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こんばんはいまひろです。2020年の秋に、奈良県の室生寺(むろうじ)に参拝しました。太古の外輪山に囲まれ、精進峰を主峰とする山並みからは渓流が室生川へとそそぎ、古来、水の神がおわします祈雨の聖地として崇められてきた室生。(HPより)この地に建つ室生寺もまた、「龍王寺」と呼ばれていた頃がありました。鎧坂(よろいざか)階段を上ると、正面に金堂があり、左に弥勒堂、右に天神社があります。金
豊松町の助平へ続く道の途中にある神社です。以下で紹介するように現在は廃社となっています。詳しい地図で見るこの山の中に境内があります。ちなみに撮影地点の小字は毛無(けなし)という。ぐるっと辺りを回っても神社へ続くらしい道が見えません。この、民家の庭先にそのまま入っちゃいそうな道が正解でした。ここを入ってすぐ右の坂道が神社への参道となります。訪れる人が絶えて久しいらしく、途中は藪になっています。境内入り口。明治31年建立の鳥居が確認できた石造物の中で
今回も福知山市の神社のことです府道708号線(岩崎市島線)を丹波市へ向かって行き、福知山市立中六人部小学校跡があるとこを奥へ行きますけっこう奥へ入ります😅そこにあるのが大内天神社住所・京都府福知山市大内2030旧社格村社御祭神豐斟渟尊駐車場、前に広いスペースがあります神社は道路より低いとこにあります狛犬この辺りはこのタイプの狛犬率高いなぁ鳥居参道はまさに杜って感じその先に見える本殿狛犬本殿のとこに縁起がありました祭神豐斟渟尊祭礼春季4月の第1日曜日
喜連瓜破!!その素敵なネーミングになった基の神社コチラは瓜破天神社(うりわりてんじんじゃ)正面鳥居社標手水舎拝殿(本殿)龍がめちゃくちゃ恰好よいですご祭神は素盞嗚尊菅原道真平維盛平維盛・・・光源氏の再来と言われた超イケメンさん・・でも、悲運のイケメンここに何故、祀られているのでしょうか・・・。~由緒~高僧、船氏道昭が、5月晦日三密の教法観念の折、庵室に光る天神の尊像が現れたので、西瓜を割って霊前に供えた。道昭は朝廷に上申したところ方八丁の宮地を
前回、白井木戸地区の産土である天神社は、もともと地区内の某家の氏神だったものが村の神社になったこと、創建が享保15(1730)年で現在の本殿は昭和51(1976)年の再建されたものであること、そして境内にある白井木戸地区の歴史を刻んだ「白井新田村造四百年記念」碑の概要について紹介しました。祭神については触れませんでしたが、全国の天神社と同様に菅原道真公です。前回の記事が「白井新田村造四百年記念」碑の概要紹介がメインでしたので、今回は木下街道方面から見た拝殿全景と拝殿に掲げられた扁額の写真を
ずっと以前不思議な神社⛩の夢を見たわたしはそこで神社のあちこちを誰かに案内・説明していてそしてそこを離れた夢印象深かったのは⛩朱塗りの渡り廊下⛩そして龍が帰ってくる為の大きな鏡雲の上眼下に見下ろす地上の荒野これ↓その時の記憶の記録『龍の鏡』先程、山盛りこさえたおでんと日本酒を飲んで…ほろ酔いである…冬のおでんにはやはり日本酒がよろしと想う夜更け…今宵も再び覗いて下さった方ありがとうございます☆先…ameblo.jpずっと忘れられなくて誕生日に出雲大社の神様にお詣りをし
龍姐かずみんです↑さくらままの白龍『かぐら』と、稲佐の浜でツーショット出雲が生んだ『龍・神の羊毛フェルト職人』さくらままの龍繋ぎ®で出雲へ!でも一度は流れかかったの。10月で調整していたスケジュールが初っ端からあれ?って思うようなことがあって。やっぱり今じゃないのかな??って思っていたら確かにあの時ではなかった。でも神さまや龍さんがまるごと整えてくれて迎えた『
堤根神社から北へ2キロほど天神社へ向かいます天神社【てんじんしゃ】神社の創建の年代は詳かではありませんが、この地は古くは伊勢斎宮帰路の道筋に近く、その創建は相当古い時代であるとされています。鳥居通称名;二番の宮さんって言われてるんですこちらの「天神社」という社名、ただ道真公が祀られているから、ではないそうな…日本の神様は、天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)が居られ、いわゆる天の神様と、地の神様として分かれて存在されるんです天神とは元々、天津神(あまつかみ)の事だとか
湯泉神社三社巡り三社巡りとは、本社である湯泉神社・摂社の水天宮・別宮の有馬天神社の三つの神社を参拝することを言います訪れると木々や湧き出る清水から自然のエネルギーが感じられ、立つだけで心が浄化されるといわれています万病を癒す、有馬温泉の湯に浸かって身を清め、神社を参拝すれば、体中に心地よい気が満ちていくのが感じられるんですってまずは有馬天神社湯泉神社から10分程で倒置有馬天神社【ありまてんじんじゃ】当社の創建は、『神社明細書』に、有馬温泉良の方位にありて菅原道真公を祀るとか
トップページ都道府県別索引へ千葉県の索引へ飯高天神砦は匝瑳市きっての観光地である飯高檀林のすぐ東、谷を挟んだ反対側のピークにある。歴史はまったく不明らしいが、飯高檀林がもとは平山刑部少輔の居城であったとされる飯高城に近いことなどから、その支城であった可能性もあるとのこと。この日は飯高城を目標にして、周りの城郭といっしょに見て回ろうと思って、飯高砦の次に訪問した。飯高砦から降りたあと、丘陵をぐるりと南から回ってゆくと、砦の南の正面あたりから近づいてゆくことになる。→