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酒井雄哉大阿闍梨❖ダメ人間も変わる「一日一生」の極意北嶺大行満大阿闍梨酒井雄哉大僧正―何よりも実践を重んじる。それが酒井雄師の生きざまだ。「大行満大阿闍梨(だいぎょうまんだいあじゃり)」など最高位の尊称を持つ高僧だが、その経歴はいささか異色。特攻隊からの復員後、さまざまな職業を経たのちに僧侶としては異例の40歳で得度し、数々の修行を重ねた末に、比叡山に伝わる最大の難行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を2度も満行した。これは歴史の残る天正13(1585)年以降、3人目という偉業
まぁ〜暑かっね〜!石川で33℃超えとか凄いやん!復旧作業での熱中症にならなきゃいいけどなぁ全国100箇所で真夏日?みぃ〜んなクソ暑かったってことやな!(笑)今は風も強くなりやや涼しめだわ…連休最終日だがエンジョイでかたかな?すんげー天気やったがお子さんはダイジョブやったかな?皆さん如何お過ごし?オヤジは連休もクソも関係なくご機嫌さんで呑んでるよぉ〜ん♥ハイハイ!焼酎ソーダ割りな!焼酎は鏡月な!普段芋ばっかり呑んでるからこれは…サッパリしすぎで😎「えぇ〜っちゃ濃いくして!なんな
❖阿闍梨【外伝】赤山禅院今回は、日頃ご紹介しています、酒井雄哉大阿闍梨さんの足跡とは少し離れますが、千日回峰行の大切な修行の一つ『赤山苦行』の舞台である、『赤山禅院』をご紹介します。赤山禅院山門赤山禅院について由緒赤山禅院(せきざんぜんいん)は、平安時代の仁和4年(888年)に、第三世天台座主円仁の遺命によって創建された、天台宗総本山延暦寺の塔頭のひとつです。慈覚大師円仁(794年〜864年)は、838年、遺唐使船で唐に渡り、苦労の末に天台教学を納めました。その行程を守護した
今からもう7年前のことです。出雲大社に参拝してその次の日に出雲大社の祖神さまといわれる日御碕神社(出雲市)を参拝しました。その、日御碕神社で私は偶然、神の宮とよばれる神殿へまっすぐ向かっている神職さんを目撃しました。神職さんは神殿に入ったあとお供えをして祝詞を唱えておられました。私も神の宮で手を合わせ神職さんのその様子を外から拝見していました。すると神職さんは祝詞を奏上したあと小声でなんとお経を
先日、比叡山延暦寺で結縁潅頂を受けてきました(^-^)/結縁潅頂は、昨年は三井寺で受戒し国宝黄不動を拝見しました。今回は、実家が天台宗ということもあり、延暦寺での結縁潅頂を選びました。初めてでしたので、まずは5月の頭に延暦寺へ直接電話で申し込みました。¥18,000を郵便振り込みして届いたのがこちら、登山通知です。京阪電車の比叡山延暦寺巡拝チケットで、訪問しました。延暦寺へ行くときはいつも利用しています。京阪電車→叡山電車→ケーブルカー→ロープウェイ→比叡山内シャトルバスの、す
13尊目。3文字目が読めない・・・。●不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん/ふくうけんじゃくかんのん)(※画像は文化遺産オンラインより)(京都国立博物館所蔵「木造不空羂索観音坐像」)インド名は「アモーガパーシャ」。「羂索」とはインドで狩猟や戦闘に使われた縄のこと。また、鹿の毛皮の袈裟を着ていることから「鹿皮観音」とも言われる。密教の天台宗に於いて、観音菩薩の変化した六観音の一つとされ、(※真言宗では不空羂索観音を六観音に加えず、代わりに准胝観音を加える。また、両方
世の中には不可思議な寺院がたくさんあるものです。2021年10月3日、日本三大奇書に数えられる中井英夫の『虚無への供物』が好きだった私は、東京五色不動尊巡りを企図して有名な目黒不動尊龍泉寺へ美月と出かけました。(日本三大奇書:他2書は『黒死館殺人事件』小栗虫太郎、『ドクラマグラ』夢野久作)現在、五色不動尊巡りは既に結願したのですが、神奈川県伊勢原市の大山寺を訪れてしまったため、「関東三十六不動霊場巡礼」として再訪せざるを得ないことになっています。結局、寺社巡りは死ぬまで何度も参詣させられ
阿闍梨【外伝】❖四月の守り本尊は『普賢菩薩』(法華堂)季節は卯月四月、卯月は「ウヅキ」の花からきているそうです。本来花の朔時期は五月から六月とされていますが暦は旧暦、その名残りがあるようです。また、四月、五月の守り本尊は『普賢菩薩』、辰年巳年の守り本尊でもあります。酒井雄哉大阿闍梨が明治時代から途絶えていた「常行三昧」を法華堂で行った際に、阿闍梨さんは普賢菩薩を感得しました。その時の様子を過去のブログ(五年七月二十三日)でご紹介しております。普賢菩薩は、文殊菩薩とともに釈迦如来の
先日岩倉の実相院の「床みどり」について触れた。ところがこのお寺には一度も伺った事が無かったので、この三日前にようやく山門を潜ってきた。山号は岩倉山、本尊は不動明王、開山は静基(じょうき)。門跡寺院の1つで岩倉実相院門跡とも呼ばれる。かつては天台宗寺門派三門跡の一つであった。岩倉は二十歳代に友人が住んでいた事もあり、バイクで頻繁に遊びに来ていたが、このエリアは初めてだった。例の如く、客殿(本堂)の「滝の間」の床には黒漆が塗られており、そこに庭の楓が反
目次のリンクはページ内のジャンプ用リンクです。各寺院名の説明にあるリンクは各公式サイトへの外部リンクです。◆連絡事項◆【令和6年4月21日更新】荒陵山四天王寺を更新しました。知多高野山喬正院を更新しました。八事山興正寺を削除しました。【4月】の高野山東京別院を削除しました(春季開壇が無くなったため)【11月】の高野山東京別院を更新しました。◆目次◆このページの目的掲載基準表記について結縁灌頂に関するQ&A五重相伝会を載せていない理由(令和5年10月21日追加)
酒井雄哉大阿闍梨❖一度で成功する人はいない一度で成功する人はいない人生なんてものは、経験の積み重ねだからね。積み重ねていく間には、失敗なんかなんぼでもある。失敗は失敗と認めて、それを踏み台にして、前に進んでいけばいいんだよ。何をするのだって、いっぺんで成功する人なんてなかなかいない。逆にスムーズに成功したら、あとになってからが怖いよ。失敗したときは、必要な経験を積んでいるんだ、教えてもらっているんだと思うことだね。戦後間もないころ、手づくりのラジオが流行ったけれど、あれ、聴きたい局
ここは川越氷川神社へ行った時に看板が目に入り、意外と近いんだな〜と思い、予定は無かったのですが参拝してみました。元々行こうとしていたわけではないので、下調べもせず、何宗のお寺なのかも忘れていました↑何故か指が写り込んでしまったので上部を削った写真です本堂を外からお参りし、ガラスの向こう側の内陣を見ると「南無大師…」と書かれてあります。咄嗟に遍照金剛と言いそうになりますがしかしこれ、よく見ると「南無大師常住金剛」なのですこんな御宝号あるのっ!?誰なのっ!とキョロキョロしたら、慈恵大
【4月28日】京都市中京区にある天台宗行願寺(革堂)さんへ。季節の御朱印が追加されました。
●慈恵大師(じえだいし)(※画像は文化遺産オンラインより)(愛媛県鬼北町の等妙寺所蔵「絹本著色慈恵大師像図」)天台宗の第18代座主。延喜12年(912年)に近江国の豪族の子として生まれ、12歳頃(15歳頃とも)に仏門へ入り「良源(りょうげん)」の名を与えられる。元は低位の僧であったが、才知に優れた人物であったため、数え55歳となった年に座主にまで上り詰めた。永観3年(985年)1月3日に入寂。「慈恵大師」を謚名と与えられ、また1月3日が命日であるため「元三大師(がんぞ
昨日、我が家の仏壇にこの展覧会に行けた事への御礼をしようと、ろうそくに火を灯したら、灯火が一瞬、なぜかいつもより長~く縦に伸びたのです。不思議な事だと思って、ご本尊の阿弥陀如来像を見たら、微笑んでいるように見えました。さて、前回の記事では、音声ガイドで聞いたストーリーの記憶を元に、法然は父を殺され、出家しても勉学に身が入らずにいたと書きましたが、浄土宗の公式サイト法然上人の生涯を読んだら少し違いました。才能を見出され…とか、能力の高さを認められ…とありますね。まあ、その宗派の開祖で
永祚2年(990)正月今回ようやく4年の月日が流れました永観、寛和年間の長かったこと…初めにしっかり人物のキャラ設定をする狙いがあったんでしょうか…「藤原氏多すぎ」モンダイと、「女子の名、訓読み」モンダイキャラ設定といえば、先日、鎌倉彫教室の友人がこんなことを言っていましたそれは、彼女の旦那様が「光る君へ」の「藤原氏多すぎ」モンダイに苦しみ、彼女に毎回「この人は誰」としつこく聞いてくるという話です彼女は、「私に聞くな」とそのたびに答える
【福岡】福岡県久留米市宮ノ陣の国分寺色々お話させていただき新たにステキな【御朱印】をいただきました【国分寺御朱印】24時間テレビ【巨大チョークアート】以前から気になっていたSatoruさん2020年8月23日24時間テレビin福岡でFBS本社ロビーにて巨大チョークアートに挑戦横4m×高さ2mの巨大黒板に下書きなしで描きましたSatoruさんはがん三
【継報】天台宗性被害問題❖天台宗が四国の寺を現地調査尼僧が約14年間の『性被害』訴え…「坊主に逆らうと地獄に落ちる」などと脅され|MBSニュース女性の僧侶が住職からの性被害を訴えている問題で、5月7日に天台宗が現地調査に入りました。5月7日、天台宗務庁の職員らが調査を行ったのは四国の寺です。この寺をめぐっては、尼僧の叡敦さん(50代)が今年3月に滋賀県大津市内で会見を開き、約14年間にわたり寺の住職(60代)から「坊主に逆らうと地獄に落ちる」などと脅され日常的に性的暴行などを
4月25日(木曜日)久々に晴れたので前から予定してた兵庫丹波の白毫寺に九尺藤を観に行って来た。10時頃に到着したが、平日にもかかわらず、参拝者は結構居たな!幸いにもここのお寺には、外国の方が殆ど来られてなかった^^ちなみに前回のブログ(白毫寺)は奈良の白毫寺(椿)でした。丹波の山並みを背に佇む天台宗の古刹天台宗五大山白毫寺境内図お借りしました白毫寺(びゃくごうじ)所在地兵庫県丹波市市島町白毫寺709山号五大山(ごだいさん)宗派天台
【継報】天台宗性被害問題2024.4.19山陽中央新報『逆らえば地獄に落ちるぞ』住職にマインドコントロールされ、14年間性暴力を受けた」天台宗の尼僧が実名告発、口をつぐむ大僧正、「閉ざされた世界の真実は…天台宗の寺の住職から性暴力を受け続け、14年間にわたりマインドコントロール(洗脳)されたとして、50代の尼僧叡敦(えいちょう)さんが1月、記者会見を開いて被害を告発した。この住職の師匠は、天台宗で最高位の大僧正。叡敦さんは、大僧正が加害行為を手助けしたとも訴えている。住職から
「すずめの戸締り」を観てから、約2か月が過ぎ…後ろ戸について書こうと思っていて、なかなか触れられず。そろそろ書きたい!と思っていたら、日光に誘われました。『後ろ戸が開く』大阪で四天王寺を参拝後、電車で法隆寺方面から奈良へ戻りました。本当は法隆寺も訪れたかったのですが、時間の都合で断念。まあ、法隆寺は中学校の修学旅行で訪れていて…ameblo.jp『すずめの戸締り①~アメノウズメと鎮女』関西旅の途中、石上神宮を参拝したあと、映画「すずめの戸締り」を観るために、天理から大和郡山へと向かい
こんばんは。ドンですもうすぐ3月。これが普通なのか、真冬の寒さが続いてますドン地方。っで本日も、2023年9月25日~26日、モモと一緒にワン泊してきた旅の1日目。「海の駅九十九里」で、昼ご飯休憩をとった後、是非、行ってみたかったところへ。PM14:00~長生郡長南町天台宗別格大本山の寺院「笠森寺」十一面観音像が本尊であることから「笠森観音」と呼ばれ、「坂東三十三観音第31番札所」っが、ここへたどり着くには、国指定天然記念物である笠森寺自然林のうっそうとした森
武生駅から南へ1km程朝倉家とゆかりの深いお寺を参拝してきました寺院名;泰清山窓安寺宗派;天台宗御本尊;阿弥陀三尊所在地;福井県越前市南3-1-5TEL;0778-23-0439窓安寺は白山を開いた泰澄大師が養老年間(717~724)池田郷野尻村に創建され野尻山窓安寺と号し不動明王を祀っていたそうです天文2年(1533)朝倉氏の帰依を受け朝倉家の菩提所として天台宗を灯し鎌倉山城主小泉四郎右衛門尉が寄進した土地に真秀上人が再興されました。
【栃木】栃木県さくら市氏家の昌玖寺のステキな【御朱印】【昌玖寺御朱印】(書き置き)【本堂】【宗派】天台宗【山号】修明山【院号】弥勒院【寺号】昌玖寺【御本尊】大日如来昌玖寺は勝山にあった天台修験寺で氏家氏の祈願寺。1597年勝山城廃城後奥州街道氏家宿古町に移り江戸時代には羽黒修験道場となり山伏たちの加持祈祷などが行なわれていました。御本尊の大日如来は秘仏で非公開。東日本大震災で本堂が大
◇延暦寺の総理大臣小林隆彰②(酒井雄哉大阿闍梨)延暦寺の僧侶の階級は、権律師・律師・中律師・大律師・権少僧都・少僧都・僧都・権大僧都・大僧都・権僧正・僧正・権大僧正・大僧正と十三の位(階級)があります。その他に、長臈など呼び名がありますが、探題大僧正が最上位にありその筆頭が『天台座主』、次席が次の座主になるなど厳格に規定されています。一方、『天台宗』という宗教法人も存在します。こちらは天台宗の寺院を包括するもので、事務一切仕切るのが「天台宗務庁」になります。『天台宗総本山延暦寺』、組織
5月3日後白河法皇の803回目の法要がありました。普段のお参りの感じとは違います。法皇忌の御朱印の真ん中の印は、葉菊。大正天皇の紋で、昔は紋を売りに出されたそうです。そのままでは、恐れおおいと後から葉っぱを付け足し、それぞれ菊の紋を変形しているそうです。柏餅を頂きました。こし餡と、味噌でした。両方の味食べました。😁柏餅の意味子孫繁栄柏の葉っぱは、新芽を見届けてから落ちる。子どもを見届けてから落ちる。法皇さんの足は、裸足。大きな袴をはいてるのは、寒い時にあの中に足を入れ
5月の1日・2日と4日~6日まで、午後1時から4時の受付で、通常非公開の深大寺本堂が公開されています。残り1日となってしまいましたが、孔雀座のような蓮華台に宝冠阿弥陀如来様が坐しておられます。拝観料は500円です。写真撮影はできませんが、宝冠阿弥陀如来様のお姿が載ったしおりが配布されていました。明日お時間のある方は、国宝仏と併せてこの機会に、普段目にすることができない宝冠阿弥陀如来様をお参りしてみてはいかがでしょうか。本堂特別拝観案内深大寺Xより深大寺ホームページより
こんにちは。わたしは3月終わりに九州に旅行に行ったのですが、2日目に南下をして鹿児島県霧島市にある霧島神宮を参拝しました。※霧島神宮この霧島神宮の元宮は、ニニギノミコトが降臨した高千穂峰の火口付近にあります。いくたびの噴火により社殿が消失し、現在のふもとに里宮が建立されました。令和4年に社殿が国宝に認定されました✨✨✨ですが❗️この霧島神宮は「西社」なのです。そう、「東社」が存在しており、この東社から分かれたのが現在の霧島神宮なのですね。ということで、二
預けてお願いしていました。
何時もブログをお読み頂き有り難う御座います。m(._.)m❗️令和6年元旦の初詣は、世界遺産平泉の関山中尊寺へ行って来ました。中尊寺金堂には1958年比叡山延暦寺より不滅の法灯を分灯して頂き、天台宗東北大本山の称号を認められました。そんな延暦寺から千二百年を繋ぐ不滅の法灯を観ることが出来ますよ❗️中尊寺金堂では縁起物「熊手」を求め、熊手でお金が集まる様にと自宅神棚脇に飾りました❗️そして今日の初詣の他に、もう一つの目的が有って金色堂に詣でました。拝観料800円をお支払いして、いざ金