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一周忌を過ぎた後ずっとずっと落ち込んで、、、仕事は他の人に迷惑かけまいと何とか行ってるけれど、家に帰ると食事も作れずお惣菜ばかり。休みの日は一歩も外へ出る事なく、何もする気になれず、、。気持ちが、落ち込むと体調も悪い。胸が詰まって息苦しかったり、薬を飲んでも頭痛が消えない。次男に会えなくて淋しい、辛い。。そして、それを言い訳にして、、今の状態の自分がすごく情け無くて嫌になる。。
リアルタイムでは、本日の朝退院しその足で広島の実家へ移動しました。なぜそうなったのか詳しい経緯はまた順を追って書きますが、取り急ぎ今日の出来事と気持ちを記します。今日は主人と息子も付き添ってくれ、実家で一泊したあと横浜の自宅へ戻ります。車椅子にトランクに、たくさん手があって助かりました。特に息子はずっと車椅子を押してくれて頼もしかったです。現在CVポートから輸液を流し、胃ろうの廃液袋を下げている私は優先的に新幹線の11号車の個室を予約させてもらえました。病院から実家まで、約6時間の大移
意地悪女性に我慢の限界に達した私は、自席でその女性にキレてしまった周りに数名社員がいたが、そんなの関係ない。それよりも、理不尽な彼女の態度に我慢ならず、自己主張せずにはいれなかった。理路整然というも、彼女は一向に聞く耳持たず、非常識な反論ばかり。悔しさから涙が溢れ、泣きながら主張したが、常識が異なる彼女とは話し合いにはならない。私は離席し、給湯室から派遣会社の担当者に連絡をし、これ以上続けることは不可能だと伝え、その日も仕事を継続することはできず、お昼前に退社した。それがその会社
問題のカバン、、、、結局、女性社員の旦那さんが持って帰ってくれていたのだ。前回と同様、私はお手洗いに行ったまま戻ってこなかったようだ・・・・そして、またまた携帯にロック設定をしていなかったことが吉と出て、女性社員の方が夫の携帯にLINEをしてきたのだ。私の携帯のLINEを見て、これが彼氏だなと思って連絡をしてきてくれたのだ。勝手にLINEを見てしまい申し訳ないけど、これしか連絡を取る手段が無いからと。翌日、夫婦が住む埼玉まで荷物を取りに行くと伝えると、ちょうど産婦人科の診察日
態度を一変した警察官、、、どこの病院がいいか希望があるか聞いてきた。救急車を呼んでくれるとのこと。しかし、お財布、携帯が入ったカバンを紛失してしまったことが絶望すぎて、放心状態に近かった。鍵がないと家にも入れない、、、覚えている電話番号は、実家の番号と姉の携帯番号のみ。携帯がないことには、1番事情を知っているであろう一緒にいた同期に連絡をとることすらできない。もう絶望に打ちひしがれていたところ、警察官から朗報が、、、なんと、一緒にいた同期からその警察署に電話がかか
新しい職場のクセ者派遣女性、、、、初日から何故か私に敵対心むき出しで、「ビシバシ行くから!」と言われ・・・・教え方もキツイ。そして一度しか言ってくれない。聞き返すと、「さっき言ったよね!メモってないの!?」など・・・そして、私を面接して採用してくれたお偉い方が私の席に来てくださり「今日からよろしくね。頼りにしてるよ!君の笑顔は明るくて本当にいいねぇ!」なんて褒めてくださった時には、もう私のことが許せないかのような鬼の形相で睨んでくるおそらく、自分より後から入ってきてチヤホヤ
同期の顔を見て、ホッとした。同期は私の酷い顔を見て、心配して涙する。お互いにごめんね、、、ばかり言い合う。同期は病院に来る前に、一度私が保護されていた警察署に行ったそうだ。警察官にそう指示されたよう。そこで同期は小部屋で警察官から取り調べを受けたらしい。そして「君が友達を殴ったんか?君がやったんやろ?正直に言いなさい」と言われたそうだ。同期は全否定したが、しつこかったそうだ。もう、それを同期から聞いたとき、大憤慨した。私のせいで、同期が疑われて暴行者扱い。酷すぎる
無職になり、振り出しに戻った私だったが、いつまでも途方にくれてるわけにもいかない。とにかく仕事を探さなくては、、、ただ、本当にお金がなかったので、とりあえずのお金が欲しくて、日払いをしてくれる求人サイトに登録をし、3回ほど1日限定バイトみたいなのをしに行った。日雇い労働者が来るような工場みたいなところで、今まで出会ったことのないような人々と一緒に袋詰め作業や、封入作業をした。なんだか凄く惨めだった、、、、中学校から私立に行かせてもらい、仕事も華やかな広告代理店や、CA、法律事務所の
顔を負傷してから2週間が経過すると、傷は徐々に薄くなっていった。でも、左目はなかなか治らない。というより、目を開けてみることが怖くてなかなかできなかった。目を開けて、まだ見えなかったら落胆が大きすぎる、、、仕事は既に2週間お休みしていたが、これ以上休むと、お給料に反映されてしまい家賃払うのが厳しいという思いもあり、出社したかった。しかし左目が言うことを聞かない、、、右目も2週間ずっと片目だけで使っていたので、かなり疲れていた。ある日、お風呂に入った時、鏡に映る自分を見て(左
それからがまた苦痛と苦悩の日々だった・・・・会社に事情を話し、仕事は一旦、1週間のお休みをもらった。ただ、状況次第では、更にお休みの延長になる旨は伝えたが、快諾してくれた。まず、左目が全く開かない、、、というよりも、開けるのが怖かった、、、、視力を失っていたらどうしようという恐怖、、、そして、目、鼻、おでこ、頬、顔中が痛い。とりあえず、翌日、近くの眼科に行って事情を話し、診てもらった。恐る恐る目を開けると、、、色が黄緑色というか、見え方にちゃんとした色が無いそして、
当ブログ「私の大事な宝物」にはPR商品及びアフィリエイト広告も含まれております。一昨日は愚痴を書いてしまいましたがその日の夜追い打ちをかけるような告白に茫然自失久しぶりの喪失感と込み上げる怒り昨日は「もう何も頑張らない」と意を決して暴飲暴食を決意(頑張らない=暴飲暴食は謎だが何か悪い事をしたかった)普段は決まったごはんとおやつのちゅーるだけですが”るぅさんにも暴食させたるで”と、焼ささみを準備久しぶりの
関西でCAしていた時の同期が、旦那さんの転勤で東京に引っ越してきた。仲の良い同期だったし、よく一緒にお酒を飲んでいたお酒の強い子だったので、嬉しかった。ある休日、お互い住んでる中間地点で飲もう!ということになり、17時から飲み出した。1軒目ではビールを浴びるほど飲み、2軒目では2人でワインボトルを何本か開け、3軒目では、、もう記憶がない。何故なら、気づいて目が覚めた時は、警察署の椅子に寝かされていたからだ、、、今でも思い出すと苦しくなる。それくらい衝撃的な出来事だったから
今日から続きを書いていこうと思います。しばらくいろいろあって書けませんでした。すみませんm(__)mさて、飲みに行った私たち。それはそれは周りから見ていたら仲良しカップル。笑いながら旦那の浮気話をする夫婦。よく考えたら異常。ただ、雰囲気を悪くしたくなくて明るく振る舞ったそのまま二軒目まで行き、帰る頃には1時をまわっていた旦那と二人で帰宅『明日どうする?』と、聞く私。『とりあえず荷物を実家へ取りに帰る』と、言うので一緒に行く約束をしてその日はそのまま寝ました。
お酒に逃げながらも、無職になって1週間ほどで幸いにも仕事が決まった。また派遣で、前回の外資系企業より時給は安かったが、勤務地も便利だったし一流企業だったのでひとまず安心した。お堅い会社で、日本でトップの大学卒業者などが多い職場だったが、社員の方は賢く良い方ばかりで、仕事は順調に進んだ。そうなると次の不安は結婚になる・・・・正直、その職場を選んだのは打算がなかったといえば嘘になる。一流企業で、エリート社員が大勢いる。男性が多い職場だし、出会いを期待してしまったことも事実であった
二度とお酒は飲まない!そう固く誓ったはずなのに、、、あんな大怪我をして、懲りたはずなのに、、、時間が経つと忘れてしまうのが、アルコール依存の恐しいところ。禁酒は1ヶ月で終わった年齢的に結婚を焦っていた私は、なかなか結婚相手ができないことに、相当な精神的疲労があった。3年というくくりのある派遣社員。だからこそ余計に焦る。焦って出会いの場には行くが、お酒を飲みすぎて酔っ払い、テンションが高くなる私は、遊びの対象に見られがちだった出会っても出会っても続かない、、、その繰
部屋とYシャツと私中学生の頃に、ガールフレンドの家に行った事がありました。別に付き合っていたとか、そんな仲じゃなかったんだけど、後から、彼女からは、好きだったと聞いた。彼女の家に遊びに行った時に、彼女から聞いたんだけど、彼女の父親が、僕の目が澄んでいて、純粋な綺麗な目をしていたと言っていたと聞いた。あれから何十年経ったのか・・・今の僕は、心も汚れ、目もきっと淀んでいるだろうな。色々な事を経験し、ある時は人を傷つけ、自分も傷ついて気付いたら、身も心もボロボロになっていた。そし
最近長年契約していたソフトバンクからワイモバイルに変えました。本当はもっと早くに変えたかったのですが、私は@softbank.ne.jpのアドレスをかなり使っているので躊躇していたのです。そしたらなんとオプションをつけたら今使っているアドレスを持ち運びできる(継続できる)プランがあったのです。これが変える決め手となりました。今後はアドレスもGmailの一本化にしたくて、全アプリなどのアドレス変更を徐々に進めています。これが全部できて何の支障もなくなったらオプションは外す計画です(オプション
私は精神を病み、双極性障害と診断されている。‥一月前から、体調がかなり悪い。ベッドから起き上がれない日々。出来ていたことも出来なくなった。胸が苦しい。動悸がする。頭の中がざわざわする。息苦しい。と、様々な症状に苦しまされている。正直、「死にたい」「楽になりたい」なんて思ってしまう。でも、まだ何とかそれは抑制できている。何故、こうもなってしまったんだろう‥。子供たちに負担や迷惑をかけてる毎日。罪悪感に押しつぶされながら何もできない自分が嫌になる。はぁ〜今日も一日が始ま
自分を愛するとは?セルフラブとは?それってつまり自分に何をしてあげることだろう?あなたはどう思いますか?(最後のオチまで読んでね♡)私は長い間ご自愛の勘違い!をしておりましたってへぺろ。「自分を愛する」とは「ご自愛をする」とは何かご褒美的なものを自分に与えることだと思っていたんですね。例えば自分が喜ぶ場所へ旅行させてあげること、自分が喜ぶものを食べさせてあげること、自分が欲しいものを買うこと、、、とかね。でも、それらをやってても私のことを雑に扱う人がたまに現
一日一食胃腸があまり強くないのか、調子に乗るとお腹壊したり、食べ過ぎて次の日1日寝込んだり大変なので胃腸を休める為に週に何回か一食の日を作ってますで、最近はお酒もサヨナラ気味ですこれはきちんとした理由があります先日、オススメの鈴木先生の肩関節レッスンを遠征する予定だったのですが、前日晩に食べ過ぎ飲み過ぎをしてしまい結果キャンセルする事になりましたいい年して、自己管理がなってないなー(特に酒)と自分自身こっ恥ずかくなったんすよ大好きなお酒でお金も時間も無駄いして、こりゃダメだとソ
何気ない言葉が心に刺さって苦しかった。この苦しみを誰かに分かってほしいと思ってしまう情けない自分がたまに出て来てどうしようもない気持ちになる。自暴自棄になる自分も自分がすごく嫌になるし感情を、仕舞い込んでおくほど強くなく。今日は溢れてしまった。主人が実家に行った際に、義理の姉が供養とかどうするの?って言ってたよ。、、、と主人から聞いた。義理の姉は子供が3人居て、私と同い年。私は3人産んでなんだけど、仕事してる方が楽なんだよね、子育てむいてないわー、、、と言っていた事もあり。
その日は金曜日で、会社の男性社員2と私の3人で飲み会だった。私と同じ部署に、ちょうど産休に入ったばかりの仲が良かった女性社員がおり、その子が、他部署にいるお酒好きの旦那さん達と是非飲みに行ってあげて!とのことで、夫と会う前から約束してあったし、断ることもできず・・・夫には正直に話し、21時までには夫の家に行くからと伝えていた。飲み会・・・1軒目のお店でビール中ジョッキを6杯飲んだ。2軒目は3人でワインボトルを2本開けたところまでは覚えている・・・・気づいたらタクシーの中で、
(今日は旦那さんが夜勤でいなくて弱音を吐ける人がいないので、ここで書かせてくださいね。)おなかを飛び出していった我が子は自力だけでの呼吸は難しかったものの、酸素マスクの補助があれば息をできたので声を聞くことが出来ました。母乳も再開して、極少量ではありますが、少しずつ管から入れて消化してくれています。新たな問題が起きても、新生児科の先生が都度、適切な処置をしてくれているので安定して(いると私は思って)います。頑張ってくれてる我が子をみて、普通のお母さんなら嬉しい
水曜日の休みを挟んで4日目の今日実は昨日は仕事のことを考えすぎて眠りが浅く何度も目が覚めました何とか気合いを入れて出社しましたが...午前中は外勤に同行して少し疲れていました業務も一部任せて頂き経験出来たのは良かったですそしてお昼休憩になると、やはり雰囲気に慣れない事業所内で食欲も湧きませんちょこちょこ外の空気を吸いに行きました「死にたい」に現場で向き合う自殺予防の最前線(仮題)[松本俊彦]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}そんな感じで不眠と緊張と不
3日間連続で(時間外含む)病院に行き、不安を取り除く注射をしてもらったりあらゆる人に電話をして今の状況を話しました今の情けない自分を受け入れて貰えた事で、独りじゃないんだって少し安心しましたもう本当に必死ですうつ病をこれ以上悪化させたくないのです多くは望みませんただ家族で笑って過ごせる毎日があればそれで良いです恥ずかしくて情けなくて惨めだけど、そうやってでも生きることに必死です明日もまた病院です、入院するかどうか体調を考えて選びたいと思いますが、おそらく入院となる事でしょう...
一人暮らしの家は、姉が住んでる隣の駅に借りた。初めての一人暮らしなので、治安、セキュリティーは絶対に譲れない条件だったところ、駅から歩いて30秒という好立地のマンションを見つけた。家賃は痛かったが、決まった職場の時給が高いので、大丈夫だろう!と、、、あとは、最悪の姪・甥と会える距離、、、そして姉の家まで歩いて15分でいける距離であることが決め手でもあった。姉とはその後も疎遠であったが、心のどこかで、姉が心を開いてくれて直ぐに仲直りできるだろうという思いもあった。そして人生初の一人暮
派遣の仕事のお話ですこの前、たった一日の仕事ですっかり参ってしまった、情けない自分確かにいきなり8時間労働はダメよねなので、一応学習した私は、短時間の仕事にしてみました11時から5時間で、間に15分だけ休憩あり開始が遅めなのもありがたいCDとかDVDのピッキングや梱包、発送準備のお仕事です立ち仕事だけど、商品探しにうろちょろ歩くので、それ程苦じゃなかったわそして、扱う品物もいろんな歌手のCDとか、ポスターがあったりで、ミーハーな私は楽しいですエレベーターあるし、トイレも近いしで
初めて夫と会った翌日から、毎日夫からLINEがくるようになった。ちょうどGW前だったので、食事に行きませんか。というお誘いだった。しかし、バツイチ子持ちが引っかかる私は、気が進まない断っても断っても、夫はめげずに毎日連絡をしてきて食事に誘ってくる(笑)この日がダメならこの日は、、みたいに、、、(笑)もう、しつこいなぁ、、、(笑)と思いながらも、知り合いの紹介である手前、邪険な扱いもできない。しゃーなしで1度だけ食事に行ってやるか、、、、と思い(上から・・・笑)、2人で食事をす
東京のマンスリーマンションで暮らし始めてから、必死で就職活動をした。主に、心残りとなってしまった法律事務の仕事をメインに探し、履歴書送付、面接に行くが、不採用の嵐。1か月という期限の中で就活をすると、焦りからだんだんストレスが溜まっていった。なかなか決まりそうにないのに時間だけが過ぎていく、、、しかも、お金もないから食費にそんなにお金もかけれない、、、1日1000円までと決めていた。なんとも情けない、、、(笑)たまに夜、外を歩くと、私と同じくらいの年齢の男女達が、お洒落なお
考えてみれば、大阪の実家に住んでいた時も、足を大怪我したのだった、、、(笑)両親は門限に厳しかったので、その日、外で終電ギリギリまでお酒を飲んでいた私は、終電に乗り遅れないよう歩道橋を急いで走りながら降りていたところ、最後の一段を踏み外し、膝で着地してしまったのだ。真夏で素足だった為、もろに膝を強打した。最初はただの切り傷だと思ったが、血が止まらない。コンビニで絆創膏を購入し貼るが、血がタラタラ流れて止まらない。一緒にいた男友達が、病院に行こうと言ってくれたが、単なる切り傷だと思った私