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前回のブログでは、自分の生い立ちをすべて母親のせいにして暴力をふるい、母の死に目に会えなかったところまで書きました。執行猶予判決からわずか2週間でまた逮捕されます。この頃の私の状態です。自分が覚えているものと、夫から聞いたものを書いていきます。失禁する平気で嘘をつく約束を覚えていない約束を守れないろれつが回らない過食気味物覚えが悪い目の焦点が定まらない物欲が激しくなるもう完全におかしな人ですが、自分にその自覚はあまりなかったです。逮捕から
前回のブログでは電話面会をするために居室外作業を目標にしたこと、依存症の勉強をして自分の過去を見つめる作業をしていくことを書きました。刑務所に二度と戻りたくない、その思いは今もとても強いです。理由はいくつもあるのですが、今日は特にそう思った出来事を書いていきます。立川拘置所に移送されてすぐ奥歯の詰め物が取れてしまいます。治療願いの願箋を提出し、約2か月後に医務に呼ばれ治療が始まります。立川拘置所の中に歯科治療の設備があるので、外部から歯科医が来て治療をします。
今日は、掛け持ちの仕事の日でした。少しでも自分の稼いだお金を被害者の方々や両親に渡そうと本業の仕事と掛け持ちし始めたのですが慣れない仕事は、やはり緊張します。仕事をし始めると大丈夫なのですが、新しい職場なので行くまでが緊張してしまい疲れてしまいます。仕事のしんどさよりも今は、緊張の方が大きいです。刑務所へ移送される前日と当日もブログ記事では、落ち着いているように書きましたが、緊張感で死にそうでした。移送されるバスの中では、あまり刑務所の事を考えないよう過ごしていたと思います。時よ
ペン字を練習したいらしくこの方の字が好きというので、2冊差し入れしました。確かに字が似てる。前回も練習したそうです。あっ、ちなみに彼は前科もあります。100均の石けん箱を差し入れしたら、100均のは、割れやすくて、踏んで足の裏をケガした人がいたとか言うので。ネットでちょっと良さげなのを買って持って行ったら、「水はけがないので入りません」って言われたー。もう規定が細かすぎる。バスタオルも東拘で入るサイズ調べて送ったら入らなかったし。入らなくさせた前例を作った人はだれ?って言
はじめまして。ようガールです。私が逮捕されてから服役後までの事を綴っているブログです。逮捕されたのは20代の頃です。その後、服役して出所後には30代に突入していました。このような体験を今後しない為にも、自分への戒めの為にも記録として残しておきます。追記:このブログを始めたのは、戒めの為でもありますが刑務所を出所してから急に襲われる不安や孤独感で逃げ出したくなる自分を抑える為でもあります。見ている方がいるブログで日々の生活を書き続けることで、弱い自分から逃げずに償いを続
夫が車で逃走(本当に逃走するんです。)した後、パトカーが家の周りに集まってきました。私は気力を失くして、家のソファに横になっていました。家の周りは騒がしくなりました。警察官が入ってきて、事情を聞かれたので、私はソファに寝たまま、すっかり気力を失くした声で、「夫に車を運転させたくなかった…。だから鍵を隠して、ケンカになりました。それだけです。」と答えました。もちろん夫のオーバードーズは言えませんでした。警察官はまた外に出て行きました。私はそのままソファで横になっていました。
前回のブログでは、拘置所に移送され、初めて食べた拘置所メシを泣きながら食べたというところまで書きました。拘置所は古くて汚くて、人の生活する場所じゃないと思いました。特にお風呂は本当に嫌で、タイルの上をつま先立ちで歩いていました。食事は男区の炊場が作っているので、女区に運ばれて来るころにはとっくに冷めています。衣類や布団、毛布、枕もとても臭かったです。長年染みついた、干しても洗っても取れないであろう独特な臭いでした。6月10日に入所、6月11日に既決
先日、受刑生活を過ごした寮の近くに行ったので記念に写メを撮ってきました!社会復帰してから早半年…何か変わったのだろうかと自問自答している自分が最近います。受刑生活を過ごしていた時は出たら、今までの生活を改めて新しい自分になろうと思っていましたが、最初は受刑生活の余韻で今までの自分とは違う生活が出来てましたが、時間が経つにつれ性格までは変わらないのと周りに流されている気がします…でも多少は変わったかな?あの生活は無駄では無かったと信じたい…でも時間はかなり無駄な時間を過ごしましたがっ…
韓国ドラマの刑務所と拘置所【西大門刑務所歴史館】『トッケビ』(2016-17tvN)出所するウンタクの叔母一家。『我が家のロマンス』『医師ヨハン』(2019SBS)『オールイン』(2003SBS)など多数※入場料が必要(65歳以上無料)日本植民地時代に独立運動家らを収監し、第二次大戦後は韓国政府が使った獄舎などを保存公開している西大門刑務所歴史館。ソウル市中心部の北西に位置する西大門独立公園内にあり、植民地時代の監
刑務所・拘置所の中で受刑者が楽しみにしているのは、祝日です。なぜかというとお祝い事の日ということでお菓子が食べれるんです。どんなお菓子が出てくるかというと業務スーパーで外国産のお菓子やコンビニで100円で買えるようなお菓子がその日にちなんだお菓子が出されます。例として、敬老の日は、おじいさんたちが好きそうな煎餅やドーナツ・饅頭が。子供の日には、小さい子が好きなチョコレート菓子どかです。覚えている範囲たけのこの
前回のブログでは、依存症者を支えるものには「物」と「者」があるということを書きました。今日は拘置所や刑務所に居た女子受刑者の特徴について書いていきます。元受刑者や現受刑者のブログは結構あります。○○事件の○○さんはこういう人でしたとか、これまでの受刑生活を面白おかしく書いてあったり、こんな物を差し入れたら箔が付くよ!みたいなアドバイスをするものもありますが私はそういうことを書く気は全くありません。女子受刑者がどういう家庭環境で育ったのか家族はいるのか、
前回のブログでは、矯正施設には義務教育を受けることができなかった人や学力が低い人が多いということ、当たり前のことを訓練させられているということを書きました。今日はその続きを書いていきます。立川拘置所では、受刑者同士が唯一会話ができるのは運動の時間です。そのうるささに圧倒されたと以前のブログで書きました。そのブログはこちらです↓https://ameblo.jp/izonshouko/entry-12602004578.html『立川拘置所』前回のブログでは、私
拘置所とか懲役行ったら色んな奴に出会うやん?大刑(大阪刑務所)仮釈で出て、仮釈中にシャブボケして逃げて西成のドヤで勝手に生活保護受けてて職質されてそのまま戻ってくるおっさんとか笑でも出所翌日にパクられたって話は今までまだ一回も聞いたことない。出所2週間で大刑戻ってきた人おったけど笑………実は俺似たような経験あるねん。笑………少年院の時やけど、2回目の少年院出た次の日出所祝い終えてその日は実家に帰ってんな。んで俺は自分へのご褒美として一人、エビスビールをチビチビ飲んでい
最近、ここへ来られた方からの質問がったので再投稿します警察に逮捕されて48時間以内に検察庁へ送致。これがなかったら釈放。検察へいったら①同行室で待機(被疑者)②検察庁で簡単な取り調べ③同室で待機。④裁判所で罪状認否の確認A、拘留するかしないかB、拘留された場合、連絡先確認⑤検察庁へ戻る。⑥検察から拘留決定通知を確認受ける⑦捕まった警察へ戻る。→朝から出発し、夕方までの1日コースです。待ち時間がクソ長い。
僕は2023年、覚醒剤取締法違反(使用)の罪で逮捕・起訴された。下された判決は、懲役1年8月、執行猶予3年。そして釈放された。2か月半の留置所→拘置所の独室、コロナ禍での面会制限。つらかった。その間何よりこれまで担任した教え子たち、慕ってくださった保護者への申し訳なさ、後ろめたさに押しつぶされそうだった。今でも思い出してしまう。「先生」とニコニコ駆け寄ってくる子ども達の姿を。ここから第二の人生が始まる。それは、想像を超えるものになりそうだ。
前回のブログでは過去をさかのぼり、自分の責任と親の責任を分ける作業が必要だということを書きました。私がギャンブルをするようになった「要因」の一つは、母が私を毎日のようにパチンコ屋へ連れて行ったからです。私がお金や物に固執するようになった「要因」の一つは、両親が普段からお金や物を与え、私はそれを当たり前のことだと、幸せだと勘違いしてしまったからです。私が就職できなかった「要因」の一つは、両親が勉強することが大切だと教えてこなかったからです。そして私が勉強をすること
逮捕されると取調べなどで警察と検察庁の往復になる留置施設に入って2日目検察庁で取調べがあり勾留期間が決められる弁護士さんと連絡を取り今後の生活を考える今回は服役が決定的なので検察側から起訴宣告をされた時に即、保釈申請をしました保釈は裁判が終わるまで規則を守れば自宅で生活できるので裁判終了までに引越しなどの準備をしました起訴されてから約6ヶ月で裁判が終わりやっぱり実刑となりました裁判終了の瞬間私の腕には手錠がかかりましたそして拘置所に移送され刑が確定するまでは未
熊本県玉名市の田本竜也(21)は、坂井正則(35)、坂本聖也(20)、結城忍(20)と共謀して、ある男性を身代金目的で誘拐する計画を立てた。当時、彼らは全員が無職だった。田本と結城は少年院時代からの知り合いで、結城は東京を本拠地とする暴力団から、破門されていた。その結城は暴力団員だった頃、坂井と知り合った。坂井は夏頃から田本の実家に身を寄せていた。そして、誘拐のターゲットは田本の小学校時代の同級生の上田創昭さん(21)だった。上田さんの実家は、熊本県玉名市で不動産やパチンコ店を営む資産
判決日は、朝から緊張していました。実刑は免れないと分かっていたのですが、求刑がかなり重かったのでどのくらいの刑になるのか予想できませんでした。前回同様、雑居房を出た後に軽い身体検査を受けます。部屋に連れて行かれ手錠と腰縄をされました。護送されるバスに乗り込み裁判所到着後は仮監獄に入ります。手錠と腰縄をされた状態で法廷へ入り裁判官が来るのを待ちます。裁判官が入ってきて開廷しました。緊張していると「被告人は前へ出て下さい」と言われ前へ行きます。前へ出ると同時に裁判官が「判決を
結局、6月の下旬にアカオチして受刑者になってから1か月以上は拘置所にいて8月になってしまいました。体調の方ですが、7月に崩してしまってから食べる量は減ってしまいましたが少しずつ回復していきました。でも、8月に入りさらにも増して暑くなり、昼間はサウナ状態で夜は寝付けない日も多かったです。8月に入ってすぐの午前中、刑務作業の途中で先生に呼ばれ「領地調べ(荷物検査)するから」と言われました。つまり移送される女子刑務所が決まったという事です。部屋に連れて行かれ先生に聞かれながら拘置所に預け
就職活動中なので、面接に行ってきました。面接では、いろいろ質問されるのだけど…面接官「前職の退社の理由は何ですか?」私「自営業でしたので、離婚が退職の理由です。」面接官「……そうですか…」面接官「弊社は弁護士関係を扱ったりするのですが、そういったご経験はありますか?」私「以前、主人が拘置所に行ったことがあるので、その時、お世話になったり、調べたりしました。」面接官「……そうですか…」重たい空気にしてみた面接でした。
アメリカの拘置所で、大部屋へ。まさにこんな感じで2階の吹き抜けがあり、小部屋に分かれていました。小部屋は3人部屋で、部屋がいくつあったか、この大部屋に何人いたか数えましたが、どうしても思い出せませんアメリカのドキュメンタリーでは、新入りが入る度に、大勢から「F***you!!!」「来るんじゃねえよ!」みたいに罵声を浴びせられていましたが、私の場合、アジア人が珍しかったのか、みんな興味津々で、罵声は浴びせられませんでした。写真はまあキレイに見えますが、私の拘置所は全
受刑生活の前に拘置所での生活を書こうと思います私が生活していた拘置所は岡山刑務所内にある拘置区でした。岡山刑務所はLA(初犯ロング)の施設で無期懲役の人が大量にいる所です岡山刑務所の建物はビックリするぐらい古く、トイレも和式トイレに木の枠を付けてオリジナル洋式トイレになっていました。これが経験した人でないと分からない不思議なトイレで、座る方向に悩みます、、、。また未決の時は、午前と午後にお湯が貰えて午前はコーヒー等を購入しておけば飲む事ができます。午後はコーヒー等プラスカップ麺にお湯を
数ヶ月前知人の付き添いで一緒に拘置所に行って来た。拘置所で受付の手続きをしてると知人から「◯◯君こいつ知ってるだろ?」って言われたのでそっちを見ると、知らない人と一緒に座ってた。え?知らないんですけどと思いながら2人の方に歩いて行って間近で見ても分からない。知人が「◯◯だよ!」って名前言ってようやく分かった。刑務所にいる時同じ工場の人だった。出所の時期も俺の方が少し後で数ヶ月くらいしか変わらなかった記憶がある。刑務所で見てた時の顔とだいぶ違ってたから気付かなか
受刑者になってからは未決囚の時と違い朝が少し早くなりました。6時40分くらいには起き6時45分には点呼があります。そして刑務作業が午前と午後に加わります。また、受刑者になってから刑務官の事は、”先生”と呼ぶよう指導されました。優しい先生もいれば嫌味の凄い先生や厳しい先生もいます。刑務作業は、簡単な製品の組み立て作業や紙袋作りです。組み立て作業は、一度覚えたら何となくできるようになったのですが、紙袋作りは、少し苦戦しました。同じ雑居房の受刑者の方に「アホでもできる作業やの
起訴されいよいよ拘置所へ移管されることになりました。留置場生活は、同じ雑居房でかなりキツイ人がおり精神的にも参っていたので内心ホッとしていました。移送当日の朝、番号を呼ばれ手錠と腰縄をされ護送車に乗せられます。拘置所に到着するとまず荷物の仕分けをされます。そして氏名や生年月日・住所を確認され狭い部屋に入れられました。部屋に入ると着ている服と下着を全て脱ぐよう言われ全裸になります。拘置所は、刑務官という事もあり口調がかなり厳しかったです。服を脱ぐときも急いでいたのですが私は、ずっ
逮捕されて、はや5ヶ月。留置所、拘置所は近かったし、面会も平日休みの時は行ってたし。いつでも会えるやみたいなのあったけど、8月の終わりに大刑に移送されてからは、面会も叶わず…手紙も月4回と制限あるので、手紙もなかなか届かず。この間、会いたくても会えない、寂しさ?みたいなものがどわーーーーっとやってきて。9月は毎日酔っ払っては泣いておりました内妻登録終わるまでは面会もできん。内妻登録も次の所へ移送されてからになるなので何ヶ月かかるかわからん。ということで、待つしかない状況や
仕事が忙しすぎて、疲れもとれず、平日休みはゆっくりしたいって気持ちもあるけど。『そんなことあるの???』昨日、裁判だったらしく、休み予定だったので、休みを代わってもらって、今日休みをもらいました。彼も代わってもらえーなんて言ってたからね。8時30分に面会希望の電…ameblo.jp以前警察署の都合で面会に行けなかったら、私に何かあったんじゃないか、なぜ来ないんだみたいな手紙がきたから。またこんな手紙きたらめんどくさいなって思ってしまいその理由とかも手紙で出すと、また本人が知るのは3日後
ごはん(玄米)、けんちん汁、カボチャの煮つけ、塩ゆで青豆、らっきょう漬け、秋刀魚の干物東京拘置所で聴けるラジオ番組、美味しい食事メニュー……佐藤優が語る勾留の記憶東京拘置所512日所謂“鈴木宗男事件”に絡んだ背任容疑で逮捕され、東京拘置所で512日勾留された佐藤優。そのときの環境や生活はどのようなものだったのか—森田耕次解説委員)佐藤優さんと言いますと、2002年に鈴木宗男さんの事件に絡む背任容疑で逮捕されまして、東京拘置所で512日間勾留された経験があるということですね。佐藤)
死刑が確定した後、さらに2件の殺人事件で起訴された元暴力団組長の男の裁判員裁判で、東京地裁は無罪を言い渡した。住吉会系暴力団元組長の矢野治被告は、2003年に群馬県で4人が射殺された事件で死刑が確定した後、さらに2件の殺人事件への関与を手紙で告白し、殺人の罪で起訴されていた。矢野被告は、裁判では「告白は虚偽だった」と話し、無罪を主張していた。13日の判決で東京地裁は、「手紙での告白は死刑執行の引き延ばしのための虚偽の告白で信用できない」などとして、矢野被告に無罪を言い渡した。矢野被