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おはようございます先日、近場だけど行ったことない所に行ってみよ〜と言うことでこんな所に行ってみましたhttps://vt.tiktok.com/ZSLCFWws9/岩井山延算寺の向かい側にある老舗の田楽やさん延算寺は、空海が開き、小野小町が皮膚の病を治すために霊水を求めてやってきたといわれる場所なのだそうです🤔田楽が食べれるお店岩井屋(岐阜市その他/郷土料理)★★★☆☆3.59■予算(昼):¥1,000~¥1,999tabelog.com岩井屋0
小野小町の歌に思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましをという有名な作品がある。自己流で勝手に解釈すると「あの人の事を想いながら寝たので夢の中に出て来てくれたのかしら。ああ、これが夢だと分かっていたら目を覚まさずにいたのに」てな感じ?この歌について私の高校時代の古典の教師はこう教えてくれた。「これ、自分が相手の事を想っているからその人の夢を見たのではなくて、相手が自分の事を恋しく想っているから夢に出て来たのだと解釈
石川県の宝達(ほうだつ)清水町には「モーセ」の墓があるそうです、「『竹内文献』によると、今からおよそ3430年前、不合あえず朝・第69代・神足別豊耡かんたるわけとよすき天皇の時代に、モーセは船で日本の能登に渡来。」とあるそうですが、竹内文書を世に出した「竹内巨麿(きよまろ)」の家からは「モーセの十戒」を神代文字で刻んだ石が見つかったそうです。日本にはユダヤ系日本人が紀元前に来ている関係から、モーセの十戒を刻んだ石があっても、別に不思議ではないのですが(日本に来てから刻んだので)、神秘主義
2022年4月の京都旅行です偶然にも娘家族が同時期に京都旅行する事が直前に分かりなかなか無い機会なので2日間ご一緒させて頂きました娘家族は翌日からだった為初日はおひとり様です予定通り醍醐寺方面へまずは小野小町ゆかりの隨心院さんへ総門を入ると小野小町の歌碑真言宗大本山。小野小町ゆかりの門跡寺院。小野小町が晩年を過ごした地とされ、千通の恋文を埋めたという文塚やその恋文でつくられたという小町文張地蔵、化粧に使った井戸など、小町ゆかりの遺跡が残る。梅の名所としても知られ、春には
小野氏について分かってきた事を、概要としてまとめてみたいと思います。まず、小野の名前の由来ですが、大山祇のサクラウチが相模に開いた土地を「おの」と名付け、その土地を領有していた瀬織津姫が、大山祇系の自分の子供を作りたく考え、ムコにオモイカネの息子の天下春命を迎え生まれた子が領地の「おの」を名乗り始めたのが「小野一族」の始まりでした。除市(じょふつ)の子の国常立尊の直系の子孫にあたり、国常立尊から五代は「大山積」、サクラウチから三代は「大山祇」(この2つは家の起こりが違うので…)として「
府中市美術館の春の風物詩“春の江戸絵画まつり”。通算21回目となる今回は、“ほとけの国の美術”と題して、「仏教」という切り口で、江戸を中心とした日本美術を紹介しています。仏教がテーマですから、当然、仏画は展示されています。中でも目玉となるのが、京都の二尊院が所蔵する土佐行広の《二十五菩薩来迎図》。昨年修理を終えたばかりの室町時代の大作です。一般的な来迎図は阿弥陀如来を中心に、それに従う菩薩たちが、にぎやかしのように描かれますが。二尊院の《二十五菩薩来迎図》には、阿弥陀
小林源文氏に著作権がある挿絵の使用については、下記サイトを参照してください著作権に関してしていて、見つけた碑・立て看板+α、その7前回、一乗寺ではなく、一条通七本松に、「宮本武蔵と吉岡一門、決闘の地」という看板があるという記事を書いたその吉岡道場は、一条通近辺にあったはずなのに、なぜ、かなり離れた一乗寺が決闘の地なのかというのも、一条通七本松近辺説の理由の一つらしい陰陽師で有名になった晴明神社その近くの、安倍晴明が橋の下に式神を住ませていたという
小野小町(生没年不詳)は平安時代の女性で、六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙のひとりで、絶世の美女だったと言われている女性です。そのせいか、現在でもきれいな女性のことを「○○小町」と呼ぶのは小野小町に由来しいると言われています。小野小町は、出生地も多く伝えられていて真の出生地は不明で、誰の娘なのかはっきりとはわかっていません。また、小野小町は「穴なし小町」という異名もあり、これは彼女が男性になびかなかったことから、「穴(膣)なし」という意味が含まれていますが、本当に膣がなかったかどうかはわ
前代未聞のステイホームGWでしたが、この人たちは日本全国を動き回っております。廻国異能の者!私もステイホームしながら登用しました!風魔小太郎出現!なんか物騒だな。能力15破格の無能さ!逸材なのか?それでも迷わず登用!そして廻国異能の者は27人になりました!現在動いていない小野小町以外の全員の登用が完了しました!2018年1月1日に最初のノ貫さんを登用して約2年4ヶ月。ついにほぼコンプリートです!皆さんが外に出られず新しい武将の登用が難しい今
前回、「先々の現地イベント情報」と題して、先々の現地イベントの“予定がない”という残念告知をさせてもらいました;∀;)アプリ歴の長い方ならご存知の通り、これまで各地で実施してきた現地イベントでは、ガラポンや輪投げなどで、過去の限定武将や限定異名が当たる参加特典がありました。現地イベントの予定がないということは、当面、この手の参加特典もないということになります。ただ、それだと夢も希望もないので、いつか来るその日に向けての予習ということで、限定武将・限定異名の“レア度”をそれぞれ調べてみ
「旧東海道本線の大谷~稲荷を歩く」の最終回です。旧山科駅跡から藤森まで歩きました。旧東海道本線の山科駅跡です。現在の京都市営地下鉄東西線の小野駅の近くにあります。今は名神高速道路になっている場所に大きな築堤があり、その上に昔の山科駅がありました。旧東海道本線の跡地が名神高速道路に転用され、「名神起工の地」になりました。現地にある説明板です。山科川を渡って稲荷駅方面に向かいました。真言宗の門跡寺院である勧修寺(かじゅうじ)です。寺の名の正式な読み方は「かじゅうじ」ですが
画質が…………。二代目、小野小町の兄、弟が改善され、お通さんが追加され、横山党を具体的にしています。最終形はA0用紙横(今はA1縦)に分かった範疇の系図を組み込んで完成でしょうか!?
京都市山科区にあるお寺「随心院」。小野小町ゆかりのお寺としても知られています。現在、随心院では「花の間」というお花のイベントが期間限定(2/9から3/21まで)で開催されています花の間は2022年に初開催されたのですが、とても好評だったようで、それ以降毎年開催されています。詳しくはこちら⇩をどうぞhttps://www.zuishinin.or.jp/2024/02/hananoma2024/🌸花の間2024開催🌸-真言宗大本山・隨心院『花の間』を今年も開催🌸「能の間
今月のお宿は山形県米沢市小野川温泉高砂屋旅館初めて訪れた小野川温泉には2つの共同浴場があり、素敵な佇まいのお宿に萌えまくりの小ぢんまりした温泉街でした小野小町開湯小野川温泉wiki先生によると開湯は、836年(承和3年)、小野小町が父の行方を訪ねて京都から東北に向かう途中、病に倒れた際に偶然発見したとされることによる。温泉名もこれに由来する。そういった由来があっての小野川温泉なんですね翌朝撮影↓駐車場が分からなかったので聞きに行くとこの先の細い道を進んだ所にある
【京都】京都市山科区小野御霊町の真言宗善通寺派大本山随心院【随心院御朱印帳】(大判サイズ)令和3年3月下旬よりいただけます極彩色梅匂小町絵図がモチーフ種類は2種類楽しみにしていました『【京都】小野小町ゆかりのお寺「随心院」でいただいたステキな【限定和歌御朱印】』【京都】京都市山科区小野御霊町の真言宗善通寺派大本山随心院御本尊公開に合わせ令和3年3月8日(月)~3月31日(水)まで…ameblo.jp【随心院御
天気が良い日でした桜を求めて土浦市へ小野小町の墓があるのよ小町ゆかりの地小町の館に来ました脇にパラグライダーのランディング場があります着地してくるの今日は風が良いのでたくさんのパラグライダーが滑空しています色とりどりの機体が降りてきます水車が回る梅がまだ咲いていました機体がきれいだなぁ気持ちよさそうに飛んで
「旧東海道本線の大谷~稲荷を歩く」の第2回です。今回は、追分から京都市山科区小野までの区間です。大塚高岩付近から旧東海道本線跡地が名神高速道路から離れて西側の道路(画像の右側)になる場所です。現在の道路は東海道新幹線の上を通っています。妙見寺前です。このあたりが旧東海道本線の大塚信号所の跡地です。この大谷~京都間の開通は1879年で、大津(後の浜大津)延伸が1880年でしたが、大塚信号所は東海道本線の輸送力増強のための列車退避施設として1913年(大正2年)に設置されました
乃木坂界隈の中西アルノ擁護派は、彼女のツイッターアカウント@lien6452に投稿されたパパ活パンツ売りツイート3つは彼女を陥れるために誰かがそのアカウントを乗っ取って投稿したものだと主張し、中西が活動自粛の際に「募集用のアカウントが急に使用できなくなる」ことがあったと述べたのは、そう主張したものだと解釈した。しかし、それら3つはアカウントを登録した直後に投稿してすぐ削除し、被写体モデルとしてカメラマン公募を始めたので、アカウントを誰かが乗っ取ってそれらを投稿した可能性はまずあり得ないことが明ら
花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまにこの句の花は、桜のことなんでしょうね。今、八重桜が満開、八重桜の葉は塩漬けに。
小野小町これは怖い日本史のカテゴリに入る話です。登場するのは小野小町ですが、この人もなかなかやっかいな人物で、歌は残っていて六歌仙の一人とされているものの、実在の確証があまりないんですね。9世紀頃の人ですが、生没年不明です。歌人・漢詩人であり従三位まで昇った小野篁の子、あるいは孫とされます。小野篁自身が、昼は朝廷で執務し、夜になると六道珍皇寺の井戸から地獄に降りて、閻魔大王の秘書官をやっていたといわれる、怖いところのある人です。この篁の孫であるとする場合、父親は出羽の郡司を務め
目貫草紙洗小町今回は伯耆国廣賀作の鎧通し短刀の拵えに使われている目貫(草紙洗小町)を紹介してみましよう。謡曲「草紙洗小町」を画にしたもの。小町は平安朝の女流歌人として六歌仙の一人、また美人代表でもある。今日でも美女、美男のたとえに、「小野小町か業平か」と言われる。その小町の歌の上手振りを讃えてつくられた物語である。ある時、内裏で歌合せがあり、その前夜、小町が「水辺の草」という題でまかなくに何をたねとて深草の波のうねうねおひしげるらんの一首をつくり口誦んでいるのを、歌手
前回に引き続き調べていると、クナト王と出雲族とは関連付けられて情報が出てくる事が分かりました。ここで少し頭を整理すると、倭人には二系統あり、3500年前にインドから渡来した出雲族(クナト王の率いるクナ国人のこと)と紀元前300年頃に渡来したクニサツチに始まる大山積王家とです。読んでいると、出雲族は北から入ってきて出雲へ土着した事が書かれているので、出雲の王家は倭人扱いで、一緒にきていた人達は倭種扱いされているのが理解としては正しい様です。で、一番の問題点は「意識」だと思います。
丹後の方言「丹後弁」③〜丹後弁vol.3〜丹後人が「丹後の言葉、方言を継承していくため」に綴るブログです丹後の方言「丹後弁」自分で言うのも何ですが、お年寄りから「久しぶりにきいたわ~」と言われるくらい私は丹後弁を常用してます(笑)なので我が家の子供も常用してます(笑)これからシリーズで丹後弁の使い方をお伝えしたいと思います。「おっとろしゃ~」昔、「○ーツの旅」で丹後に来られたことがあります。第一村人発見!でおばあさん「あんたらどこからきなった?」→「あ
小野小町ゆかりの随心院金澤成保京都・山科に、真言宗善通寺派の大本山・随心院を訪れた。絶世の美女といわれた小野小町ゆかりの門跡寺院で、国指定史跡に指定され、平安時代の面影も感じさせる優雅なお寺である。本尊は、如意輪観世音菩薩で、今回本堂の改修と仏像の修復を記念して「京都非公開文化財」の特別公開がなされると知り、参拝させていただいた。地下鉄東西線の小野駅から東南に徒歩10分ほどにある。(小野小町の絵。随心院のHPより)「才色兼備」の小野小町随心院のある地域は「小野郷