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令和6年3月17日日曜日、晴れ。古事記・日本書紀に登場する地元の走水神社。日本武尊と弟橘媛命の物語。ちょうど西暦ゼロ年前後のお話し。この話しも読み方捉え方が様々ある。だからこそ弟橘媛命の姿が刺青として古くから人気があるのだ。ヤマトタケルが御所を立て「こんな海なんて」と言ったのを海神が怒って船を転覆させようとした、とされる。海神(ワタツミ=龍神)が居たのか、とも取れるし海に関係なく龍神が相手だったのか。なので刺青で人気の弟橘媛命は刀を持ち龍と決する姿で描かれる。名前の通り異常に潮
10月15日、思いついてフラッと走水神社へ出掛けましたなにぶん地元なので思いついたらすぐ来られる距離なのです走水神社はご祭神が日本武尊(やまとたけるのみこと)弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)日本武尊の東征の折、相模国の走水に着くと、ここから海路で上総国へ向かうことになった。日本武尊は海を眺め「小さな海だ。これなら飛び上がっただけで渡れよう」と言ったが、いざ船で渡り始めると突然の暴風雨となり、船は進むことも退くことも出来なくなった。すると后の弟橘媛は「この嵐はきっと海神の仕業です
昔々日本武尊(やまとたけるのみこと)一行が相模国(三浦半島)の走水から上総国へ東征中船で海を渡っているとき荒波に遭います。任務遂行中の日本武尊そして率いる人々を護るため妃である弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)は海の中へ入水し自らの命を海の神へと捧げ荒波を静めました。海の神(龍神)は鎮まり無事に日本武尊一行は、上総国へと上陸することができました。海の神(龍神)の怒りを鎮めた弟橘媛命は巫女であったと言われてい