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今から8年前…2015年4月わたしは夫に5年間の自由時間の許可を得て故郷の大分県に帰った。目的は姉の肝臓のドナーになるためだった。後々自分自身にドナーが必要な肝臓になるとは少しも考えていなかった。(2022年6月1日生体肝移植術)2018年11月肝硬変の姉が肝臓ガン破裂にて亡くなった。その時、母は…姉のお通夜の日。お坊さんのお経が始まると同時に…ブツブツと唱える声がする。お経と二重唱のようだった。もしや母?間違いない母だった。姉の死を受け入れられない
前回記事「浄土宗・祐天上人(その3)」の続きです。羽生村の怨霊事件を見事に解決した祐天ですが、実はその後も、自身が所属する弘経寺の近くで何件かの浄霊に成功していることが書物に記されています。後年、祐天の信者であった寺田市右衛門が執筆したとされる「祐天大僧正利益記」では、「弘経寺の近辺において、義母の怨霊が憑依した女性に念仏を授けた」「羽生村において、夫の浮気を恨んで死んだ女性の霊を鎮めるために念仏興行を行った」といったエピソードが記されています。また、祐天の名前を社会に知らしめ
法名釋精貢四七日法要を本堂にて勤めました。(四七日法要)3人の兄弟がいつも夫を亡くした母親とともに参詣されます。参詣される母親と3人兄弟は正信偈の唱和に熱心に取り組まれます。四七日の法話として,「仏に出遭うということは故人の生き方に出遭うことです。故人の思いに出遭うことです。これが仏を思うこと。つまり,仏を念じること。これを念仏と言います」「念仏に出遭われたと思ってください。ここから正信偈を唱和し念仏を深めていきましょう」(三七日法要正信偈唱和)
昨日、素敵な唄に出会った。「娑婆とても明日に希望があるならば忍びて生くる道もありなん」心に染みる、なんて慈悲深く慈愛に満ちた唄なのだろう。私は、心が静かになって、昨夜は深く眠れた。君の為に贈るよ。今は、ただ、ご両親を弔う事に集中して欲しい。そこから自らを見つけるのだ。ご両親は、貴方を愛していた故に選んだ道。哀しい出来事になってしまったけれど、その愛を貫いたのだから…。そして、舞いなさい。舞いは念仏にも通じるのだよね。舞って人々の心に訴えなさい。私はそんな日が来るの
前回の記事「浄土宗・祐天上人(その2)」の続きです。力づくで菊に念仏を唱えさせることに成功した祐天ですが、その後、どのような変化があったでしょうか。祐天は「累はどうなった」と菊に問います。すると、菊は「たった今、累は私の胸の上から降りて、私の右手を取って傍にいます」と答えます。そこで、祐天は、菊に念仏を更に10回唱えさせ、再度同じことを問うたところ、菊は、「もはや累は見えなくなりました」と答えます。ここで、累を成仏させることに成功したことが明らかになり、その場にいた者たちは喜び
前回記事「浄土宗・祐天上人(その1)」の続きです。怨霊の累と全面対決中の祐天上人(以下・祐天)ですが、読経・真言・陀羅尼と、どれも効果がありませんでした。そのような中、祐天は自分のしていたことが決定的に間違っていたことに気づきます。「私だけが念仏を唱えても意味がない。自分の内側から湧き出る念仏にこそ意味があるのだ。つまり、菊(累)自身が念仏を唱えなければダメなのだ」大乗仏教では、「自分の善行の結果(善因善果)を他人に向ける」回向(えこう)という考え方があります。お経
前回記事「怪談累ヶ淵と仏教(その1)」の続きです。元禄三年(1690年)に江戸で「死霊解脱物語聞書」という仮名草紙(庶民向けの読み物)が出版されました。この作品は、下総国の羽生村(現・茨城県常総市)で実際に発生したとされる「幽霊事件」を題材としており、作品内には、作者が「残寿」という浄土宗の僧侶であること、また、この僧侶が現場の村人や寺院にインタビューをして執筆したという旨が記されています。作品内に見られる地名や寺院などは、現在でも常総市内に存在しており、また、登場人物の名前
佛説阿彌陀經(あみだきょう)鳩摩羅什(くまらじゅう)訳如是我聞私はこのように聞きました。一時仏在舍衛国(しゃえいこく)祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)与大比丘衆千二百五十人倶ある時仏さまは、1250人の比丘(出家僧侶)一緒に、古代インドの王国「舍衛国(しゃえいこく)」にある「祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)」という祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)にいました。皆是大阿羅漢(あらかん)衆所知識長老舍利弗(しゃりほつ)摩訶目犍連(まかもっけんれん)摩
前回記事「怪談「累ヶ淵」と仏教(その6)」の続きです。怪談「累ヶ淵」に登場する怨霊「累」(かさね)を成仏させた祐天上人(以下・祐天)は、浄土宗の僧侶です。祐天が活躍した江戸時代の中期においては、怨霊払いといえば民間呪術宗教者が行うことが通常であったようで、浄土宗では怨霊払いは邪法として禁忌とされていたそうですが、祐天は、羽生村の怨霊事件以降、江戸時代を代表する「浄霊師」として名声を得ていくことになります。祐天は、羽生村の怨霊事件が発生した当時38歳で、羽生村から西に約1㎞の場
ええ、いびきの話です。寝入る寸前からもう、聞こえてくるんです。口はきっちり閉じているのに唸るようないびきが我が喉元からその度にはっと目が醒めてそれが、ちとアレですがまぁ、心地よく夢の世界に入って行こうとしているのがわかるのでよしとしますか、、、かつてこのいびきを喉念仏と名付けた私でしたが新しく眠の謳いと名付けました。笑このかわいいお飾りは大分前に、骨董市で買いました。
ことしの年金額の改定通知がきました。わたしとカミさんの分を合わせて、月額5,000円ほどアップします。わが家は老夫婦ふたり。年金とカミさんのパートで、なんとか自転車操業で暮らしていけます。5,000円しかアップしないのか、5,000円もアップするのか?モノハカンガエヨウ。「たった5,000円しか上がらんの?」とイヤな気分になるより、「5,000円も増えて、ありがたい、ありがたい」と思ったほうが心おだやかに過ごせます。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・昨今の値上げラッシュで暮らしは縮小
お釈迦様は「人生は苦である」と悟り、その真相を四つに分類し説き示しました。①人生は苦であるという事実(苦諦)②苦の原因は欲望や煩悩といった物事に執着する心であり、それが自己を苦しめる。(集諦)③執着する心を無くせば苦しみから解放される(滅諦)④執着を無くす実践方法(道諦)上記のように仏教の目的は執着する心(煩悩)を無くすことにあります。1991年(平成3年)のバブル崩壊以降、日本の平均給与は増加しておりません。海外では1990年以降、30年で平均
以前トレーニングで金運を上げましょうと書きました。その中で見た目が良いほうが、仕事で成功しやすいとも書きました。なぜ見た目が良いと成功しやすくなるのでしょうか?その一つの理由として、見た目が良いほうが話の説得力が増すからです。メラビアンの法則というものがあります。話し手の印象は話の内容よりも、外見で半分以上が決まるという法則です。話し手の印象は以下の通りです。内容(言語)が7%・話し方(聴覚)38%・外見(視覚)55%太った僧侶が「足るを知りまし
「数珠」数珠の中心珠に虚空蔵菩薩の梵字(タラーク)を入れました。数珠は本来、念仏を唱えた数を数えるために使用するものです。そのため、数珠に使う珠の数にも意味があります。本式の数珠では、珠の数は108です。人には108の煩悩があるといいます。お釈迦様は、繰り返し仏に祈れば煩悩を断ち切り、幸福になれると説きました。108の珠をひとつひとつ数えながら念仏を唱えれば、すべての煩悩が断ち切れるというわけです。と言っても数珠の数にはっきりした決まりはありません。108の約数である2
門門不同八万四(もんもんふどうはちまんし)それぞれに異なる仏教「八万四千」の法門は、為滅無明果業因(いめつむみょうかごういん)「無明」によって生じる「業」を消滅させます。利剣即是弥陀号(りけんそくぜみだごう)利益をむさぼる剣「利剣」を、すぐに弥陀の名前「名号」にもち変えて一声称念罪皆除(いっしょうしょうねんざいかいじょ)ひと声、念仏(南無阿弥陀仏)を称えるなら、罪はみな除かれます。八万四千・・・仏教の経典の数。無明・・・十
仏教は占いに否定的ですその理由は、仏教は因果応報だからです行為に対して結果があり、それに合わせて報いがあります善因善果・悪因悪果善いことをすれば、善いことがある悪いことをすれば、悪いことがある占いに惑わされることなく、善いことをすればいいのですではなぜ私は占いをするのか?それはコミュ二ケーションのツールになるし、何より楽しいからです占いを大いに楽しんでくださいそして占いの結果で心を乱さないでください一つのアドバイスとして、うまく利用し
葬儀社からご縁のない方の葬儀を依頼されることがあります。菩提寺の無い方が葬儀になると、葬儀社から紹介された僧侶が葬儀を担当します。葬儀社が紹介する寺院なので、十中八九問題のない僧侶だと思います。しかし相性というものがあり、100人中100人に好かれる人間はいません。葬儀を担当したもらったけど、遺族と僧侶の相性が合わなかったということもあり得ます。また見ず知らずの僧侶に、大事な葬儀を任せることが、不安だと感じる方もいると思います。そういった場合は、
江戸時代にできた檀家制度は、お寺の運営を安定させる役目を担ってきました。その結果、布教という本来の目的より先祖供養が先行し葬式仏教と言われるようになってしまいました。このまま檀家制度で葬式仏教を続けるかぎり仏教は縮小する一方です。お寺を復活させるには、本来の目的である布教に力を入れるべきです。その為には僧侶自身が仏教の教えを実践し、仏教の素晴らしさを体験しなければなりません。セールスマンが紹介する商品を利用したことがなく、商品の良さを全く理解してなかった
因果応報すべてのものは原因にしたがってそれに相応しい結果が必ずあるという法則『浄土宗大辞典』仏教では因果応報という言葉がよくつかわれます。行った行為にその結果が起こり、それに応じた報いがあります。努力すればよい結果が、怠ければ悪い結果が起きます。占いで今年1年の運気といった長期的な質問をされる方がいます。長期的な未来を知りたいという気持ちは当然のことだと思います。もちろん占い師の先生方は長期的な質問を受け付けます。しかし私は基本的に長期的な質問は対応
『断捨離と念仏①』気力・体力があるうちに、我が家の「サービスルーム」を整理、断捨離したいと思い続けていました。サービスルームと言えば聞こえはいいけど、要するに「納戸」。笑とりあ…ameblo.jpサービスルーム(納戸)の断捨離、第2弾!!夫の雑誌(なんでとってあるんだよ)・本・ビデオ(中身不明、笑)を捨てる。この類は問答無用。レコードは捨てられないみたい。お互い、思い入れが違うので致し方ない。捨てた捨てた。かなりスッキリ。2度と使わないモノにスペースをさいていたんだなと改めて思う