない…とか、全国に伝承が残る、秦の始皇帝の使い『徐福』が出てきていない…とか。名前を変えられたか、あるいは「隠された」か。そんな不思議なことのひとつに、初代天皇『神武天皇』がいる。初代天皇の正式名は『カムヤマトイワレヒコノミコト』。系図を素直に見れば、「あ、アマテラスの血筋なのね」となってしまいそうだが、
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その44神代文字で記された「竹内文書」を書いたのは、正確には誰かは分からない。武内・建内・竹内の3つの名でその正体を隠した武内宿禰(たけのうちのすくね)自身が書いたものとはどこにも書かれていないからだ。その宿禰の末裔たちが代々保管してきたその内容について、歴代の竹内家の宮司たちは「時いたれば秘史を皇室に奉還せよ」と子々孫々に伝え、それが『竹内文書』となって世に出たのだが、その内容に注目したのは、酒井勝軍や山根キクといった人たちだけでなく、後の首相の東
美ヶ原温泉丸中旅館(長野県)です。JR松本駅から車で15分くらいのところにあります。日本書紀に信濃の国の名湯として「束間の温湯」が挙げられています。これが浅間温泉か、美ヶ原温泉か説が分かれているようです。この温泉地は、温泉利用の効果が十分期待され、かつ健全な温泉地としての条件を備えているとして環境大臣から指定された国民温泉保養地です。ただ、美ヶ原温泉は源泉掛け流しが少ないです。ここは、源泉を誠実にかけ流しています。アルカリ性単純泉です。ひょうたんのような個性的な浴槽にちゃんとか