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こんにちは。まもなくこんばんは。日頃の行いは悪いけれど、なんとか雨に降られずに済みました。本日の目指す先は弘前!奥入瀬からのアクセスは週末なら弘前行きのバスがあるようですが、青森市経由です。新青森駅→青森駅と停まるので、最初は弘前寄りの新青森から行こうかと思ったのですが、結局同じ電車に乗ることになりそうだったので今夜の宿の最寄りの青森駅までバスで行っちゃいました。(今思えば無駄なことしてます。…後述)ちなみに新青森は新幹線が停まる立派な駅ですが、周りにお店が少ない。ホテルここにしなく
毎度毎度の筑波山つくば市からの筑波山つくば市を歩くじゃーん景色も良好本日も建物なし登場したのは香取神社鳥居もかなり古そうだわ参道を行く日差しが気持ち良いです森は良いねぇ~すぐ脇は農道こちらも田んぼが広がっています茨城米うまい米どころです山からの水がおいしいからおいしいお米になる
牛久市で遊んでいますここは観音寺山門を見て感動しいよいよ境内を探索します鐘楼と緑と花と愛らしい本堂も迫力あり渋いわぁ重厚感ある屋根と彫刻が見事です龍が舞う本堂の裏にはたくさんの石造物がありました相当古いものだわ残っているんだぁもみじと本堂美
先日、東京国立博物館へ行った話を書きました。『6/30東京中央銀行本店??に出向きお宝見学後、騰落をチェック!』アレ?どこかで見た事ある場所だ〜!ここは東京中央銀行本店のロビーに使われた場所ですね実は、上野にある東京国立博物館のロビーなんですよね。ココ。比較的…ameblo.jp古の品々に感動しつつ、「展示品は常時入れ替えをしてて、次は別の感動がある🥹」と聞いていたので、また来たいと思うようになりました。また来訪するなら、年間パスポートのようなものを買った方が良いと思い色々検索。
本日も晴天筑西市の続きです今回は関城に来ています国指定文化財です鎌倉から南北朝の時代大宝城と同じ時代興国4年(1343)11月11日関城は大宝城とともに落城駐車場に着きました筑西市どこに行っても見える筑波山田畑の広がる大地から良く見えるわ地図あり現在地は・・・ここか坑道跡から行ってみます坑道跡ありました
彫刻のある神社リスト--千葉県*神社住所メモ◎岩名香取大神社野田市岩名王羲之鞍馬天狗と牛若丸背面なし◎三ツ堀香取神社野田市三ツ堀孟宗天岩戸董奉〇金寶殿本社野田市野田浦島太郎十六羅漢の2人中備:三条小鍛冶☆下総野田愛宕神社野田市野田天岩戸玉巵弾琴龍神より宝珠を授かる日本武尊の熊襲討伐彫刻師:石原常八主信〇中峠八幡神社我孫子市湖北台鞍馬天狗と牛若丸不明背面なし☆葺不合神社我孫子市新木八岐大蛇退治天岩戸神武東征
筑西市の七羽黒巡りをしています二か所回ってきた下館城主の水谷氏が山形県の羽黒山から羽黒神社を勧請そして薬師堂の創建は文明10年(1478)薬師堂の隣には正面が薬師堂こちらは淡島神社と三峰神社並んでいますこの狛犬さんが実にユニークでしたものすごくかわいいです細身じゃ三峰神社
今年も来ました黄金色の季節大イチョウが色づくのを楽しみにしています時期を逃すと散ってしまうのよ今回は大子町高德寺に来ています県北の紅葉はどんなじゃやや紅葉が始まったようイチョウは少し緑の葉がありますが黄色に色づいていますセーフ文化財もあるでよ後山門も文化財ですイチョウ
この日はつくば市に出かけました大形の鹿島神社ですこんなものも小学校入口とな今は神社の上に小学校があります本殿が県指定楽しみだなぁ~かわいいです奥へと進む鳥居は寛政ですねこの辺りは小田氏拝殿の周囲に何か・・・?銀杏
読谷(よみたん)村座喜味(ざきみ)に世界遺産となった座喜味(ざちみ)グスクがあります。このグスクは武勇で知られた護佐丸(ごさまる)によって築城されました。護佐丸は築城家とも知られていて、見事なまでの曲線の石積みを施した城壁は接近する敵兵に側面から矢を射る事ができる様に造られています。そんな座喜味グスクですが標高約127メートルの立地を活かして太平洋戦中は日本軍の砲兵基地、戦後は米軍の通信基地として利用されました。その影響で一部が破壊を受けている為か水を確保した痕跡やそれに関する遺構がどのよ
豊見城(とみぐすく)市字与根(あざよね)の住宅地の一角に土帝君と呼ばれる土地神が祀られています。『とぅーてぃんくー』や『とんてぃんくー』等の呼び方があります。土帝君は小さな広場に琉球石灰岩を加工して積み上げた祠になっています。中には霊石とされる石があります。土帝君は人形の翁像を祀る場所もありますが、ここのように石を神体として祀るケースもあります。土帝君の右側にニービ(砂岩)があります。左側の敷地沿いにも何個かのニービがあります。この近くには小禄砂岩部層と呼ばれる地形があるので砂岩に特別
北中城(きたなかぐすく)村の渡口集落の中にニービ(砂岩)の丘陵部があります。ニービは海底で砂泥が堆積してできる岩石で、その中で特に凝縮した部分は『ニービヌフネ』と呼ばれて墓碑や石碑として利用されます。渡口公民館から住宅地を進んで行くと突き当りにその丘陵が見えてきます。住宅地を抜けると道沿いのすぐ右側にニービヌフニで造られた石碑が見えてきます。石碑には『アビラウンケン』の梵字が刻まれています。表面から見た感じでは風化が進んでいるみたいです。横から見るとこんな感じ。高さは104センチ幅は55
南城(なんじょう)市字知念(あざちねん)に市指定天然記念物のサキシマスオウノキという樹があります。画像中央の建物の背後に見えているのがサキシマスオウノキです。サキシマスオウノキの樹が生えている場所は『新屋(みーや)』という屋号を持つノロの屋敷跡の敷地内です。『ノロ』とは集落の祭祀を行った女性神職です。ここは波田真(はだま)ノロの屋敷跡となっています。ノロ屋敷跡の敷地内の右奥に大きなサキシマスオウノキが見えてきます。手前の建物は神家(かみや)という拝所になっています。神家の殆どは敷地の
牛久市に来ていますここは観音寺文化財がたくさんあるので見に来ました山道を走らせ到着しましたたくさん書いてあるわイチョウが飛びぬけて大きいです仁王門も見えますが仁王門だって小さくはないですイチョウがとても大きいだけ着いた仁王門だ阿形像眼力すごっ
笠間市に来ています笠間氏の墓所から菩提寺の仏頂山楞厳寺へ着きました墓所からさらに奥へと来ていますもぉ~緑が素敵~苔ともみじと諸々と山奥の寺感がすごい創建は不詳のようですが一時荒廃しましたが鎌倉時代に当地の領主である笠間家初代時朝が建長寺(神奈川県鎌倉市)の住職大拙和尚を招いて中興開山し歴代笠間家の菩提寺としたそうです文化財もたくさんあるようです
千葉県にある二宮神社に来ています狛犬さんのお出迎え赤いよだれかけがかわいいですね拝殿も大きいの彫刻も見事です鳳凰と龍ですね精巧だなぁ今にもこちらに来そうです弘仁年間(810年〜823年)の創建嵯峨天皇の御勅創によるものであると伝えられているそうです本殿は市指定文化財おぉ~
筑西市国指定文化財になっている関城跡に来ています八幡神社からさらに歩いて遺構を探しています庚甲塔浅間大神等々たくさん置かれていますこの辺りも土塁でしょうか近くに点々と石仏も置かれていました通りの名前も関城通りださらに歩くと石碑がありました関宗祐父子墓案内板付きで
那覇市上間(うえま)の上間公民館の正面に真嘉戸川と呼ばれる掘り込み井戸があります。公民館を背にして道を進んですぐ左手側になります。道から中に回り込むと井戸が見えてきます。これが真嘉戸川になります。水量は1日に70㎥あり水質も良好です。戦後も水道として使われました。現在もこの豊富な水量を利用して水タンクを載せたトラックがここによく来ます。タンクの上に拝所は設置されています。真嘉戸川の向かいにはここから出た水を溜めた小堀(くむい)があります。那覇市では大きな物です。かつての上間集落は馬
五霞町に来ています茨城県でも県境隣は埼玉県です次に訪れたのは東昌寺関宿城を築いたという簗田氏の菩提寺です早速境内へ参ります緑豊か遠くに山門が見えます手前に何かあるわねしかも巨木立派な山門楼門ですとまずはこちらから見学します山王権現様です文字がか
日立市へ来ました助川鹿嶋神社です文化財に指定されている大きいぞ鹿嶋神社の境内ですこちらもささらが文化財になっていますささらは見るの好きですご神木の大イチョウ葉が良く茂っています秋は黄金色大同年間に鹿島神社より勧請とあります愛らしいわ
七羽黒巡り中です筑西市の隣真岡市を移動しています二宮町二宮尊徳さんゆかりの地途中で見つけた楼門が素晴らしかったのでちょっと見てきます広い場所にど~んと楼門がそびえ立つ大迫力すぐ脇は五行川が流れていますとにかく楼門が目立つ二宮町文化財に指定されていますね寛永9年だわカッコいいです
浦添(うらそえ)市仲間(なかま)にある浦添中学校の裏道を進んで行くと緩い坂道があります。坂道を少し進むと樹がこんもりと生えている場所があります。そこが仲間樋川となります。史標には『仲間の拝所群』とあります。仲間樋川は仲間集落の拝所の1つとされています。浦添市では最大の樋川となります。道の上から見た様子。水量はやや少ない印象ですが、水源はなんとか保っているようです。降りて行くと竣工記念碑があります。昭和10年4月に改修した際に建てられた物です。思っていたより水量が無かったですが、戦
南城(なんじょう)市佐敷字津波古(さしきあざつはこ)に天人森と外間殿の拝所があります。坂道の途中に案内板と広場があって広場から左奥に進むと天人森へ、右奥へ進むと外間殿へと行けます。左奥の天人森から進みます。道を進むと畑に突き当たります。その畑の左側から更に奥へ進みます。奥へ行くと小さな広場になっていて、その先の岩が拝所となっています。この拝所が天人森になります。別名に唐人森(とーんちゅむい)とも呼ばれているそうです。ここは天人(あまんちゅ)が天から降り立った場所とされています。旧上津波
豊見城(とみくすく)市字根差部(あざねさぶ)集落の根差部公民館向かいにある小さな広場の一角に根差部のシーサーがあります。シーサーは角の奥まった場所に鎮座しています。顔らしい顔ははっきりしませんが、口を開けているのと鼻らしきものは何となく分かる感じです(笑)。背後から見た様子はこんな感じ。風化で破れ目ができています。琉球石灰岩は削り出す加工がし易い反面、こうした風化には弱い一面もあります。反対側には草が生えてました(笑)。シーサーの眼前には公民館がありますが、このシーサーが睨みを効かせ
取手市です次に来たのは八坂神社本殿の彫刻が良いらしいふんふんここですね八坂神社お出迎え商店や住宅がある一角に八坂神社はありました賑やかだなぁおぉ~茂っている境内は散歩の人や参拝の人が歩いていました種類もたくさんあるわ本殿までに境内社がいくつも
日立市に来ています助川城跡公園から会瀬鹿島神社へ来ていますこちらの鹿島神社からも海が見えるのよ高台にあるので・・・・やはり・・・昇るのよね~えんやこらどっこい上りやすい石段とはいえ勾配がきついですそろそろ着くわね見えてきました到着しました境内は思ったより広いですね
七羽黒巡りラストは上羽黒神社です本殿が文化財になっています道路の脇にあるのよ割と交通量は多いです境内はそれほど広くはないですがきれいに整備されています茨城県指定文化財です天門の上羽黒神社下館の下羽黒神社に対して上羽黒神社と呼ばれています八代目藩主が息子の息災、延命、武運長久を祈願し建立
南城(なんじょう)市玉城字當山(たまぐすくあざとうやま)の集落内に上江州之殿と呼ばれる拝所があります。小道を上がって右手の階段を進むと小さな広場にコンクリート製の拝所が見えてきます。右の石碑には『上江州殿』と銘があり、左の石碑に『火神』の銘があります。色水晶の様な石がありました。香水でもかけてあるのか不思議な匂いがしました。広場の奥には井戸跡もあります。その側に小さな道があります。道を進むと左手に大きな岩があって石製香炉がありました。古墓の様な印象もあります。更に進むと上江州神屋(
笠間市にある天満宮ちょっと雰囲気がある神社です草が結構生えている天満宮拝殿の脇に梅の木がありますしかし草が伸びている雑草をかき分け本殿へ少し高台になっているので昇ってみました上にはお社あり脇が本殿です石祠もありましたさすが天満宮梅の花が描かれています
この日は笠間市で遊んでいますまずは国指定文化財の楞厳寺山門その奥には笠間城主笠間時朝公の一族の墓所がありますさらに奥には楞厳寺行ってみよう山の中山際に田畑が広がる小川のせせらぎを聞きながら見えてきたのは楞厳寺山門です周囲はのどかな風景です日本情緒あふれる鎌倉時代笠間城初代城主笠間時朝