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最近も忙しくメッセージを見ておらず、メッセージいただいた皆さん申し訳ありません。今日全ての方々に返信いたしました。私のような者で役立つことがあれば、今後も遠慮なくメッセージください。留置場・拘置所・刑務所どこが一番きついか。よくそんな話を耳にする。逮捕から留置場・拘置所・刑務所の流れになるが、一番しんどいのは逮捕直後から警察・検察の取り調べ、その後の裁判時期。実刑確実であるなら刑務所に早く降りた方がどれだけ楽かと思う。自分の犯した罪と
こんにちはマイケルです。録画しておいた昨夜のNHKの生活保護のヤングケアラーがテーマのドラマ観てましたいいドラマでした涙さて。今日、作業所でオシャベリしてたら旦那さんが半年位、出張に行ってた女性が『旦那、実は車でひき殺して拘置所入ってたんだよねー』との爆弾発言がありました(横断歩道の無い所での飛び出しだったそうです)本当にあの人、凄いわ。先月末で作業所の職員さんが1人退職されたのですが、今週いっぱいでもう一人退職することになりました2人ともユーモアのある
「◯◯君、人には細い血管でも打ってやれるのに自分には血管がなくて打てないってこの世の中どうなってるんだろうな?」って言われて俺は返事が出来なかった。この人はホント細い血管でも入れてしまう。手先もすごく器用なんだなと思う。ここのマンションには自動の麻雀台があって今日はみんな集まって麻雀が行われる日。覚せい剤もぶち込み放題。先週用事があってここのマンションに寄った時は1人の人が横になって腕を上に上げてぶち込んでもらってる瞬間だった笑。俺は麻雀やらないのでタイミング
2024年5月5日夜中に目が覚めて老人の考えることは昔のことが多いようだ。もう何十年も前のことだが、ある日イエス様は言われた。「私はある人の身代わりで泉南の刑務所に入っている。」と。何のことか分からなかったが、次の日くらいに面会に行くことにした。高速で一時間ぐらいの所だが、拘置所のようなところがあり、名前は岸和田か何かそんな名前であった。近くに裁判所もあり駅もあり、拘置所には誰もいなかった。誰かに聞こうと探し回ったが、ついに分からずじまい。イエス様も人間の姿で罪人の身代わ
拘置所とか懲役行ったら色んな奴に出会うやん?大刑(大阪刑務所)仮釈で出て、仮釈中にシャブボケして逃げて西成のドヤで勝手に生活保護受けてて職質されてそのまま戻ってくるおっさんとか笑でも出所翌日にパクられたって話は今までまだ一回も聞いたことない。出所2週間で大刑戻ってきた人おったけど笑………実は俺似たような経験あるねん。笑………少年院の時やけど、2回目の少年院出た次の日出所祝い終えてその日は実家に帰ってんな。んで俺は自分へのご褒美として一人、エビスビールをチビチビ飲んでい
東京拘置所へ今日は月曜日。土日は夫に会えない為、月曜日は必ず会いに行く。面倒だとかは思ったことがない。愛する人に会いに行くのだから。。。むしろ会えることが嬉しい。事情は違えど月曜日は休み明けだからかもしれないけど面会や差し入れ、宅下げに行く人達が多い傾向があって混み合うイメージ。面会時間は未決者が20分で既決者が30分。20分はあっという間に終わる。今日は受け付け番号90番。午後の受け付け開始は12時30分~で開始後すぐに長い列に並んで90番という事は午前中にかなりの人が面会に来ていたと
熊本県玉名市の田本竜也(21)は、坂井正則(35)、坂本聖也(20)、結城忍(20)と共謀して、ある男性を身代金目的で誘拐する計画を立てた。当時、彼らは全員が無職だった。田本と結城は少年院時代からの知り合いで、結城は東京を本拠地とする暴力団から、破門されていた。その結城は暴力団員だった頃、坂井と知り合った。坂井は夏頃から田本の実家に身を寄せていた。そして、誘拐のターゲットは田本の小学校時代の同級生の上田創昭さん(21)だった。上田さんの実家は、熊本県玉名市で不動産やパチンコ店を営む資産
実刑判決となっても14日間は、控訴や上告が可能です。なので判決が確定するのは、14日後です。つまり確定する14日間は、未決囚の時と同じ生活です。そして、アカオチと呼ばれるのですが刑が確定して受刑者になってからも直ぐに女子刑務所には移送されません。拘置所で刑務作業をしながら女子刑務所へ移送されるのを待ちます。迎えたアカオチの日、未決囚の時にお世話になった雑居房から確定房へ移される事になりました。荷物を持ちサンダルを履いて拘置所へ移送された日に新入検査をした建物へ連れて行かれました。
月曜日今日でやっとゴールデンウィークが終わり明日からまた夫さんに会いに行けますこのところは毎日のようにレオンさんとお参りを続けています。実は今日も10時過ぎに出発して行ってまいりました🚗³₃六曜を見ると今日は赤口なので本当は11時~13時に動きたかったのですがレオンさんが出掛けたくてお願いしてくるので11時前に出たんです。着いたのが11時ピッタリと言う……さすがレオンさんです。夫さんに足りないものは何だろうかとずっと考えてきた私ですがイマイチ分からなかったのですがやっと分かりま
昨日の私の夜ご飯です大量に作った酢キャベツを全部タッパーに入れて会社に置いてきてしまったので酢キャベツなし〜のかわりにもずく酢ひじき豚汁そしてそして冷奴はぁ現役死刑囚・木嶋佳苗のクックパッドかなえキッチン!!私は木嶋佳苗レシピをさらにアレンジしておろしニンニクをプラスしてますお豆腐の上におろしニンニクを塗ってその上に刻んだ万能ネギ表面全体に軽く塩を振ってごま油をかけて仕上げ〜これ大好きです♡ちなみに木嶋佳苗本人が作ってクック
僕は覚醒剤取締法違反で逮捕された、元教員です。すっかり温かくなりました。去年は拘置所の中でひたすら読書をしていた時期。布団にダニが湧いているのではないか。髪の毛がかゆい。かきむしりすぎてどんどん抜ける。常にホコリが浮遊している。戦後まもないころの音源か?古くさい音楽に合わせて時間になったら室内体操をすると、汗をかく。だけど、シャワーが浴びれない。ヒゲを毎日剃らない。自弁で電動カミソリを購入するにも高いし、もったいない。いつまで続くのか…不安だらけの毎日が続いていた。忘れ
彼が出所して1年6ヶ月が経ったなんとか1年6ヶ月無事平和に過ごせたただ最近頭に薬をやりたいと言う症状が現れてきたらしいこれが薬物の怖さなんだろう・・・彼は今必死に耐えているなるべく1人にならないように休みの日はご飯を食べに行ったりどこかへ連れ出したりしている恐らくずっとこの症状と彼は闘っていくのであろう・・・残酷にも思えるがんばっている人間に頑張れとは言えないどうしたら良いのだろうか・・・日々悩む・・・なんとか耐えて欲
起訴されいよいよ拘置所へ移管されることになりました。留置場生活は、同じ雑居房でかなりキツイ人がおり精神的にも参っていたので内心ホッとしていました。移送当日の朝、番号を呼ばれ手錠と腰縄をされ護送車に乗せられます。拘置所に到着するとまず荷物の仕分けをされます。そして氏名や生年月日・住所を確認され狭い部屋に入れられました。部屋に入ると着ている服と下着を全て脱ぐよう言われ全裸になります。拘置所は、刑務官という事もあり口調がかなり厳しかったです。服を脱ぐときも急いでいたのですが私は、ずっ
拘置所での生活は、留置場の時よりも穏やかでした。未決囚なので裁判に出頭する以外は、殆ど自由時間です。朝の7時半になると起床し布団を畳み掃除・洗顔をします。朝食前になると刑務官が「点検よーい!」と言うので正座をして入っている雑居房へ来るのを待ちます。刑務官が来て部屋の番号を言うと自分の番号を答えます。入っている雑居房の点呼が終わっても他の部屋の点呼が終了するまでは正座をしたままです。一度、刑務官が通り過ぎて正座を崩してしまい別の刑務官から厳しく注意されました。そして朝食を
前回の記事で東京拘置所の生活について書いたけど、本当に道仁会の小林哲治会長や死刑囚の人達からは学ぶこと、考えさせられることが多々あったな。そのことについては「続・反証」の方に詳しく書かせてもらったけど、俺にとっては本当に貴重な経験となった。それはハッキリと断言することが出来る。まぁなかなか経験出来ることではないからね。留置場では稲川会の内堀和也会長、拘置所では道仁会の小林哲治会長や死刑囚の人達と共に生活。例えお金を払ったっ
今日は、掛け持ちの仕事の日でした。少しでも自分の稼いだお金を被害者の方々や両親に渡そうと本業の仕事と掛け持ちし始めたのですが慣れない仕事は、やはり緊張します。仕事をし始めると大丈夫なのですが、新しい職場なので行くまでが緊張してしまい疲れてしまいます。仕事のしんどさよりも今は、緊張の方が大きいです。刑務所へ移送される前日と当日もブログ記事では、落ち着いているように書きましたが、緊張感で死にそうでした。移送されるバスの中では、あまり刑務所の事を考えないよう過ごしていたと思います。時よ
先月友達から関東の刑務所に迎えに行く人いるから付き合ってほしいと言われ、行くことになった。家を夜中の3時に出て、朝6時に待ち合わせ場所に到着。友達と友達の知人拾ってそこから刑務所まで2時間半かかった。夜中の3時なんて起きれないから、しょうがないと思いつつも飲みたくもない眠剤夜8時頃飲んで強制的に寝た。刑務所に到着したのは朝8時30分ちょっと前で、釈放が8時30分なので間に合ったんだけど、他にも迎えに来てる人達がいてその車で帰ったとの事だった。その後久しぶりに関東に来たので
被告人に懲役6年を求刑する。普段から、同じようなフレーズを毎日のように言い渡してるであろう検察官の冷酷な声がうねうねと蚯蚓のように脳内を這いつくばっていた。裁判所から拘置所へ戻る車中の記憶は殆どない。6年という求刑は特殊詐欺事件の実行犯としたらきっと軽い部類に入るはずなのだが実際に自分自身が裁かれる立場になって、下された年月の真の重みを痛感していた。小学生が入学して卒業するまで…中学校に入学して高校生を終えるまで…その期間を想像すればするほどその長さに愕然
この前の投稿では、彼氏とは、自分から離れたと強がって書いてしまいましたが正確にはフラれたんです。なので編集しました。また、逮捕後は実名報道されたので色んな方々に迷惑をかけてしまいました。特にFacebookをやっており顔出ししていたので事件後は、かなり検索されていたようです。報道の時に顔は出されなかったものの年齢などから割り当てられ出所後に調べたら某アフィリエイト記事にアカウントが載せられていました。※現在は、Facebookアカウントを閉鎖しています。私が好奇の目で見られた
昨日拘置所からの手紙が届きました。月曜日に出して、水曜日届いたから早く届いたなぁ♡拘置所は7枚かけるらしく7枚びっちりと書いてありました。誕生日に送った絵本や、私が送って入らなかったフリースとかもようやく手元にきたようで、春なのにモコモコしてるの着たり、手紙も改めて読み直してうるうるしてたって。あの顔からあんまり想像できないんだけど。お願い事もたくさん書いてあったから、正直色々して欲しくて感謝の気持とかを長々と書いてくれてるのかな〜なんて一瞬思っちゃうけど。私のことをよくわかっていて
逮捕されると取調べなどで警察と検察庁の往復になる留置施設に入って2日目検察庁で取調べがあり勾留期間が決められる弁護士さんと連絡を取り今後の生活を考える今回は服役が決定的なので検察側から起訴宣告をされた時に即、保釈申請をしました保釈は裁判が終わるまで規則を守れば自宅で生活できるので裁判終了までに引越しなどの準備をしました起訴されてから約6ヶ月で裁判が終わりやっぱり実刑となりました裁判終了の瞬間私の腕には手錠がかかりましたそして拘置所に移送され刑が確定するまでは未
受刑者になってからは未決囚の時と違い朝が少し早くなりました。6時40分くらいには起き6時45分には点呼があります。そして刑務作業が午前と午後に加わります。また、受刑者になってから刑務官の事は、”先生”と呼ぶよう指導されました。優しい先生もいれば嫌味の凄い先生や厳しい先生もいます。刑務作業は、簡単な製品の組み立て作業や紙袋作りです。組み立て作業は、一度覚えたら何となくできるようになったのですが、紙袋作りは、少し苦戦しました。同じ雑居房の受刑者の方に「アホでもできる作業やの
【日々好日】女優ジェーン・フォンダX(Twitter)を見ていたら、懐かしい名前が出てきた。往年の女優「ジェーン・フォンダ」😃社会派の大女優82歳で拘置所へアメリカ映画「チャイナシンドローム」等に出演し、原子力発電所の危険性を訴えた社会派の大女優ジェーン・フォンダ。1937年12月生まれの86歳。もうそんな年齢になるのか!4年前、「信念」を貫いて逮捕され、拘置所に入った!凄い!…体力のある若い時なら、いざ知らず、当時82歳の時だった!!オランダで1957年に開かれた「反戦会
僕は2023年、覚醒剤取締法違反(使用)の罪で逮捕・起訴された。下された判決は、懲役1年8月、執行猶予3年。そして釈放された。2か月半の留置所→拘置所の独室、コロナ禍での面会制限。つらかった。その間何よりこれまで担任した教え子たち、慕ってくださった保護者への申し訳なさ、後ろめたさに押しつぶされそうだった。今でも思い出してしまう。「先生」とニコニコ駆け寄ってくる子ども達の姿を。ここから第二の人生が始まる。それは、想像を超えるものになりそうだ。
【Paix²(ぺぺ)Prisonコンサート】訪問回数:498コンサート回数:528(2024.2.17現在)【2000年(H12)】訪問回数:1コンサート回数:112/2鳥取刑務所【2001年(H13)】訪問回数:2コンサート回数:22/17山口刑務所10/27山口刑務所【2002年(H14)】訪問回数:30コンサート回数:301/12鳥取刑務所3/16黒羽刑務所4/13新潟刑務所4/20松江刑務所4/2
以前、「虫がわく」というタイトルの記事を書いたが、結局虫がわくというのがどういう状態かを書くことができていなかった。虫がわく、と言っても僕の場合は、実際にクモやミミズが皮膚を這うような感覚に陥るわけではない。虫の幻覚が見えるわけでもない。薬物が使いたくてどうしようもない感覚…それを「虫がわく」というそうだ。殺人、窃盗、盗撮…いろいろな事件が日々起こり、留置場や拘置所で過ごす人々がいる。その人々は、きっとどうしようもないほど生きづ
うつ病→性犯罪→逮捕実名報道。留置所、拘置所で過ごしました。はじめに・・・留置所=警察署にあり、取り調べを受けるために入る牢屋。拘置所=捜査が終了し、起訴され、裁判を待つ人が入る牢屋。よって、たいていの人は、【留置所→拘置所】という順番に入る。それぞれの良い所、悪い所を挙げる。〇…良い所×…悪い所【留置所】〇人と話せる(同部屋の人、他の留置者、看守)〇人と話せるから少し気が紛れる〇エアコン有〇弁護士に会いやすい〇取り調べ等で檻の外に出る機会がある
結局、6月の下旬にアカオチして受刑者になってから1か月以上は拘置所にいて8月になってしまいました。体調の方ですが、7月に崩してしまってから食べる量は減ってしまいましたが少しずつ回復していきました。でも、8月に入りさらにも増して暑くなり、昼間はサウナ状態で夜は寝付けない日も多かったです。8月に入ってすぐの午前中、刑務作業の途中で先生に呼ばれ「領地調べ(荷物検査)するから」と言われました。つまり移送される女子刑務所が決まったという事です。部屋に連れて行かれ先生に聞かれながら拘置所に預け
夫が車で逃走(本当に逃走するんです。)した後、パトカーが家の周りに集まってきました。私は気力を失くして、家のソファに横になっていました。家の周りは騒がしくなりました。警察官が入ってきて、事情を聞かれたので、私はソファに寝たまま、すっかり気力を失くした声で、「夫に車を運転させたくなかった…。だから鍵を隠して、ケンカになりました。それだけです。」と答えました。もちろん夫のオーバードーズは言えませんでした。警察官はまた外に出て行きました。私はそのままソファで横になっていました。
受刑者になってから暫くして分類がありました。分類とは、「IQテスト」や「面談」でどの刑務所が合っているのかを調査する事です。しかし、女子刑務所は数が少なく私が収容されていた拘置所からだと、何らかの理由がない限り2つの刑務所のうちどちらかになる場合が多かったです。分類の日、刑務作業の合間に拘置所内の部屋に集められました。そこでIQテストと面談をしました。面談は、分類担当の先生が行います。面談では、”なぜ事件を起こしてしまったのか””どのように罪と向き合っているのか”などを聞かれ