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夫とふたりきりで出かけたのは久々でした。実は、出産予定前のゴールデンウィーク中、1日だけ実家に子ども3人を預けて出かける予定でした。車内で「ふたりきりは久々だね。デート行かずじまいだったね。」とか「夜中は渋滞もないし病院もすぐ着くね。」とか、他愛もない話をしていました。ナビ画面に流れるテレビ番組の内容に突っ込んだりしながら、楽しく向かいました。お腹の痛みは、相変わらず、まぁ痛いなぁ、くらいでした。当初予定していた誕生日より早まったけど、もうすぐ会えるんだなぁ、このまま帝王切開、腹をくく
こんにちは。2人目不妊で不妊治療中の32歳りりりです。休職中の看護師です。長女を出産後、2021年に次女を死産。38週常位胎盤早期剥離でした。その後帝王切開瘢痕症候群と診断され手術。体外受精で2人目の不妊治療をしています。2023年11月体外受精で妊娠も初期流産2024年3月移植2回目で陽性判定出血は1週間ほど続き、GW明けに止まりましたつわりも、胸の張りもあったりなかったり流産を近くに感じながらも相変わらずな日々気分が乗らないまま母子手帳を昨日交付してもらい診察
よんちゃんを常位胎盤早期剥離で亡くしてから、ずっとずっと考えていた問題。いったい、あとどれくらい早くいけばあの子は助かったのか。ネットや本、同じように辛い経験をされた方の体験記等をたくさん読みました。私はお医者さんでも医療従事者でもなんでもありません。ただの一経験者です。だからこれが本当なのかも分からないし、程度によって個人差があると思います。でも、私が感じた感覚として…『腹痛を訴えてから分娩までの経過時間』○約1時間後に出生で脳性まひという方を拝見しました。お辛かったと思いま
月明かりの眩しい夜でした。便意に似た腹痛で目を覚ましました。時計を見ると3時ちょっと前でした。4度目の出産。帝王切開の予定日から10数日前でした。なんとなく、今回は先に陣痛がきてしまう予感はありました。幼い子ども3人の相手でゆっくりする間などなかったからです。今までより、張ることも多かったです。でも、安静にすれば治まる、その程度の張りでした。検診時に先生にも診てもらったこともありましたが、子宮口もしっかりしまっていて問題ありませんでした。その他のエコーや検査も問題ありませんで
こんにちは。2人目不妊で不妊治療中の32歳りりりです。休職中の看護師です。長女を出産後、2021年に次女を死産。38週常位胎盤早期剥離でした。その後帝王切開瘢痕症候群と診断され手術。体外受精で2人目の不妊治療をしています。2023年11月体外受精で妊娠も初期流産2024年3月移植2回目で陽性判定昨日の話週末から耳が詰まる感じがして近所の耳鼻科へ出血してから初めての外出まさかの突発性難聴の診断妊婦でステロイドが使えず薬が限られるからと近くの医大へ行くように指示近
手術が終わっても、私はずっと眠くてたまりませんでした。気づけば眠りについてしまう。遠くから、自分のいびきも聞こえてしまう。代わる代わる、看護師もやって来ます。「めち子さん、お名前と生年月日を教えてください。」私は乾いた声でようやく答える。「めち子、センキュウヒャク…」何度も何度も、このやり取りを繰り返しました。その度に看護師さんが液体を取り替え、私の身体に異常が無いかを聞いてきます。よく見ると、右腕には点滴、左腕には輸血がされていました。しばらくして、先生が来てくださいました
よんちゃんを常位胎盤早期剥離で死産してから約2年。いつか、また、妊娠したいと、ずっと思っていました。そして、無事に妊娠。今回の妊娠は、過去4回の妊娠と全然違う。妊娠経過もだけど。それ以上に、私自身の出産への覚悟が、全然違う。なんとしても、無事に産みたくて。なんとしても、二度とあんなにツラい思いはしたくなくて。なんとしても、赤ちゃんの誕生を楽しみに待つ子ども達の笑顔が見たくて。赤ちゃんを産むため、自分に出来ることは何だってしたいと。心から思って過ごしてきました。たくさんの壁は
年内に書いてしまいたい。気持ちの整理なんてできないけれど、なんとなくそうしておきたい。あの日の事、の続き。再び、大学病院への搬送が決まった(後から思う事、やっぱり田舎って嫌だわ、都内の病院すぐだったら助かったのかな、という正直な気持ち)お昼にお腹の痛みを感じ始めて、2時間後に産院へ到着し、更に1時間後にこの病院へついて1時間苦しんでそして、さぁオペだ切ってくれという寸前に「ここでは、できません」と。・・・・再びの救急車。県をまたいでる。驚いたのは、2回目大学病院行きの救
おはようございます今日は、私が2人目不妊になった理由を綴りたいと思います。もしかすると、同じような悩みにぶつかる方もいるかもしれないので。もしくは、妊娠や出産を控えている方にはぜひ知っていただきたいです。私は娘(1人目)を自然妊娠しました。それも妊活をしていたわけではなく、子供できたら良いねなんて、ゆる〜く夫と話していた頃です。なので、正直、不妊とは全く無縁の人間でした。娘妊娠中の39週目。いつ陣痛くるのかな〜とドキドキしていましたそんなある日、夕
慢性早剥羊水過少症候群(CAOS)chronicabruption-oligohydramniossequence;CAOS四国がんセンターにおけるCAOSの6例31.pdf(tyuushi-obgyn.jp)参考CAOSとは(1)分娩7日以上前から持続する原因不明の性器出血(2)当初は羊水量が正常(3)破水の所見なく羊水過少に至るこの3項目を満たすものと定義されます。早産の原因となったり、出生後の慢性肺疾患、肺低形成、drylungに関連するために
今日で10日目です。ミツキと24時間過ごせるから、とっても楽しみにしていた付き添い入院でしたが現実はそんなに甘くありませんでした。今までNICU面会だけでは見えなかった部分がたくさん見えてきて、ミツキの苦しい姿をベッドでミツキと一緒に24時間寝てたくさん見えてきた。それプラス、ウエスト症候群の発作があまりにもひどくて脳波では1時間の検査中に2シリーズ各5分間ずつの発作という結果でしたが、実際ミツキの隣でまじまじと観察していると、もっともっと発作が起こってるように見える。検査中ビデオ
妊娠37週目にして、私は常位胎盤早期剥離により大事な大事な我が子を亡くしました。いろいろと調べたところ、常位胎盤早期剥離の既往歴があると次回妊娠時に再発しやすいとのこと。私や夫としては、やっぱり子どもをもうひとり育てたい。でも、怖い。そんな思いでずっと葛藤していました。出産前、私は今回が最後の妊娠だからと卵管切除も検討していました。でも、健康な子宮の一部を失うのはなんだか悲しくて。助産師さんに相談したら「迷うくらいならしない方がいいよ。今はミレーナとか避妊方法もいろいろあるから!」
38週0日。腹痛で目覚める。張ってる。カチカチ。トイレしたいのに出ない。痛い。痛すぎて嘔吐する。弱い胎動がある。これが最後の胎動でした。陣痛だ!と勘違いし産院へ行く。お産が早く進む様にと、痛かったけど歩いて病棟に行く。NSTをつける。音が聞こえない。先生がくる。心臓動いてないね、って言われる。いやだと叫ぶ。でも痛くて声も出ないし体も動かない。両親と旦那に電話して、その後は意識も朦朧となり記憶が曖昧。ICUのある大きな病院にすぐ転院になる。転院してすぐに、胎盤が剥がれてます
「めち子さん!!手術終わりましたよ!」ハッと、目を覚ました。終わったのだ、何もかも。ボーッとした記憶。ベッドごと運ばれる私。赤ちゃんのことは誰も何も言いません。終わったのだ、本当に、何もかもが。眠くて、キツくて、痛かった。夫がやって来ました。目を真っ赤に腫らしていました。泣きながら「良かったね。」と言っていました。何が、良かったのだろう。何度も会話の途中に眠っていました。全身麻酔の影響だと思っていました。お腹を切ってみたら、赤ちゃん蘇生したとか無いかな、とか、僅かな期
本音をつらつら書いているので不快にさせたらすみませんあくまで私個人の感想です。……………………………………アメブロをはじめSNS上で見る著名人(有名ブロガー含む)の「妊娠中だけど無茶しちゃった(テヘ☆)」みたいなノリの記事が苦手です。ふだんはなるべく見ないようにしているんですが、さきほどトップページに出てきた某記事を見てしまいました。。第二子妊娠中の著者。「ドクターに安静にと言われていて、いま体調が安定しているのが奇跡です。」というようなことを書きつつ、メインは医師に黙って人混
15日の20:30頃、お腹が痛くて病院に行った。救急搬送になった。パニックだった。とにかくパニックで怖かった。常位胎盤早期剥離自分の命も危なかった。助けてくれたんだ。一緒に逝きたかったと思う日も、まだある。けど、ありがとう。夜は一緒にケーキ食べようね♡
妊娠33週のある日。就寝前、ベッドでゴロゴロしてスマホを見ていました。あれ。待って…なんだか、お腹の左側が痛い。ずっと痛い。この日も、夕食後からとにかくお腹がガスでパンパン。立ちあがるともう、はち切れそう。これが「張り」なのかは良くわからないけど。お腹がギューっと収縮する張りは分かる。でも、この、パンパンも「張り」なのかが分からない。そして、なんか、ずっとお腹が痛くて。多分、まだ、痛みは20〜30分なんだけど…胎動も、あるんだけど…よんちゃんの時も、「なんか痛い」が、
大量出血を乗り越えて、順調に育っていくピヨちゃん。12週の壁を越え、流産の心配はもうないと思っていました。最後の検診から3週間後の出来事です。振り返り記録、前回の記事⑪12週の壁、超えたはずだった死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死産までの振り返り◇◆安定期に入ったらしようと思っていたことがたくさんあった。3Dエコーの予約をしよう!マタニティウェアを買いに行こう!断捨離をして、赤ちゃんのためのスペースを作ろう!赤ちゃん本舗に行
あの日のこと~赤ちゃんを見送った原因は胎盤剥離健康な妊婦でも数パーセントに起こるそう発生年齢の傾向もなく予測が不可能という恐ろしい病気数年ぶりのフルタイムで復職して、日々を生きるのが精いっぱいな今日この頃仕事をしてるのは、保活の為がメインだけれど、特別な趣味も無い自分は、忙しくしていたいから。ぼーっとしていると、あの日の事を思い出して、また色々したくなるから。赤ちゃんベッドをようやく人様に譲れた今月、それでもまだ未練はある。そんな心境。でも進まねば。進めねば。以
先生とともに旦那が入ってくる。一瞬、旦那と目が会ったけど、お互い言葉を発さなかった。先生は、再び私のお腹にプローブを当てた。「あのね、落ち着いて聞いてね」ああ、聞きたくない…。「赤ちゃんの心臓が…止まってるの」悪い予感は的中した。直前に悟ってしまったからだろうか、パニックにはならなかった。ただ、旦那の顔は見えなかった。「ここ、心臓。分かる?動いてないの」震えた先生の声、たぶん一生忘れられない。先生はそのあと、状況を説明してくれた。これは「常位胎盤早期剥離」という症状で
今回の死産。私は何人かの友人に報告をしていました。そのうちのひとり。学生時代からの大事な友人。彼女が大学に行ってからは、本当に数えるほどしか会っていません。ライン等のやりとりも殆ど皆無。でも、とても大事な友人です。彼女には、手紙でよんちゃんの事を伝えました。元々あまりマメではない友人。(ごめんね。笑)そんな彼女から直ぐに郵便が届きました。中を開けると手紙と本が一冊。手紙を読むと、私のことを本当に心配してくれていて、子供のことも一緒に悲しんでくれていて。そして、こんな時
昼過ぎ、部屋の移動がありました。産婦人科病棟の一番奥、個室の、静かな部屋でした。いろいろな配慮があっての事だと思います。夫も、昼過ぎに来てくれました。夫とよんちゃんと、3人で過ごします。助産師さんの提案で、手形足形を取ったり、沐浴や授乳をすることになりました。手形足形は、病院にキットがあったようで、それを使わせていただきました。夫が、ビデオを持ってきたので、その様子を撮影しました。手が真っ赤っ赤だねー。なんて、話しながら撮影しました。手と足が真っ赤になったよんちゃん。今度は
よんちゃんとの同室が始まってからは、朝昼晩、一回ずつ授乳をしました。もともと母乳の出が良い体質のため、母乳がにじむ程度にマッサージをします。あまり分泌させると、吸ってくれる相手はいないのにバンバン張ってしまうからです。医師から、母乳を止める薬も処方されました。しかも、1錠だけ。たったひと粒で効果を出す薬。4人目の授乳が、こんな形で終わることが悲しくてなりませんでした。助産師さんから、この薬は、私のタイミングで飲んでいいですよ。と、言われたので、お別れするまでは飲まずに過ごそうと思い
妊娠報告をしていた友達には入院中に3〜4日かけてLINEで自分から死産報告しました。早いと驚かれるかもしれませんが、産休に入って間もなかったので直近で友達と会う約束がいくつかありすぐ報告せざるを得なかったのです。その報告をきっかけに、共通の友達のグループ内で「報告受けた」「報告受けてない」の差が出てしまわないように短期間でいっせいに連絡しました地元メンバーのつながりが強いためふだんから、良くも悪くも情報伝達のスピードが早いんですよね。まあ内容が内容だけにむやみに広
※死産後の妊娠についての内容です。結果からいうと大事には至りませんでしたが、今朝、自宅で転倒しましたベランダから洗濯物を取り込んでいて、足をひねって後ろ向きに転倒。↑こんな感じで窓と床がフラットではないので、その段差を超えるときに足首がぐねっとなったのだと思います(一瞬だったのでどこがどうなったのかは記憶が曖昧)。そして倒れた先にローテーブルがあり、その角で脇腹を打ってしまったのですとっさにお腹は庇ったので主に痛みを感じたのは脇腹と肋骨でしたが、もう心臓はバクバク。「お腹がぶつ