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少しずつ春はその色合いを加速して、やわらかな暖かさを肌に浸透させてくれる気温の変化にそんな心地、ここのところ随分と急に暖かくなった陽射しの優しい透明な手に撫でられる草花たちは心なしか伸びやかに見える寒い冬を乗り切った命たちの小さなメロディーがじんわりとそよいでゆくてんとう虫はチロチロとした歩みで健気に生きる人間から見れば小さな歩幅だけど、でも、てんとう虫にとってはそれが十分な歩みであり、それがてんとう虫にとっての精一杯の生きることそこには大きいも小さいもない、
『ほとんどの人は実際に愛する者を失うまで死別の悲しみがどんなものか、ほんとうにはわかっていません。また、死別の経験は二つとして同じものはありません。故人とどれくらい親しかったか、亡くなった人の、あるいは残された人の人生のどんな時期に死が訪れたか、どのような状況で死がもたらされたか....これらのすべてが死別の悲しみに違いをもたらし、それを乗り越えるまでの時間もそれぞれのケースで変わってきます。でも、どの死別にも共通したことがひとつあります。それは「苦痛」です。愛す
助産師さんに連れられ、私は個室に移動しました。助産師さんは歩きながら「ずっと皆で心配してたんだよ。めち子さん、どうやって過ごしてるんだろうって話てたの。」と言い、スタッフのみなさんがずっと心配していてくれたことを教えてくれました。助産師さんは「他のみんなも呼んでくるから、外来には私と一緒にいるって伝えとくね。」と言って一旦離れました。そしてその助産師さんが戻ってくると、ひとり、またひとりと助産師さんがやってきてくれました。別の助産師さんが現れる度にまた泣き出す私。嬉しくて、暖かくて、ず
今回の死産。私は何人かの友人に報告をしていました。そのうちのひとり。学生時代からの大事な友人。彼女が大学に行ってからは、本当に数えるほどしか会っていません。ライン等のやりとりも殆ど皆無。でも、とても大事な友人です。彼女には、手紙でよんちゃんの事を伝えました。元々あまりマメではない友人。(ごめんね。笑)そんな彼女から直ぐに郵便が届きました。中を開けると手紙と本が一冊。手紙を読むと、私のことを本当に心配してくれていて、子供のことも一緒に悲しんでくれていて。そして、こんな時
どうもわたしです今日は結婚記念日で月命日色々な思いが頭をめぐり昨夜は眠れぬ夜でした思いがめぐり…そらだけではなかった夜中にフゥ〜〜〜ン蚊が…また蚊が私の顔を…今度はおでこと顎と右の瞼またしても瞼です父さん夢で逢いたいと言ったけど蚊になって逢いに来るのはやめてくれ(笑)じゃなくて、色々な思い…の方の話しです感情が長続きせず中途半端なこと…強がって前向きでいるのも悲嘆にくれて泣き続けるのも私にとってはすごくパワーが必要そして、どちらも反動がすごいわたしは
夜、寝る頃には「少しずつ、前向きになれたかもしれない。」と思い、眠りにつきます。でも、朝目覚めると、胸が苦しくて苦しくて。東側の窓に差し込む、朝の優しい木漏れ日を見ても悲しくて。あの日から、清々しい朝など無い。どうにか起きて、夫と子ども達を送り出し、散らかった部屋を片づけ、洗濯をし、よんちゃんの事を考える日々を送っています。あれから1か月が過ぎたから、もう特に予定もなく。最近は、チラホラ「出産おめでとうございます!」とか書かれたハガキやプレゼントが届きます。妊娠中に、プレママプレゼ
よんちゃんが亡くなって、1か月が過ぎました。ボロボロだった身体の痛みは、ようやく癒えつつあります。それと反比例するかのように、気持ちは暗く。泣くことが増えた気がする。動けるようになって、いろんな場所に行くことも増えたからかもしれません。お腹の中にいたよんちゃんと歩いた道。お腹の中にいたよんちゃんと行ったお店。過去の写真を見ては、ちょっとずつ大きくなっていった自分のお腹を見つめている。どこに行っても「あの時はまだ生きていて、一緒に居たのに。」そう感じてしまいます。美しい景色を見て
生きている者の死、よく、人の死とペットの死の悲しみを一緒にしないで欲しいという話を聞きますが、私個人としてはこれは何とも言えないというのか、人(人間)もペット(動物)も同じ…と言い切ってしまうと語弊があるとは思うけど、それでも人間の死の悲しみが上とか、そんな事は言い切れないとは思ってます。だって、人が亡くなってもそこまで悲しくない、悲しまない?人だって(一部)実際いると思うし、悲しみの度合いは人によって違うから。逆に、ペットの死もこれは本当に「家族」であり、例えば天涯孤独、唯一の家族がその
私は絶望のどん底にいました。小腸全摘し、長期生存は非常に厳しいと宣告された息子を前にして、何もできず弱っていくのをただ見守るしかできないのかと思うと、とてつもない虚無感に襲われました。息子の面会中も帰宅後も、ふとした瞬間に涙が溢れ、泣いても泣いても枯れない涙を流す日が続きました。その一方で、息子は日増しに少しずつ浮腫みが取れていき、人工呼吸器も外れ、驚異的な回復を見せてくれました。目を見開いておしゃぶりをチュッチュと吸う息子の瞳に力強い生命力の光を見ました。私ははたと気付きました。息
皆様お疲れ様です。以前の記事で私の後悔として息子に愛を伝えていないという事を書かせていただきました。その後悔の話を私は家族に伝えたところやはりといいますかみんな同じ事を思っていたんですね息子は兄弟の中では1番上でしたがキャラは完全にいじられキャラ笑下の子2人からも雑な扱いを受けていました本心ではないもののネタとして酷い言葉も浴びせたりしていました。もちろん本人はそんな事も意に介さずみんなで笑って過ごしておりましたがこうやって急にいなくなってしまうと過去の自分達の発
うちの天使パパは、私よりひとつ年上です。夫もまた、よんちゃんが亡くなったことで相当な悲しみに暮れていました。よんちゃんが亡くなった日から、夫は忌引として1週間の休みを貰いました。お陰で、よんちゃんが生まれてきてから火葬するまでの数日間を家族で過ごす事ができました。夫は、よんちゃんが亡くなってしまったのは自分のせいだったと自分を責めていました。私は元々、家のことをなんでも自分でこなしてしまう馬力のあるタイプです。夫は、夫婦の期間が長くなるにつれ、家のことを任せたきりで仕事に打ち込む事が
子供を亡くした親にかける言葉②「言葉」このときの言葉は暴力にもなるし(よかれと思って言ったことが)心の底から人を傷つけてしまうかもしれません。私がおすすめしたいことあの時嬉しかったことを書きたいと思いますやさしいハグ普段は日本人になじみのないハグですがこのときは、自然にハグすることができました。「ゆっくり休んでね」そんな私への慰めと優しさを感じました。握手をする相手
鳩との会話に気を緩め、クッチは手術室に向かう途中で床に置かれていた薄緑色のプラスチック製尿瓶に足を取られて転んだ。尿瓶はひび割れ、入れ墨のように消えることなく底には濃い黄色いシミが広がり、むせ返るような尿臭が漂っていた。拾い上げてみるとベタベタと指に粘りつき、クッチは顔をしかめ、思わず投げ捨てた。「痛てて、乱暴だなぁ、先週肝試しに来た中坊たちだってもう少し取り扱いは丁寧だったよ。見るところ、君はカバンじゃないか!なにをしに来たんだい?主とはぐれたの?全く、主たちも何を考えているやら、廃
ピンセットは「ははは、どうだ?なかなか難しいだろう?」と得意顔。クッチは考え込む様子をして「医者といえば診察台...医者が医者が好きな診察台...うーん...完璧の母的に分かったわ!答えは...「新札大好き」よ!」ピンセットはクッチの正解に驚いて「えっ!?すごい!どうやって分かったんだ?」と聞いた。クッチは不敵な笑みを浮かべて「ふっ、神代の昔から医者の好きなのは銭子と相場は決まってるんだからー、答えは他には有り得なーい!ってわけよ、それで悲嘆の包帯さんは何処に?」ピンセットは「悲嘆
死について深く考えるようになったのはいつからだろう?医学生の時、外科の授業の課題で、エリザベス・キューブラー=ロス氏の書いた『死ぬ瞬間』を読む機会があり、死に至る過程というものを学んだが、まだまだ深く考えてはいなかった。研修医が終わり、外科の医局に入局した。外科では主に、手術して元気に退院する患者さんを診ていたが、当直バイトの時など、時々看取りを経験していた。病院で看取る患者さんには必ず心電図モニターが付けられ、心電図の波形が平坦になると、看護師から当直室に連絡
クッチは恐怖を飲み込んでしまうと、腹立たしくもあり、立ち上がって「ナニすんのよ!」とキレ気味に怒鳴った。ステートはどこ吹く風の様子で「怖がりたいモノを怖がらせて、またいらしてもらう、それが孤独嫌いなモノのオ・モ・テ・ナ・シ裏ばっかりだよ」とうそぶいた。クッチは鼻に皺を寄せて、「怖がりたいから来るモノだけじゃないんだってばー、教えてもらいたいことがあるの」と言った。捨てといてステートは右耳が不自由だったので聞こえが悪く「エッ!」クッチは、ステートのひだり耳元まで顔を近づかせて、「私はクッチ