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七羽黒巡り5か所目になりますついた先はこんな具合の風景じゃ大地が広がるやっほ~ぃ毎度おなじみ筑波山もやっほ~ぃどですかくるっと後ろを振り返ると口戸の羽黒神社病門久下田城から鬼門の大根田村と病門の口戸村に羽黒神社を創建したと書いてありますね久下田城は茨城県指定文化財で遺構も残っています口戸の羽黒神社畑の
桜川市の高久神社へ来ています本殿が市指定文化財です本殿に回るよ迫力満点の龍の彫刻きれいな本殿ですゴージャスだ日に照らされて映える本殿本殿の脇見上げる本殿今にも飛び出て来そうです日当たり良好
8話では小さな村ソドク洞の訴訟は苦難を得て、ようやくいい方向に向かいました。まずはヨンウのお話から始めます。ハンバダへの不正採用を知ったヨンウは、挫折は1人で耐えると家を出て、グラミの所にやって来ます。グラミが特製のキンパを作って「いいから黙って食べな」「うん、すごく変な味」ヨンウ「でしょ。変に美味しい」と言って2人で笑って~~ハンバダに来て、周りの視線を感じるヨンウ。掲示板”ハンバダの不正採用を告発します””その新人の父親が事務所代表と学友だからでは?父
牛久市に来ていますここは観音寺文化財がたくさんあるので見に来ました山道を走らせ到着しましたたくさん書いてあるわイチョウが飛びぬけて大きいです仁王門も見えますが仁王門だって小さくはないですイチョウがとても大きいだけ着いた仁王門だ阿形像眼力すごっ
豊見城(とみくすく)市字根差部(あざねさぶ)集落の根差部公民館向かいにある小さな広場の一角に根差部のシーサーがあります。シーサーは角の奥まった場所に鎮座しています。顔らしい顔ははっきりしませんが、口を開けているのと鼻らしきものは何となく分かる感じです(笑)。背後から見た様子はこんな感じ。風化で破れ目ができています。琉球石灰岩は削り出す加工がし易い反面、こうした風化には弱い一面もあります。反対側には草が生えてました(笑)。シーサーの眼前には公民館がありますが、このシーサーが睨みを効かせ
스크랩]『ピース展望台2027』が、ユン・ヨンホ副総長事件をシックたちに伝えてくれたことに感謝を捧げながら…(2024-05-08)작성자최종근|작성시간24.05.19|조회수16목록댓글0글자크기작게가글자크기크게가『ピース展望台2027』が、ユン・ヨンホ副総長事件をシックたちに伝えてくれたことに感謝を捧げながら…『ピース展望台2027』で、ユン・ヨンホ鮮文大副総長が孝情国際文化財団理事長に在任していた2018年~2023年の5年間に、清心教会、世界平和統一連合(世界
🔸皆様へお知らせこの度、私・高浜寛は、正式に、RWYC日本支部の代表に就任させて頂く事になりました。RWYC”ReconnectingWithYourCulture”とは、伊パヴィア大学のオリンピア・ニーリオ先生によって設立され、ユネスコとEdA(EsempidiArchitettura)によってサポートされるプロジェクト。「もう一度地域の文化と繋がろう」をモットーに、子供達が地元の文化についてもっと知り、それを元にアートを制作する場を作るという活動をしており、現在は世界各
笠間市に来ています仏頂山楞厳寺から降りてきました仏頂山楞厳寺の山門の脇にある二所神社行ってみましょう鳥居からすでに雰囲気ありますね草木生い茂る村社二所神社やや朽ちた石段を上る山と一体の神社のすごみすでにここから漂う気到着しました古そうね山の気配すごっ本殿の脇に
石山寺の散策の続きです。階段を登って、本堂へとやって来ました。アップダウンのある広大な境内には、美しい伽藍が散りばめられハイキング気分で石山詣を楽しむことができます。石山寺は兵火には遭わなかったため、建造物、仏像、経典、文書など貴重な文化財が多く残されています。1096年に再建された本堂は、滋賀県最古の木造建築。国宝に指定されています。正堂と礼堂を合の間で繋いだ複合建築です。ご本尊の如意輪観音は、日本で唯一の勅封秘仏。三十三年に一度および、天皇の即位がある年に
美しい金堂壁画もう二か月近くも前になりますが、今年も法隆寺夏季大学の初日に、焼損した金堂壁画を見せていただきました法隆寺夏季大学に参加する大きな理由の一つが、この焼損金堂壁画を見ることですこの金堂壁画については、さまざまな論点、切り口で話が展開すると思います例えば、・焼損した時の話とか(→日本史大歳時記出来事カレンダー)・これをきっかけに制定された文化財保護法の話とか(→https://ja.m.wikipedia.org/wiki/文化財保護法)・焼
つくば市の金村別雷神社に来ています歴史ある金村別雷神社文化財にも指定されています立派な拝殿前回来た時に拝殿奥の大きな木の枝にフクロウが止まっていましたカメラ携えた人がたくさん撮影に来ていたわ神楽殿も素敵です拝殿の龍が今にも動き出しそうです良いことありそうだ
ほらみろ警告した通りだろ?っと街宣したい気分。なんのことかと言えば伊豆の国市政なんだけどね。3年前、オンブズマン的な活動をしていた僕は両予定候補に市長選へ向けての質問、面会要請をしたのだけど、新人であるにも関わらず平然とそれを無視した山下正行市長の人格については選挙前からその問題を指摘している。(現職であった小野としこ市長は応じてくれた。)一言で言えば、彼は東京によくいる都市エリート指向なのだろう。これまでの望月市長、小野市長が続けていた、誰でも参加できた市民との地区懇談会を
笠間市に来ています笠間氏の墓所から菩提寺の仏頂山楞厳寺へ着きました墓所からさらに奥へと来ていますもぉ~緑が素敵~苔ともみじと諸々と山奥の寺感がすごい創建は不詳のようですが一時荒廃しましたが鎌倉時代に当地の領主である笠間家初代時朝が建長寺(神奈川県鎌倉市)の住職大拙和尚を招いて中興開山し歴代笠間家の菩提寺としたそうです文化財もたくさんあるようです
八重瀬(やえせ)町字東風平(あざこちんだ)集落には東西南北に1体ずつ、合計4体のシーサー(石獅子)が設置されています。その中でも南側にあるシーサーは特徴的な形のシーサーとなっています。そのシーサーがある場所は住宅地の中にあります。道路の一角に小さな広場が見えてきます。そこに南のシーサーが設置されています。広場の奥隅にコンクリート製の台座に小さなシーサーが鎮座しています。それでは近付いてみましょう♪。正面から見ると可愛らしいタラコ唇なシーサーですが…。近付いて見ると下顎がかなりシャクれ
豊見城(とみぐすく)市字渡嘉敷(あざとかしき)にある渡嘉敷公民館横の広場の一角に1基の石製シーサーが設置されています。広場に行くとすぐにシーサーと出会えます。近付いてみます。シーサーは琉球石灰岩でできています。口を斜め上に開いているみたいな格好です。小さな丸い目と鼻もあります。反対から見てみると穴が空いています。これは風化作用でできたのかな?。後ろから見ると穴がよく目立ちます。案内板によると元々はここから少し上の集落の中心に設置されていましたが現在はここに移されました。通常のシーサ
南城(なんじょう)市玉城字當山(たまぐすくあざとうやま)の集落内に上江州之殿と呼ばれる拝所があります。小道を上がって右手の階段を進むと小さな広場にコンクリート製の拝所が見えてきます。右の石碑には『上江州殿』と銘があり、左の石碑に『火神』の銘があります。色水晶の様な石がありました。香水でもかけてあるのか不思議な匂いがしました。広場の奥には井戸跡もあります。その側に小さな道があります。道を進むと左手に大きな岩があって石製香炉がありました。古墓の様な印象もあります。更に進むと上江州神屋(
糸満(いとまん)市字糸満の新川区に一本のコンクリート製の電柱があります。電柱のすぐ横にはミーガーと呼ばれる掘り込み井戸があり区名の由来にもなっている様です。柵の下がミーガーで上は駐車場になっています。右側の道に沿って進みます。寒緋桜の横に建っているのが新川区の電柱です。『昭和十一年三月五日』と銘があります。文字は下にも書かれています。下には『十八番組建立』とあります。この電柱はこの辺りが十八番組という区割りとなっていたのでこの様に書かれていたとされています。街灯を設置する目的にこの電
牛久市で遊んでいますここは観音寺山門を見て感動しいよいよ境内を探索します鐘楼と緑と花と愛らしい本堂も迫力あり渋いわぁ重厚感ある屋根と彫刻が見事です龍が舞う本堂の裏にはたくさんの石造物がありました相当古いものだわ残っているんだぁもみじと本堂美
北中城(きたなかぐすく)村の渡口集落の中にニービ(砂岩)の丘陵部があります。ニービは海底で砂泥が堆積してできる岩石で、その中で特に凝縮した部分は『ニービヌフネ』と呼ばれて墓碑や石碑として利用されます。渡口公民館から住宅地を進んで行くと突き当りにその丘陵が見えてきます。住宅地を抜けると道沿いのすぐ右側にニービヌフニで造られた石碑が見えてきます。石碑には『アビラウンケン』の梵字が刻まれています。表面から見た感じでは風化が進んでいるみたいです。横から見るとこんな感じ。高さは104センチ幅は55
この日は笠間市で遊んでいますまずは国指定文化財の楞厳寺山門その奥には笠間城主笠間時朝公の一族の墓所がありますさらに奥には楞厳寺行ってみよう山の中山際に田畑が広がる小川のせせらぎを聞きながら見えてきたのは楞厳寺山門です周囲はのどかな風景です日本情緒あふれる鎌倉時代笠間城初代城主笠間時朝
うるま市石川(いしかわ)の石川消防署の横から入る小道の突き当たりの左手に2基の古墓があります。画像では電柱のある場所とその少し奥に位置します。向かって左側の古墓はかつて琉球を治めた第一尚氏6代王の尚泰久(しょうたいきゅう)の墓跡です。墓口には石がはめ込んでありますが上部は開いて中は空っぽです。王位にあった者の墓としては簡素な印象を受けます。案内板によると岩陰に石を積み囲んだ『囲込石陰墓(かこいこみいわかげぼ)』という種類の墓になるそうです。沖縄の山中に今も放置されている古墓はこうした
沖縄市越来集落に白椿を植えている個人の民家があります。その白椿は毎年2月頃に見頃を迎えるそうですが、今年は1ヶ月ほど早い開花となったそうです。案内板の後方の塀越しに見えるのが白椿の樹です。ちょっと見てみましょう。これが白椿です。一輪は残っていますが、もう咲き終わっている状況です。分かりにくいですけど中央の白いのが白椿の花です。満開だときれいだったでしょうね。この白椿についての伝承があります。琉球時代。この地域は越来間切(ごえくまぎり)と呼ばれた地でした。ここから近くに越来グスクが築か
桜川市の富谷観音に来ています小山寺楼門からさらに階段を上っていきます小山寺には文化財がたくさんありました赤いもみじも鮮やかに見下ろすとさっき見ていた楼門がありますきれいだわ階段を上りきると大杉が見えてきますかなりの大木です大杉の奥には本堂があります大きな本堂細工も豪華です
日立市に来ています助川城跡公園から会瀬鹿島神社へ来ていますこちらの鹿島神社からも海が見えるのよ高台にあるので・・・・やはり・・・昇るのよね~えんやこらどっこい上りやすい石段とはいえ勾配がきついですそろそろ着くわね見えてきました到着しました境内は思ったより広いですね
南城(なんじょう)市佐敷字新里(さしきあざしんざと)集落に新里坂(しんざとびら)と呼ばれる蛇行した急坂があります。南城市広域を舞台に行われる尚巴志(しょうはし)マラソンがありますが、新里坂は標高約100メートルを駆け上がる難所でもありコース名にも心臓破りの坂とも呼ばれています。そんな急坂の途中にタク川ノ御嶽があります。看板がある場所から少し山中へ入ると勢いのある水の音が聴こえてきます。そこから左側のブロックでできた石段の先に斜面を流れている小さな滝が見えてきます。ブロックの先に水神を祀る
梅の季節なので今年も梅林探しです那珂市にある鹿島諏訪神社の梅も良いと聞き行ってきました駐車場に着いたとたんに香る梅の花あま~いぃ参道の脇に梅の老木あり良いかおりじゃそろそろ満開かな・・・梅の花もかわいいです梅を楽しみながら参道を歩くと参道脇には祠がありました斜
今年も来ました黄金色の季節大イチョウが色づくのを楽しみにしています時期を逃すと散ってしまうのよ今回は大子町高德寺に来ています県北の紅葉はどんなじゃやや紅葉が始まったようイチョウは少し緑の葉がありますが黄色に色づいていますセーフ文化財もあるでよ後山門も文化財ですイチョウ
西原(にしはら)町の嘉手苅(かでかる)集落を南北に通る国道329号沿いに小さな丘があります。ここは上之松と呼ばれる地で、この丘の頂上にウフンミ御嶽という拝所があります。内間(うちま)集落の前にある事から『前ヌ嶽(めーぬだき)』とも呼ばれます。丘の入口に小さな拝所があります。この拝所の性格は不明です。上に向かって石段がありますが所々で歪んでいます。頂上に着くと拝所が見えてきます。近づいてみると屋根の部分が壊れていて番線らしき物で補強されていました。内部には石製香炉が置いてあります。
笠間市にある天満宮ちょっと雰囲気がある神社です草が結構生えている天満宮拝殿の脇に梅の木がありますしかし草が伸びている雑草をかき分け本殿へ少し高台になっているので昇ってみました上にはお社あり脇が本殿です石祠もありましたさすが天満宮梅の花が描かれています
県内のお籠り宿を訪ねる「マイクロツーリズム」第5弾は湯河原温泉にある「伊藤屋旅館」万葉集にも詠まれた長い歴史のある湯河原温泉にはレトロな老舗旅館がたくさんあります。現在も営業している老舗旅館は、創業300余年上野屋旅館明治9年創業富士屋旅館明治21年創業伊藤屋旅館などなどまた湯河原温泉には文人墨客に愛されたお籠もりの宿も数多くあります。伊藤屋旅館島崎藤村、有島武郎、黒田清輝藤田屋旅館東郷平八郎、尾崎紅葉、高浜虚子加満田小林秀雄、水上勉、鏑木清