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2020年12月の年末から、2021年春の定期列車廃止をもって愛称消滅となる「有明」にフォーカスしております。今回は少し時代がくだって、・昭和50年代後半(485系有明号の時代)という感じで追ってみたいと思います。前回は、新幹線博多開業後の有明号までを追いました。従来の583系に加え、本州からお下がりの485系が大量に仲間入りします。白紙ダイヤ改正「ゴーサントウ」の特急有明号(1978年10月ダイヤ改正)昭和53年10月に実施された当時よく言われた「白紙ダイヤ改正(
ひさびさの短命シリーズとなります。35回を数える今回は、国鉄からJRにまたがる時期に活躍した、特急雷鳥号の一部の編成に連結された和風グリーン車、だんらんを取り上げます。1985年3月に登場、1989年3月にスーパー雷鳥登場にともなう「発展的消滅」のため4年間の短命となりましたが、当時の国鉄の創意工夫を感じられる意欲作でした。和風車両だんらんとは?国鉄の特急電車の代名詞であった485系交直流電車の食堂車サシ481形を改造して登場したのが、サロ481形500番代です
元あびら町鉄道資料館時代のD51320です撮影日:2007年6月22日道東からの帰り道、いつもと違うルートを使って苫小牧に向かっていると追分の辺りでとても手入れの良いD51の静態保存機(動態?)が目に入ったので寄ってみることにしました。あまり静態保存機には興味がないので普段はスルーするのですが、このD51320は今にも動きそうな雰囲気なので思わず立ち寄ってしまいました。ロッド類に色が入っているのが唯一の残念な処ですD51320の入る建屋には「あびら町鉄道資料館」の看板がありど
時刻表紙面から確認できる国鉄(JR)⇔私鉄線の乗り入れがあった記録を残しております。現在も現役路線もさることながら、すでに廃止された地方私鉄への乗り入れを優先して取り上げてゆこうと思います。■秩父鉄道秩父本線今回は、埼玉県の秩父鉄道秩父本線を取り上げます。秩父鉄道秩父本線-Wikipediaja.wikipedia.org今回取り上げる列車はいづれも国鉄→秩父鉄道のいわゆる「片乗り入れ」です。また西武鉄道、東武鉄道からの乗り入れ実績もあるのですが、手元にそれをご提示できる資料
2020年暮れから個人的キャンペーンとして、私の時刻表コレクションを元にスキー列車の歴史を、実物の時刻表とあわせて、紐解いています。現在【5】全国各地のスキー列車についてまとめております。今回は、その第5章として、島根県と広島県の境にある三井野原にあるスキー場にむけて運行されていたスキー列車の歴史を紐解いてみたいと思います。全国各地でスキー列車の中で、運転パターン、列車同士の解併結について、当時の国鉄スジ屋の匠の技を感じさせる、なかなか香ばしい列車の一つです。★2022年1月31
今日はNゲージ鉄道模型、381系特急電車の話です。JR仕様製品のTc車を中心に手を加え、国鉄時代の特急”やくも”にアレンジしてみました。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。前回の記事↓と類似アングルからスタートですが、ヘッドマークガラスのHゴムがグレーになり、JNRマークが入るなど国鉄スタイルらしくなったと思います。KATO10-876”しなの”セットの中間車と10-1868”くろしお”の先頭車Assyを組み合わせた9連です。1981年の登場から5年ほどで短編成化
いつも”重単5175”をご訪問頂きありがとうございます。今日はNゲージ鉄道模型、EF81のお召機81号機を国鉄~JR東日本初期位の姿にしてみました。製品はKATOの3066-6EF8181お召塗装機(JR仕様)、黒Hゴム表現だったものを1985年お召時の白にしたが今回の主な内容です。これが製品の状態、2014年に北斗星色(★ガマ)からローピンお召塗装に復活整備されてからの姿でした。しかし国鉄形車両が殆どの私のレイアウトにおいて牽引する車両が無かったんです。2014年といえば、
上の画像にあります、長崎県佐世保市吉井町の松浦鉄道吉井駅から、佐世保市世知原町の旧世知原駅間には、旧国鉄の旧世知原線が存在しておりました。この旧世知原線とは、佐々川流域にあります炭鉱からの石炭輸送のために、明治30年代に九州松浦炭礦専用鉄道として佐々駅~世知原駅間で軽便鉄道として建設が始まったのが始まりでありまして、その後松浦炭礦の鉱業権者であります岡本彦馬氏の個人経営へ移行した事から、昭和7年に岡本彦馬専用鉄道と改称しております。しかし、この珍しい個人名の鉄道会社も翌年昭
古い時刻表、と言っても1990年代初頭のJR発足直後、九州島内から宇部新川・小郡(現・新山口)などへ直通する421・415系は普通に存在していました。新田原→小郡というのは短い方で、足の長い電車では八代・肥前山口→宇部新川、厚東→熊本がありました。今は何だかなあ…追記ですが、「クハ411-335」の記事の時は撮り鉄から離れていたものの、この時ばかりは姉のカメラを借りて行きました。クハ411-335の形式標記を撮影した写真は、珍車を目にした私の心の動きが現れています。
探索日2010/05/02高砂線高砂駅から分岐していた専用線キッコーマン関西工場、神戸製鋼所高砂製作所、三菱重工業高砂製作所などへの専用線と一部共用高砂線との分岐点左の歩道が高砂工場線跡、右は高砂線跡腕木式信号機があるもともとここにあったもんか、モニュメントとして設置されたもんかはわからん歩行者用道路になった廃線跡後方に西友高砂店が見える関係ないけど、ここの西友は今年いっぱいで閉店するのな中学生のときに、よく行ったものさ道路が専用線跡左は山陽電気
私の1番好きな国鉄特急車両151系昭和33年東京⇄大阪のビジネス特急こだまとしてデビュー。大阪まで日帰りが可能になりました。リニア・鉄道館より初期はビュッフェのみ、のちに食堂車が付きます。昭和50年代おもちゃの特急電車といえばボンネットでした。151系の保存車両は全国で3両のみ(1両はモックアップ、もう1両は181系)兵庫県の川崎重工兵庫工場ビル前に保存。JR明石駅から徒歩約15分。クハ151系は181系になり、特急あずさや特急ときで1982年東北・上越新幹線開通まで活躍し、全
今回取り上げるのは、国鉄末期に存在しており、期間にして1年7ヶ月(1985年3月〜1986年10月)という短命特急列車だった特急むつ号です。実は、急行むつ号での活躍を知る方にとっては、急行時代の歴史があまりにも偉大なので、特急時代の歴史自体大した話でないかもしれませんが、ご興味あれば御覧ください。急行時代のむつ号を振り返るむつ号の意味するのは、「陸奥」であり東北地方全般を指す漠然とした地名です。1963年10月のダイヤ改正を機に、郡山〜青森間(改正直前)で運行されていた
国鉄のモハ20形と言えば、151系特急電車の登場当時の形式と思われる方が多いと思いますが、私鉄買収に伴い移籍された社形電車ながら国鉄制式形式を付番され、クモハ20・クハ25を名乗る電車が大阪南部を走っていました。大阪天王寺を起点とする阪和線の前身である阪和電気鉄道が所有した車両で、南海電鉄に買収された後に、1944年の国家買収で国鉄車両となった19m級電車です。保守部品がなく故障修理に悩まされた時期を経て、搭載機器を国鉄制式品に換装して国電並みの整備が施されました。私が撮影した1964年当時に
どうもどうも、けいです。最近は何かと多忙でブログが書けませんでしたが、時間ができたのでかねてから書きたいと思ってたネタをば。クハ455-701は急行形なのか?ということを駄弁ろうと思います。1.そもそも"クハ455-701"とは?多分9割くらいの方が知っているとは思いますが、誰が見るか分からないので解説だけはしておきます。大は小を兼ねるとも言いますから…"クハ455-701"とは、現在新潟県の鉄道会社である「えちごトキめき鉄道株式会社」が保有する車両です。
2024年5月19日日曜日午後、1時間ばかり作業していました。Nゲージの車両に部品を付ける作業です。KATO製のEF641000。買ってそのまま部品を付けないまま走らせてました。ナンバーを付けてない(^^;穴が開いてますが、これも避雷器と言うパーツを付けるための穴です。長い間運転する機会がなく、面倒くさくなって放置していました。しかし数年前から相模原鉄道模型クラブの運転会に参加。その運転会でナンバー付けてないですね?と言う当然
皆さんこんにちは。今回は少しピンボケの写真が続きます。大阪駅9番線DD51-39号機牽引急行だいせん8号です。1980年前後の大阪地区には、DD51の初期型が多く走っていたんですね。こちらは大阪駅11番線です。DD51-1173号機牽引。最初はだいせん8号かと思ったのですが、後ろに連なるのは、12系客車。それも8両以上は繋がっているようです。1984年の時刻表には、定期の夜行だいせん6号の10分ほど前に大阪駅11番線に到着する列車がありました。臨
昭和中期くらいまでの流線型車輌が大好きな私ですが、初めて見た流線型電車が国鉄52系です。確か平成12年(2000年)くらいだったと思います。佐久間レールパークにクモハ52004(2次車タイプ)が居まして(今はリニア・鉄道館に移籍)、それが流電を見た最初でした。※写真は奥底に仕舞い過ぎましたので、行方不明です…■MICROACEA-0086国鉄モハ52系登場時マルーン4両セット■MICROACEA-0080国鉄モハ52系ツートンカラー4両セット■MICROAC
今日はNゲージ鉄道模型、KATOワム80000(以下ワムハチ)の新製品と、トキ25000、TOMIXトラ70000の話です。屋根に色を付けたり、無かった側ブレーキ表現を付けてみたりしました。いずれも色々な車種がつながる国鉄時代の貨物列車に連結の車両、走行動画もあります。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。ED75727福(KATO3075-3メタルインレタ改番車)牽引、国鉄時代の車扱貨物列車です。ワムハチは全てKATO製ですが、以下記事↓に書いたように新製
こんにちは、今回の記事は先日KATO京都駅店で購入した「EF58-66ヒサシ付き下関運転所」整備の記事です。関連記事:飛騨・北陸・関西の旅’21秋(その3)こちらになります。KATO京都駅店特製品EF58-66ヒサシ付き下関運転所簡単に見てみます。数あるKATOのEF58ラインナップで一般色大窓ヒサシ付はまだ発売されていないと思います。「EF58-66」と言えば竜華機関区のイメージが強いですが製品は「下関運転所」となっています。実車は1965年10月から1974
アリイのプラモの話題が続くが、幼少のころから「特急・急行」系車両より、いつも身近にいた「通勤・近郊」系車両がことのほか好みだった私はプラレール(トミー)もミニミニレール(バンダイ)もそれらの電車の所有が多く、鉄道模型の世界を知った時も必然的にそうなっていた・・。鉄道模型の世界に足を踏み入れたのは1970年代前半、時代的にはNゲージ黎明期の少し後で、後のNゲージブームはしっかり経験している。しかし、数々出る新製品の花形車両を横目に所有する車両は殆どが103系で一時は有に100両を越えていた・・。
いつも”重単5175”をご訪問頂きありがとうございます。今日はNゲージ鉄道模型24系寝台特急ゆうづるの話です。編成端オハネフ24の顔つきを変えてみました。KATO10-811,812が在籍製品設定のままの12両編成で寝台特急”ゆうづる”として運用中です。ED751017+ED751001(KATO3075-1)が重連牽引です。写真では既に右側、オハネフ244の表情がちょっと変わっています。こちらが弄る前の姿、ボディーに4つのジャンパ開放栓受があってケーブルを3本接続し
を適当にまとめてみようと思います。この2形式はすごくよく似ていて違いもほぼないですが見分ける点が数か所だけあるので紹介していきたいなと思います。①下部ドアレールの位置でもこれは正直期待できません。廃貨車ってなにかと下の方が見えなかったりするので下の方が隠れてなければこれで見分けられる程度でOKです。ワラ1は下部ドアレールの位置が車体下端と同じ高さになっています。しかしワム60000は下部ドアレールの位置は車体下端と同じ位置ではなく少し高い位置になっています。上写
下記をクリックお願いします人気鉄道ブログはこちら➡1996年1月2日東京駅前にあった丸ビルが建て替えっられると言う話を聞いたので正月休みを利用して撮影に行きました丸ビルの他国鉄本社そして隣の鉄道管理局ビル、東京駅の一部を撮影しました、先輩にいつか必ず建て直す事があるから記録しなさい〜と言われた事を思い出し記録撮影しましたまさに建て替えられて現在は昔の面影は無くなりましたね。当時の方が趣きがあって良かった気がします(丸ビルです)グリーンのビルが国鉄本社
『たらこ列車たちと、山口駅。/2022-2023年越し旅行-18』『徳山駅から国鉄型車両に乗り、山口駅へ。/2022-2023年越し旅行-17』『JR徳山駅の、表と裏の顔。/2022-2023年越し旅行-16』前…ameblo.jpの続き。せっかくの青春18きっぷの旅なので、乗ったことがない路線の普通列車に乗ってみたい。ということで、これから乗るのは、初乗車のJR山口線。キハ40・たらこ列車。車内は、1ボックス席に1組いるかどうか、といった程度の乗
いつも”重単5175”をご訪問頂きありがとうございます。今日はNゲージ鉄道模型、先日国鉄時代のお召機を再現しようと窓の白Hゴム化を行ったEF8181の話です。今度は緑の碍子を白くする、、などやってみました。整備後のEF8181です。KATO3066-6製品はJR東日本時代のお召塗装機でしたが、寝台特急”ゆうづる”牽引が似合う国鉄時代のお召仕様にしようとアレンジ、随分雰囲気が変わったように思います。前回の記事↓窓ガラスの白Hゴム化などやった時の姿です。屋根上、緑色の高圧碍子がど
関西の鉄道ファンには有名なのでしょうか?短命ながら、なかなかインパクトのある特徴をもった特急あすか号についてまとめてみました。今回は手元にある交通公社の時刻表1966年(昭和41年)4月号を元にまとめております。このあすか号の運転に関する略歴ですが、1965年3月運転開始1967年10月廃止と約2年半の短命特急でした。待望の関西本線を走る特急として誕生あすか号は1965年3月1日に実施されたダイヤ改正から運転開始。同じタイミングで、現在も紀勢本線の雄として活
現代社会は「合理的」、「合理性」を求める傾向にあるが、これは「属人主義」の考え方であり、多分に弊害を齎すのです。個人の欲望を満たしても、全体の幸せには繋がらないのです。人の猿知恵、欲望の帰結する考え方であります。日本国も戦前から、当に国策の如くこの手法が取り入れられてきました。簡単に述べれば、無駄なもの、否、人が勝手に無駄だと思ったものを削除する理論。その結果が資本を持つ者と持たざる者の二極化が進み、社会全体としては生きづらい世界となっていったのです。国鉄の民営化、電電公社の民営化、
皆さんこんにちは。福知山線の午前中のページです。下り列車は、長距離列車のオンパレードですね。大阪駅始発の下り普通列車721レは出雲市行。14時間23分も走っていました。そしておなじみ特急まつかぜ1号博多行。急行では丹波1号の次の急行だいせん1号は、浜田・大社行でした。話が長くなりますが、だいせん1号は、大阪駅発車時点では11両編成。豊岡で2両出雲市で出雲大社の最寄り駅大社行の4両を切り離しました。グリーン車を含む5両が浜田まで行きました。
今回も前回までに続き、北海道で駅名の変更が行われた事例を路線別に列挙してみたいと思います。最終回の今回は私鉄・公営鉄道編となります。資料的な記事になりますが、よろしければお付き合い下さい。また、今回はデータ類を新潮社刊「日本鉄道旅行地図1北海道」に依拠しております。同著は国鉄〜JRではデータ類をJTB社刊「停車場変遷大辞典」を参照したとありましたが両著で一部に齟齬があり、比較検討しながらなるべく裏を取るようにして弊ブログに掲載したつもりです。一方、私鉄については資料が少なく、各自治
昨日はスエ78-15のご紹介をしておりましたが、一見すると特に何も変わらなさそうな旧客6両も細かく作り分けられております。床下と台車は共通ながら、ボデーに関しては全て別々の品番でAssyパーツが設定されておるほどです。本日もこちらの動画から引用です。0409ホビセンフェスティバルライブ配信2023年4月9日開催ホビセンフェスティバルのライブ配信映像です。www.youtube.com1時間55分ぐらいから同じ内容がご覧いただけますのでKOASA。の説明なんていらねーよって方はホビセンフェ