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全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)338〜339頁仏子よ、菩薩大士に十種の菩提心をおこす因縁がある。十種とは何んであるか?一には一切衆生を教化し成就せんがための故に菩提心をおこす。二には一切衆生の苦聚を除滅せんがための故に菩提心をおこす。三には一切衆生に具足せる安楽を与えんがための故に菩提心をおこす。四には一切衆生の愚闇を断除せんがための故に菩提心をおこす。五には一切衆生に仏智を与えんがための故に菩提心をおこす。六には一切諸仏を恭敬し供養せんがための故に菩提
南無至心帰命礼(なむししんきみょうらい)命を帰して帰依する心に至り西方阿弥陀仏(さいほうあみだぶつ)阿弥陀佛に礼をします。弥陀身色如金山(みだしんじきにょこんせん)弥陀の御身体の目に見える姿は、金山のようです。相好光明照十方(そうごうこうみょうしょうじっぽう)その様相は好ましく、光明が全世界を照らして、唯有念仏蒙光摂(ゆいうねんぶつむうこうしょう)ただ、念仏する人を光が覆い救いとります。当知本願最為強(とうちほんがんさいいご
志布志線の安楽駅に降り立ったのは、1974年も暮れようとする頃であった。前夜西都城駅近くの旅館に泊まった僕らは、7時半すぎの列車に乗り安楽に向かった。冬至の頃の九州は東京に比べると日の出が実に遅く、安楽に着く頃になってようやく明るくなったような気がする。南九州とはいえ朝方は寒く、吐く息が白かった。この日は貨物輸送の繁忙期とあって臨時貨物列車(臨貨8493レ)が運転されるとの情報を駅員から仕入れ、中安楽側にある安楽川の鉄橋を目指して歩き始めた。僕らは鉄橋を南西側から望む場所にカメラをセットし、
こんにちは。いつもありがとうございます。九八さん、ゆみさん、いつもありがとうございます。九八塾の皆さんのブログも、ありがたく読ませて頂いております。心を制することから、心意識、言葉が、本当にただの観念の説明、戯言であることがハッキリし、騙されなくなり、力がどんどん失せて、、前後、説明なき五感の活動の大信頼に引っ張られ、本当に自然と‘永遠の空の安楽‘と為し、何よりありがたく、尊く、大安心に包まれ本当に誰と何処で何をしていても、何があろうと、どんな思いがふと過ろ
息子が風呂上がり素っ裸で歩いていました。息子も裸も風呂上がりも何もなくそのままの様子がありました。何が動いているのか分からず、一瞬驚き、後から「ああ、息子か」となりました。★九八さんのブログより★心を制する「無上正等覚心」の方向であるならば、、、、一切の問題が生じないのである。しかし、知らぬうちに、微妙にズレて来る訳です。それ程までに、錯覚妄想の方向へ行くのです。それを「声聞・縁覚」する度に、軌道修正されて来るのである。ご自身の「永遠の真相」である「無上甚深微妙法