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【9】より続く。カラカン谷の対岸(右岸側)平場に向かって渡渉しながらの、上流側。実に気持ちのいい景だ。そしてこちら、下流側。というよりは、もうすぐそこで扇谷に流入している。左手に見えるのは、橋を渡って作六ツシへと向かう道。カラカン谷の護岸石積みが、そのまま道の土留めにもなっているのがわかる。前回に、古地図では狂小屋の橋の位置が違うと書いたのだが、先の写真の様子を見ると
【15】より続く。扇谷第2号橋を撮影した後で、謎の平場を辿ってみた。あっ、再確認しておくと、この分岐(赤線)の延長方向のことね。辿りながら右上を見上げると、カーブミラーの支柱(の残骸)が見えた。やはり作六ツシへの道、本線は上の平場のようだ。ならばこの平場は?と進み続けたが…ぐわああああ。イヤ~(笑)。経験者はお分かりかと思うが、豪雪地帯特有?のこの横向きに生えた木
埼玉県│白岩集落滅びの美学[廃墟・廃屋・遺跡・廃村・廃道]探索-白岩集落久しくご無沙汰していた廃村物件、余りに有名過ぎて今では来訪者が少ないと聞く秩父の廃村群にお邪魔して来ました。幾分廃墟に対する写欲が薄れつつありますが素晴らしい廃美に触れると沸々としてくるじゃないですか、まあ面倒臭いから適当に撃つ(撮る)んですけどねぇ。まずはこの秩父の廃村群一帯の歴史と簡単な現状をご説明しましょうか。近代では石灰採掘による鉱石産業が有名な武甲山、古く江戸時代では「御
ゆるキャン△聖地巡礼ドライブ&ツーリングガイド(ヤエスメディアムック616)Amazon(アマゾン)1,556〜3,570円久しぶりに200キロを超えるロングツーリングにでかけた。場所は愛知県設楽町【奥三河】宇連山付近、廃村・宇連集落だ。愛知県で廃村を探すと二ヶ所、宇連集落【うれ】は愛知県の中では一番有名みたい。名古屋から片道・下道で二時間半。宇連ダム付近までは国道を通ってきたので難なく到着した。さぁカーナビやGoogleマップにも無い宇連集落に突入します。ダム沿いの
2021年5月4日、ここ最近めっちゃ気になっていた場所へのアタックを勢いで敢行した、その記録を記事にしておく。その場所とは…旧徳山村某所。今宵はまず、テンションを共有していただくため、つらつらと前説などを。全村まるごと徳山ダム湖に没した…はずの旧徳山村域ではあるが、ダムの湛水域よりも標高の高いエリアは当然水没せずに残った。そんな、旧徳山村八集落の中で唯一水没せずに残った門入とその先を探索したのが2019年9月に敢行した門入~戸入アタックだったわけだ。
誠に勝手ながら・・・後述する理由のため、しばらくの間、漫遊記と鉄の棺桶迷走記を中止いたします。『とりあえず・・・』滋賀県多賀町の廃村を放浪するために中古のスーパーカブを買いました。既にいい歳こいたおっさんということもありますが、カブに乗っていると何とも言えない安堵感という…ameblo.jpスーパーカブ漫遊記も気が付けば、今年で十周年。早いものですよ。これも一重に見てくださっている方々のおかげ。本当にありがとうございます。ダークサイド本巣#1
【12】より続く。狂小屋を後にして14分後の9時5分。ここも最初から気になっていた、扇谷・タキマタ谷出合の建物と橋へと到着した。狂小屋と作六ツシの中間地点となるここ、特に固有の名称はないようだ。記事ではなんと呼べばいいかな?やっぱ「タキマタ谷出合」が無難か。ここには、なかなか素晴らしいものが残っていたのだが、それはまた改めてもっと後に採り上げるので、今回はスルーしておく。なにか写ってても、まあもうちょい待っててくだされ(笑)。まず
【4】より続く。【序】を含めると今回第6話になるが、こっからようやく本番って…(笑)。時刻は7時42分、進軍開始から1時間20分。ここからようやく本番、旧来の林道上を辿っての、狂小屋への道程となる。今や現世と切り離されたこの道、廃道となった際の名称は「町道扇谷奥山線」だった(かなり後に改めて触れる)。しかしそれ以前、かつての名称は「徳山村道狂小屋線」だったようだ。ここで確認しておく、現在位置はコチラ。ゼンリン地図だと橋が描かれている。おっちゃん
以前から一度は行ってみたいと思った場所『夏焼集落』へ行ってきました。まずはみてくださいこの写真山の斜面に面したこの廃村いかがでしょうか?綺麗な景色に加え、寂しさのある、いい雰囲気じゃないですか?実際に行くと、自分が世界でひとりぼっちになったような非日常感が感じられ、心が落ち着き、癒されました^^夏焼集落は、浜松市の一部です。自分は飯田線の大嵐駅で降り、レンタルサイクルを借りて行ってきました。そこに行くまでにはとても長くて暗いトンネルを通らないといけな
【19】およびスピンオフより続く。10時42分、タキマタ谷出合を後に出発。狂小屋への道中で、ワラビやゼンマイがぎっしり詰まった袋が木に掛かってるのを発見。さっきのミスターたちのものだろうなきっと。そういえばウェーダーを借りたおっちゃんたちにも、ワラビでも採って帰れ的なことを言ってもらったっけ。忘れてた。10時55分、狂小屋へ復帰。改めて、例の溜池?跡を観察。うーーむ…。【追記
【13】より続く。時刻は9時12分。狂小屋を後にしてから21分、進軍開始からは2時間48分。タキマタ谷出合を後にし、いよいよ目的の三連廃橋への最終区間へ。…なんだけど、いきなりストップ(笑)。ここで、来ていたシャツを脱いだ。結局天気予報通りのド晴天となってくれたおかげで、もっと涼しい服装にチェンジしがてら3分ほど休憩。どうせこの道を戻ってくるので、シャツはこの木に引っかけて日干ししておくことにした。おっちゃんのウェーダーと同じ手法で(笑
【22】より続く。12時4分、現世へと帰還。ここからのフラットダートは、歩きやすいスニーカーで。いや、お見苦しくて申し訳なし(笑)。改めて、対岸の道を。わたくし、今や「町道扇谷奥山線」というお名前を知っている。石積み護岸が素晴らしい雰囲気…って、あれ?アレはもしかして?誰のか知らんが(微笑)。ああ、わたくしもグイッといきたいわ(笑)。さて、お世話になったウェーダーを、お返しする時
【18】より続く。三連廃橋を見届けて、これより帰投作戦へと移行。時刻は10時8分。タキマタ谷出合出発から56分後、狂小屋出発から1時間17分後、廃道に入ってから2時間26分後、進軍開始からは3時間44分後。やってみて思えば、ホハレ峠を越えての門入~戸入アタックよりは全然ハードルが低い。やはりほぼ全行程が車道仕様、かつ山越えがないというのは大きい。案ずるよりナントカの好例だった。ただ、当然ながらこっから同じだけ歩いて戻らないとイカンわけで。気の緩みはご法度だ。
【20年11月1日探索・21年11月29日公開】現在地はこの辺上の方には家屋があるんだが、それ以外に何かないものかをキョロキョロした所目に付いたのが・・・簡易水道あたりだろうか?こんなボックスがあった。では上の方にある家屋の方に向かって行こう。ところで、地理院地図には3つ、建物があるように描かれているが、探索日現在で残っていた建物は1軒だけのようだ。家屋の手前には石碑?石仏?があった。左2体は石仏、右のは「先」と読める1文字目以外は何が
【6】およびスピンオフ其の弐より続く。待ち伏せていた草ヒロと語り合いながら、ふと気づいた。崖の下に…建屋がある!これでもよく見えるところまでちょいと移動して撮ったもの。そうだ、そうだった。忘れかけてたが、ここは…。覚えておられるか、【序】で示したこの地図。下に見えた建屋は、これだ。ちゃんと地理院地図にも載っているやつ。気になっていたし、もちろん通りすがりに立ち寄ってチェックするつもりだったが…なんと
【20】より続く。常世と現世の境を、探りにいかないと。そう、この「孤絶した廃道」、渡渉地点よりも下流側もチェックしないとイカンのだ。間もなく、こんな謎の遺構が現れた。これ…なんだ?扇谷川に、道とは別な…突堤みたいなものが築かれているんだが。なにこれ。謎。決して、路盤が抜けて石垣の裏側が見えてるんじゃないのだ。そういうのはここじゃなく、この先で拝めそうだ
引き続き…自己紹介です。カオリ。37歳。関西在住。51歳の夫と2ヶ月の娘と3人家族☆2018年3月に第一子女の子を出産。趣味は登山。仕事は現在お休み中ですが、添乗員やってました!家事大の苦手。特に料理嫌いです…。自我が強い。田舎大好き。山奥に住みたいと本気で思ってますw移住ダメでも別宅ほしいですあと、廃墟や廃村とか好きですw臨月直前に廃墟探索へ崩壊した林道歩いてこけて脚ケガして夫にドン引きされた⬇結婚は7年前…でしたが、2回繋留流産を経験したり趣味や仕事を優先したりし
【14】より続く。そろそろ…との予想通り、目前に橋が現れた。ついに、目指す三連廃橋、そのひとつ目がお出ましだ。時刻は9時34分。タキマタ谷出合を出て22分、廃道に入ってから1時間52分、進軍開始からは3時間10分が経過していた。ここで最後のスクショを貼っておく。三連廃橋とはまあ言いたいだけで(笑)、実際は「1+2」って感じで少し離れているんだけどね。さて、高欄はガードレールだが…おおっ!ありがたや、銘板がある!
【20年11月1日探索・21年11月28日公開】現在地はこの辺道は向きを変え、まだ上っていく。石垣が上の段にもあるのが見えた。ここも集落があったのだろうか、ちょっと上を見てみよう。上の方に何か建物があるのが見えた。もう少し近づいた。どうも物置か何かなんだろうと思うが、けっこう怪しい立地だし、柱が建っている石垣も大丈夫なのか??建物がある方に近づいたらもっと大きな建物があった。洗濯機かな?廃墟は私の守備範囲外なんだが、外
【16】より続く。三連廃橋の後半ふたつ、「真の二連廃橋」のお出ましだ。これまたガードレール欄干のシンプルな橋。廃っぷりがイイね~。右側のガードレールが見えないが、それはちょっと置いといて、銘板チェック。お名前は、「扇谷第3号橋」。先ほどのが第2号橋、そしてこちら第3号橋。ならば、第1号橋がどれかというと。タキマタ谷出合の橋は、扇谷じゃなくタキマタ谷に架かってるので違うと思う。おそらくは、狂小屋にあっ
突然男に襲われ、廃村に拉致されて置き去りにされた西園寺さんは、自力で大阪駅に戻ってこれるのかー。【GPS禁止】鉄オタを山奥の”廃村”に強制連行して放置!帰って来れるのか⁉︎ご視聴下さりありがとうございます。感想やリクエスト等ありましたらコメント頂ければ嬉しいです!【旅館やホテルの予約はこちらから!】●楽天トラベル→https://onl.sc/NHxY4se【Twitter】●https://twitter.com/saionji_com【Instagram】●https://ww...
岳集落に着いたところからなにやら見えてきたぞあなたが思うよりペシャンコです入り口近くにある屋敷は崩落がひどく、とても入れる余地がなかった。頭を下げているかのようにぺしゃんこにつぶれちゃってますw生活感が一部残っているやばそうなので周りから探索すると、空き地の道側に小屋を発見。風呂とトイレも残っていた。壁が短すぎる男性用トイレもあった。現代でも山とかキャンプ場にある簡単に見えてしまうタイプで、私はあっても(大概周りに人はいないが)くっさーい個室に入るようにしている。共用にして
YouTubeアップしました⤴️みえちゃんねるから見てね^^昨日は、福岡県田川市添田にある廃村、大藪集落に撮影に行ってきました。廃神社、廃集落、廃墟があります。廃村は、すごいとこにあるよ。昨日は、霧もすごかったし。
【20年11月1日探索・21年11月26日公開】現在地はこの辺山梨県北都留郡丹波山村高畑国道411号線だ。丹波山村は東京都と接している立地なのに人口520人(2021年10月推計人口)しかいないという過疎化に悩む自治体だ。そんな丹波山だが、右前方から上がっていく道沿いに廃集落があるというので、行ってみようと思う。とりあえず、先に進む前に手前左なんだが・・・初心忘るべからず分水嶺という、よくわからない石碑があった。この石碑、裏側には邪魔ならどけてくれという意味合いの事
↑↑↑たくさんのクリックをいただきありがとうございます!(^^)!2021年3月27日(土)の記録です。3月14日(日)に下調べ不足のまま出発し、成果の得られなかった廃村挙原の探索。帰宅後調べていて、おおよそのことが分かってきた。1度目に訪れた「皇子塚」の登り口から坂道を徒歩で登っていくと、5分ほどで「皇子塚」に到達することが分かった。そして挙原の集落はその皇子塚と谷を挟んで向かい側、ということまでわかった。皇子塚
みなさんには、いつの日か訪ねることをずっと夢見ている、特別な場所がありますか。私はこう聞くとき、「争いのない世界」とか「お父さんと一緒のお墓」とか、そういうのを期待しているのではありません。あくまでも今現在、グーグルアースで視認可能な地理上の具体的地点について問うています。私にはもう10年以上、いつも心の片隅で気になり続ける大切な場所がありました。過去形で書いたのは、長年憧れ続けたその桃源郷へ、先日ついに足を踏み入れることができたからなのです。夢
「大平宿(おおだいらじゅく)」は、南木曽町と飯田市を結ぶ大平街道(県道8号)にかつて存在した宿場町です。江戸期に開かれ、発展してきましたが、交通やエネルギー事情の変化に伴う過疎化が進み…昭和45年、住民は200年以上続いた集落を捨て集団移住する事を決断し、この村の歴史の幕が閉じられました。江戸末期から明治期にかけ建てられた古民家が、在りし日の姿のまま複数残る、この奇跡の廃村を歩いてみました。******************************ほぼ
記事にするのがたいぶ遅れてしまったが、4月1日に四か所の集落跡を探訪したので適当に書き連ねておく。【追記】再訪した記事はこちら→【廃集落・廃村】白岩集落再訪【飯能】2018年8月二度目の再訪記事はこちら→【廃集落・廃村】白岩集落再訪その2【飯能】2018年11月【白岩集落】この日、最初に目指したのは廃村・白岩集落。埼玉県は飯能市の山奥に存在する。ネットの情報によれば、炭焼き・林業などによって生計を立てていたとかどうとか。そして名前の由来にもなっていそうな「白岩」の存
こんばんは、祈祷師の孫ひろのりです。今回は、滋賀県彦根市にある比婆神社(ひばじんじゃ)を紹介します。この神社の秘境指数は5★★★★★どんな神社なのか?順番に紹介していきますね。(^^)【目次】・道中の雰囲気・境内の雰囲気・所感・比婆神社データ道中の雰囲気タイトルにもあるように、廃村を抜けた山奥にあります。廃村を抜けて写真のような山道に入るんです。Σ(・ω・ノ)ノ車一台しか通れない、しかもすぐ横は崖…のような細い山道を抜けて、よう
↑↑↑どれかクリックしていただけると元気が出ますw!(^^)!2023年1月21日(土)の出動記録です。今回は紀の川市北部のドライブイン跡と、廃村今畑をご紹介します。まずはふれあい紀州路です。大阪の泉佐野方面と紀の川市を結ぶ、県道62号沿いにそれはありました。しっかり管理されていますので、外から拝見するだけとなります。それでも落書きは止まりませんね。自分の家に落書きするのですかね、こ奴らは・・・