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大本営陸軍部の地下壕東京・市ケ谷の防衛省(市ヶ谷台)のA棟庁舎玄関前の儀仗場。ここに面する雑木林(かつては日本庭園)の地下に掘られたのが大本営陸軍部地下壕。現在の防衛省図:大本営陸軍部は建屋は縮小改悪され「記念館」として移設され、跡地には庁舎A棟が建つ。大本営陸軍部の地下壕は、建設開始は真珠湾攻撃(太平洋戦争の開戦)の4カ月前の1941年(昭和16年)8月。翌年12月に完成した。この地下壕の造られた理由、掘削方法もはっきりは分かっていない。<地下壕が3本並列に掘ら
【広島城跡でクロガネモチ(被爆樹木)を発見した直後】被爆樹木とは何かを忘れてしまった人は、【第45話】を参照。何これ。。。??何なんだ、この石柱は。。。?何かの跡なのは分かるけど。本で調べてみると、日清戦争の時に、広島城跡にはかつて明治天皇が移って大本営があったようだ。そして、臨時の帝国議会が開かれたようだ。どうもそれを示す石柱みたいだ。勉強になった。言われずとも予想はつくと思いますが、原爆により広島城は全壊してしまったので、もちろんこの大本営跡も全壊してしまいました。to
松代大本営(舞鶴山地下壕)長野市松代町西条3511松代大本営は大日本帝国陸軍において計画・推進されたもので、太平洋戦争末期、皇居・大本営・政府中枢機能移転のために長野県長野市松代地区などの3山(象山=イ、舞鶴山=ロ、皆神山=ハ)を中心に掘られた地下壕群を指す。3つの地下壕の長さは10kmにも及ぶ。陸軍は昭和19年4月より本土決戦態勢に入る。特に「東京から大本営および政府機関を地方(松代)に移さなければ、本土決戦は行えない」との立場を貫く中堅将校たちは地方への大本営の建設を推進した。中堅
大本営から発表されたタミチャレ2024レギュレーション詳しくはこちらhttps://d7z22c0gz59ng.cloudfront.net/cms/japan/rc/event/challengecup/images/2023/12/cc241211.pdf