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ギリシャサントーニ島イアの教会舟木一夫~2024年コンサート曲㉙「青春の鐘」―後半に22・23回目の「オードリー」―リンゴの花本題に入る前に―。島崎藤村の「初恋」は藤村が25歳(明治30年8月)の時に発表した『若菜集』に収められていて、七五調のリズムが心地いい文語定型詩です。佐藤輔子(すけこ)という女性がモデルと言われています。詩には林檎(りんご)が2回、林檎畠(りんごばたけ)が1回出てきます。りんごの花は4月から5月にかけ、芽から5~6つが放射状にまとまって中心から咲
真宗寺の鐘楼昭和27年の飯山大火で焼失この「破戒」が発表された後、蓮華寺のモデルとなった「真宗寺」の人達が随分迷惑したといいます。島崎藤村の小説「破戒」の舞台は、雪深い奥信濃飯山町と蓮華寺です。「破戒」には、冬や秋の飯山町の情景や、寺の佇まいをはじめ、正受老人や白隠禅師のことなども描かれています。「破戒」の登場人物は、主人公の瀬川丑松を始め、土屋銀之助、風間敬之進などの小学校の教師仲間や、風間の娘で蓮華寺の養女になった志保、蓮華寺の奥様、庄太、そして住職・猪子蓮太郎などです。この「破
長野旅2回目は小諸城址・懐古園です(もう行ってから2週間たってしまいましたが・・・)小諸城の起こりは1487年(超亨元年)信濃守護大井光忠が大手門北側に築いた城であると言われています以後武田晴信仙石秀久牧野康重などが拡張整備して各氏の居城になってました明治維新に廃城処分になりましたその後荒廃していくお城を憂い旧小諸藩士たちが本丸跡に神社を祀り花木を植えて公園にしました先ず三の門をくぐり二の丸跡の石垣を通りますそのあたりに若山牧水
【前回まで】昭和ロマン漂うホテルに宿泊↓『【軽井沢トレイルランニングレース】参戦記(レース後)』【前回まで】トレラン超楽しい、でも前太腿パンパン↓『【軽井沢トレイルランニングレース】参戦記(当日)』【前回まで】大会前日入りで東部湯の丸SAにて車中泊↓…ameblo.jp5時にスッキリ目醒めましたでも太腿イタイ朝はしっかり食べる派天気も良いので小諸ぶらり旅へ小諸駅からスタート遠くに浅間山が見えます小諸は高原の城下町町全体が坂道と言う訳で何となく坂の上を目指しますねこ
邦画感想第254弾2024年GWは邦画DVD観賞三昧4作目は「破壊(2022)」を観賞しました原作は文豪島崎藤村身分・家柄・出生地・性別に差別が残る日露戦争下の飯山が舞台間宮祥太朗演じる小学校教師の瀬川丑松は出生地を隠して教壇に立っていたそんな中で下宿先の寺で石井杏奈演じる志保と出会い恋い焦がれるが身分の差に悩むそんな瀬川を矢本悠馬演じる同僚教師の銀之助が支え応援する苦悩する瀬川は眞島秀和演じる思想家の猪子蓮太郎に傾倒していき助けとなるしかし東京から赴任した教師から出生地の疑
木曽路で文学と言えば、島崎藤村の『夜明け前』を忘れることはできません。木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、この冒頭の一節だけとっても、多くの方のブログやウェブサイトに引用されている気がします。有名なだけに、また長編小説でもあり、なかなか敷居が高いのですが、気ままに思いついたことを、二、三書いてみたいと思います。私が、岩波文庫版を買ったときに、まず思ったのは、『木曾路名所圖會』。文庫第一部上のカバー絵*は、同図絵
「破戒」を観てきました。ストーリーは、亡くなった父から自身が部落出身である出自を隠し通すよう言われた瀬川丑松は、地元を離れて、ある小学校の教員として奉職する。教師としては生徒に慕われる丑松だったが、出自を隠していることに悩みを抱いている。下宿先の女性・志保との恋に心を焦がす丑松だったが、やがて出自について周囲に疑念を抱かれるようになり、学校内での丑松の立場は危ういものになっていく。というお話です。瀬川丑松は、自分が被差別部落出身ということを隠して、地元を離れ、ある小学校の
現在の飯山小学校↑当時の飯山小学校↓蓮華寺は~「破戒」では愛宕町にあることになっています~「破戒」第壱章(一)~光連寺の辺りか~飯山再発見のための連載~74小説「破戒」と清水謹冶2破戒第壱章(一)蓮華寺では下宿を兼ねた。瀬川丑松が急に転宿を思ひ立つて、借りることにした部屋といふのは、其蔵裏(くり)つづきにある二階の角のところ。寺は信州下水内郡飯山町二十何ヶ寺の一つ、真宗に附属する古刹で、丁度其二階の窓に倚凭(よりかかつ)て眺めると、銀杏の大木を経てて飯山の町の一部分も見え
初めてページをめくり、少なからずも共感できる部分があって、どんどん読み進んでいった。前編を半分ほど読んだ頃だろうか、途中から、藤村の考え、行動に全く共感できなくなり、読むペースがガタリと落ちた。しかし、藤村ではなく、相手の女性、節子のためにも読み進めよう、と思い、再び読み始めた。そして、後半、だんだんと藤村の気持ちに寄り添えるようになってきた。途中は涙が出そうな場面も出てきた。しかし、これが島崎藤村の罠であったかもしれないとはその時は思わなかった。全て読んだ後、ん??と疑問が浮か
住吉神社から北に百メートルほど歩いたところで見つけたのがこちらの看板。大正期の文豪・志賀直哉の生家跡地……というとまるでここに志賀家があったかのように思いますが、志賀自身は住吉地区のどこかで生まれた、くらいしか語っていないはず。ともあれ住吉神社の近くが志賀直哉のゆかりの場所として地元の人に大切にされていることがわかります。芥川龍之介最大のライバルだった志賀。尊敬の念すら抱いていたと思われ、現在における人気はともかく、芥川は志賀に勝てない、と思っていたようなのです。しかし志
座敷牢と癲狂院って凄い言葉ですよね。どちらも、日本の昔に精神疾患患者が閉じ込められてた場所です。話題は「島崎藤村」日本の明治、昭和期の有名な小説家、詩人です。この人も、いわゆる精神疾患に苦しんだ文豪の1人。若い頃からノイローゼのようなうつ病のような、メランコリーに取り憑かれた人でした。そもそも島崎藤村の家系も精神疾患家系。父親と姉が狂死してます。狂死って、言葉もすごいですね。私が作った言葉ではありません。念のため。島崎藤村の父親は、精神に変調をきたし、
って、漫才コンビみたいな名前ですよね。と若者が言うので、失礼ながら思わず大爆笑してしまった。いうまでもなく、島崎藤村である。聞くと、文学史の教科書で見たことあるとのこと。最近でも国語の教科書には夏目漱石やら森鴎外、志賀直哉などの小説が採用されているらしいから、今の若者にも明治~昭和初期の作家は身近なんだそう。でも、遙か昔の歴史上の人物として捉えているから、その作品も歴史書、古典みたいなものと言う。『舞姫』『城の崎にて』と『源氏物語』『徒然草』が同じカテゴリーなの?と質問したと
先日触れた小田原文学館では、地元の文士として北村透谷が筆頭に挙げられていました。亡くなった後は、同窓の島崎藤村が、記念碑建設などに尽力したそう。展示中の建設費用募金名簿にも、藤村の自筆のサインが見られます。しかしその碑の建設は、すんなりとはいかず。生前の論調もさることながら、27歳で自死ということでなかなか英雄視するには反対の声もありました。最終的にめでたく碑は完成。現在文学館の庭に置かれています(写真は後半に。)ところでギャラリートークで北村透谷と島崎藤村が同窓、と
最近、近所で子猫ちゃんが増産されて車で走るときにかなり気を遣っている鹿吉です。こんばんは!意外と怖さを知らないのか、道路の真ん中で寝ていて、車が近くまで寄ってもまったく動く気配を見せない腹の据わった子ばかりなので、本当に毎回、車から降りて脅しをかけています(笑)降りれば蜘蛛の子を散らすように逃げていくので安心するやら、逃げられて哀しいやら複雑な心境です。ところで話は唐突に変わるのですが、アメリカ人的に「ダイ・ハード」という映画はどういう立ち位置にあるのでしょうか?大してアメリカ
大磯中学からぶたのしっぽ方面に向かう国道1号線に統監道というバス停があります。統監道はバス停近くから山側に延び大磯駅まで続く伊藤博文ゆかりの道です。(画像は大磯町郷土資料館のHPからお借りしました)明治38年に日本の保護国となった韓国に統監府が置かれ伊藤博文が初代統監に就任。その後伊藤博文が大磯駅と住まいの滄浪閣を往来するのに通った道のため統監道と呼ばれるようになったそうです。当時この道はとても狭かったため町長の発案で拡張
遠距離ソロツーリング予定が雨のために妻とのドライブに変更され、テンションはMAX。うむ、違和感バリバリだな読者諸君もそう感じたろ、スロットならビッグ確定やでいやこっちの話、それでこそ当ブログのファンだなすw雨って色んな計画をダメにするよね、観光地に行っても景色が見えなきゃ意味がないからね。仕方がないから食に目的を持っていく。「つくで手作りオリジナルの村」(野口語で道の駅つくで手作りの村のこと、おいw)でソーセージなんてどう?と聞けば、妻は「この雨の中南信州の山を越えるのはちょっと」と答え、
山の里加子母。今朝は曇り。今日一日「曇り」の予報です。昨日はこの時期には珍しい「小春日和」の一日でした。足腰の痛い私ですが、無理のない範囲でソウタと散歩しました。当地加子母と下呂市の境にあるのが「舞台峠」。国道257号を利用して下呂温泉や飛騨高山などの飛騨路へ行くのに必ず通る峠です。この地に島崎藤村の小説「夜明け前」の主人公、青山半蔵のモデルである島崎正樹の歌碑が建っています。正樹は藤村の父です。降りつもる垣
小島よしおさんの10歳から学ぶ植物の生きる知恵最強無敵の雑草たちと言うとても長いタイトルの本を購入しましたここ2~3日春の陽気を飛び越えて汗ばむ位の初夏のようですこの季節になると気掛かりなことの一つに庭の雑草たちの元気過ぎる成長がありますもうすでに雑草たちは気ままに伸び放題膝痛がやまなくて草抜きには手を抜いてばかりです小島よしおさんの本にはハコベの歌やらも掲載されています繁縷には何故か私なりの思いがあります今は昔私の執刀医の丸先生は信州佐久のご出
3月30日に大宮駅からあさま新幹線に乗り1時間12分で上田駅に着いたので、早くてびっくりしました!上田城は上田駅から歩いて20分くらいの場所にあり、町並みが綺麗で良いところだなあと景色を眺めながら思いました上田駅前にあった真田幸村像です。梅の花です。桜祭りイベントなのに桜はまだ咲いていませんでした。上田城跡公園二の丸横丁特設会場にて桜祭りが開催され出店が沢山出てました。上田城は1583年に真田昌幸が築城しました。第一次、第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の名城で
Theyear2021hasbeenopened.IamhappytogreettheNewYear,thoughIdon’tknowwhatwillhappenthisyear.Isawsomechildrenplayinginnocentlyintheparkinthecoldwind.Ifeltabrightfuture,hearingthecheerfulvoicesofthechild
2021年4月18日のJR東海主催の木曽福島駅スタートのさわやかウォーキングの記事に戻ります。9時ごろに木曽福島駅をスタートしていますが、今にも雨が降りそうな空模様です。なんとかゴールまで降らないように祈りながらのウォーキングです。途中にあったのは、久昌院というお寺でした。鐘楼には仁王像が構えてますね。臨済宗妙心寺派のお寺のようでした。迫力ありますね~参拝させてもらって、先を急ぎます。中央本線の線路脇を歩いていたら・・・・踏切の
まだあげ初めし前髪の林檎のもとにみえしとき前にさしたる花櫛の花ある君と思ひけりやさしく白き手をのべて林檎をわれにあたへしは薄紅の秋の実に人こひ初めしはじめなりわがこころなきためいきのその髪の毛にかゝるときたのしき恋の盃を君が情に酌みしかな林檎畑の樹の下におのづからなる細道は誰が踏みそめしかたみぞと問ひたまふこそこひしけれ★意味・現代語訳まだあげたばかりの君の前髪がリンゴの木の下にみえた時前髪にさした花櫛の花のように美しい女性だと思った優しく白い手をのばし
2020年10月3日妻籠宿から馬籠宿まで、中山道の馬籠峠越えを歩いています。妻籠宿から一石栃白木改番所跡まで歩いてきました。ここから馬籠峠を目指して歩きます。延々と続く上り坂は、きつい所はありませんが距離が長いです。熊除けの鐘を鳴らして通り過ぎます。ここは、標高777mのラッキーポイントなのだそうです。馬籠峠は標高が790mですから、あと13mですね、頑張りましょう。あっ、自動車道が見えてきました、あそこが馬籠峠なのでしょうか。
2016/2/27渥美半島のドライブ旅の一コマです。伊良湖岬灯台を逆光で撮ってみました。いい雰囲気に撮れたと思いませんか。逆光じゃないと、こんな感じです。伊良湖岬灯台は、愛知県の渥美半島の先端にある、伊良湖岬の突端に立つ白亜塔形の灯台です。太平洋や伊良湖水道を望む風光明媚の地にあり、「日本の灯台50選」にも選ばれています。灯台あたりの遊歩道は歩きやすいように整備されています。遊歩道の縁石には・・・磯丸歌選歌61首が刻まれていました
部落解放運動の原点となった「全国水平社」の創立から100年を迎え、毎日新聞では連日その関連記事を掲載している。全国水平社と聞いても何のことかわからない人たちがほとんどだと思う。それより何より、部落解放運動すら理解されていないのではあるまいか。ずっとテレビを見ていてチェックしていたわけではないが、ニュース番組などでこのことを報じた場面にはついぞ出合わなかった。おそらく新聞記事でもそれを取り扱う新聞社は限定的だったのではと思う。当地区の小学校区にはその部落(同和地区)があり、同級生の友だち