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みちのく民俗村室町時代の竪穴式住居です。軒先が地面から離れ、壁が立っていました。
皆さんご存じ、浦島太郎。古くは奈良時代に記された『丹後国風土記』に掲載されており、『万葉集』にも長歌として詠まれたものが採録されています。丹後国というと日本海に面した京都府北部のあたりで、この地にはこの浦島太郎伝説にちなんだ「浦嶋神社」があります。創建は825年とのことなので、平安時代初期です。うら寂れた感じにとても雰囲気を感じる神社でした。修繕の計画があると書いてあったような記憶があります。さて、今回ご紹介するのは室町時代に作られた『御伽草子』版です。
~前回のあらすじ~丹後国で釣りをしながら両親を養っている青年、浦島太郎。ある日、一匹の亀を釣り上げたけれど、気の毒に思って海に帰してやりました。次の日、また釣りに出かけると、今度は一人の女性が小舟に乗って近づいてきました。事情を聞いてみると、大荒れの海で乗っていた舟が難破して、どうにか小舟に乗り換えて漂流してここまで来たとのこと。浦島はこの女性を故郷まで送り届けてやりました。さて、船から上がって、どんな所だろうか、と思うと、銀の塀に囲まれ、金の屋根瓦を並べ、立派な門を建て、天上界の邸宅が
「3つある一条家をそれぞれ解説しよう!」という、連続3回やらかした前企画。「一条家(五摂家)」は、なんだか二条家の解説っぽくなってしまったのですが(もちろん理由があってですよ…無駄に語ったからじゃない!と思う)これに便乗して、二条家の曖昧回避もやってしまおうかな…などと思い立ってしまった…というわけで、今日はそんなお話になります。相変わらず、どこに需要があるんだか分かりませんが(笑)、まぁ自己満足もまた、立派なストレス解消なのでねー。さっそく、wikipediaで「二
江戸初期、1614年、徳川幕府は南総里見八犬伝で有名な里見氏の館山藩を改易(取りつぶ)した。室町時代以来の里見氏の歴史は幕を降ろした。館山藩の廃藩後、1618年に幕府代官の手によって再検地が行われ、安房国は、以後天領、旗本領、小藩、他国の藩の飛び地領に細分化され、安房一国を治めていた旧館山藩の規模を継承する藩は現れなかった(wiki)。長い歴史の里見氏が改易されたから、即、消滅したとは考えられない。単に殿様と一家が処分されて歴史から消滅しただけでは無く、一族や家臣さらには長い歴史で結び付けられ
~前回までのあらすじ~①丹後国で釣りをしながら両親を養っている青年、浦島太郎。ある日、一匹の亀を釣り上げたけれど、気の毒に思って海に帰してやりました。次の日、また釣りに出かけると、今度は一人の女性が小舟に乗って近づいてきました。事情を聞いてみると、大荒れの海で乗っていた舟が難破して、どうにか小舟に乗り換えて漂流してここまで来たとのこと。浦島はこの女性を故郷まで送り届けてやりました。②その名も“竜宮城”という邸は、銀の塀に囲まれ、金の屋根瓦が並び、筆舌に尽くしがたいほど豪勢なものでした。四方を
こんにちは、教育しん研です。HP開設しましたTOP|教育しん研草加駅から徒歩5分の学習塾kyouiku-shinken.com日本史ややこしいシリーズです。やはり毎年この質問多いので書きます。借上、土倉(どそう)、酒屋の違いです。全て、高利貸、現代でいうと質屋やサラ金、消費者金融と呼ばれる業者です。アコムとかモビットとかレイクとかのあれです。本当は質屋さんが一番近い業態ですね。。。鎌倉時代に借上と呼ばれる業者が、室町になって土倉と称されました。
★割引クーポンはこちら★◆明日以降のご予約状況はこちら◆【問題】次の中から,室町時代の三管領にあてはまらないのはどれでしょう?【答え】山名氏です。その他のクイズへ戻る西船ボウルブログ目次へ戻る
今日のラジオの収録は、私の友人✨大阪、堺にあります和菓子、芥子餅で大人気の老舗「本家小嶋」の21代目になります小嶋貴宏さんにお越し頂きましたなんと室町時代、天文元年1532年創業500年弱の歴史をもつ老舗中の老舗ですよっっなんと、あの千利休も食し愛したと言われていますそしてなんせ室町時代からの老舗なので、教科書に出てくる方々の話も色々あるんですよねー…またそれはラジオでのお楽しみ💓イケメンでしょう⁉️ただいま嫁募集。本当に美味しいのですよ。沢山の方に味を知っていただきたい
宗秀斎です。ようやく待ちに待った秋の到来。今年の夏は異常なくらいの猛暑で流石に夏バテと同時にどこにも出掛ける気がせず、暑さに耐えながらひたすら模型製作に打ち込む毎日。大型台風が連続して列島を横断し各地で大きな被害を出すなど年々台風による自然災害が大きくなっていることが気になります。我が家も災害に備えるため災害グッズを少しづつ揃えていこうと思っています。今年も手を止めることなく製作し続けているとあっという間に年を越しそう^^:先月から製作を進めていた室町時代の武家屋敷再現模型がよう
これまで「一条家」と「二条家」を紹介してきた当ブログ。ならば次は「三条家」ではなかろうか…?となってきたので、せっかくなのでやってみようと思いますw三条家は、藤原氏閑院流の嫡流にあたる家です。閑院流とは、藤原兼家(道長の父)にとってずっとずっと下の弟・公季(きみすえ)から始まる一族。公季は道長にとって、たった10歳だけ年上の叔父さんです。紫式部大河にも出る…はず。閑院流の紹介は、普通にやると今日どころか明後日まで終わってしまうので(笑)、ざっくりやると『平清盛』にも登場し
宗秀斎です。前回の記事で残す樹木などジオラマ部分の制作が終わりました。細川邸の完成。初期作の細川邸より更にスケールを大きくしたこともあり制作期間も1ヶ月超と長い道程でした。今回の作品は大河ドラマ「麒麟がくる」に便乗して以前に制作した細川邸をこの機に再び挑戦するという運びとなりました。この邸宅の主である室町幕府管領細川晴元が登場することもあってモチベーションも上がった作品。晴元さん登場する機会が少ないわけですが…(汗)当時細川氏と言えば室町幕府の実質的な実力者であり室町・戦国時代お
昔の魚類図鑑を読んでいると、「鮭」は「フグ」であると、そして「サケ」の本字は「鮏」であると記してありました。それは「サケ」は「なまぐさ」扱いされていたためだそうです。しかし、室町時代には「鮭」は「サケ」の意になっていたというのだから不思議なことです。また、名の由来は肉が裂けやすい魚だとか、身が赤いことから酒に酔ったようであるから「サカケ」が「サケ」になったとか幾多面白い説あります。