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今回は第16話として「壬申の乱編-不比等が作った幻想の国「日本」(その7)」をお話しする予定でした。ところが、つい最近、私にとって長年の懸案であった「伊勢神宮の秘密」を解明することが出来ましたので、第16話として「伊勢神宮の秘密」についてお話しします。これからお話しする一連の内容は、今後お話しする予定の「天武天皇」のお話しに、深く関わってくることですので、「伊勢神宮の秘密」を先にお話し出来て、かえって良かったかと思います。解明した伊勢神宮の秘密とは、以下の2点です。1.伊勢神宮が現在の場所
過去記事「瀬織津姫と饒速日~ニギハヤヒ、現る!~」の続きです。https://s.ameblo.jp/happylife3749/entry-12364300392.htmlニギハヤヒは、オオモノヌシだったんですね~!オオモノヌシ(大物主)とオオクニヌシ(大国主)も同一神とされやすいですが、こちらは別の神様のようです。「スサノオと瀬織津姫を巡る旅~オオクニヌシとニギハヤヒ」参照https://s.ameblo.jp/yuji-arakawa/entry-12350859394.htm
願行寺から旧宇治街道をさらに六地蔵方面に向かうと、木幡東中の産土神で式内社の神社があります。許波多神社許波多神社宇治市木幡東中にある神社。祭神は天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)。社伝によれば、皇極天皇の命により藤原鎌足が創建したといい、古くは柳山にあって柳大明神と呼ばれたが、応保年間(1161~63)現在地に移ったという。木幡の産土神。「延喜式」に名神大社として記される許波多神社三座のうち一座に当てられる。本殿の左にある田中神社は明治四十一年、木幡北部から遷座した
こんにちは。今日は飛鳥時代に起こった日本最古の南海トラフ地震についてですが、これは「確実に記録された日本最古の大地震」でもあります。これが起こったのが、飛鳥時代の天武天皇の御代でした。この天武天皇というのは、現在の日本のアイデンティティを作り上げた大改革をしているのですが、この背景にはいったい何があったのかは、今では知る由もありません。ですが、「人間の意識変容」というのは、なかなか簡単に起こることではなく、何かのきっかけで「国がひとつにならなければ」と思ったのであれば、それもまた、時代の
丹生川上神社中社:奈良県吉野郡東吉野村小968八年振りの奈良だ。インバウンド観光客でごった返す京都駅で近鉄特急に乗り換え、橿原神宮前駅へ。レンタカーを借りて明日香村から吉野川沿いを行く。途中、対岸の「平宗」という柿の葉寿司の店に寄る。江戸時代末期、文久元年(1861年)に創業。昭和天皇に献上された鮎の寿司が看板商品のようだが、ここは迷わず好物の焼鯖寿司を頼む。金峯山寺参道の柿の葉寿司はかなりしょっぱいが、この酢飯の味付けはほどほどで、甘味もあってたいへん美味である。丹生川上神社下社には天川村
『日本書紀』を読んでいると、不思議な数字に気が付くことがあります。『日本書紀』編纂時に現れるのは、天武天皇の崩御日と川嶋皇子の薨去日が同じ9月9日という不思議な一致です。川嶋皇子は、天武天皇が国史編纂の詔を出されたときに、筆頭に名前を記されている皇子です。その川嶋皇子が、天武天皇が崩御された5年後の同じ日に亡くなっています。神武東征に関連して、神武天皇が東征出発前に語られた言葉の中に、1792470年という数字が登場します。東征出発の年が、瓊瓊杵尊が天孫降臨してから17
【前書き】今回は、いよいよ本題に入ります。朝鮮人(百済王族)が、日本の支配層にどの様に入り込み、藤原不比等がどの様に日本支配を完成させていったか、その過程をお話して行きたいと思います。それにしても、現在の、日本と日本を取り巻く世界の状況は、日々刻々と、目まぐるしく変化しています。のんびりと、この様な昔の話をしている場合か、とも思いまが、奈良時代から日本がどの様に朝鮮人(百済王族)に支配されてきたかの歴史を知る事は、・現在も日本人を支配する隠れた悪を正しく見抜く目を持つため・私たちが日本
大友皇子(おおとものおうじ)とは、第38代天皇天智天皇の息子のこと。大海人皇子(第40代天智天皇)との戦いに敗れ、滋賀県にて首をくくって亡くなったそう言われているのですが、実は密かに逃げ延びた・・・・そして、その時の逃亡先のひとつが、現在の岡崎市だった、そんな伝説が残されていますその、逃亡先となった矢作地区では、大友皇子に因んだ史跡や神社仏閣を、各所に見ることができます大友皇子聖地めぐり・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜【大友皇子御陵・小針一号墳】愛知県岡崎市小針町
【前書き】前回は、豊璋(ほうしょう)と翹岐(ぎょうき)が、軍事の実権を主に担っていた蘇我入鹿を惨殺し、「乙巳の変」という軍事クーデターを起すことで、大和政権の実権を握ったところまでお話ししました。これからその続きをお話ししていきたいと思います。645年、乙巳の変の後に、第36代孝徳天皇が即位します。それ以降、以下のような出来事が起こります。①孝徳天皇と中大兄皇子(豊璋)の確執と孝徳天皇の死(655年)②皇極天皇が再度、斉明天皇として即位(655年)③斉明天皇の死(661年)④「白村江
前回記事「瀬織津姫と饒速日~ニギハヤヒと持統天皇~」の続きです。https://s.ameblo.jp/happylife3749/entry-12365364641.html番外編です。ニギハヤヒと同じく封印されし神である建御名方のお話。これ読んで感動して、一気に建御名方さんのファンになりました!https://s.ameblo.jp/yuji-arakawa/entry-12343478003.html『封印されし強すぎた神』、そしてこの地に於ける日本国土の守護神、タケミナカ
今回は、不比等が作った幻想の国「日本」(その7)として、壬申の乱編をお話しします。下記、①から⑩項目のうちの「⑥壬申の乱(672年)と、勝利した大海人皇子が天武天皇として即位(673年)」のお話しとなります。①孝徳天皇と中大兄皇子(豊璋)の確執と孝徳天皇の死(654年)②皇極天皇が再度、斉明天皇として即位(655年)、斉明天皇の死(661年)③「白村江(はくすきのえ)の戦い」と百済の滅亡(663年)④近江へ遷都(667年)し、中大兄皇子(豊璋)が天智天皇として即位(668年)⑤中臣鎌足
今回は、不比等が作った幻想の国「日本」(その8)として、「国史編纂編」をお話しします。下記、①から⑩項目のうちの⑦天武天皇の改革、国史編纂を命じる(681年)から⑩古事記完成(712年)、日本書紀完成(720年)までののお話しとなります。①孝徳天皇と中大兄皇子(豊璋)の確執と孝徳天皇の死(654年)②皇極天皇が再度、斉明天皇として即位(655年)、斉明天皇の死(661年)③「白村江(はくすきのえ)の戦い」と百済の滅亡(663年)④近江へ遷都(667年)し、中大兄皇子(豊璋)が天智天皇とし
昨年10月に九州南部を訪れ、【日向三代】を祀る神社をシリーズで記事にしましたが、まだご紹介していなかった神社があります2019年10月8日(火)、旅の最終日に訪れました。月讀神社です桜島港ターミナルより徒歩2分。桜島最大の神社です創建は、和銅年間(708~715年)。大正3年の桜島大爆発🌋により、社殿が熔岩の下に埋没。その後昭和15年、現在地に遷座しました。石段を上ったところに一の鳥居。鳥居の左手に社号碑。その先に、上り坂の参道が続きます。参道の左右に、門守神社。【御祭
天武天皇神社(川上村)大和国吉野郡奈良県吉野郡川上村北塩谷235-9(P有るものの閉鎖、周辺は民家も無く道路も広いので停め置き可)■祭神天渟中原瀛真人命川上村の「大滝ダム」の北東側畔に鎮座する社。創建由緒等に関する資料は見当たらず不明。「大滝ダム」建設に当たり水没することとなったため、丹生川上神社上社とともに遷座されたと伝わっています。丹生川上神社は天武天皇による創祀。これが上中下のいずれの社かは不明。現在は中社が該当するということで落ち着いてはいるものの、上社は「口の宮」とも称
縄文文化に憧れる皆様へ朗報です!同じアメブロで記事を上げておられる方の天皇家に付いての詳細な研究と論拠による記述です。私達が日本の教科書の歴史で学んだ【大化の改新】は朝鮮人による天皇家への乗っ取りとクーデターであった!と以下は縄文の神さんの書かれた内容の一部抜粋です日本書記に記されている中大兄皇子と中臣鎌足が、実際は朝鮮人(百済王族)の入れ替わりであったと、私が推定した根拠を挙げていきたいと思います。日本書記が誰によって、どの様な意図をもって改ざんされたのかが、明確になってきたと思い
賣太神社(めたじんじゃ)前回に続き古事記ゆかりの人びで、今回は賣太神社稗田阿礼(ひえだのあれ)です。稗田阿礼は太安万侶と共に古事記編纂を行う為に全国?を回り各地の神話や伝承を暗記し太安万侶が記録して編纂されました。阿礼は記憶力抜群の人だったらしいです。ちなみに、阿礼は世間的にも男性説が有力ですが、個人的には女性と思っていました。で、尋ねたら賣太神社では男性との事です。やっぱり、男性なんですね!所在地は奈良県大和郡山市稗田町319ここは、周囲に堀をめぐらせ
天武天皇・持統天皇陵檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)40代天武天皇(てんむ)41代持統天皇(じとう)所在地:奈良県高市郡明日香村大字野口「古事記」は天武天皇が日本の神話や古代史を後世に伝える為に、太安万侶(おおのやすまろ)を中心に編纂を命じ、稗田阿礼(ひえだのあれ)と共に始まりました。しかし天武天皇の崩御により、一度中断しましたが、元明天皇(げんめいてんのう)が再開を命じて712年に献上したそうです。なので、言いだしっぺ・の夫婦でもあ
太安万侶(おおのやすまろ)今回は古事記ゆかりの人びで、太安万侶です。前回も紹介しましたが、天武天皇の命より稗田阿礼(ひえだのあれ)と共に編纂に掛かりました。まずは、太安万侶墓から・・・1979年に奈良市此瀬町の茶畑から安万侶の墓が発見されて、中から火葬された骨や真珠・木片に貼り付けられた銅板の墓誌などが出土したそうです。これにより太安万侶は実在の人物と証明されたそうです。レンタカーで奈良市郊外の道を走ると標識が・・あいにくの雨。。。標識か
三栖神社御旅所(みすじんじゃおたびしょ)は三栖神社の御旅所であるが、創建年代は不詳で、神社は金井戸神社(かないどじんじゃ)と呼ばれているそうだ。天武天皇元年(672年)に起こった壬申の乱の際に、大海人皇子が大津へ向かう途中に、三栖の地を通った時に、村人たちが篝火を焚いて夜道を照らしたと伝えられている。これが、「炬火祭(たいまつまつり)」として、毎年、三栖神社の秋季祭礼の「神幸祭」に行われている。「炬火祭」は京都市登録無形民俗文化財に指定されている。御祭神:天武天皇所在地
《新古今和歌集・巻第三・夏歌》190題知らず柿本人丸鳴く声をえやは忍ばぬ郭公(ほととぎす)初卯(はつう)の花の陰に隠れて☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず柿本人丸鳴く声をがまんすることができないのか、早くも声をもらしているよ、ほととぎすは。初めて咲いた卯の花の陰に隠れて。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎
東京五輪2020、閉会しましたね。このブログでも書きましたが、ワタクシにはスポーツ観戦するっていう習慣がなくて。なので、ほぼ見ないまま終わりましたが、twitterで見る限り、楽しんだ方が多くいるようで、良かったですねーと、そんな気分です。一方で、新型ウイルスの疫病が流行る中では、ほとんど楽しめなかったという人も、やっぱり大勢いるんでしょうね。それは残念でしたございましたね。…と、とりとめのない時節の挨拶はこれくらいにして…(笑)今日は「系図で見てみよう」シリーズを
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。本日取り上げるのは、天智天皇と天武系の天皇たちとの血縁関係です。皇統の呼び方として、天智系と天武系という言い方があります。天智天皇の崩御後、天智天皇の弟の大海人皇子と息子の大友皇子との間で皇位継承を巡る壬申の乱が勃発、結果大海
三栖神社(みすじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、旧下三栖村の産土神として古くからこの地で信仰されており、天武天皇、伊邪那岐大神、応神天皇を祀っている。現在の社殿は、慶長八年(1603年)に旧幕臣・角倉了以、加藤清正公の家臣・横地助之丞、郷士・藤林時次、等により造営したとのことである。御祭神:天武天皇、伊邪那岐大神、応神天皇所在地:京都市伏見区横大路下之三栖城ノ前町83鳥居イチョウの巨木京都市指定の保存樹で、高さは22mを超える巨木で、秋は一斉に黄葉
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大和三山(やまとさんざん)のひとつ畝傍山(うねびやま)です。大和三山ではもっとも高く標高198・8メートルだといいます。耳成山(みみなしやま)とおなじく瀬戸内火山帯に属する火山の名残りであり、火山活動によって生まれた火山岩が浸食されてできた山とされるようですね。火口部がないので火山そのものではないといいますが、さてどうでしょう?ただし、古代では火山とされたようで「火がうねる」という意味の「畝火(うねび)」から「畝傍(うねび)」になったともいうようで