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【問題】≪難問≫宇喜多氏の家臣・遠藤河内守が城代を務めたとされるのは、次のうちどの城か?【選択肢】庭瀬城乙子城常山城徳倉城【正解】徳倉城【解説】徳倉城(岡山県岡山市)は、松田氏の城であったが宇喜多氏に攻め落とされると、同氏の家臣である遠藤河内守秀清(浮田河内)が城代として入れられたという。
この記事は、「ニッポン城めぐり」内で行われる“合戦イベント”についての解説です。┃合戦イベントとは?ユーザーが2つの軍に分かれ、どちらの軍が軍功(ポイント)を多く獲得できるかで勝敗を競う期間限定イベントです。┃軍を選択する参戦に際して、初めにどちらの軍で戦うかを選択します(変更不可)。それぞれの軍には複数の部隊が存在します。参戦後、そのいずれかの部隊に配属されます(どの部隊になるかは運次第です)。┃軍功を獲得する軍功は以下のように集計され、リアルタイムで合戦TOP(主戦場
【問題】徳川家康の家臣・酒井重忠は、関ヶ原の戦い後、次のうちどの地を与えられたか?【選択肢】上野国厩橋肥後国水俣播磨国龍野信濃国小諸【正解】上野国厩橋【解説】酒井重忠は若年期から家康に仕え、多くの合戦に参加した。慶長6年(1601)、関ヶ原の戦いの論功行賞により上野国厩橋城主となり、3万3千石を領した。
どーも!【ニッポン城めぐり】宣教師のザビエルです(嘘)。お城を1城取るごとに、石高が1万石増えます。観光で有名なお城に行くまでに、どのルートで行くと、お城が何城取れるのか?とか今回の旅で何万石獲得できるのか?とか楽しくなってきます。あなたも直ぐ100万石の大名になれますよ私のオススメは、近隣地元の制覇。有名城郭への遠征。取れてないお城の塗りつぶしドライブです。オススメは、自分の住んでる県を制覇しようです。ホーム画面の右上にある自分のお城数を押すと【全城郭一覧】が出ます。
どーも!【ニッポン城めぐり】宣教師のオルガンティーノです(嘘)。獲得した官位は、ニックネームに一緒に表示できます。プロフィール設定➡ニックネーム➡名前と一緒に【$#$】を入力です。例えば…太閤豊臣秀吉➡$#$豊臣秀吉例えば…真田左衛門佐信繁(幸村)➡真田$#$信繁(幸村)例えば…松平伊豆守➡松平$#$獲得した官位のみ設定できるので、先ずはバンバンお城を取りましょうさて、ここから家臣団について説明します。現在全国の武将総数は1,088人です。1,500城で全員召し抱えら
翌日------秀吉「ゆう、今、時間あるか?」「うん、大丈夫だよ。昨日の話だよね」私は。部屋を訪れた秀吉さんを部屋へと迎え入れた。秀吉「お前に、見舞いに付き合って欲しいんだ」「お見舞い?」秀吉「ああ。今回の戦で、怪我したやつがいてな。その見舞いに付いて来てくれないか?」「もちろん構わないけど・・・・・・秀吉さんだけじゃ、行けない理由でもあるの?」秀吉「男ひとりで見舞いに来られても、むさ苦しいだけだろ。知り合いの町娘の誰かに頼んでも良かったんだが・・・」どうして町の女の子に同行を
【問題】島津忠恒が、家臣の伊集院忠棟を殺害した後に蟄居したのは、次のうちどこか?【選択肢】天王山瓜生山鞍馬山高雄山【正解】高雄山【解説】島津忠恒は、慶長4年(1599)家臣の伊集院忠棟を京・伏見において殺害した。これにより、忠恒は高雄山麓の神護寺(京都市右京区)に蟄居・謹慎することとなった。
【問題】伊達房実とは、次のうち誰の家臣か?【選択肢】九戸政実志村光安太田氏房本庄繁長和田昭為関口氏純【正解】太田氏房【解説】伊達房実は太田氏房の家臣である。小田原の役では、氏房が小田原城に籠城していたため、房実が約2,000の兵とともに岩槻城(埼玉県さいたま市)を守備した。
【問題】≪難問≫村山慶綱とは、次のうちどの大名家の家臣か?【選択肢】三好家島津家尼子家上杉家六角家南部家【正解】上杉家【解説】村山慶綱は上杉家に仕えた武将である。景勝の代には黒滝城など、越後内外の重要拠点を任されている。御館の乱では景勝方に付いてその勝利に貢献した。
【問題】≪難問≫越後上杉氏の家臣・吉江資堅は、次のうちどの国の出身とされるか?【選択肢】能登国石見国近江国駿河国【正解】近江国【解説】吉江資堅(すけかた、信景)は、もと近江国の出身で、上杉謙信に見出されて越後国へ来たという。吉江信清の養子となって、吉江氏の家督を相続した。
どーも!【ニッポン城めぐり】大好きです。このアプリは私の人生に旅要素を与えてくれた神アプリです。なので、紹介させていただきます。歴史好きな方だけではなく、神社巡りしていて御朱印集めてる方、お城好きで御城印集めてる方、観光好きで、旅行に出掛ける方、それぞれの趣味に華を添えてくれる、無料のアプリです。例えば…次の休みは(お城まだ取ってない)伊豆方面に旅行に行こうかなとか計画立てたり、妄想したりで、毎日の仕事も頑張れます。例えば…「石川県に行く用事ができちゃった。」となれば周
空花さんより、鵜来島についてコメントを頂きましたので、私も少し調べてみました。まずは、こちらのブログ様より一部引用してご紹介させて頂きます。《西公園の北西、すぐ沖合いに浮かぶ小さな島を「鵜来島」(うぐしま)という。黒田長政が「長男の忠之には不行跡のため藩を譲らぬ」と怒った時、筆頭家老の栗山大膳が忠之を守るために、家臣たちを集めて血判書を書かせたのがこの島。》《栗山利章(くりやまとしあきら)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士。黒田氏(福岡藩)の家臣。栗山利安の子。一
長浜城豊臣秀吉の天下取りはここから始まった!2015/1/3大阪へ初詣に行く途中に立ち寄りました青春18きっぷの、のんびり旅です。長浜駅で快速電車を降りて、琵琶湖方面に歩きます。すぐ、豊公園に入ることができます。長浜城を横目に見ながら、まずは琵琶湖を目指しましょう。まだ朝なので、湖が霞んでいます。幻想的な雰囲気が漂う中琵琶湖に沿って散策します。太閤井戸の石碑があるようですね。行ってみましょう。天守の西の琵琶湖岸にあり