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アロハ(ココヘッド下り)帰国したその日。それが妹の葬式だった。現実なのか、夢なのか、なんだかわからないうちに妹は小さな骨になっていた。娘のお骨を抱いた、喪服の母。小さくなった震える母の後ろ姿は、今でも目に焼き付いて離れない。その昔、田舎の長男に、お見合いで嫁いできて、お決まりの、おしんの世界を生き抜き、苦労して育てた3人の娘の内、2人は離婚し、その1人に先立たれる。その間にも、姑を看取り、、夫もまた看取った。うつ病だった妹の、その間の約7年間愚痴一つ言わず、孫と妹
アロハ今から10年前。婆は50代半ばになってた。入社してから約10年。いくら要領悪くても、生活がかかってる。何とか食らいつき、みんなに助けてもらいながら少しずつ仕事にも慣れていった。安堵していた、その頃.....中国のバブルが始まったのだ。それはもちろん、ハワイにも、やってきた.....そう、爆買い中国人グループ。当時は、ほとんどが中年男性の集団で大声でやって来ては時間をかけて買い漁る。そして、懐から取り出すのは、輪ゴムで止めてある大量の札束。今までは、日本人観光
アロハ(ダイヤモンドヘッドのトンネル)3週間実家で過ごし、明日はハワイへ帰るという、帰国前夜。夕飯を食べてTV見ながら、家族みんなでくつろいでいた。突然、廊下をバタバタとものすごい足音がした。トイレに行ってた爺が走って帰ってきたのだ。そして、また、ものすごい勢いでドアを開けた。はぁはぁと息が荒く、肩で息をしてる。言葉がでない。家族一同?????い、今トイレで!!誰かが、ここに、と、自分の肩を指さし、誰かがここに、肩に手を置いたんだ❗トイレで、トイレで❗言葉
アロハ(昨日のレインボータワー)約10年ほど前からの、連日の中国人爆買いで、ハワイも中国バブルに沸いた。アラモアナの高級ブティックでは、棚の商品が根こそぎ買われ、彼らが去った後には、売り場が空っぽになる、というのは、有名な話になった。ワイキキの婆の店舗でも、売り場は中国人で溢れかえり、時々、え?と気がついたら、自分一人だけ日本人って事もよくあった。中国語が主要言語になったように氾濫し、アメリカ、ハワイにいながらまるで中国に行ってるみたいな錯覚に陥る。そう、毎日売
アロハ中国バブルにより、それまで、日本人従業員が大半だったのが、逆転し、中国人従業員が半分以上占めるようになっていた。その多くは、中国から若いときに移住してきた人。そう、移民だ。もう長くいるから英語も達者で、みんなしっかり者だった。同僚の一人、30代半ばのCちゃんは、小さな男の子2人と、やはり、中国人の旦那、旦那の両親を中国から呼び寄せ、6人で暮らしていた。私達の共通言語は英語しかなく、婆も何とか幼稚園児並みの英語で、暇な時は、家族のことなど話してた。その時、日本
アロハ(ダイヤモンドヘッド山頂)ついに正社員になれた~👍️40代、初めてのハワイでの就活。●アメリカ式履歴書●尿検査(ドラッグの有無)●1週間の地獄の英語でのトレーニング●3カ月の売り場でのトレーニングを、経て、幼稚園児以下の英語レベルの婆はこうして正社員になった。が、後でわかったことだが、この時はただ、人手不足だった、ということ。いやいや、ありがたい❗タイミングが良かった...人手不足じゃなかったら採用はされまいタイミングも運の内!これで生活が楽になる、、、っ
アロハ中国人同僚Cちゃん。帰国時の"勝ってにヒーロー"話にはのけ反るしかなかった.....日本と中国、こんなにも違う2つの国。中国のヒーローは、結局この高額医療費の超物価高のハワイで、働きながら、高い家賃を払い、まだ小さな2人の子供を育て、年金も収入もない義理両親と共に、一生その面倒を見、生きていくのか、、、いや、生きていくしかないのだ。そして、あれから何年か過ぎた。未知のウイルス、コロナが世界中に蔓延し、ハワイもロックダウンになった。会社は閉まり、ワ
アロハ(昨日アラモアナショッピングセンターで)もうすでにクリスマス一色のハワイです。さて、20年前のハワイ。40代で国際再婚し、初めての就活。アメリカの履歴書、尿検査、面接、、、と、何とか無事にトレーニングにまで漕ぎ着けたが、ここでも英語の厚い壁にぶち当たる。落ちこぼれ。ここ1週間のトレーニング中ずっとそうだった。特にコンピューターのレジのトレーニングの3日間はいつも一番最後まで残されて、個人指導。先ず、英語の説明が理解できないから、やろうと思っても細かいことが出
アロハ約20年前。ハワイ。待ちに待った'労働許可書'が届き、'差別は違法'の、言葉通りの履歴書ができた。顔写真なし、性別も人種も、結婚の有無も、年齢さえも必要ない、履歴書。その履歴書で書類審査をされる。40代の初めてのハワイでの就活。不安だったけど、この日本とは全く違う履歴書に一人感動し、よし、とにかく頑張ろう、と思った。ワイキキの店舗から、あきらめてた頃に電話があり、まず面接の前に尿検査に行け、と言う。尿検査で健康チ
アロハハワイにも押し寄せて来た、中国人観光客。いやいや、、、もう恐るべしの一言。約10年前、中国バブルの始まりで爆買いがスタート。その頃は40代、50代くらいの男性グループがほとんどで、わぁーーーっと、集団(10人から15人くらい)でくる。何故だか、みんな同じような角刈りで、大声で話しながら来るので、すぐ分かる。グループの誰かが買っていたら、その辺に残り全員たむろすことになり、暇だからか、カウンターに置いてある、ティッシュを勝手に取り、耳くそや、鼻くそをほじっ
アロハ20年前。ハワイ。まさかの面接合格に有頂天だった。これで、やっと仕事ができて、お金も稼げる。一人前になれる。。。。頑張ろう❗と張り切っていた。仕事の前にトレーニングがあると、連絡があった。1週間あるという、、、長いな、、ま、でも面接のようにきっと日本語でしてくれるだろう。英語だとしても、わからなかったらみんな日本語話せるから、大丈夫や~と、呑気に構えてた。まさか、地獄のトレーニングになろうとはこの時は思ってもなかった。初日。今回採用されるのは約10人ほ
アロハ20年前のハワイ。爺の口癖、Youcandoit.やれるさ、大丈夫。に、励まされ、幼稚園児以下の英語レベルの、40代半ばのおばさんが、ワイキキで働き始めた。アメリカ式履歴書尿検査(ドラッグの有無)生き地獄の英語での1週間トレーニングを、何とかクリアし、晴れて、売り場に立つことができた。ただ、ここでも3ヶ月間はまだ仮の社員。売り場での働きぶりをマネージャーがチェックし、正式採用かどうか決定されるのだ。はぁ、、、、長い道のりだ。。。他の先輩達は、もう
アロハ(アラモアナにマスク姿のサンタ登場)アメリカ市民権を速攻でゲットし、ほとんどの中国人が名前まで変えてしまう。そう、アメリカ人の名前に。日本人の我々からしたら、親がつけてくれた大事な名前。変えたくもないし、そもそも変える必要などないと思うけど...キャサリン、マーガレット、グロリア、、と、顔は完全なアジア人なのに、見事なアメリカンネームがつく。もし婆が、"キャロライン"などと改名し、公衆の面前で名前など呼ばれた時にゃ、なんだか、気恥ずかしくて出ていけない、、っ
アロハ楽園ハワイの約20年前。楽園は、なかなか楽園にはならなかった、この20年......まさかの国際再婚をし、40代半ばで初めての就活。そして、何とか面接まで漕ぎ着けた....明日面接だ、と心配気に爺に言ったら、Youcandoit.大丈夫、やれるさ。と、言って笑った。.......ケッ!!オメーはいいよな、母国語通じてよー言葉が通じないこっちの気持ちなんかわかるわけねーべ、と心の中でひねくれてた。だけど、このYoucandoit.は何故か心
アロハ約20年前。国際再婚した婆、当時40代。ハワイで初めての就活。差別は違法、この言葉通りの履歴書に、ドラッグの有無が目的の尿検査。国が違えば、全てちがうのは当たり前だけど、何かある度に日本と比べて驚いてた、あの頃.....。尿検査の受付のおばさんの態度に(テイクアナンバーの意味分からず)傷つき、泣き、こんな幼稚園程度の英語もわからない自分のバカさ加減に、落ち込んでしばらく這い上がれなかった、、、ま、でも、今よーく考えてみると、そのおばさんの気持ちもわからん
アロハワイキキの会社。同僚は日本人はもちろん、中国人と韓国人、ローカル他、国際色豊か。みんな各々の理由でハワイに移住してきた。国際結婚、呼び寄せ、、、等。初めは労働許可書。そしてそれが、グリーンカードになり、何年かすると、アメリカ市民権を申請できる。そう、なろうと思ったら、アメリカ人になれるのだ。アメリカのパスポートも、選挙権も...そう、全てが完全にアメリカ人と同等になる。誰もが、申請できる期日を待って、直ぐさま、市民権の手続きをして、アメリカの市民権をゲットす
アロハワイキキで働いた約20年。いろんな事があった。でもまさかコロナで終わりを迎えることになろうとは思ってもなかったな....。しかし、20年もハワイにいて、この英語力...我ながら情けないと思うが...いや、それにはれっきとした理由がある‼️初めの10年は、ほとんどのお客さんは、まだ日本人だった。それ故、ハワイにいながらにしてずーーっと日本語喋りっぱなし今思うと、ある意味、日本にいる時より喋ってたかもしてない。後の10年は、中国バブル炸裂。ボケかかった脳ミソを何と
アロハ20年前、ハワイ。幼稚園児以下の英語レベルを誇る婆は、人手不足と言う、りっぱな理由で、何とか正社員の座を手に入れた。ラッキーだった....こうして40年以上日本の片隅でひっそり生きてきた婆は、ある日突然、ハワイの真ん中のワイキキにある店舗で、働き始めることとなった。なんせ、英語のレベルがレベルなだけに、外人が来たら、お得意の姑息な演技で忙しいふりして逃げ回り、先輩に無理やり、任せていた。日本にいた年数よりもはるかに長い時間をハワイで生きてきた先輩達。時には厳
アロハつらいウエイトレス時代。約17年前、確か時給は6ドルちょっと。ウエイトレスは通常最低賃金、そんなことも知らなかった。でもそれに、チップがプラスになる。サービスがいいと、やはりチップは弾んでくれる。そのチップは、みんなで集めて後で計算するんだけど、新人はもちろん少ない。でも、足を引っ張りまくってる、こんな自分でも、当日現金でもらえて、ありがたかったし、助かっていた。相変わらず、婆はなかなか要領も得ず髪振り乱してフロアーを駆け回ってた。ある日、担当した本土から
アロハ中国人の同僚のCちゃん。中国人の旦那と、2人のまだ小さな子供と、中国から呼び寄せた義理両親と暮らしてる。中国に帰国した時の話に、日本人の婆はのけ反りかえった。この物価高のハワイで、子供と両親抱えて、共働きし必死で生きてる、移民のCちゃん。それだけでも大変なのに、それが、中国の故郷に帰ったとたん、アメリカから凱旋帰国したヒーローになり、何十人もの親戚縁者が群がり、寄ってきて、家では収まりきれず、レストランを借りきって、ご馳走するパターンになると言う。中には、顔
アロハ数字のゼロZEROが、ずぃろぉ.....と発音することを、そして、舌を丸めて言わなくては全く通じないことを、この年になって初めて知った。その昔、学校の先生も誰も教えてくれなかった。重要や!とかで、散々覚えさせられた英文法、あれは、一体何だった?意味がまったくないな~んの役にも立ちはしないわいほれ、見ろ❗この婆が、昔の英語教育のいい失敗例やゼロを、ずぃろぉ、と発音するって知ってたらこの移民人生も多少なりと変わったかも知れない....
アロハ約20年前。ハワイ。40代にして、初めての就活。幼稚園児並みの英語、いや、それは幼稚園児様に失礼だろう、幼稚園児以下の英語レベルを引っ提げ、何とか、やっと面接まで漕ぎ着けたのに....いくら日本人観光客が多いっていっても、そりゃあ本土のアメリカ人だって、他の国の観光客だって来る.....最低限の英語くらい話せないとどこも雇ってはくれまい。何てったって、自分の旦那にゼロも通じなかった女だ数字のゼロさえも通じなかったんだから....面接の帰り、そんなことを考えなが
アロハ約20年前再婚同士で結婚した、当時50代のアメリカ人の爺と、40代だった婆....昔の日本の英語教育のせい?で、数字のゼロも、水のウォーターも、塩のソルトも、コーヒーも、全く通じず、その度に落ち込み、ふてくされてた。前途多難な移民人生が、これから始まろうとしていた。結婚して何ヵ月かして、待ちに待った労働許可書が、届いた❗やった~そう、これでどこかで働けば、絶対に英語は上達するはずや~舌だって回りに回り、そのうちペラペラになって、みんなの羨望の的にな
アロハ自分の旦那、アメリカ人の旦那に、数字のゼロも、水も通じず、よくぞ、これまで約20年、本当によくぞ持ったな、、、と、ある意味感動するほどの、我が英語レベル。ここまでひどいと、ある意味ケンカにはならない。いや、なんか文句があっても事細かく言えないし、相手を言葉で打ち負かすってこともできない。結局は、戰をしかけても、全ては負け戦。仮に、ひどい言葉言われたとしても分からんし、いや、分かったとしても、応戦できないのだ。ま、それは、向こうも同じ。どーせ、言っても
息子の鼻水が止まらなすぎて耳鼻科に行ったどこの耳鼻科にしようかな〜と思って調べたら、大人気のとある耳鼻科が駅前に第二号を立ち上げたとあった口コミ見たら、良いコメント1つだけで、他全部最悪でもそこがアタイ行ってみて本当に最悪か試してみよう!と思ったわけだ。なんせ駅前!近い!こんなに口コミ悪いなら空いてるはず!実際、受付の人も看護師さんも感じ良かった。口コミの中で一番評判悪かったのが医者。お願いしまーすと入っていってわかった。これは小児科向きの人ではない!!とな。どうしましたか?も聞か
ALOHAご訪問ありがとうございます❤️アラフォー、アラフィフでもバツイチでも、子供がいても自分の人生欲張りでエエやん!人生一度きり!やりたい事は全部やる!をモットーにハワイが好きすぎるあまり20年以上想い続けたハワイ移住の夢も叶えました❤️本当はハワイが好きでいつか暮らしてみたい。と思っている(いた)のに子供がいるから。。。お金がないから。。。と諦めているシングルマザーに夢を叶えるための【マインドセット】からハワイ移住へ導く『欲張リッチ♡夢
私のラブリー年寄り(?)夫との馴れ初めを紹介しようかと。。ただの日記なのですが読者が増えたようなので、笑。怖いものなし!隠し事なし!愛する妻の子供は血の繋がりがなくても全力で守る!66才やんちゃ夫12才で高校生になりました。15才でスタンフォードに落ちて、ミシガン大学に進学しました。19才で卒業しました。頭が良すぎて年上のクラスメート達にいじめられ、学校に友達がいなかったそうです。15才で、ヒゲが眉毛に届いたらしい、、。そりゃ良くも悪くも目立つわな、、大学卒業後は5年間働いて