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こんな人が近くにいたらどうですか?僕は正直、息がつまります。よく、正しすぎる人がぼろくそに言っている人の方が人間関係のトラブルもなく平穏に暮らしていて、当の本人の人間関係はぼろぼろという状況を目にします。当たり前ですが、ちょっとしたことで正しさや正当性をちらつかされては息がつまります。人間、少し間が抜けているくらいが安心できますし、一緒にいて気が楽です。逆に、完ぺきすぎると「魔が差す」とも言います。意味は違いますが、「能ある鷹は爪を隠す」も当てはまる気がします。もっと言うと、正義も
罪悪感の正体とは「罪」や「悪」ではありません。罪悪感の正体とは「これ、自分がやられたらめっちゃイヤだ!!」と「どうしよう!!怒られちゃうイヤだ!!」です。それを「罪」だの「悪」だのというなんかよく分からないものに変換してなんか難しくしてしまうからなんかややこしい事になるんです。罪だの悪だのというものは存在しません。あの人の「罪」ではなく「あいつムカつく」です。こういうのは「
最近またお通じが悪すぎてます(*´Д`*)乙字湯夜には出るかな
「お経会」時間は、10時から11時半です。※日程は…、・おつとめ礼讃文、正信偈和讃、私たちのちかい・生活の中の仏教用語「悪(あく)」「譏嫌・機嫌(きげん)」・仏事あれこれ「宗祖降誕会(しゅうそごうたんえ)」・仏教讃歌「そんな時私はくちずさむ」作詞:観月浩道作曲:中田喜直・恩徳讃、茶話会「生活の中の仏教用語」でとりあげた「悪」と「譏嫌・機嫌」についてお話しします。※「悪(あく)」梵語パーバの意訳で、「不安穏にして